紀伊国屋紀行

紀伊国屋虎辰

第1話 旅の食事

 旅といえばメシである。

 

 全国各地の名物を食べるのは旅の醍醐味であり、そこでしか食べられない物を食べるために旅に出るのもたまにはいいんじゃなかろうか?


 観光名所や文化財の紹介はおいおいするとして、今回はメシの話をしてみたい。これを読んで現地に食べに行こうと思ってもらえれば幸いである。


 旅の飯は運命の巡り合わせである。だいたい観光地の有名店なんかは、今はテレビやネットでも調べることができるから混む。これ以上無いってくらい混む。


 静岡で有名な炭焼きハンバーグの「さわやか」は、平均で待ち時間が40分。初めて行った浜松の店は2時間待たされ、昼ご飯のつもりで入ったのに、晩ご飯になってしまったという悲劇が発生してしまった。

 かといって観光地で穴場だと思って入った店が、高くてまずいだけの落とし穴だったということも大いにある。


 一人旅の食事は思ったより難易度高いのである。待ち時間だけで観光時間と胃壁がギリギリとすり減るし、かといってギャンブルすると大抵失敗する。


 だから今回は成功例と失敗例。そのどちらについても語ろうと思う。


 まずはやっぱり失敗例を語ろう。人間、人の不幸は蜜の味というし敗北から学ぶことは思いの外多いのだ。


 旅の食事の失敗あるある。

※事例:1『食べられない』

 冗談かと思うかもしれないが食べられないのだ。狙いをつけた店が臨時休業している。営業時間内に行ったのに材料が切れて食べられない。自然の物、特に海産物だと荒天で水揚げがない。など。


 長野県の松本市、山賊焼きの「河晶」というお店がある。大きくてジューシーな山賊焼きが自慢の名店なのだが、私はこの店には本当に縁がない。

 一度目に訪問したときは臨時休業。二回目に訪れたときは平日にも関わらず材料切れとのことで、結局その日はお昼ご飯が食べられなかった。

 神奈川県の鎌倉で生しらす丼を食べようと思ったが、海が荒れたため生しらすが無かったなんてこともある。

 つい一週間前は、「沼津バーガー」でキャベツが切れたといわれて、こちらがキレそうになってしまった(お店でキレてはいけません)。


※事例:2『洒落にならない待ち時間』

 上の方にも書いたのだけど、人気店は基本待つ。名前を書いて何時何時いついつまでに来てくださいというお店はまだ親切なのだけど、そこでも大失敗したことがある。

 長野県の戸隠とがくし神社中社前の蕎麦屋「うずら屋」でのことだ。

 

 ここは手打ちの本格蕎麦を出してくれる店で、蕎麦の質としては異次元の美味さを誇るお店である。一口頬張るだけで蕎麦の香りに口中が包まれる。そしてそば本来の香ばしさと麺の甘みが正に暴れ回るといった感じで押し寄せてくる。

 だけど、それだけの品を出すのだから観光シーズンは2時間近く待つ。私が訪れた日は中社例祭。一年でこの日にしか無い例祭の太々神楽を見に来ていたので、当然待つわけにはいかない。開店時間より遙かに早い朝7時に訪問し、予約表の6番目に名前を書いて準備万端。奥社の山道を駆け抜け開店時間に戻ってきた。


 だがしかし! ここに一つの罠があった。


(駐車場空いてねーです!!!!)


 そうなのである。うずら屋さんの駐車場が空いてないのは仕方ないのだが、なんと戸隠神社中社の広い駐車場まで埋まっていた。

 もう開店時間だし、予約の順番がある。そこで泣く泣く民間の有料駐車場に止めて駆け込んだ。

 このうずら屋さんは、名簿の順番は絶対遵守ぜったいじゅんしゅしてくれるとても素晴らしいお店なので入店することはできたが、当然注文は一番最後になる。

そしてプロの技に妥協はない。丹精込めて打つ蕎麦はまさに芸術品、丹精込めて打つのである。ゆっくりと……じっくりと……。

 約二時間後、そこには今までに味わったことのない美味なる蕎麦の感動と、太々神楽の終了時間になってしまった絶望とで呆然と立ち尽くす私の姿があった。


 太々神楽を見るために七時間かけて戸隠まで来た努力が……。


※事例:3『観光地価格』

 その昔、日本がまだバブルだった頃、観光地には人が溢れていた。みんなお金を持っていたし、多少高くてもこれも思い出だからと少しくらい高くてもお金を払っていた。だがそこから始まる平成大不況。それでも相変わらず観光地のご飯は高かった。一応、準備はしていくけど値段相応に美味しいものならともかく、一見さんのみを狙い撃つ、二度と来るかというお店も多々ある。

 たとえば伊豆半島のお店は総じて高い。安いお店でも海鮮を食べようとすると2千円くらいする。そして2千円のお店にも地雷があり、よほど慎重にお店を選ばないといけない。もちろん美味しい店も多いのだが、なかなか探すのが難しい。以前孤独のグルメで登場したわさび丼が大流行したのも、あの辺りでは良心的価格だったのも理由なのではないかと思う。

 永平寺では、乾そばを戻しただけの蕎麦で名店並みのお値段。しかも後から入ってきた団体客40人の注文を先に取られて1時間以上も待たされるという恐怖体験をしたこともあった。


 このように、一人旅ならまだいいけど、これがもしも好きな人とのデートだったら確実にギスる。赤い糸を切ろうとする恋愛死神の持つハサミの音が耳元でチャキチャキ聞こえてくるに違いない。


