第5話 “作られた怪物”

 怪物は人々の噂話や恨み等の強い想いから、その形を持って生まれる。それは噂で知る姿であったり、全く知らない姿でもある。

 しかし、人々の口々から生まれるのではなく、本当に人工的に怪物を誕生させる。それができるということが、この一件で嫌というほど思い知らされた。

 僕は真宮深偽まみやしんぎ。嘘みたいな名前だけど本名で、両親から名付けてもらったものだ。16歳の高校一年生。



 都市伝説は案外簡単に作れる。

 元々あった話や事件を基盤として、作家なら物語にするだろうし、怪談話として、最近はネットの中で悪戯に考えるものもいるだろう。

 だが、そのフィクションは時に妙に現実味を帯びることがある。

 合成写真をネットに流出させてあたかも本物の存在であるかのように話を進める。

 嘘の目撃証言が頭の隅にあり、嘘だとわかっていても、夜に一人で出歩く恐怖が独り歩きして、そういう幻覚を魅せる。

 いつだったかに掲載した「死体洗いのアルバイト」も、元々はとある小説の中に存在した架空のアルバイトで、それから出た都市伝説だった。

 実際、「死体洗いのアルバイト」はほぼ無い。

 一部の地域では葬儀の際に行われる遺体の洗浄をする湯灌ゆかんという作業の中でアルバイトがいる可能性があるが、基本的には医療関係の職員や、葬儀屋が行うものだ。

 それがどうしてか、都市伝説として世に広まる。

 こうして出回る都市伝説は、いつか私達の目の前に現れるのではないだろうか?

 現に、最近になって謎の変死体の発見率は上がっている。

 それが人の手によって行われたのか、或いは怪物のものなのか、どちらにしろ恐ろしいものであることに変わりない。

 少しでも早く解決してほしいものだと思うのは誰でも同じことだろう。

 ――――――――――――――――――――(月間オカルトタイムズ、岸谷拓真きしたにたくまの記事より)


 雨はあまり好きじゃない。濡れるのはまだ我慢はできる。けど、湿気やそれに伴うジメジメとした、夏の暑さとはまた違う暑さは気持ち悪くて我慢できない。

 梅雨の時期、ほぼ毎日、ほぼ一日中降り続ける雨は見慣れたものだが、どうしても好きになれない。

 救いなのは僕の通う学校の教室にエアコンが設置されていることだろうか。さすが私立だ。クラスの生徒も口々に雨や暑さの不満が出ている。正直外に出るのが億劫になる。

 基本的に活発で明るい青葉も、暑さに負けはしないものの、雨のせいで部活が室内でも軽い筋トレしかできないのを不満気に語っていたくらいだ。

 早く終わってほしいと願うばかりだ。

 と、そんな感じで梅雨に対しての鬱憤を語っていたし、なんならもう2、3時間はその鬱憤を語れるのだが、今の僕はガチガチに固まって高級そうな一人掛けのソファーに座っていた。たぶん、今にも泣きそうな顔していると思う。その隣には僕が座っているのと同じデザインの一人掛けのソファーにまるで自分の家にいるかのようにくつろいで座っているロギがいる。ちなみにいつもの黒いマスクを外して煙草を吸っている。

 ほんの小一時間前、僕たちの上司である龍御寺政宗りゅうおんじまさむねにいつもの仕事じゃなくてお使いを頼まれて、雨の中ロギが運転する車に乗っていた。

 それが僕があまり遠出をしないのもあるが、見慣れない道や景色に入って、高そうな和風の大きな館の門名前に停まった時は目を疑った。慌ててロギに場所が合っているのか聞いた。すると、ロギは呆れた顔で「合っている」と答えてその門のインターホンを押した。

 それから黒いスーツを着た、ボディーガードをやってそうな人みたいにガタイの良い男の人たちに中に案内されて、応接間らしい部屋に通された。

 和室の畳を傷つけないようにするためなのか絨毯を敷いて、その上にテーブルやソファーを置いてある。まるでテレビで見るような高級感のある場所だったんだけど、そんな物珍しいものを眺める余裕など恐怖心のせいで全く無かった。

 応接間に通されて、僕とロギがソファーに座っても男達はいなくなることなく僕たちを見張るように立っていて、それから冒頭の状態に至る。

 もう本当に怖くて俯いたまま縮こまっていた。ロギなんてさっき「煙草吸っていい?」って男に聞いて灰皿貰ってたけども!

 これって、所謂ヤクザってやつじゃないか?なんでこんなところにいるの?そんなことが頭の中に浮かんできて、答えなんて出るはずがなく余計に混乱していた。

 早くこの空間から逃げ出したくてロギを改めてみる。相変わらず煙草を吸っている。

「ロギ……ここって……」

「ここ?ヤクザさんの家だけど?」

 なんで言いづらいことドストレートに言えるのこの人!?

 男達は何も言ってこないが僕は気が気でなかった。それから少ししてふすまが開いた。白髪の混じる和服を着た初老の男が入ってくる。それを見た他の男たちは次々に頭を下げる。この人が偉い人なんだろうか。

 初老の男は僕たちを見てから向かいのソファーに座る。

「龍御寺のとこの使いはいつもお前さんだな」

 初老の男はロギにそう言った。気さくな、そんな雰囲気を持つ喋り方だった。

「……他の奴が怖がって行きたがらないだけだよ」

 ロギが吸い切った煙草を灰皿に押し付けて火を揉み消しながら答えると、初老の男は「はっはっは」と笑う。

「骨のないやからと話してもつまらんさ。お前と話すほうがずっと楽しい」

「そりゃどうも」

「して……」

 挨拶が済んだのか、初老の男は僕のほうを見てきた。

「この坊主は?」

 話しかけられて、僕はびくっと肩を跳ねさせた。

「うちの新入り」

 ロギがそう短く答えると、初老の男は「ほう」と今度は観察するようにじっくりと僕を見始める。

 僕は怖がりながらも必死に堪えて相手を見返す。

 それから男はさっきみたいに笑う。

「そんなに緊張しなくていい。お前さんたちは龍御寺からの使いだ。何も悪いことはせんよ」

「りゅ、龍御寺さんの知り合いですか?」

「友人だな。取引相手でもあるが」

 取引?と僕は首を傾げてロギを見る。この屋敷に入ってから3本目の煙草に火を点けていた彼は僕の視線に気づくと面倒くさそうにため息を吐いてから口を開く。

「俺たち猟犬の武器とかはここで買ってるんだ。所謂協力者ってやつ。銃とかの取引は俺たちじゃできないからな」

「じゃあロギの武器もここで?」

「そんなとこ」

 びっくりした。まさかヤクザが協力していたなんて。

「びっくりするだろうな」と初老の男は笑いながら言い、それからまた僕を見た。

「名乗り遅れたな。わしは芦澤文郎あしさわぶんろう。この芦澤会の会長だ。まあ、会長と呼んでくれればいい」

 初老の男改め、芦澤はそう言った。

「……で?会長、今日呼んだのは何の話をするため?」

 ロギが本題に切り出すために言った言葉を芦澤は聞くと、ソファーに座り直してから表情を引き締める。

「お前たちを呼んだのはな、情報を伝えるためだ」

 そう言ってから芦澤は懐からタバコケースを出して中から葉巻を一本取り出した。芦澤の近くにいた男が彼の行動を見てすぐにライターを懐から取り出して火を点ける。芦澤はそれで葉巻に火を点けると吹かして、それから改めて話を始める。

