第9話 先生
部室に戻ってきたあと、先輩はトンデモないスピードで資料をまとめていた。僕はその補助というのがいつもの流れであるが、今回は違う。依頼内容を聞いたのは僕だから、それをまとめるのも僕だ。
しかし、依頼が本当に成功するのか、僕は不安で仕方がない。
「ええっと、それにしても変な依頼でしたね?」
僕は一秒たりとも手を止めない先輩に話しかけていいのかと悩みながらも、何となく部室に流れる気まずい空気を解消するために、意を決し話しかけた。
その刹那、先輩がキーボードをカチャカチャしていた手を止める。
まずい、怒らせたかな……なんて心配している僕に、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「はい! でも初めてのFAに関する依頼です。これほどうれしいこともないでしょう」
彼女はとてもテンションが高い。いつになく高くて、思わず少しだけ面倒くさいと思ってしまったことを隠すことは出来ないだろう。
「面倒くさいって……ひどいですね。仮にも私は君の先輩ですよ? よくわからないことを考えている君の方が悪いんですよ」
「直接言ったわけじゃないんで許してください。それに人の心を読む人よりはましです」
「君には言われたくないです」
僕と先輩がいつものように言い合っているところで、部室のドアが大きめの音を立てて開いた。
ドアの向こうから顔をのぞかせるのは、小太りの男だ。もちろん、こんな辺鄙なところに来る大人の男は一人だけ、僕たちの顧問の先生だった。
「お前ら……また外まで声が聞こえてるぞ。また俺がおっさんらに文句言われるんだぞ!?」
先生はドアに手を当てながら、大きく足音を立てて中に入る。
僕たちの声よりも、先生の足音の方がうるさいぐらいだ。なんてことは思っていても口にすることは出来ない。
また拳骨を食らうのは避けたいからな。
「こんにちは、先生……」
先輩は申し訳なさそうに頭を下げてあいさつした。
僕はというと、特に何もしない。むしろ、先輩が立っているにも関わらず、僕は座ったままだ。一応、今回は先生に非があるのだから挨拶ぐらいしなくても拳骨を食らうこともないだろう。
先生は少しだけ顔をしかめたが、自分が遅刻してきたことを申し訳なく思っているようで、怒ることはない。
「それで、依頼はどうだったんだ?」
「先生……その前に言うことはないんですか?」
僕はいつもの仕返しとばかりに、先生を問い詰める。もちろん、先生から謝罪の言葉をもらってうれしいことはないし、本当はどうでもいい。
ただ少しだけ困らしてやりたいと思っただけだ。
「いや、職員会議が――」
「――嘘はだめですよ。先生!」
僕には嘘は通じない。先生だってそんな嘘が通じるわけがないとわかっているだろうに、どうして嘘をつくのだろう。
さっきまでは理由すらどうでもよかったが、隠されると余計に気になってしまうというのが人間の心理という物だろう。心が真実を欲しているとでもいえば聞こえはいいだろう。うん、心は嘘をつかないからな。
先生は大きなため息とともに、文句を言いながらも本当のことを話し始めた。
「はあ……実は娘が学校に来ててな」
「娘!?」
僕は驚きのあまり大声で聞き返した。
先生は先生であるが、年齢はかなり若かったはずだ。というよりも、そもそも、この先生が結婚しているという方が驚きだ。いや、もしかしたらさらってきた子供かもしれないし、妄想の中の娘の話をしているのかもしれない。
僕は意を決し、先生に聞いてみることにした。
「先生は結婚していらっしゃいますよ。かわいい娘さんも実在してます」
先輩は僕の言葉を遮って教えてくれた。
どうやら、先生の言うことは妄想の中の話ではないようだ。その点は安心した。僕が尋ねるよりも早く教えてくれた先輩にも感謝しなければならないだろう。
もし、先生に『妄想は大概にしてください』なんて言っていたら、拳骨では済まなかっただろう。
「実在するって……どういうことだ?」
しまった。これじゃあ僕が失礼なことを考えていたことがバレバレじゃないか。