 しかしながら、そういう失敗を経験していれば自然と回避方法も思いつくもので、だんだんとやり方がわかってくる。

 まず一番いいのは開店時間に合わせて入店するのを旅の予定に組み込むことだ。だいたいの観光施設は9時から開くから、1時間半くらいのんびりと回って開店20~30分前に並んで一休みしてからご飯という手がある。

 予約表があるお店だと、駐車場に停めて名前を書いて最寄りの観光名所に行ってから帰ってきて入店なんてこともできる。

 これの良いところは観光地での駐車場代の節約ができるところ。人気の観光地だと1カ所停めると500円。1日3カ所観光すると1食分になるような地味に懐に大ダメージを与えてくる攻撃になる。


 次に地雷店の回避方法。安全策は地元ナンバーの多いお店に行くこと。これなんか基本中の基本だけど、地元民だけで回せるような味の出せるお店はかなりの確率で当たりだ。

 具体例としては、愛知県の東名岡崎ICを降りてすぐのところにある大平食堂さんは、見た目こそ昭和の食堂だが、観光バスやタクシーの運転手や地元の工場の人で賑わっている。

 ここは一人鍋もできるし、揚げ物も美味い。みんなが食べるというカツカレーを食べたが、古き良き洋食という感じで大変満足だった。

 そして長野県須坂市のとら食堂。地元では大変有名なお店らしいのだけど、ここではお持ち帰りのもつ煮を頼んだ。ボリュームも味も700円とは思えない豪華さで、基本は味噌味なんだけど、もつに絡みつくような甘みや辛みもあり、これはスタミナがつきそうって味。ここも外観は古びた食堂なんだけど、めちゃくちゃうまい。


 そして、観光地価格の店に引っかからないシンプルな手段は、当たり前の話かもしれないけど、ある程度高いものを選ぶのがいい。

 観光地価格でガッカリは、だいたい1500~3000円くらいの中間価格で起こることが多い。それを回避するのに有効な手段はやはりキチンとした値段の物を食べることじゃないかと思う。

 もちろん一人旅でそう簡単に高いお金は出せない。そこで朝早く出てなるべく高速は使わない。何泊もする場合は一日は車に持ち込んだ寝袋で寝る。みたいな削れるとこを極限まで削る旅で食費を捻出するのがセオリー。


 もっともこれには理由があって、旅館の料理でこれは! と思うものは二人前からのお店が多く、老舗旅館は一人では泊まれなかったり割高になったりするからなのだ。気楽な一人旅の意外な落とし穴だね。


 さて、長々と旅のメシのトラブルを語ってきたわけだが、次は良い方の話もしよう。旅先でしか食べられないもので、絶対食っておけというものがある。

 それはエビで、足が早いので遠くに運ぶことができず、食べるためには現地まで行かなければいけない。

 今は輸送技術も発達しているので、少し離れた場所でも食べられるが、富山の白エビ。金沢のガスエビ(鳥取ではモサエビ)。静岡の生サクラエビなんかは地元で獲れたてを食べるのが一番美味しい。

 甘エビは小松で生きたままのやつを魚市場で買って調理したものが、今まで生きてきた中で最高の味だった。

 

 魚市場も観光客向けと思われがちだが、きちんと目利きすれば良いものが買える。鳥取県の鮮魚市場「かろいち」は名物のモサエビやノドグロ、赤イカなどが買えるのだが、自分が行ったときは目が真っ黒で肌が艶々と青く輝くカマスが発砲スチロールの箱いっぱいに詰まって1000円とかで売っていた。

 お土産に持ち帰って塩焼きにしたものにすだちをかけていただいたのだが、驚くべきことに魚の味が濃厚すぎて醤油をかける必要がなかった。


 定食屋で食べたら1尾で1000円しそうな味がした。こういう良い意味で出鱈目でたらめな鮮度は、やはり産地でしか味わうことができない。


 次に福井県にはソースカツ丼とボルガライスという二つの名物がある。ともにカツを使った料理で、ソースカツ丼は発祥のお店「ヨーロッパ軒」で食べることにしている(厳密には家から近い敦賀ヨーロッパ軒なので福井とは少し違うのだが(笑))。 ここのカツ丼はシュニッツェルにウスターソースをかけたのが起源といわれているが、ソースのくどさもなくグイグイと食べ進めることができた。

 ほかにも何か食べようと思い、単品でスカロップという見慣れないメニューを頼んだところ、とんかつに甘めのデミグラスソースのかかったものが登場し、トンカツとトンカツが被ってしまうという孤独のグルメのような展開があったのは秘密である。

 もう一つのボルガライスは、福井県越前市で食べられている謎の料理。オムライスの上にトンカツが乗っているというもので、私はあいにく南条SAのものしか食したことはないのだが、そのあまりのインパクトに度肝を抜かれた。


 それとソースカツ丼は長野県の駒ヶ根市にもあって、こちらはキャベツとソースカツを一緒に食べるもので発祥のお店である「きらく」にも大島の屋台獅子を見に行ったときに食べたのだが、こちらは肉厚のカツの食べ応えがあり、カツライスを丼にしたというコンセプト通りの料理だった。


 他にも金沢のカレーや吉田のうどんなどについても語りたいのだが、それはこれから個々の旅の話をするときにしよう。


 それでは、これからしばらく我が旅路の思い出につきあっていただこう。

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