「最近妙な取引が話題に上がっていてな。お前さんたちで言うところの“怪物”。それの売買。そんなもんが出回ってる」

 それは耳を疑う話だった。

「“怪物”の?」

「そうだ。最近の話だ。最初は新しいヤクの隠語かと思ってうちのもんに見に行かせた。そしたら本当の“怪物”がヤクの取引みたいに商品として出されていたことがわかったわけだ」

「……それはまずいな」

 ロギの言葉に僕も頷く。確かにまずい。協力者の芦澤から怪物という言葉を聞くことにびっくりしているが、怪物がヤクザたちの間で知れ渡っているのだ。そっちのほうが何よりもまずい。

「俺らは警察じゃないから、そっちで薬の取引してようがなんだろうが関係ないから好きにしていいけど、“怪物”はまずい。公になるのも時間の問題かもしれない」

「だろうな。だからお前さん達に伝えることにしたんだ。わしとしても、あれには手を出したくないからな。金になるかもしれないが、リスクが高すぎる」

 芦澤は葉巻の灰を灰皿に落とすと、深く息を吐いた。厄介なことになってしまったんだろう。そちらにとっても、こっちにとっても。

「とりあえず、知っている情報を後からお前さんとこに送る。そのことを龍御寺に伝えておいてくれ」

「わかった。なるべく早めに頼む。最悪の事態ってのもあるからな」

 ロギの言った意味がよくわからず、首を傾げる。

「最悪の事態って?」

「その怪物を売っているヤクザってのは、どうやってんのかは知らないが怪物を制御できてる。それがもし、ミスして制御できなくなったとしたらどうなる?」

「……考えたくないね」

 地獄絵図が出来上がるのだろうな。想像したくもない。

 その後、芦澤に「いつでも遊びにおいで」と、まるで孫にでも言っているような言い方で見送られて屋敷を出ると、ロギの運転する車に乗って来た道を戻る。

「ヤクザ怖かった……」

 芦澤のおかげで恐怖心や緊張は解けたものの、記憶に残るのはあの怖い雰囲気で助手席に座って窓の外の様子を眺めながら呟いた。その呟きはロギに聞こえていたようで。

「あの人はそんなに怖い人じゃないよ。子供とか好きだし、何より龍御寺さんの友達だ」

 龍御寺の知り合いだから信頼できる。ということには僕も納得できるところはある。それでも、他の職員があそこに行きたがらないのは、やっぱりヤクザというイメージが強いからだろうか。

「芦澤さん。またおいでって言ってた」

「あれは孫見てる目だったぞ。娘いるのに」

「いるんだ」

「会ったことないけどな。前にいるって話聞いた」

 ロギの話を聞きながら窓の外を見た。相変わらず雨が降っている。天気予報の話だともうしばらく雨が続くらしい。

「雨、止まないね」

「鬱陶しいけど、雨のにおいは嫌いじゃない。でも、バイクでの移動ができなくなるからそこは面倒ではあるかな」

 運転中なため僕に視線を向けることはないもののそう答えた。僕とロギが目の前い映っているものは同じものなのか疑う時がある。僕は時々、彼は何か違うものを見ていると思ってしまう。



 次の日の授業の合間の10分休憩の教室で青葉あおばが軽食の菓子パンを食べながら珍しくため息を吐いていた。

「どうしたの?」

「いや……ここしばらく雨が降ってるから、部活できなくて」

「筋トレしかやってないんだっけ?」

「そうなんだよなー……暇で仕方ない……」

 菓子パンを落とさないようにしながら机に突っ伏した青葉を見ながら僕は苦笑した。いつも元気な彼が憂鬱を感じてる姿。なかなか見られないレアな瞬間だ。本人からすれば失礼な話なんだろうけど。

「筋トレも真面目にやりなよ?」

「わかってるよ。でもさー、走れないのは陸上部にとっては辛いことだぜ?大会が近いわけじゃないからまだいいけどさー」

 駄々を捏ねる子供みたいだと思ってしまう。彼にとっては大事なことなんだろうけど。

「室内練習場とかあればいいのにね」

「それも思った。体育館はバスケ部とか使ってるから借りれないし」

「広い学校なのにな」と項垂れる青葉の頭を撫でながら、僕は別のことを考えていた。昨日、芦澤が言っていた怪物の取引のことだ。怪物をどうやって売っているのだろうかと、僕はずっと考えていたのだ。

 ロギはどうやってかは知らないが、怪物を売買しているんだからコントロールはできているのではと話していた。そう簡単に怪物をコントロールできるものなんだろうか……。それにしても、怪物を買ってどうするんだろう。

「ねえ青葉」

「んー?」

「怪物って売り物になるのかな」

「……は?」

 僕の言葉に今まで机に突っ伏していた青葉が顔を上げる。

「……ごめん。忘れて」

 愚痴を話せる相手がいるのは有難いけど、あまり危ないことを言うのはよくないのかもしれない。青葉は深くまで関わっているわけじゃないんだ。巻き込まれたりしたら大変だ。

 でも、青葉はそれに興味を持ったみたいで、僕をじっと見てくる。そうなったらいくら誤魔化しても話が逸れないことは知っている。僕は観念すると、少し暈しながらこの一件のことを話し始める。

「なんか、大変なことになってるみたいなんだ。そのために皆調べたりしてる」

「それが、怪物を売ってるかもって話?」

「うん」

 怪物を売るって本当に都市伝説みたいな話だけど、どうなんだろうか。

「怪物を売ってお金にするのはいいけど、買ったほうはどうするのかわからないんだ。使い道とか」

「うーん。ペットにするのとは違うもんな。達磨女みたいに見世物にするとか?」

「それは一番まずいよ。怪物がみんなに知られちゃう」

「そうだよな。んー……邪魔な奴とかを代わりに殺してもらうとか?」

「それは……ありえそう」

 怪物に殺させれば人が殺すよりはリスクは減るだろうけど、危ないことには変わりないだろう。でもそれ以上に何か違和感を感じるのだ。でもどうしてもそれが何なのかわからない。

 授業開始の時間を知らせるチャイムが鳴って、この話は終わったけど、結局どうしたらいいのかわからないままだった。

 その後二時限授業をして昼休み時間。学食を食べようと食堂に行った時だ。先輩の折瀬おりせが食堂に入ろうとしていたのを見つけた。

「折瀬先輩?」

 僕の呟きに近い声を聞き取ったようで折瀬は僕たちのほうを見る。

「……真宮君と稲瀬君か。お昼ご飯はこれから?」

「はい。先輩もですか?」

「うん。今日は弁当が間に合わなくてね」

 いつもは弁当なのかと思いながら、食券を買う。今日の日替わりランチはカレーライスだ。青葉はいつもの大盛りメニュー、折瀬は天ぷら蕎麦だった。カウンターで食券を渡して数分待てば料理が運ばれる。

