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信号が青に変わったのを見て、徐々にアクセルを踏み込んでいく。閑散とした幹線道路をひたすらに下っていく。
一身上の都合とやらで休みの皆川に代わり、吉見がハンドルを握っている。上原と二人きり、お喋りな皆川のいない車内は静かだった。後部座席に座る上原が、窮屈そうに足を組み替える。
「来週、花火大会があるのは知ってるか?」
「河川敷で開催されるやつですよね? ……現場になった」
「ああ、それでだ。うちからも何人か、人を出してほしいと言われていて」
車はトンネルに入り、車内がナトリウムランプの燈色の光で満たされる。
「警備に当たる」
「行ってくれるか? といっても、行く以外に選択肢はないんだが」
「はいはい。わかってますよ」
「解決していたら、そんなナーバスになることもないんだけどな」
「ええ、まぁ……そうですね」
トンネルを抜けると、次の信号を右折するよう、カーナビから指示を受けた。
「嫉妬だとか、復讐であるとか、金銭目的にやったというのは、俺らとしてもわかり易くて、落ち着きのいい動機だったりするんだよね」
「ありきたりな、動機としてよく聞く類の」
「だが、そういう犯罪は得てして、世間から忘れられるのが早かったりするのよな。メディアもそう長くは報道しないし」
「終わった事件だから」
「そうそう。なぜなら、もうすでに解決済みだから。答えの出ている問題は、もうそれ以上考えない。答えは出ずの宙ぶらりんの方が、人の記憶に長く居座るということはままある。未解決事件とか、いつまでも蒸し返されるし」
「皮肉なことに」
「被疑者死亡のまま書類送検というのも似た話で、死人に口なしで聞きようがなく、それ以上知りようがない。ああいうのはむしろ、こちらに問いを投げかけているような、そんな気さえする」
「問いはあるのに、答えがない」
「……か」
上原がなにか、サイドウインドウに向かってつぶやいた。
「なにか言いました?」
「いや、なんでもない。気にするな」
「あさって、花火大会があるんだって、どうする。行く?」
今日の晩ご飯は和食。焼き魚をほぐしている亮に思い切って訊ねてみた。
「悪いんだけど、例によって、だ」
内心、そんな気はしていた。
「友達でも誘って行ってくればいいよ」
私に友達なんていないこと、知っての言葉かしら。唯一気を許した友人は、アフリカのなんとかって国へ行ったっきり音信不通。
「そのうち、どこかで埋め合わせするからさ」
「そんな気、使ってくれなくていいです」
「そう?」左手でお椀を持って、味噌汁をすする。
不平不満も言いたいこともたくさんあるけれど、なにもかも私が飲み込んでしまえば、それで済む話。
朝いつもの時間に起きた時には、もう亮の姿はなかった。こういうことはざらにあるから、今更なんとも思わない。やるべきことをやって、それが済んだら自分のしたいことをする。ただそれだけ。
今日一日、特別これをしたという記憶もないままに、気がついたら夕方になっていた。遠くの方で打ち上がっているのが聞こえてくる。天気予報では夕方から雨が降るみたいなことを言っていたが、予定通り行われるみたいだ。
ベランダから音のする方角を眺めてみる。ここからだとマンションの陰に隠れてしまって、脇から花火の火花がわずかに見える程度だった。
人混みが苦手で、誰かと一緒でなければ、祭り事やイベントを敬遠する私だけれど、家の中にいても聞こえてくるくらいなので、さすがに気になる。家にいてもどうせすることもないし、ということで思い切って行くことに決めた。
私は、クローゼットを開き、通した袖のボタンを留めた。
どんより分厚い雲が空に居座っている。心なしかゴロゴロいっている。雨粒を大量に含んでいそうではあるが、誰かが作ったてるてる坊主が功を奏したのか、なんとか持ちこたえている。
この時間帯にしては、珍しく混雑しているプラットフォーム。同じ電車に乗り込む人の大半は、きっと行き先も同じくする。車窓からでも花火は見えて、炸裂する度に、わぁ、と感嘆の声が上がった。
