第33話 復讐者
結局のところ、田中が僕たちに教えてくれたのは、第2の被害者である女性の話だけだった。それも仕方のないことなのかもしれないが、それでも、もう少しだけ苦労に見合った情報を望むことは、誰にだって責められることではないだろう。
そんな僕の期待とは裏腹に、田中は被害者の話を終えると同時に、部屋から僕たちをおいだした。いや、マンションからというべきだろう。それほどおかしな対応でもないのだが、何となく僕は田中に苛立ちを抱いていた。
「それで……先輩は被害者のもとを訪れるつもりなんですよね?」
僕の声に先輩はまるで反応しない。というよりも、田中の部屋を出てからというもの、僕に話しかけることはおろか、こちらを向くことすらしなかった。だからおかしいとは思っていたが、ここまで無視されると少しだけ悲しいと感じる。――普通の人間なら当たり前なことだろう。
だけど先輩は、僕のように田中に追い出されたことを根に持っているとか、それに対して怒っているとかそういうわけではないと思う。むしろ彼女は、田中から受けた仕打ちに関しては何とも思っていないはずだ。確かに先輩は、自分に対する扱いなんかで怒るような人ではない。むしろどうでもいい他人なんかのために怒りをあらわにするタイプの人間だ。
「私はどうでもいい人のことでは怒りません」
「そうですか? でも僕の嘘センサーは嘘だと言っていますよ」
僕みたいなどうでもいいやつのことを気にかけてばかりいるくせに。
「誠君、私のこと馬鹿にしていません?」
「尊敬してますよ。僕の冗談にもきちんと対応していただけますし」
どうやら、ようやく僕の言葉を気にしてくれるくらいには現実に戻ってきてくれたみたいだ。一度考え込むと、1人ですべてを完結してしまうのが先輩の悪い癖だ。
確かに、自分1人ですべてを解決できるというのは素晴らしいことだと思うし、誰だって出来ることならそうしたいだろう。だけど、僕には必要のない力だし、先輩は必要としてはいけない力だ。――強すぎる力は、孤独を生む。それは太古の時代から何となくだが継承されてきた忌むべき思想だ。それでも簡単に思想を変えることができないのが人間の悪いところで、良いところでもあるなんてことを誰かが言うかもしれない。
だから僕はあえて言わせてもらいたい。――そんな思想は持ちたい奴だけが持てばいいと。1人で生きるなどと嘯きたい奴だけが勝手にそうすればいい。先輩はそうするべきではない。
「先輩は自分の能力を活用して、僕をうまく使ってくださればいいんです。すべてを1人でこなす必要なんて皆無ですからね」
「全くないというわけじゃないです。だけどそうですね……1人で考え込んでいてもいいことはないかもしれませんね。ですが今回は私達には少しだけ、いいえかなり荷が重いです」
「じゃあ、やめるんですか?」
「わかっているでしょうが、そういうわけにはいきません」
「わかってますが、警察が手を出せないというのはそれだけ――」
「――被害者女性の危険性が高いというわけでしょうね」
被害者女性の危険性……なんだか変な言葉にも感じるが、先輩の言葉はまるで間違っていない。間違っていないからこそ、僕たちには荷が重い。しかし、しかしながら、荷が重いからと言って放置することが許される、という状況ではないということは確かだろう。
警察が手を出せない理由というのが、『危険性』という一点にのみなら別だったが、それだけなら、警察が放置する理由にはならない。詰まるところ証拠がないから手出しできないということだろう。そこにきて、『宮下アヤメ』だ。
「FAなんでしょうね」
まず間違いないだろう。宮下の行動理念はシンプルだ。普通の人間に危害を加えるFAに制裁を加える……そんな機械じみた思考を持つ彼女において、つまり、被害者というのはFAの力を悪用する人物のことを指すということだ。
そんな人物に対し、警察が何も出来ないということに起因を……理由とやらを細かく説明してやるまでもないだろう。
「まるで、すべてがつながったかのような……何かの意思が介在したかのような話ですが、それでも残念ならがそういうことなのでしょうね」
先輩はさも当然のことであるかのように、迷う余地などないといったふうに言い切った。
だとするなら、介在したのは警察ということになる。もちろんこれは僕の考え、いや考えなどという高尚なものではない。言うなれば妄想という言葉が一番しっくりとくる。例えるなら、誰かが言い始めた冗談をたくさんの人々が鵜呑みにしたかのようなことだ。もっとはっきりと言うなら、今の段階では陰謀論に過ぎない。
すべての出来事において証拠というものが一切ない。
「それでもやるってことなんですよね?」
「……それが私に出来る罪滅ぼしですからね」
僕の問に対し、先輩は小さくつぶやいた。
「それはどういう――」
「――なんでもありませんよ」
そう言うと先輩は僕から目をそらす。
何もないというのであれば目をそらす必要などないはずだ。特に僕に対してはそんなことをする必要もない。だけど、先輩が言わないつもりなら僕は何も聞くつもりはない。それが僕が先輩に出来る恩返しだからだ。
「私は誰かに恩返しされるような人物ではありませんよ……」
今度は僕に聞こえないぐらい小さな声で先輩は何かをつぶやいた。
被害者女性が入院している病院はマンションからそう遠くもない。僕たちがどれほどゆっくりと歩こうと、いずれすべてが終わっていく。どのような力を持っていっても、時を止めることまでは出来ない。
夕焼けが僕の目に映り込む、そろそろ辺りが暗くなり始めるだろう。
「さて、もう少しですし急ぎましょう」
僕の心を読んでか、先輩が僕を急かす。
どれほど時間をかけて歩こうとも、楽しい道草は終焉を迎えることになるということだ。それはつまり、どれだけ気が進まないとしても足を止められるのはほんのひとときでしかないということであり、その先にどのような運命が待っていようと誰も気にも止めない。
ただゆっくりと終わりに向かって時はあるき始める。それを知るのはまだまだ先のことなのだろう。今の僕にはそれがわかっていなかった。
「ここですか?」
病院と言うにはあまりにも小さく、クリニックと言うにはあまりに大きい。僕がこの病院に持った印象なんてものはそんなくだらないものだった。
「確かに、山田くんが入院している病院と比べるとかなり小さいですが、それでもこの街で二番目には大きい病院のはずですよ」
「別に、病院の大きさに文句を言ってるわけじゃあありません。僕はただ、病院に対する印象づけをしたかっただけです」
自分が入院する病院ならいざ知らず、他人が入院している病院のことなんてどうでもいい。ただ、もしかしたらこれから入院することがあるとするなら、ここだけは避けてもらいたいそう思うことぐらい許されるはずだ。
しかしながら、先輩は僕が考えていることすらくだらないと吐き捨てる。
「確かにあまり綺麗な病院ではありませんが、それなりに施設も充実しています」
「僕は病院の綺麗さについては全く言及してませんがね」
本当に先輩は嘘をつけない人だな。
だけど、病院の前で病院が汚いなんてことを堂々と言うのはさすがの僕もどうかと思う。病院から出てきた人たちも、僕らの方をガン見しているし。
「とにかく! 早く行きましょうっ!!」
「はいはい」
僕たちはお互いに大きなため息を履きながら、病院のドアをくぐっていく。
今更で、そもそもの話だが、全くの部外者である僕たちが、その被害女性とやらに面会できるのか今一番気にするべき疑問だった。
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