「そういえば、先輩あの後どうなりましたか?」

 自然と一緒に食べることになり、一緒の席に座った時、青葉が何気なく聞いた一言だった。その一言を聞いた時、折瀬は一瞬困った顔をするものの、口を開いた。

「一応監視することで僕は生かされてるってかんじだよ。でもある程度自由にさせてもらってるし、不自由に感じることはないかな」

 折瀬の話を聞いて少しホッとする。青葉よりも厳しい監視をつけられているという話は聞いていたから、怪物を監視するためとはいえ精神的にも厳しいものがあると思っていた。

「でも、家の中にいても視線を感じるようになったのは少しね」

 やっぱりストレスは感じているのか。精神状態で怪物がどうにかなってしまうのは時間の問題かもしれない。

「そうなんすか……」

「そういえば、稲瀬君もだっけ?監視されてるの」

「そうっすよ。俺も巻き込まれちゃって、先輩ほどじゃないすけど監視されてます」

 本当は青葉が思っているほど監視してないと言ったらびっくりするだろうな。一応黙っておくけど。

 でも、こうして似た境遇の人同士だったら話も弾むのかもしれない。

「あ、そうだ。先輩ならわかるかな」

 しばらく二人で話をしていたが、青葉が思い出したように顔を上げる。僕は勉強でも聞くのだろうかと話しを聞き流していた。

「シンギが今の仕事で困ってるみたいなんすよ」

「仕事?」

 突然の話に僕は咽こむ。思わずカレーを吐いてしまうところだった。

「そう。仕事っす。シンギ、怪物をたお……むぐ」

「しーっしーっ」

 青葉の口を両手で塞いでこれ以上何かを言おうとするのを止める。折瀬先輩はすでに巻き込まれてるけど、これ以上知る必要はないはずだ。

「……知ってるよ。真宮君のことも説明してもらったし」

「えっ?」

「気になって聞いてみたら教えてくれたんだ。僕の時みたいに怪物を相手にしなくちゃいけないんだね」

 僕の役割を知っていると告げた折瀬に僕は少し申し訳なさを感じていた。どこまで聞いているのかはわからないけど、僕自身の正体が疑いを持たれていることは知っていないんだと思う。僕が怪物かもしれないということ。

「解決策を言えるわけじゃないけど、話ぐらいは聞けるよ。こんな立場になっちゃったんだから、死ぬまで付き合ってやろうと思ってね」

「あ、それ俺もっすよ。シンギの支えになってやりたいなって。そしたら、ずっと一緒に入れるかなって」

 二人の話を聞いて、僕は唖然としていた。

 あれだけ危険な目に遭っているというのに、どうして深くまで関わろうとするんだろう。

「で?真宮君は何を困ってるんだ?」

「えっと……」

 こうなったら素直に話してしまうのが早いのだろうか。どうしたらいいんだろうか。

「怪物が売られてるみたいなんです」

「売られてる?」

「はい。裏組織、みたいなところで危ないもの取引するみたいに売られてるみたいなんです」

「裏組織ってヤクザとか?」

 誘導尋問ってこういうのを言うんだろうか。

「……はい」

「なんだよそれ……シンギなんでそういうところ教えてくれないんだよ!」

「そんな危ないの言えるわけないだろ!」

「こら、二人とも静かに。話聞かれちゃうよ」

 青葉に話さなかったことをつい白状してしまえば、彼はすぐに僕へと問い詰めてきた。危険かもしれないのにこれ以上教えるわけにはいかないのにと言い返せば、折瀬が僕たちに静かに声をかけた。

 それで我に返れば申し訳なさそうに青葉が席に座り直す。僕もため息を吐いてから二人に謝った。

「すみません。青葉も、ごめん。危ないと思ったから」

「いや……俺も悪かったよ。お前も仕事だもんな」

 青葉も落ち着いたようで、僕に謝ってくれた。

「でも、これからはちゃんと話せよ?隠し事はなしだからな」

「うん。でも本当に無理なのもあるから、その時はちゃんと言うよ」

「落ち着いた?」

 折瀬の一言に僕も青葉も頭を下げる。

「すみません。つい興奮して」

「いいよ。仕方ないよ。こうなったのも最近なんでしょ?」

 折瀬はそう言ってから蕎麦を食べきると、頬杖を突く。

「怪物を売り物にね…あまりお金にならないと思うけど」

「そうなんです。売る目的がわからないんです」

「うーん。ちゃんと売れてるってことは扱えるってことだよね。どうやってるのかは知らないけど」

 それから折瀬は考えるように視線を動かして、それから何かを思いついたように僕たちを見る。

「ねえ、その売ってる人たちや怪物を買う物好きも大事だけど、僕たちは見落としてるのがあると思うんだけど」

「なんですか?」

「その売ってる怪物って、どこで手に入れてるの?」

「……」

 折瀬のその一言で僕は目を見開いたのがわかった。盲点だった。今まで感じていた違和感の正体がわかったのだ。

「それだ」

「え?」

「今までなんでわからなかったんだろう。怪物がそう簡単に人と遭遇するはずなんてないはずなのに」

 怪物の入手方法なんて存在するはずがない。怪物はそれこそ神出鬼没でランダムに出現するものだから。例え運悪く出会ったとしても目の前の非日常に対応することできずに終わってしまう。自分もそうだったから。

「先輩。ありがとうございます。やっとずっとわからなかった違和感が取れました」

「解決したの?」

「自分の中でだけですけどね」

「シンギ?」

「怪物を売って買っての目的を探ることも大事ですけど、どうやって怪物を手に入れているのかを知るのも大事です。僕とロギはどちらかというとそっちを処理しないといけない。そう思うんです」

獅琉しりゅうさんに言うのか?」

「そうなるね。ロギに報告しないと動いてくれないかもしれない」

 仕事の話さえすれば彼は動いてくれるだろう。興味を持つ話なら尚更だ。僕はどうやってロギを説得しようかと考えながら残りのカレーを食べ切った。



 家に帰ってすぐにロギに学校でのことを報告した。仕事のことを青葉と折瀬に話してしまったこと、しかしそれでヒントを得られたこと。怪物の取引を止めることも大事だけど、怪物をどこから手に入れているのを調べるのも大事なんじゃないかと正直に。

