第20話 歪み

「また……」


 絶望にも似た声が、耳から素通りしていく。

 見渡せば、死体が次々と溶けていく。


 異様な光景だった。


「……」


 前まで、これも『魔女』の仕業だと思い込もうとしていた。

 だけど、これは――


「魔女のせいよ」

「!」


 見透かされたように、魔法使いが断言した。


「全部全部、魔女のせいよ」

「そうだろ、勇者」


 魔法使いだけでなく、剣士も詰め寄ってくる。


「俺は、」


 死体の山が築かれるのは、辛い。

 絶望すら味わってしまう。

 悲しい。

 無力感が襲ってくる。


「「勇者」」


 二人の言葉に頷くべきだ。

 それが一番正しい筈だ。


 なのに、『俺』は、


「……っ」


 それでも頷けなかった。

 何かがおかしい。

 ずっとそう思ってきた。


 魔女に出会ってから、錬金術師の忠告を聞いてから、

 夢を見るようになってから、

 剣士が生きていると知ってから、


 何かがおかしい。

 なのに、何も違和感を感じない。


 当たり前に、『ここ』にいる自分が、何故かおかしく感じてしまう。


「「勇者?」」


 呼びかけられ、殆ど無意識に顔を上げかけた時。

 ふと、違和感の一端に気が付いた。


「なあ、俺の名前って何だっけ?」

「え? 何言ってるの?」

「勇者だろ」

「違う」


 反射的に納得しかけて、意識的に否定した。


「それは俺の『称号』だろ」

「え?」

「俺は、勇者になる前、何ていう名前だった?」


 二人は黙った。


「……なんでそんなこと聞くの?」

「勇者でいいだろ」

「よくないから言ってるんだ」


 二人の言い分に、『俺』は必死に言い募った。


「ドラゴンを倒す前、俺達は故郷に住んでいた」

「……そうだけど」

「なら、俺もお前らも、名前がないとおかしいだろ」


 ドラゴンを倒すために、故郷を旅立った。

 三人で旅に出た。国王に、授けられた称号を胸に抱いて。

 胸が熱くなるような思い出も、今は焦燥感しか生まれない。


 名前よりも、勇者という呼び名がしっくりくるようになった。

 だが、自分の名前を忘れる筈がないのに。


 『俺』は自分の名前を覚えていなかった。


「魔法使い、剣士、教えてくれ」


 二人を目の前にして、『俺』は必死になって尋ねていた。


「俺の名前は何だった?」


 二人は答えなかった。隊員すらまともに声を上げなかった。


 異様な雰囲気に気付き、再度『俺』が口を開きかけた時、


「……勇者じゃない」

「え?」

「捕まえて」


 能面のような声だった。

 

 何が起きたのか分からない。

 あっという間に隊員達に取り囲まれた。


「何――」

「黙れ」


 押し潰されるような圧迫感。

 剣士に取り押されたのだ。


「く、あ……」


 苦しい、何が、


「あんたは勇者じゃない」


 魔法使いが感情の乗らない声で、勇者を見下ろしていた。


「だから殺さないと」

「なに、を」

「剣士、早く勇者を殺して」

「了解」


 息ができない。

 動けない。


 何が、起きて、なんで、こんな、


 切っ先が突き付けれる。

 ――殺される。


「じゃあな、勇者」


 軽い声と、剣が『俺』の首を切り落とす、筈だった。


「あ……」


 黒が顔中にべったりと流れた。

 剣士が倒れる。

 

 剣士が溶ける。


「はあ、はあ……」


 呼吸を乱す中、長い黒髪が目に映る。


「ま、じょ……」

「……」


 空はどこまでも澄んでいるのに、その姿は夜を思わせた。

 なのに、不思議な程、『俺』はその姿が、


 酷く懐かしいものに思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る