現地に到着してみると、普段からは想像できないほど、人で溢れていた。河川に沿って延びている土手。いつもであれば、ジョギングしたり、サイクリングする人をよく見かける。休日には、グラウンドで少年少女が、いい年した大人が野球に興じていたりする。ところが今日に限っては、どこから湧いて出てきたのかと思うほどにわらわらと、人で埋め尽くされていた。
警備員がライトセーバー片手に人波を誘導している。これだけ人が多いと、人の流れに身を任せた方が無難。自分勝手な動きを取るとすぐに弾き出される。一人一人個性ある人間だけれど、この場では皆、群衆をなす一員として振る舞っている。見物客のうちの一人に違いないが、私を頭数に入れないでほしいと思う。ひとくくりにされたくはない。
みんなが同じ空を見上げている。
出来損ないの口笛のような響きを引き連れて、火の玉が天へと昇っていく。その時が来るのを誰もが息を呑んで見守る。最高点から落ちかかって、夜に紛れる。と、次の瞬間、一気にでかでかと花開いた。
歓声が上がった。光彩に追いついた爆音が私の胸を打つ。火の粉が尾を引いて、燃え尽きる。すぐさま次の花火が打ち上がった。次から次へとひっきりなしに打ち上がり、色とりどりの光が瞬く。
見物客を当て込んだ露店が並んでいる。提灯が光を湛えたその下で、しゃがんでポイを片手に金魚を狙っていたり、ヨーヨーを手の平で弾ませていたり、景品に銃口を向けていたり、ラムネを吹き出させていたり、先の割れたストローでかき氷を突っついていたり、飴でコーティングされたリンゴを甘噛みしていたりする。よりどりみどり、色んなお店があるけれど私には、欲しいものなどなにもなかった。
浴衣を着た子どもが両親と手を繋いでいるところや、一つの焼きそばを分け合うカップルなどが嫌でも目に付く。一人でいるのは私くらいで、すれ違う人たちの楽しげな表情が、私の神経を逆撫でていく。こんなところ来るんじゃなかったと、今更ながら後悔する。
いつの頃からかあんな風に、はしゃがなくなったし、不愉快な心持ちでいることも多くなった。あの頃のような気分にはもう、戻れないのかもしれない。
「帰ろっかな」私のつぶやきはしかし、喧騒にかき消される。
と、その時、前方から流れてきた人波の中に、よく知った顔を見つけた。隣を歩いているのは私ではなく、亮より幾分背が高く、知らない人だった。すぐそばにいる私の存在に気づく様子もなく、脇を通り過ぎていった。
振り返って、二人の後ろ姿を見つめる。人波に見え隠れして、見失った。
雑踏のざわめきも花火の爆発音も遠のいて、周囲から音という音が消えた。その代わり、心臓の鼓動が早まって、胸の奥で、痛いくらいに存在を主張している。
物心ついてから今日までにあった出来事が、今の今まで忘れていたような事柄までもがとりとめなく、どこからともなく心に浮かんでくる。次から次へと止めどがなく、とてもじゃないが処理は追いつかず、把握しきれない。意味を見出そうとして、手を伸ばしてみるも、掴みどころがまるでなく、指の隙間からすり抜けていってしまう。でたらめなイメージに翻弄されるばかりで、私にはどうすることもできなかった。
突然、身体が前方に投げ出された。
つんのめるが、辛うじて転びはしなかった。どうやらゴリラみたいな顔した男性がぶつかってきたらしかった。ボーっと突っ立ってんじゃねえよ。吐き捨てるように言われた。張り詰めていた糸が、今のでぷっつりと切れてしまったのが、自分でもわかった。
なんとも言い表しようのないこの心のうち、どうせ誰もわからないだろうし、私としても、わかられたくはない。私だけがわかっていればそれでいい。それがどれだけ孤独なのだとしても。独りぼっちには慣れている。
まだ咲き続けている花火に背を向け、私は人混みから離れて一人、夜道を歩く。
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