 青葉たちに仕事のことを話してしまったことに関してはロギは機嫌悪そうに僕を睨んできたけど、それでも僕の話を聞いてくれて、それで考えるように口元に手を当てていた。

「確かに怪物の入手経路がどうなっているのかはわかってない。龍御寺さんもそのことは気にしてたけど、取引を止めるのが先って言ってた」

「でもそれって止めるのって僕たちだけじゃたりないんじゃ」

「たぶん足りない。会長の情報を元に番犬が調査しててその結果待ちの状態だ。その結果次第で東北支部の猟犬を総動員する可能性もある」

「総動員……」

 まるで映画のような話だと思いながら、ロギの話を聞く。

「でも、その入手経路さえわかれば、今後取引をしようなんて考えるバカは減る。龍御寺さんにもう一回言ってみるよ。最悪取引を止めることは龍御寺さんに任せることになるかもな。まあ、その通りになるかはわからないけど」

「うん。それで十分だと思う」

「それにしてもまあ、お前も考えるようになったよな」

 ロギはそう言ってソファーの背もたれに寄り掛かる。その言葉に僕はむっとした。

「僕だって考えてるよ。ただ、言おうか迷うだけ」

「ふうん。なら、今度はちゃんと意見言ってみるといいよ。龍御寺さんもそういうのはちゃんと聞いてくれる人だし」

「知ってる」と僕は答えて、自分の意見を言えたことを少し満足して彼の隣に座った。ロギは僕の話が終わったとわかれば、手元にあるA4サイズのタブレット端末の画面を眺め始める。何を見ているのかを聞けば、芦澤から貰った取引についての情報を確認していたらしい。

「ねえ、ロギ」

「ん?」

「なんで怪物を売ったり買ったりするんだろうね」

「見世物として金になるから、もしくは厄介者の始末を代わりにやってくれるからとかか?まあ、まともな理由で売り買いする奴なんていないな」

 ロギは資料から目を離さずに自分の考えを言った。僕も彼の考えには同意する。怪物の売り買いをしようとするなんてどうかしている。

 でも、その怪物をどこで手に入れているんだろう。怪物は神出鬼没で、僕たちみたいな存在が必死に探して見つけるんだ。そう簡単に見つかるようなものじゃないはず。

「怪物がそう簡単に捕まるようなものじゃないと思うけど……」

「どうだろうな。やろうと思えば、人間の手で殺すこともできる存在だ。見つけさえすれば案外簡単にできるのかもな」

「……喋ってた?」

「結構声大きかった」

「……恥ずかしい」

「今更だろ」

「着替えてくる」

 ロギに話そうとしていて忘れていた着替えをするために、逃げるように自分の部屋へと向かう。彼は特に止めることなく、端末から目を離すことはなかった。



 それから一週間後のことだ。雨は相変わらず止まない。じめじめとした空気がいつかは閉め切っている室内にも入ってくるんじゃないかと思うくらいに。

 君原に呼ばれて、僕たちは職場に来ていた。来る途中に立ち寄ったコンビニでロギが買ったアイスが入ったビニール袋を片手に。

 別に僕たちが食べるわけじゃないらしい。これから会う人への差し入れだとロギが言っていた。

 職場のロビーを通って、奥の通路へと向かうロギについていく。この通路は普段通らない知らない場所だった。

「なんか、薄暗いね」

「節電かな。ここにあるのは基本的に事件とか情報とかそういう資料を一纏めにしている部屋がいくつかあるだけだしな」

 限られた人しか来ないのだろうか。それだったら節電もするだろうなと思う。

「これから会う人もここにいるの?」

「ああ。一番奥があいつの部屋なんだ」

「部屋?」

「仕事部屋」

 通路の一番奥の突き当りには、重々しい鉄の扉が一つあった。その扉をロギはノックもしないで開ける。

「アット」

 ロギはそう言った。その言葉に部屋の主なのか「はーい?」と間延びした男の声が答えた。

 部屋の中は通路よりも薄暗く、たくさんのモニターが壁に設置されていて、機械音が静かに部屋に響いていた。この機械音はパソコンのものだとすぐにわかる。

 そのモニターの前に置かれた椅子に座る男がいた。

「どうしたのさ?滅多に来ない人が来るなんてさ」

「お前に仕事だ。つうか、君原から指示きてたんだろ?あいつからお前に指示しておくから直接聞いてこいって言ってたぞ」

「そうそう。そういう指示だったよ」

 ロギからコンビニの袋をお礼も言わずに受け取った男は楽しそうに中を取り出す。中身はソーダ味の氷菓子。

「あんたが直接ここに来るのかは怪しかったけど、君原さんの指示じゃあ仕方ないからね。仕事だし。それにしても、仕事に対して真面目なんだか不真面目なんだからわからないあんたにここに来させようなんて馬鹿なこと考えるよな、あいつ。お前を量ることなんてできやしないのに」

 男はそう言いながら氷菓子を食べ始める。それから僕に気づいたのか手を振る。

「君は初めて会う子だね、新入り君。僕はアット。所属は番犬。といっても基本的にここで集まった情報の整理をするのが担当だから、外に出て活動するようなことはほとんどないよ」

「……真宮深偽です」

 ロギとはまた違う、心情の読めない男だというのが僕が感じた第一印象だった。@はネットで使っている名前らしい。所謂クラッカーと呼ばれる存在としてその名前を使っているそうだ。

 クッラカーという言葉を僕はその時初めて聞いたのだが、簡単な話をすればハッカーと呼ばれている、映画なんかでよく見るパソコンを使ってネットワークに侵入して情報を盗んだり破壊活動したりする人だ。ハッカーもクラッカーも要はコンピュータや電気回路等、そういう技術に長けている者という意味で使われている。ハッカーはその技術を善意的に利用する者、クラッカーはその技術を悪用するものとして区別されている。どうしてクラッカーという言葉が浸透しないでハッカーの方が悪いイメージを持たれがちなのかというと、マスコミが基本的にハッカーという言葉しか使われないという理由があるらしい。まあ、専門用語ではあるから、そこまで気にしなくてもいいんじゃないかと思われるが。

「どうして、この職場に?」

「僕はハッキングしてあちこちの大切らしい情報をひっくり返すのが楽しくて、遊びまくってたわけ。警察の管理してる個人情報とかどっかの政治家が考えてる計画とかね。で、たまたまここの情報を見つけちゃった。最初はただのオカルトサイトかと思ってたんだけど、実際に被害に遭って殺されちゃってる情報とかもあったりして、気づいたら夢中になって漁ってたんだよね。そしたら見つかった。夢中になりすぎて、場所の特定とかされたわけ」

 くすくすと笑いながら@はロギを見た。ロギは何かを知っているのか溜息を吐く。だからといって何かを言うわけではなかった。

「ロギに僕は殺されかけた」

「えっ?」

「場所特定されて、家に来たんだよ龍御寺さんとロギがね。最初はここの人たちだってことは知らなかったんだけど。で、いきなり僕を捕まえて、ロギがナイフ突き立てて、偉い人にも言われたんだ。『大事な情報を見たのは君だね』って。そこで察したんだよね。遊び過ぎて罰が当たったんだって」

