咲と翔の本気の恋

翔はそのまま咲の唇にそっとキスを落とした。




そして……。



咲の身体を抱き締めたまま「ごめん、我慢出来なかった」とだけ呟いた。

咲はただもうどぎまぎするだけで、声すら出せなかった。




「本当はもっと咲が慣れてからって思ってたんだけど、俺が我慢出来なくなっちゃって」




そう言った翔は、きらきら輝く少年そのものだった。




「翔君、最初からそのつもりであたしに目を閉じろって言ったの?」


「いや、最初は考えてなかった。でも咲の顔見てたら身体が勝手に反応しちゃって……怒ってる?」


「ううん、ただびっくりした」


「じゃあ約束だからね、俺の過去の話し、聞かせてあげるよ。あ、でもこれ聞いたからって付き合い解消はナシだからね」


「そんなに怖い過去なの?」


「どうかな?俺にとってはごく普通の事だけど、咲だったらちょっと驚くかな?」





にっこり笑って翔はそう答えた。

そうして屋上の手すり越しに新緑の校庭を見下ろしながら、翔は話し始めた。



「俺の中等部時代はバスケとケンカの毎日だった。俺のダチはみんな血の気が多い奴らばかりで、目と目が合っただけでケンカになる。もちろん相手は他の中学のつっぱった奴らだけど、それでも俺達は負け知らずだった。そんな事してるうちに気が付いたら俺は赤井翔の名前だけで相手が怯(ひる)む存在になってたんだ」




咲は黙って翔の話しを聞いていた。




「そんな毎日を送ってるうちに、俺には市内で逆らう奴らがいなくなってたよ。何でか俺のダチも俺の事をリーダー扱いして、文字通り俺はこの市内で番を張るまでになってた」




咲の表情が一瞬、強張ったのを翔は見逃さなかった。




「咲、俺が怖い?」




唐突なその問いに、咲は何も言えなかった。

でも不思議と怖いという感情は微塵も感じなかった。



ただ、顔を横に振った。



翔は咲の肩を抱いて、そのまま話し続けた。



「俺はバスケが大好きで、中等部ではエースだった。でも、試合中に野次を飛ばして来た奴がいて、俺はそいつを捕まえてタコ殴りにしちまった。んで俺らの部はそのまま失格。退場になったよ」



何も言わず、黙ったままでいる咲に、翔は少しだけ不安になった。

咲の顔を覗き込むと、複雑そのものの顔をしていた。


それが少し可笑しくて、翔は微笑んだ。




「咲、大丈夫?」


「うん……あたしも少しは翔君の噂、聞いてたから。でも考えてたのとちょっと違うかも……上手く言えないんだけど」



咲はそれだけ言うのが精一杯だった。



「そう、よかった。いきなりこんな事話して、咲に振られたらどうしようか心配だったけど……やっぱり咲には俺の全てを知ってて欲しいからさ」


「じゃあ、ファンクラブも本当の話し?」


「まぁ、あるみたいだね。実際駅まで歩いてると、必ず何人かの女の子に囲まれるよ。俺は興味ないけどさ」




ファンクラブの話しを聞いた咲は、明らかな嫌悪を顔に出した。

翔がびっくりするほどに。



「もしかして咲、妬いてる?」


「え、何を?」



咲は自分がよく判らなかった。




「ファンクラブの話しした時の咲の顔色、変わってたよ?」


「そそそんな事、ないもん。だって翔君はあたしの彼でしょ?」


「くすっ、そうだよ。俺が本気で好きになったのは咲しかいないよ。でも咲すごい顔してたけどな?」


「そんなの、翔君の思い過ごしだよ」


「ふぅんそっか、じゃあファンクラブの続きの話し、聞きたい?ちょっと咲には刺激が強いかな?」





そう言われればもちろん気になる……。

でも、刺激が強いってどう言う事かな?




「じゃあ、お手柔らかにお願いします」


「くすっ、何それ?話しの内容は変わらないけど?……まぁそう言う訳で俺に告白して来る子は後を絶たなかった。で、来る者は拒まずでね何十人かと遊んでやったんだ」





ここまで聞いて、咲の表情は明らかに青ざめていった。

これはさすがにまずかったかな、と翔はフォローしようと咲に声を掛ける。



「咲?顔真っ青だけど大丈夫?」


「あたし……翔君の言ってる意味が分かんない。それって今まで付き合った女の子は全部遊びって事だよね?野島君が怒ってたのはその事を知ってたからなんだ」


「落ち着け、咲。俺は咲と遊びで付き合うつもりはない。本気なんだ、初めて本気で惚れたんだよ。だから俺から告った。お願いだから信じてよ、俺どうすればいいんだか分かんないよ」