さてどうやってごまかそう。
「ところで先生の娘さんは何歳ぐらいなんですか?」
「話をそらそうとしているあたりなんだか怪しいが……今年で8歳になる」
よしよし、これで何とか誤魔化せそうだ。
……いや待て、先生は確か28歳だったはずだ。教師になるには大学に行って教員免許を取らなければいけないから……大学時代に生まれた子供ということになる。
「やっぱりどこかからさらってきたんじゃないですか!?」
「馬鹿言え! 俺の実の娘に決まっているだろうが!!」
今日初めての拳骨が僕の頭の頂点に落とされた。いつにもなく強いその鉄拳に、僕は頭を抱えながら床をのたうちまわる。
先生はというと、殴った手が痛かったのだろう手をなでていた。
「そんなに思いっ切り殴ることないでしょう!?」
「いや、今回は誠君が悪いですよ……」
先輩が僕を見下すようにつぶやいた。
どうやら、この部活には僕の見方がいないようである。
「それで、依頼はどうだったんだ?」
僕の頭に生じた熱が冷めた頃合いを見て、先生は一言一句たがわない言葉で先輩に尋ねた。顧問としては、聞いておかなければならないことなのだろう。
だが、聞いたところで、先生が何かを手伝ってくれるということは極めてまれだ。というのも、一応は部活動となのっているが、やっていることといえばボランティア活動の延長みたいなもので、生徒の主体性を重要視したいとか、まあいつも大人が面倒くさいと感じたときに使うような常套句がもっぱら彼の口癖だ。
そんな彼が、協力してくれる理由は僕が彼を信頼している理由でもあるのだが、恥ずかしからそれは言わないでおくとする。
そんな僕の考えを知ってか、否か、先輩と先生はいつの間にか、僕抜きで依頼について話し合っていた。
なんだかな……と内心複雑な心境である僕を放置して、二人の話し合いは終了した。
「話しは聞かせてもらった。つまり人類は滅亡する」
「な、なんだってー!? ……ってそんなことはないでしょう」
滅亡してたまるか。
良くも悪くも、先生は何か特別な話を聞いた後で、このやり取りをしなければ気が済まないようだ。何でも昔流行った漫画のセリフだかなんだとか……僕はまるで聞いたことがないが、先輩はこういったノリにはついて行かないし、流すと先生は不機嫌になることから、たびたび僕が相手をすることになる。
まあ、そのやりとりさえしていれば、あとは普通の先生だから何も言うまい。
「冗談はさておき、これは非常に厄介だ。……その依頼者も大人なら、生徒を巻き込むべきじゃないとわかるはずなのに、一体なにを考えているんだか……」
先生の言うことはもっともだ。
普通、一生徒に対して、ストーカー被害に関する、いわや犯罪に関することを依頼する大人なんていちゃいけないと思う。
だが、先生は一つだけ忘れている。
「私たちはただの生徒ではありません」
僕が言おうとしたことだが、先輩の方が反応が早いのは仕方のないことだ。どうしても僕は先輩に一歩遅れてしまう。
それだけ、心を読めるということは大きなメリットにもなる。
「わかっている。だが、それとこれとは話が違う! 生徒間の問題なら多少の事件性にも目をつむろう。だが、今回は半分学外で起きていることだ。そこにお前たちが関わるというのは違うだろう? 普通なら警察に持っていく問題だ。特に最近は警察でもファンタジー生物に対する部門があるのだからな」
早口でまくしたてるあたり、先生はかなりご立腹な様子だ。
だがそれは、残念なことに今の日本ではどうすることもできない問題なのだ。
警察というのはあくまで公務員であり、法律を無視した捜査や証拠もなく逮捕に踏み切ることはおろか、法律が整備されていない日本においては動くことすらできない現状がある。
特にファンタジー生物……FAという存在は厄介で、能力の発動条件、能力の内容、能力の強さ、そのすべてがバラバラで、中には本人の意思を無視して発動し続けるというものがある。僕や先輩はいい例で、先輩は親しい者の心を無条件で読んでしまう。どれだけ自制しても止めることができないという性質を持っているのだ。