 物騒な話だなと僕は思う。というか、偉い人って龍御寺のことだろうか。

「でも、すぐに話を持ち掛けられた。今までのハッキングを罪と認めて警察に捕まるか、口封じのためにここで死ぬか、どちらも嫌ならここで働くか。捕まるのも死ぬのも嫌だったから働くって答えた。そしたらここでひたすら情報の整理をさせられる羽目になった。逃げたら殺されるからねー…一応真面目に仕事はしてる」

 彼は食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に捨てると椅子に座り直す。

「で、仕事の話だ。僕が君原さんに頼まれたのは怪物を売っているやくざと関係なさそうなのに繋がっている人物を探るとこ。番犬の話だと、怪物売ってるヤクザとの繋がりに全く関係なさそうな医者がいることがわかったんだと」

「相変わらず仕事は早い」

「あんたには言われたくないな。さっさと終わらせて帰るくせに」

「仕事には真面目に取り組んでいるんで」

 棒読みで言われても説得力がない。まあ、仕事の話を真面目に言っても普段の行いだとか様子だとか見てると違和感とかしか湧かない。

「で、その関わっている医者っていうのは?」

「そのお医者様。名前は…まあ、そこはどうでもいいな。仮に黒幕とか闇医者とかそんなんで」

 名前とかは重要だと思うのだが、話が進まないのでつっこんではいけない。

「最初は普通に診療所みたいなとこで細々とやってたみたいだね。収入は平均的と不自由はなさそうだった。それが、半年ぐらい前からその懐が豊かになったようだね。通帳の貯金額が一気に増えてた。収入が増えたわけじゃないから違和感しかないね。それと同じぐらいの時期からヤクザの方で怪物の取引が始まってるみたいだし、さらにはお医者様の周りで行方不明者がちらほらと出始めてる。行方不明者に関しては関連付ける証拠とかはないから何とも言えないけど、一応気にかけたほうがいいかもね。ヤクザとはどうやって知り合ったのかはわからないな」

 @の説明が終われば、ロギは彼が調べ上げて纏めた結果らしきものが映し出されているモニターをじっと見つめる。

「……その行方不明者が診療所に入ったとかは?」

「さすがにそこまでは調べられなかった。その診療所は客の情報はネットでは保存してないのかも。監視カメラとかもないみたいだし」

「行って確かめるのが早いか……その診療所の場所は?」

「住所メモったのあるよ。あとは自分で確かめて」

 適当な紙を破ったような切れ端をロギは受け取って確認する。僕も覗き見るが、なんとなく知っているような地名だがどこにあるのかまではわからなかった。

「……ご苦労様。龍御寺にこのこと報告しといて」

「たまには自分でやってくれよ」

 @の愚痴にロギは構わず部屋を出ていく、僕もついていこうと彼に軽く会釈してから出ようとすると、「真宮君待って」と呼び止められた。

「真宮くんさ、ロギのことどう思ってる?」

「どう、とは?」

「ああ、ちょっと難しかったね。まあ要は、ロギと一緒に仕事してるだけじゃなくて普段生活してる時も大体一緒なわけでしょ?あいつと一緒にいてどんなかんじなのかなって思ってさ」

 彼にそう聞かれて僕はふと考える。

 慣れてしまったから今はなんとも思わないが、共に生活をすることになった当初はかなり大変だった気がする。気を使ってしまうとかそんなこともあったが、それ以上に僕は自分の身の安全が保障されているのかが不安だったことが占めていた。何せ、出会ってすぐに僕はロギに殺されかけたのだ。その時は龍御寺や君原に止められて事無きを得たが、そのまま一緒に生活するなんて話を進められた時は本気で逃げ出しそうになった。

 それから今現在、ロギが僕を殺そうとするモーションは見られないから、幾分か気が抜けている。

 それを簡単に話せば彼は満足したのか「帰っていいよ」と部屋を追い出された。本当に読めない人物だ。ロギといい勝負をしそうだ。

 部屋を出て、ロギを探す為にロビーに出れば喫煙所で煙草を吸っている姿を見つけた。僕を置いて出ていっていなかったので安心した。喫煙所まで来ればロギは僕のことを見つけたようで煙草を吸い終えればすぐに出てきた。

「あいつに何聞かれたんだ?」

「ロギのことどう思ってるかって」

「ふうん……あまり考えることないぞ。あいつの気まぐれだから」

 黒色のマスクを着け直しながらそう言うと、ロギは駐車場への出入口へと向かい始める。僕も遅れないようについていきながら@のことについて話す。

 質問の内容がロギとの生活はどうなのと聞かれたこと。それに正直に答えたら感想も告げずに帰っていいと言われたこと。

 それを聞いたロギはさっきみたいに「ふうん」と帰すだけだった。あまり興味はないらしい。

 駐車場に出て、乗ってきた車のところまで来ればロギがロックを解除して車に乗り込む。僕も助手席に乗り込めばエンジン音が響いた。

「これからどこ行くの?」

「とりあえず診療所。住所貰ったし下見だな」

「もし怪物がいたら?」

「夜に入る」

 車が動き出して駐車場の外に出れば雨が車を打ち付ける音が聞こえる。

 @に教えてもらった診療所は車で30分の住宅街の中にある場所だった。

 雨のせいなのか、この時間帯のせいなのか、人通りはまったくと言っていいほど誰もいなかった。

「ここ?」

「ああ……あいつから教えてもらった住所の通りならな」

 時間的にはまだ昼過ぎ、しかしこの雨と休診日のため閉め切っているこの診療所は薄暗く、周囲の人通りもないせいでちょっとしたホラースポットのような雰囲気を出していた。

「……ロギ、どう?」

 自分の聴覚だけでは情報は取れないと白状するようなそんな感覚に囚われているが、仕事なのだから仕方ないと言い聞かせてロギに聞く。

 ロギはマスクを下にずらしてスンスンとにおいを嗅ぐ仕草をすると、眉間に皺を寄せる。

「雨で掻き消えそうだけど、僅かに怪物のにおいがする。診療所のほうからだな」

「じゃあ、ここで当たり?」

「かもな。あとは夜になったら中に入って調べる。まあ、すぐはっきりするだろうな」

 それだけわかれば十分だと判断すれば、ロギと僕は車へと戻る。これから何をして時間を潰すのかと聞けば、とりあえず適当にご飯を食べるとのこと。それから龍御寺に連絡して、夜に調べに行く。車の中でそう打ち合わせすれば、近くの飲食店へと移動した。



 それからまたあの診療所に戻ってきたのは夕食を終えて少し休んでからのことだ。時刻は夜の八時過ぎ。周囲の家々には明かりが灯っている時間帯だ。最初に来た時と同じように人の気配はなく、雨も降り続いていた。

