21 油断
強い日差しが照りつける真夏日。
そんな暑い日のことだった。
海斗の勤務する羽柴製作所は、金属部品を加工する会社。主に顧客の細かい要望に応えるため、細部にまでこだわった特殊な加工を得意としている。
注文は一個単位からでも引き受けていて、特に短納期を必要とする試作用部品に需要が集中していた。
そんな小さな加工会社は、大手企業からも信頼が高く、ここ数年は安定した業績を計上していた。しかしながら社長をはじめとする経営陣の不甲斐無さなのか、下町工場という名に相応しい建物の外観は、創業当初からなんら変わることが無く現在に至っている。
その建物の中には、数種類の金属加工用の設備が並んでいた。
最新の設備、いわゆる自動機があるにはあるのだが、同じ物を大量生産する時に使用するのみで、かつ扱える人が限られていた。
個別に制作するならと、殆どが手作業主体での作業が定着していたのである。
ゆえに、二十人足らずの従業員たちは、己の技術の高さに誇りを持って、そして長年使い古した設備を、まるで自分の手足の様に使いこなしていた。
海斗もまた油で汚れたフライス盤を操作して、とある部品を作るため金属の塊を削りだしていた。
その隣では、海斗の削った部品を新村が寸法計測していた。
「新村さん……どうですか?」
不安げな表情を向ける海斗に、新村は無精ひげを撫でながら答える。
「んーー、ここは図面よりコンマゼロニ大きいなあ。交差規格だと最低でもあとゼロイチ小さくしておかないと。……それとこっちの溝、これじゃあキーが入らんだろうが」
新村は部品の溝に、キー材と呼ばれる四角い棒状の物をあてがって海斗に見せた。
削った溝にキッチリと収まらなければいけないキー材が、新村の言う通り確かにきつくて入っていかない。
「あっ……すいません。もう一度やりなおしてみます」
「まあ他の部分は良さそうだから、そこだけやっちゃえば、もう完成間近だ。まあ、慎重に慌てずにな。ほれ、女の子とヤル時と一緒で、がっついてたら入るもんも入らんし、出るもんも出ないだろ?」
新村は口角を上げてニタリ顔。ちょっといやらしいその表情に海斗は困った様子で頷いている。
「しかしまあ、渋川の彼女って可愛かったよなぁ。羨ましいぜ全くホントに。んで? お前らどこまで進んでるよ? もうチューは済んでるだろうしな」
チューとか今どき言わないよ、などと思いつつ、海斗は強く否定した。
「ぜ、全然!! 彼女じゃないですから。ただの幼馴染ですって!」
「またまたまた、一般世間の幼馴染は普通、彼女じゃなきゃあんなに親しくなんか接してくれないぜ? 本当はお前達、付き合ってんだろう?」
「それは……子供の頃からの慣れ合いで、今でも同じようにしているだけであって、別に……付き合ってなんて」
新村は何かあるたびに、先日行われた合コンの話を持ち出してくる。
しずかと京子そして松下を含む四人で楽しく盛り上がっていたのは間違いないのだが、やはりあの場で注目されていたのは海斗と彩乃の関係性らしい。
彩乃は子供の頃のノリのまま親しく接してくれているだけだと海斗は考えていた。実際に、十年もの間離れていた幼馴染が、再会して急に好きになる事など、あまりに出来過ぎた話。
新村達が勝手にはやし立てているだけの可能性もあることから、海斗は悩み困惑していた。
ただでさえ異性に苦手意識がある海斗は、たとえ気心の知れた仲の彩乃でさえも、その乙女心など到底わかるはずも無かった。
「いや、だから、普通はそうならないって。まあ、渋川にその気は無いかもしれんけど、向こうさんはそうでもなさそうだったぞ。ありゃ絶対お前に気がある。うん」
海斗と彩乃の二人を新村が客観視した際の見解である。ここ数日間、毎日のようにからかわれている。同じ職場の先輩であり、海斗の教育担当なので致し方ないのだが。
そして、松下からも全く同じ意見を言われていた。
海斗自身は彩乃のことを恋愛対象として考えたことは無かった。
新村の言うとおり、確かに十年ぶりに再会した彩乃は見違えるほど可愛く、そして女性らしくなっていて驚きはした。だからといって、恋愛感情を抱くかといったら、それはまた別の問題だと海斗は思っている。
「どうせ女の子が苦手だったらさ、いっそ諦めて幼馴染に絞ったらどうよ。今がモノにする良いチャンスなんじゃねえか? 脈アリなのに勿体ないぞ。俺はそう思うけどな」
「あの、でも……」
「それかさぁ、今度二人っきりになった時に、思い切って渋川から迫るってのはどうよ? 『俺のこと、どう思ってる?』と訊くとか。あぁ、押し倒してみるのもアリなんじゃねえかなぁ」