てっきり咲に嫌われたのかと思った翔は、何とかこの場を取り繕おうと必死だった。



けれど咲はきっぱり言い切った。




「翔君、あたしは遊びじゃないってここで約束、出来る?」


「も、もちろんだよ。百回でも千回でも約束するよ」


「じゃあ、指切り、しよ?」



互いの小指を絡ませた。


咲の小さい手に比べて翔の手は大きくて暖かかった。

初めて咲はこの手を放したくない、そう思い始めていた。



咲の中で翔の存在は大きく膨らんでいた。




「咲、俺は咲を誰にも渡さない、それだけの自信ぐらいは持ってる。だから心配しないで。俺の心は咲のものなんだからさ」


「あたしのもの……?翔君の心が?」


「そうだよ、俺は中等部からずっと咲だけを見て来たんだ。でも咲はモテるのに恋愛に興味ないって噂になってたし。それでも諦めるつもりはなかったんだ。でも今咲は俺の隣りにいてくれる、付き合ってくれるって返事貰った時は本当に嬉しかったんだ」




翔の思いがけない程の強いその言葉に、咲の中にあった不安が晴れ渡っていった。



翔君は嘘は言ってない。

だからあたしも翔君を信じよう、と。




「翔君、さっき中等部の頃からあたしを見てたって言ってたけど、どこで見てたの?」


「文化祭とか、球技大会とかの行事の時かな。まぁ、球技大会のテニスは酷かったけど、文化祭の時にステージで踊っただろ?あれが一番綺麗だったよ」





文化祭は確かに中等部も見に来てたな。

その中に翔君がいたんだ。



しかも見られたくない球技大会まで見てたなんて……。




「翔君、あのテニスの試合まで見てたの?」


「うん、咲は踊りは綺麗だけど運動は苦手みたいだね」




くすくす笑いながら、翔はそう言った。



うにゃ~一番見られたくない姿を見られてたぁ……。

咲は顔から火が出る程、恥ずかしかった。



可笑しそうに笑う翔は、バスケ部のエース。

咲はテニスのルールすら分らないのに、全員何かの球技に強制参加だったのだ。



バレーもバスケももちろんハンドボールも出来ない。

唯一、何とかなりそうだと思って選んだのが、テニス。



結果、一回戦負け。

何しに出たのか分らない。




「だって、あたし体育苦手なんだもん」


「だろうね、でも、成績はいつもトップじゃない?」


「なんでそんな事まで知ってるの?」


「ヒ・ミ・ツ、だよー」




悪戯っぽい笑顔で翔はそう言ってはぐらかす。

咲は「なんで秘密なのー?教えてよ??」と翔に言い寄った。




その咲の真剣な様子が、また翔のツボにはまったらしく、くすくす笑いがけらけら笑いに変わっていた。



当然咲は面白くない。




「いいもん、翔君が意地悪するんだったら、あたしも意地悪しちゃうから」


「へぇ、咲の意地悪って、どんな?」


「ん~……他の男の子と仲良くするとか?」




その咲の言葉を聞いた翔は「咲!冗談でもそんな事俺は許さない!」と、本気で怒りだした。



咲は余りの翔の剣幕に、驚き俯いて「ごめん……」とだけ呟いた。



「でも、翔君今まで散々遊んだんでしょ?その子達にもそんな風に怒ったの?」


「まさか。ただの遊び相手、暇つぶし相手に真剣に怒る必要なんてないよ」


「翔君って、鬼だね?」


「へぇー、俺が鬼ね。じゃあ鬼ごっこしようか?俺が咲を捕まえたら、覚悟するんだね?」


「何の覚悟……?」と、きょとんとして聞き返した。


「それは捕まってみれば分るんじゃないの?行くよ?」


「やだ、ちょっと待ってよ?」


「ダメ、待たないよ~」



屋上で呑気に鬼ごっこなんてやってるふたりだった。




既に教室での騒ぎは忘れていた。

けれど教室に戻れば、現実は容赦なく咲に襲い掛かるのだ。




その頃、咲の教室ではひと騒動起こっていたなんて、ふたりは知らずにいた。



翔が咲を連れて出て行った、それだけで数人の女の子は泣き出していた。



咲のクラスの男子だけでなく、咲に想いを寄せていた男子が噂を聞きつけて、咲の教室は混乱状態だった。



が、当の本人は翔と一緒にどこかへ消えてしまった。




「野島、本当なのか?工藤さんが赤井と付き合ってるって噂は」


「ああ、本当だよ……。あいつ最近やたらと俺の所に来てると思ってたら、目当ては工藤さんだったんだよ」




がっくりとうな垂れて、心なしかその眼は赤く腫れていた。

誰しもが野島も咲に片想いだったとひと目で分る程、痛ましい姿だった。




「野島、お前……大丈夫か?お前も工藤さんが好きだったのか?」


「ああ、そうだよ。でも工藤さんはあの通り、誰から告白されても興味なかったから、大丈夫だろうなんて何処かで考えてた。でもまさか赤井に取られるとはな。全ては赤井の計算通りだったのかも知れないな」




ぽつり、淋しそうに呟く野島の姿が妙に小さく見えた。

野島だけでは済まなかった。



この出来事で、どれだけ咲に片想いしていた男が多かった事か。

そして、同時にそれは失恋を意味する事になる。

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