「中の気配もにおいも変化なし。中に怪物がいることは確定と考える。シンギ、静かに中に入るぞ。仕事だ」

「うん……」

 不法侵入というやつだろうそれに僕はあまり気乗りしないが、仕事だからと自分に言い聞かせて診療所の敷地内に入るロギの後を追う。

 ロギがガラスでできている出入り口の扉のドアノブに手をかけてドアを開けようとするが、やはり施錠されていて開くことはなかった。

「まあ、鍵ぐらいかけるよな」

「どうするの?」

「そうだな……こうする」

 するりとカーディガンからロギが愛用しているククリナイフが姿を見せれば、グリップを強く握りしめてガラス戸へと叩きつけた。

 ガシャンと音が鳴り、ドアノブ近くのガラスが割れていた。

「ロギ、周りに聞かれたらまずいよ」

「雨で音が掻き消されるから問題ない。それに泥棒は証拠が残りにくい雨の日を選んで活動するんだからな」

「僕たちは別に泥棒じゃないでしょ?」

「でも警察でも特殊機動隊でもない。俺たちはただの一般人なんだよ」

「こういう仕事してても?」

「他の人に堂々と怪物を殺す仕事してますって言えるか?」

「……」

 ロギは何も言い返せなくなった僕を一瞥してからガラス戸の割れた部分に手を通して、内側から鍵を開けてドアを開ける。

 ガラスの割れた音が室内に響いたと思われるが、誰かが来るような気配はなく、静かに薄暗い雰囲気がそこに広がっていた。夜の病院というような雰囲気はないが、それでも誰もいない薄暗い空間を自ら進むというのはどうしても気が引ける。

「肝試ししてる気分だよ」

「似たようなものだろ?俺たちは怪物を探しているんだから」

 確かにそうだった。

 ロギはククリナイフをカーディガンの中へとしまうと、マスクを外して周囲を見渡した。おそらくにおいで正確な位置を特定しようとしているのだ。

「あーくそ……薬の匂いとか混じって気持ち悪い……」

「ロギ頑張って。僕探せないから」

「……ここからにおいが漏れてるかんじがするな」

 少ししてからロギが指差したのは室内の角の床。地下の水道管等を点検する時に使われるような取り外しのできる蓋がそこにあった。

「地下?」

「そこから強いにおいが溢れてくる感じがする。多分何かあるな」

 ロギはマスクを着け直すと、その蓋の取っ手を摘み持ち上げる。中にはパイイプのようなものはなく、冷たいコンクリートの壁で覆われた穴と鉄製の梯子だった。

「これって……」

「地下で怪物を囲ってたわけか。大半は気づかないわけだ」

 その穴の中は薄暗いながらもライトが点灯して中を照らしており様子を確認することができた。梯子は長く続いているわけではなく、2mほどで床が見えて、そこからは階段で下るようだった。

「……?」

 その穴を観察していた僕はふと、音が聞こえることに気づいた。

 人の話し声だ。詳しくまでは聞き取れないが、中に誰かいるのだとわかる。

「ロギ、中から人の声がする。内容とか詳しくまではわからないけど」

「誰かいるってわかった時点で十分な収穫だ。おそらくその中にいる奴が今回の黒幕ってやつだ」

 ロギはスマートホンをズボンのポケットにしまって立ち上がると、何の躊躇いもなく穴へと飛び込んだ。

「……ロギっ」

 思わず叫びそうになったが何とか堪えて穴を覗く、大した音も立てずに着地したロギは平然と僕の方を見上げていた。

「お前も来るんだよ」

「い、今行くからっ」

 確かにそうだけどと言い返したかったが我慢して、僕は梯子に足をかけた。飛び降りる度胸もなければロギのように静かに着地できる自信もないため、注意しながら梯子を下りてロギと合流する。

「シンギ、俺が突撃する。お前は周り見て援護な」

「うん」

 リュックからサプレッサー付きの拳銃を取り出すと、ロギの後ろで構える。彼はククリナイフを再度カーディガンから抜き取ると、階段を下っていく。

 下へ降りるにつれて話し声の内容がわかっていく。男の声が、何かを叫んでいる。それは助けを求めるような声ではない。誰かを傷つけるような口振りに思えるものだ。その度に悲鳴のような泣き叫ぶ声が聞こえる。それこそが助けを求める声だ。

「誰か、いる?」

「黒幕と……被害者か?」

 ロギの耳にすら聞こえるようになると、内容が鮮明になってきた。

 誰かを傷つける声と共にぐちゃぐちゃと水を含んだような音。助けを求める声は女性のものだ。泣き叫びながら「やめて」と何度も叫んでいる。生々しい拷問のような光景がこの先に広がっているのだろうか……。

「シンギ」

 ロギのその言葉ではっと前を見れば、階段も一番下まで差し掛かり、そこから先は鉄製のドアが向こう側を塞いでいた。

 彼はそのドアノブに静かに手をかけ、ゆっくり捻る。鍵はかかっていないようで引っ張ればなんの抵抗もなく薄く開いた。ロギがその僅かに開いた隙間から中を覗く。

「……黒幕一人。被害者が……二人か?ほかに人影はない」

「……」

「シンギ、さっき言ったように俺が突撃して黒幕を捕まえる。お前は援護。でも、極力何もするな」

「……わかってる」

「よし……」

 僕が頷いたのを確認したロギは一呼吸置いてから、ドアを一気に開いて中へと流れるように入り込む。男が状況を呑み込めないような狼狽えた声が聞こえたがロギは構わず男に組み付き、床へと押さえ込んでいた。何もするなと言っておいて、僕が入ってもやることがなかった。

 ともあれ、何かやることはないかと周囲を見て状況を把握する。

 ロギが押さえつけている男の次に視界に入ったのは角の柱に手錠と荒縄で拘束された女性が一人いた。

「大丈夫ですか?」

 急いでそこに駆け寄ると、拘束が外せないかと荒縄の結び目を解く。すると彼女は両手首に嵌められた手錠が外れていないまま飛び出し、ベッドの上にあったそれを血で汚れることも構わずに抱きしめる。

 その様子を見て僕は納得する。あれは彼女の子供だったんだ。

「ごめんね……守ってあげられなくて、ごめん、ね……っ」

 唯一無事だったらしい頭部を抱きしめながら何度も謝る彼女の姿はどうしても直視できなかった。助けられなかったのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 改めてロギを見ると、男をククリナイフに繋がっている紐で手足を縛りつけていた。