だからこそ、それをすべて規制してしまうというのは、人によっては人権問題に発展する可能性すらあるし、先輩などの能力になれば死ぬ以外に止めようがないという者もいる。
それこそ、僕たちを監視する役割を持っている先生が一番よく知っているはずだ。
「先生……」
「わかっている。言ってみただけだ……」
先生が自分で理解しているというのであれば、僕からは何も言うことはない。先輩も冷静に聞いていることから、取り立てて何か言うこともないだろうし、先生が本気で憤っていたからこそ、僕たちが彼を偽善だと思うこともない。
嘘が下手な先生にとっては、監視役というとても不釣り合いな役職が、今回に限ってははまり役といってもいいぐらいに、僕は彼のことを信頼していた。むしろ、今まであってきたどの大人よりも信頼しすぎていた。だけど、それでいいと思える物が彼にはある。
それが何かはわからない。
「とにかく、ストーカーの能力を調べなくてはいけません」
「それよりも、まずはストーカーの正体がわからないとどうにもなりませんよ?」
部室に漂っていた熱気が冷めるのを感じたころに、先輩は空気がつめたくなるような現実を突きつける。
そこに僕が追い打ちをかけるのがいつものパターンだ。
しかし、いつもであれば、先輩は何らかの解決策をもっているというのがお約束であり、今回もそうだろうと高をくくっていた僕を誰が責められるであろう。……責めるも何も、別に何か悪いことが起こるわけでもないけどな。
「そうですね……困りました」
貴重な先輩の困り顔に、僕は思わずズボンのポケットに入れてあったスマホに手をかける。そこで僕に電撃が走った。
いや、彼女を敵に回して本当にいいのだろうか? たかだか、写真一枚のために、これからの人生すべてを棒にふるう覚悟が僕にあるのだろうか?
僕の頭の中を走馬灯のように駆け巡る僕のくだらない人生が、なんとなく惜しいような気がして、スマホから手を放した。
「いや、写真一枚ぐらいで君の人生終わらせませんよ!」
呆れたように先輩は言う。
それが本当なら、写真を一枚とっておきたいところ……。
僕は再びポケットに手を伸ばした。
「スマートフォンはその生涯を終えることになるでしょうがね」
「怖いですよ……冗談ですよね?」
先輩の顔は全く笑っていなかった。
いつもと同じように、完全下校の鐘がなる。
今日はいつもよりはるかに濃い一日だったことをかみしめて、僕は椅子から立ち上がった。
先輩と先生も部屋を出る準備をはじめていたから、今日はこれで解散なのだろう。今から調査に行くというわけでもあるまい。むしろ、先生は遅い時間に出歩いていると激怒するタイプの教師だから、今から調査なんてことはありえない。――別にフラグを立てているというわけではない。
ありえないことをありえないと確認しているというだけのことだ。
「言わなくてもわかっていると思うが、調査は明日からにしてくれ……俺が付き添えるのであれば今日でもよかったんだが、さすがに娘を待たせるのは後々が怖いからな」
先生は僕たちに念を押すと、「部室閉めておいてくれ」とだけ言って足早に部屋を出て行った。
僕の予想通り……とまではいかないが、まあ調査は明日から行うようだ。
先輩が先生の言いつけを破ることなどありえないから、二人で調査なんてことも絶対にありえない。――これはフラグを立てている。
「先生の言う通りです。それに私たちだけで被害者の家を訪れたところで門前払いでしょうしね」
先輩は僕の心が読めるからこそ、先輩は僕の思い通りになるなんてことはありえないわけだが、少しぐらい僕だって期待してもいいだろう?
まあ、僕が何を考えようが、先輩はそこに耐性を持っているわけだから、心を読んでいないようにふるまうことにもたけているというわけだ。
ともかく、そんな感じで今日の部活も終わりを迎えた。
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