「おいおい先輩! なに教育してるんすか、全く」
ガハハと笑い飛ばしていた新村の背後から突如声をかけたのは、普段は別建屋にいる松下だった。金髪と剃り込みを入れた眉が特徴のヤンキー風成人。
不意打ちを食らった新村は、慌てて後ろを振り返えると、
「おう? 松下か、ビックリさせんなよー。って、こんな所に珍しいなぁ」
「先輩がちゃんと仕事しているか、監視にきたんすよ。まあ、案の定サボってましたねー」
松下はしたり顔で、新村に横目を向けていた。
「チッ! サボってるとか、それだけは松下に言われたくなかったぜ」
「ははっ、冗談っすよ。ちょっと書類取りに来ただけっす。事務所におばちゃんて、居ますよねえ?」
松下が事務所に繋がる扉を指差すと、新村は軽く頭を縦に振った。
「おう、居ると思うぞ。さっきお客さんとでけえ声で話してたからな」
「んじゃ、行ってきますわ。あ、先輩。くれぐれも渋川に変なこと吹き込んじゃ駄目っすよ。先輩の恋愛観はとてもじゃないけどアレっすから」
「お、おい! アレってなんだよ!」
「それと、渋川」
「はい?」
「先輩の言うこと、あまり真に受けちゃ駄目だぞ。ああ見えて先輩、結構女運ねえし、振られまくってるからな。あの年になって彼女いねえとか、マジパねえはずだからよ。まあ参考程度に考えた方がいいぞ」
「……はあ」
「てめえ! コノヤロ!」
「でもなあ、渋川の彩乃ちゃん。顔もさることながら、あのオッパイは相当ヤバイよな、渋川もそう思わんか? 俺だったら確実に理性保てんかもしれん。んじゃそゆことで」
松下はそう言い残すと、片手をひらひらとさせて事務所の方へ歩き去っていった。
「なんだアイツ偉っそうに! 自分だってついこの間、振られたばっかだろがよ!」
立ち去る松下を睨みながら、新村は顔をしかめていた。
新村と松下は、こうやって言い合って、時には喧嘩になっても就業時間には意気投合している。海斗には羨ましくもあり、頼りになる先輩たちなのだ。
「とにかくだ、加工の仕上げをやっちまおう。な、渋川」
「はい、わかりました」
「あ、それと、作業手順は怠るな、怪我だけには注意しろよ。もうチョイで休憩時間だ、それまで気を張って頑張れ」
海斗もこの仕事を始めてから一年とちょっと。そろそろ作業にも慣れてきて、一人でも十分に仕事ができるようになっている。
だからこそ、その慣れが一番怖くもあり、作業に最も注意しなければいけない時期なのかもしれない。
新村も過去の経験から、そのことは痛いほど身に染みていた。だからこそ、海斗には毎回のように注意を促しているのだ。
海斗は額の汗を作業着の袖で拭った。新村から部品を受け取ると、また機械のバイスにセットし直して回転刃を当てていく。慎重に。
「……しっかし、今日はやけに暑いな」
新村は作業着の襟元を掴み、パタパタと煽っていた。
機械操作を再開しはじめた海斗を確認すると、作業邪魔にならないように一旦の側を離れる。
自分の持ち場に戻った新村は、壁に掛けてある温度計を見た。
「げっ! 35℃超えてんじゃん! マジか、勘弁してくれよ……」
今日の暑さはここ数日の中でも異常なほど。加えて工場内に漂う機械油の臭いで、不快度がMAXである。
暑ければそれだけ注意散漫になりやすい。
勿論、従業員のための暑さ対策で、工場内にクーラーは効かせてあるのだが、それほど快適ではなかった。無いよりはマシといった程度。
主にトタン屋根で出来ている工場建物は、直射日光をもろに受けて灼熱と化している。真夏の暑さは残酷にも、型の古くなったクーラーでは太刀打ち出来ずに、お世辞にも快適とは言い難かった。
しばらくして松下が事務所から戻ってきた。
スタスタと新村の側に来ると、おもむろに口を開いた。
「事務所涼しかったわー、あ、先輩! 今そこで、高松機材からの発注の件聞いたんすけど?」
「おう? 高松と言えば、大型自動機設備の大手だろ?」
高松機材といえば、全国的にも有名な産業用機械設備メーカー。そこからの注文ともなれば、かなり無理な条件を突きつけられたとしても、ある程度譲歩して引き受けざるを得ないだろう。
「ええ、そうっす。何でも三日位の短納期で、HR加工を200個上げなきゃいけないらしいっすよ」
「おいマジか! 全く、ホント無茶言ってくるよなあ。下請けだと思ってバカにしてるだろ」
部品に求める精度に関しては、凄腕集団の羽柴製作所の得意分野なので問題はない。しかし、厄介なのがその苦茶な納期要求なのである。