「ロギ……捕まってたのはこの人だけみたい」

「ああ、それ以外ににおいはしないから他に誰かいるようなことはないみたいだ……さてと」

 男の拘束をし終えたのか立ち上がり、ロギは未だに子供の頭部を抱えて泣いている女性を見下ろした。

「それはお前の子供か?」

 ロギの問いに彼女は嗚咽を漏らしながら頷いた。

「何があったのかは今は話さなくていい。お前の子供はもう生きていない。こいつが殺した。それで合っているか?」

 彼女はまた頷く。

 ロギは彼女の目の前で屈むと、マスクを外す。

 僕ですら咽るような濃い血のにおいが充満しているこの空間の中、ロギがそのマスクを外したのは予想外だった。

 彼はスンスンと血のにおいが充満する中においを嗅いで、それから静かに話を始める。

「……悪いけど、俺たちはお前を助けることはできない。お前は、怪物になりかけている」

 彼女も僕も何を言っているんだという表情でロギを見つめていた。そんな彼はそれを知っているのかいないのか構わず話を続ける。

「酷くあいつを恨んでいるだろう?そんなズタズタになっても自分の子供だって言い切れるくらいに愛していたんだから。それを奪ったあいつを殺したいと思っているだろう?」

「……」

 彼女は俯くと静かに頷いた。

「このままあいつを殺して復讐を果たしたとしても、次は誰かを殺す怪物になる。そうなったら、子供に顔向けできなくなるぞ?」

「……っ」

 ロギの言葉に彼女はひゅっと息を吐いた。

「……どうしたら、いいの…?」

「……お前も子供のところに行くんだ」

 彼女はその言葉の理解をしたのか目を見開いてロギを見た。要はと言っているのだ。

「ロギ……これ以上は……この人だって」

 ロギを止めようと僕が口を挟むと、彼は僕を睨んだ。それに驚いて思わず後退ると彼は僕に手を差し出していた。

「……えっと?」

「銃、貸して。どうせお前にはできないだろ?」

「何が……」

 無表情の彼が思考の止まった僕の手から拳銃を奪い取ると、慣れた手つきでスライドを引いて次弾を装填させると彼女へと銃口を向けた。そのまま何の躊躇いもなく引き金を引こうとするから、僕は慌てて彼の腕を掴んで止める。

「ロギ!いきなり何をしているんだよ!?」

「だから言っただろ。人殺しだって。ナイフじゃ手元狂って一思いにやれないしさ」

「僕たちの仕事は人殺しじゃないっ……怪物を殺すだけ、これ以上の被害を出さないようにするだけだろ!?」

「……確かに俺たちは怪物を殺して被害を出さないようにすることがこの仕事の内容で、目的だ。こいつを殺すことは、俺たちの仕事の内容に適用される。こいつは怪物になりかけてる」

「……っ」

 僕はロギの腕を放すと、静かに彼女を見た。涙に目を腫らした彼女は静かに僕を見返していた。その表情は何かを知っているような悟っているようなそんな目だった。否定するような感情は見られない。全てを理解してはいない。だけど、どこかで何かを理解している。そんなことを言いそうな表情だった。

 ロギはまた彼女へ銃口を向ける。

「……恨むなら恨んでいていい。でも殺そうと考えるな。子供の傍にいたいなら」

「……はい」

 彼女は静かに頷くと、ずっと抱きかかえている子供の頭部を見つめた。殺される立場となってしまっているのに、彼女は微笑んだ。

 その後、ロギは躊躇いもなく引き金を引いた。サップレッサーで抑えられてた銃声が部屋に響いて、その後に額を撃たれた彼女が倒れる音がした。

 僕はそれを直視できなくて目を逸らしていた。この光景を見続けることなんてできるはずがなかった。

 ロギは銃を僕に返すために差し出していることに気づいた。僕が震える手でそれを受け取ると、ロギは無造作に倒れた彼女を仰向けにさせた。彼女の手から零れ落ちた子供の頭部を彼女の手に持たせるとマスクを着けて立ち上がった。初めて見る、ロギの人らしい行動だった。

「さて……これは後で片付ける。黒幕の片付けを始めようか」

「……ねえ」

「何?」

「本当に殺すしかなかったの?」

「怪物になりかけたらもう治らない。折瀬の一件と似たケースだ。一度触れれば離れることはできない。例え落ち着いたとしても、何かきっかけがあれば、誰かを殺す怪物になる」

「……」

 ロギはもう話すことはないと僕から視線を外すと、男を今度は屈むようなことはしないで見下ろした。

 ククリナイフに付属している紐で縛られた男は静かな表情で僕たちを見ていた。

「警察かい?俺の研究の邪魔をしにきたのかな?」

「お前に質問できるような権利はない。立場もない。こっちの質問だけに答えてもらう。それ以外は喋るな。まず一つ目――――お前が怪物を作ったな?」

「怪物?あれはそんな醜いものじゃない。素晴らしい生命を生み出したのだ」

「……二つ目、どうやって作った?」

「奪うのさ。素材の大切なものを奪うことで出来上がる。さっきの女性の場合なら、子供を奪うことで完成するはずだった」

 そこまで言ったところで、男は少し間を置く。落ち着いた表情がだんだんと怒りに満ちた表情へと変わっていく。

「お前たちが邪魔をしなければ、この実験も成功するはずだったっ!新しい生命が完成するはずだったんだ!お前たちがっ」

 男が言葉を続ける前にロギは男の頭を容赦なく蹴った。男はコンクリートの床に倒れその床に頭を強打した。

「質問の答え以外をだらだらと喋るな。お前が喋っていい内容は俺たちが聞きたいことだけだ」

 ロギのあまりにも淡々とした声と行動に僕は何もできず、声もでなかった。

「最後の質問だ。作った怪物はヤクザに売ったな?」

「……ああ、売ったよ。結果がわかれば、そのあとはいらないんだから」

 痛みに呻きながらロギの質問を聞いた男は少し間を置いてから答えた。

 この男の言葉はいちいち気に障るような言い方だった。僕は必死に彼を殴りたくなる感情を抑えながら話を聞いていた。

「……ふうん?」

 ロギは静かに男の答えに反応を見せると、溜息を吐いた。それから男の腹を頭を蹴った時と同じように躊躇いなく蹴ったのだ。

「お前は、ただの人殺しだ。俺がやったのと同じ人殺し」

 男は頭を強打した時のように蹴られた腹の痛みに唸っていたが、ロギの言葉が耳に入ったのか、言っている意味がわからないと言いたげに彼を見ていたのだ。

「人殺し?違う……。俺は新しい命を生み出した。発見した。これからも研究を続ける。あの美しい生物を効率よく生み出す方法を見つけるんだ」

 男はまるで自分に言い聞かせるようにそう言った。そして僕をじっと見つめた。

 その目が上の空を向いていたはずなのに、それがだんだんと意思を思考を持ち始めたようにしっかりと僕を見始めたのだ。

「……素晴らしい」

「え?」

「素晴らしい素材だ。なんだい君は?」

 男は目の前の存在を、つまりは僕のことをまるで獲物を見つけた獣のような目で見ていたのだ。

「どうやって君は出来上がったんだ?俺が続けた実験では君みたいにとても美しいものは誕生しなかったというのに…もしかして、君が作ったのかい?」

 彼に僕はどう見えているのだろう。そう問いただしたくなるような言葉を連ねながら、男は今度はロギに視線を向けて言った。ロギが言った言葉など当の昔に忘れているかのように。むしろ聞いた事実などなかったように。

「……お前に質問をする権利も立場もないと言ったはずだ。だから答えない」

「何を言っているんだ!?こんな素晴らしく、美しいものを作っておきながらその作り方を教えてくれないというのかい?公表しないと!?まるで神のような……いや、神だ。あれは神なんだ。俺がずっと生み出したかった神だ!」

「……」

 ロギが男を始めて表情を孕む目で見下した。ゴミとか虫とかそういうものを見るような目じゃない。それ以下のものを。この世のものじゃないものを。それこそ、怪物を見るような目を男に向けていたのだ。

「……こいつの処遇を今決めた」

「ロギ?」

「シンギ。もう一回、それ貸して」

 ロギが僕に手を差し出した。男が監禁して怪物として誕生させようとした女性を殺す時と同じように。それに対して僕は、今度は理解した上で手を差し出す彼に持っていた拳銃を渡した。彼はそれを受け取ると、サップレッサーを付けたままの銃口を男に向けた。

「さっきの言葉を撤回しよう。お前はただの人殺しじゃない」

 ロギの言葉を聞いた男はそうだろうと嬉しそうに口角を上げる。

「そうだ。俺は人殺しじゃない。俺は新しい生命を生み出した科学者だ」

「違う」

 嬉しそうに言葉を発す男の言葉を彼は否定する。

「お前は、人を殺しすぎて、怪物になってしまった人殺しだ」

 男の吊り上っていた口角が下がり、目を見開いてロギを見た。

「怪物?俺が?」

 男は縛られた状態のまま器用に起き上がれば、ロギを睨んだ。

「違うだろう?俺は殺していない。奪っただけ。新しく生まれ変わらせるために大切なものを奪っただけだ。俺は人殺しでも怪物でもない!」

「怪物……は一旦置いといて、お前を世間の目はどう見る?素晴らしい発見をした科学者とでも?」

「ああそうさ。皆が俺を褒め称える。新しい生命を発見したことを。それを作ったことを。その生命がとても素晴らしくて美しいことを」

「馬鹿馬鹿しい」

「どうしてだい!?どうして君は認めようとしないんだ!?あんなに美しいものをどうして認めない!?」

「あんなのただの化け物だからだよ」

 男はその言葉に怒りの表情を顕にする。

「なんなんだいさっきから……怪物だとか化け物だとか……そんな醜いものじゃないと何度も言っているだろう!?」

 ロギの何度目かのため息が聞こえる。

「何度も言うが、あれはただの怪物。普通の化け物。怪談話とか都市伝説とか、物語に出てくるような通常なら存在しないものだ」

「存在しているじゃないか!?俺が生み出したんだぞ!?」

「そうだな。確かにお前は生み出したよ。でも、それは素晴らしいものでも美しいものでもない。もちろん人間でも、ましてや神でもない。ただの怪物。それは俺たちが殺す対象だ。そしてお前はそれを生み出すために人を殺した。誘拐した。監禁した。怪物を生み出すために散々なぶった。嬲り殺した。……お前は素晴らしい発見をした科学者じゃない。ノーベル賞を貰えるような学者でもない。お前はただの人殺しだ。自分勝手な理由で自己満足のために殺したただの人殺しなんだよ」

「……」

 男は黙ってロギを睨んだ。自分のやってきたことを全て否定されたんだ。僕だってこの男のことを認めたくない。

「……君はどうなんだい?君は、美しい存在なのだろう?」

「……」

 男は縋るように僕を見た。否定されたくないんだ。でも…。

「……僕は、あなたが言うような美しいものじゃないです。ただの化け物。怪物です。……あなたも、その醜い怪物みたいな人殺しです」

 僕の否定する言葉に男は絶望した表情を浮かべると、絶叫を上げた。否定されて、認めてもらえなかった事実を受け入れたくないと叫んでいた。

「さて……」

 ロギが未だに叫ぶ男の額に銃口を押し付ける。

「これだけ言われても自分のやった愚かさを認めないバカは、死んでもらおうか」

「ロギ……」

「シンギ……どうせ生かしてもまた怪物を生み出すだけだ。こいつが怪物になる可能性だってある。生かしておいて、得をする何かがあると思うか?」

 ロギはそう言うと、引き金を引いた。銃声と同時に男の悲鳴が消えて、どしゃりと倒れる音がした。



 結果として、あの男が怪物を作っていた。

 あの診療所から押収した資料の中に怪物の作り方が事細かに記録されていた。

 曰く、「素材となる人物の大切なものを目の前で奪うことで、素材は精神を追い詰められ、自我を失う。そしてその本来の姿さえも失い、結果として新しい姿として生まれ変わる」とのこと。

 素材、つまり怪物にさせられる人物の大切なものとは、今回僕たちが結局殺してしまった女性の場合、自分の子供だった。自分の命よりも大切なもの。人によっては子供以外に恋人だとか友人だとか、いろいろいるだろう。そしてその大切な誰かを目の前で殺されるのだ。すでに息絶えていたとしてもその手を止めず、ひたすらに奪い続ける。形が分からなくなるほどに。

 それでは、あの男を強く恨んで怪物になってもおかしくない。

 以前、脚をストーカーに奪われた“てけてけ”はその脚を返してほしくて怪物として存在するようになった。たった一人の強い思いから怪物になれるのだから今回の一件でも同じようなことが言える。

 そして男は怪物が作れるとわかって満足すれば、その実験結果として出来上がった怪物は不必要としてヤクザに売り払った。

 その取引現場は龍御寺が猟犬を総動員して取り押さえて、怪物はすべて処分したそうだ。ヤクザに怪物の利用方法を聞けば、代わりに用無しの人物を殺させたり、見世物として金儲けをしていたりと公にできないことをいくつか実行していたようだった。幸いだったのは、その怪物が一般の目に見られることがなかったこと。

 その取引をしていたヤクザは芦澤の力を借りてその組を解体。つまり潰したんだそうだ。怪物を買ったヤクザや暴力団関係者にも怪物を回収、というよりは殺処分だろうか。そうしてから口止めをしたらしい。周囲に一言でも話したら潰すと脅しを入れて。

 そして、僕とロギについて。

 怪物になりかけていたとはいえ、ロギは二人も人を殺した。怪物になりかけていた女性と怪物を作ろうとした男を。龍御寺の話では、被害者だった女性は、ロギの言う通り、このままだと“怪物”になってしまうだろうと言っていた。強い恨みによって“怪物”になってしまうだろうと。男の場合は、仮に捕らえたとしても法的には無期懲役、もしくは死刑になっていただろうし、自分のやったことを自慢するような性格だ。怪物を作っていたことを大きな声で話すだろうからどちらにしろ、口外される前にこちらで、秘密裏に始末していただろうとのこと。つまりロギはその始末をさっさと終わらせたということで罪には問われないのだという。

 彼はというと、二人も人を殺したというのに、仕事がなければ怠けて過ごすいつも通りの生活を送っている。僕もロギと対立するようなことはなく、同居を続けているし普段と変わらず会話もしている。その生活に慣れつつある。

 どこか、壊れているような気がしてきてならない。

 そしてもう一つ気になること。あの男が言っていた言葉。

 僕を見て「素晴らしい」といったこと。

 あの男には僕がどう見えていたんだろう。

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