特に高松機材は前もって告知されることがほとんど無く、突発的に注文を入れてくる。おそらくだが、他の加工業者で断られて、最終的に回って来たのが羽柴製作所なのだろう。
「でも、言い値で買ってくれるらしいっすっから、社長もおばちゃんも喜んでるみたいですけどね」
「ケッ! 現場の身にもなれよな! 結局、時間外やらされんの俺達じゃねえか」
「まあまあ、その分しっかり手当もらえるから、しゃあないじゃないっすか」
「はぁー、安月給の時間外なんて、たかが知れてるぜ」
ため息をつく新村。松下も横で苦笑いをしていた。
すると、突然「ガッシャーン!」と大きな衝突音が、工場内に鳴り響いた。
「おい! なんだ今の!!」
「渋川の方からっすよ、あの音!」
二人はすぐさま衝突音のした方へ駆け寄った。すると、
「う゛う゛っ……!」
左腕から血を流してうずくまっている海斗の姿が。
床も滴り落ちた血で赤く染まっていた。
「渋川! どうした! 大丈夫か!!」
「す、すみません。刃を変えていたんですけど……ハンドル取るの忘れちゃって……」
「それで、スイッチ入れたら、ハンドルが飛んできたのか……」
「……すみません」
工作機の回転部はかなりの高速になる。勿論、刃の付け替え用部品を付けたまま回転させると、すさまじい遠心力によって何処に飛んでいくのか判らない。
最悪、人命に関わる大事故にもなりかねないのだ。
今回は、海斗の他にけが人は居ないようで、被害はそれだけで済んだ。大きな衝突音は、向かいの機械にハンドルがぶち当たったものだった。
「と、とにかく、俺は事務に行って連絡してくるっす。あと、救急道具も持って来るんで!」
「おう松下、頼んだぞ!」
松下はきびつを返すと、駆け足でさっきまでいた事務所へと助けを呼びに行った。
うずくまっている海斗に近寄った新村は、怪我の状態を見て顔が強張る。
「ばかやろう! あれほど注意しろって言ったろうが!」
「すみませんでした……」
「ちょっと間違えば、命に係わる大事故になっていたかもしれないんだぞ!」
新村は声を荒げて、海斗を怒鳴りつけた。普段は見た事の無い鬼のような形相だった。
海斗は項垂れて、詫びの言葉しか口に出来なかった。
「よし! 応急手当は終わったから、あとはこのまま病院に行ってちょうだい」
左腕が包帯でぐるぐる巻きになった海斗。事務のおばちゃんが応急処置をし終えて、大きな声を張り上げていた。
海斗の腕は表面の皮膚の損傷だけのようだった。
飛んできたハンドルは、腕の作業着を突き破り、表面の皮膚を傷つけていた。刃物のような鋭さはないものの、鈍器の様に重く固い物質である。作業着の生地を突き破るほどの勢いは、相当な衝撃だったと思われる。その凄まじさを証明するかのように、向かいの設備の分厚いカバーが大きく凹んでいたのだ。
奇跡的に骨には接触していないのではと、看護師の資格を持ち合わせている事務のおばちゃんが言った。
ただ、素人判断で良いものでもない。傷の手当ても含め、しっかりと医師に診てもらわなくてはならなかった。
「じゃあ俺が病院まで連れていく。いつもの病院でいいだろ?」と新村が手を上げた。
「はい、では新村さん、よろしくおねがいしますね」
事務のおばちゃんが言うと、その後ろから太い男の声が飛んできた。
「新村ぁ、そこの病院は駄目だ! どこか違う……そうだなぁ、相川病院にしてもらおうか」
声の主は羽柴製作所の社長だ。全く油汚れの無い作業義着に身を包んで、ポッコリとした腹だけが目立つ風貌。
「え? それってどういう――」
「その病院は、丁度渋川の家の近くだろう、都合良いんじゃないか? こっちも軌道に乗っている今は、極力トラブルを起こしたくないしな。それに、明日にでも大口の注文が入るかもしれん、そんな大事な時に機械を止められたとなりゃあ、この会社はやっていけねえ! いいか新村、そいつの怪我の原因は自宅でやったことにしておいてくれ。あー、くれぐれも会社の名前出すんじゃないぞ、いいな!」
それだけ新村に言いつけると、社長はまた事務所の奥へと姿を消してしまった。
病院に社名を出すなと言われれば、考えられることは一つだけ。
工場内の事故や怪我の隠ぺい……。
「……社長、マジかよ」
「社長がああ仰ってるんだから、仕方ないですね。新村さん、よろしく頼みますね」
新村とおばちゃんは、互いに目をひそめて苦笑い。同時に後ろめたい困惑の思いに包まれていた。
怪我をしてしまった海斗は、その事の重大さに、ただ黙って俯いているしかなかった。
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