第8話 代理人
「ともかく、彼女のことはおいておきましょう。幸い返事は待ってくれるとのことですし……それより私は、昨日の依頼メールをくれた人の話を聞きに行くべきだと思うんです」
「先輩はまた先延ばしにするんですね……ああいう輩は、先送りすればするほど厄介なことになりますよ」
別に僕はクラスメートである彼女のことを嫌いというわけでもないが、色恋沙汰に関して言うなら早めに返事を出すべきだと思う。
もちろん実体験から出る信頼できる意見だ。
実際、僕は返事を先延ばしにされて勘違いしたからな。うん。
僕の心配とは裏腹に、先輩は嫌に渋る。
「もちろんお断りはさせていただくつもりですが、どうやって断ったものか……何せ女性から告白まがいなことをされたのははじめてですから」
「それについてはノーコメントで」
これ以上は、地雷を踏みそうだから、僕は深く突っ込まないことにした。
「それじゃあ、そろそろ向かいますか……」
先輩がそう口にしたのは、時計の針が丁度五時を回ったぐらいの時だった。それは、依頼者との待ち合わせの時間十分前だ。
準備万端という風に、先輩はクリアファイルをかばんに入れて立ち上がった。そのクリアファイルからちらりと見えたのは依頼書のコピーで、僕が昨日見たあの紙のようだ。依頼者の顔を直接見たことがないため、本人かどうかを確認するために使うと、どこかのマニュアルに書いてあったことを僕は思い出した。
いつもなら、あのクリアファイルを準備するのは自分の役目だから、少しだけ新鮮味が感じられる。だからだろうか、僕は柄にもなく緊張している。
緊張というのは不安によって、ノルアドレナリンが過剰分泌を起こすことによって、心拍数が上がったりする状態のことらしい。つまり、緊張というのは僕の脳から始まる心の病みたいなものということだ。
そう考えると、やはり人の心は脳にあるというのもあながち間違いではないのかもしれない。いや、それで言うのであれば、ノルアドレナリンを分泌する神経なのかもしれない…などと、くだらないことを考えているうちに緊張はなくなったようだ。
ともかく、僕もこの部活の一員で、来年には僕一人で切り盛りしていかなければいけないということを考えれば、おのずとやる気……は出ないが、やるしかなない。そう思って僕はやるせなく立ち上がった。
「はぁ……。いきますか」
僕はやる気のない返事をして、部室のドアをくぐった。
依頼者との待ち合わせの場所というのはいつもきまっているらしく、部活棟の屋上らしい。
通常の学校なら、屋上からの飛び降り自殺というものを避けるために、基本的に屋上は施錠されている。だが、この学校は少しだけ特殊で、屋上が頑丈に作られているということもあるのだろうが、元来、授業で使うためにほとんど乗り越えることができないフェンスが取り付けられていて、誰でも屋上に入れるようになっている。
誰でも、というと少しだけ語弊があるかもしれないが、説明するのが面倒なので省く。
それはまあどうでもいいことで、依頼者の男はすでに屋上で待っていた。
「あなたが、昨日ファンタジー生物保護部に依頼を出した人ですか?」
疑問は色々あるが、僕は一人ぽつんと屋上に立つ大男に出来るだけ丁寧に尋ねた。体格から見ても、顔から見ても、僕よりも年上か、そうでなくても僕よりずっと強いだろうから敬意を払っただけだ。別にビビッているわけではない。
だが、男の表情を見るからに、少しだけ事情が違うらしいことは何となく理解できた。
「えっと……あなたは葉月さんですよね? ……ところでこちらの方は?」
男は申し訳なさそうに僕が誰なのかを尋ねる。
僕は少しだけ腹が立ったが、いかんせん僕は今まで依頼者に会うことはなく、陰ながら依頼をこなすためのフォローをしてきた伝説のツウマンだ。ミスディレクションを使ってきたわけだから影が薄くても仕方のないことだろう。
「いや、二人しかいないんだから陰ながら支えるより、表から支えてほしいんですけど……」
先輩が面倒くさそうに僕に突っ込みを入れる。
男は突然何を言い出すのかわからないと言った風な顔をしている。それは仕方のないことだ、先輩の能力は有名ではあるが、全員が知っているというわけでもない。
まあ、知っていてもよくわからないから結局彼と同じ反応をするのだろうが、それは今はどうでもいいことだ。
「私は、ファンタジー生物保護部……長いのでこれからはFAPCって呼ばせていただきます。ともかく私はFAPCに所属しております葉月 心と申します」
FAPCなんて略称じゃ本当に胡散臭い会社みたいだ。Cっていうのがまた株式会社を表すカンパニーの略みたいでなおさら不審だ。だが、勘違いしないでほしい。FAPCというのはファンタジーアニマルプロテクションクラブの略だ。
なんか、怪しい協会みたいになってしまったが、それはもともとのことだからこの際気にしないことにする。
まあ、相手の男がおかしな表情をしていないということは、この略称も問題ないということなのだろう。
「これはまた丁寧に……私は田中です」
「あれ? 確か、依頼されたのは山田さんという方ではなかったですか?」
「そうです、私は山田の代理でこちらまで伺わせていただきました」
男と僕の会話が続くが、男の対応が嫌に丁寧だ。まるで弁護士とでも話しているようで気持ち悪い。僕は弁護士と話したことなんてないけど、テレビで見る弁護士とか警察も最初はこんな感じの対応だったと思う。
よくよく見れば、男は制服を着ていない私服姿だ。
「あ、そうなんですね。それではいくつかご質問にお答えいただいてもよろしいですか?」
「ええもちろん」
「あなたは、山田さんの代理の田中さんでお間違いないですね?」
「はい」
「では依頼の内容をもう一度口頭でお伝えいただいてもよろしいですか?――――」
――依頼の内容はおおむね、僕たちの予想通りというべきだろう。だが、彼は明らかに嘘をついている。何を隠しているのかは知らないが、少しだけ信用にかける。
山田という人物は、ここ一年の間でストーカー被害を受けているらしい。それこそ警察に持っていくべき内容だ。ただのストーカーではなく脅迫すら受けているらしいから困ったものだ。
まあ、警察に相談するなんてことは、僕たちが提案するまでもなく、被害者本人ももう実行したらしい。だが、警察には犯人を捕まえることができなかった。――理由は簡単だ。
「FAが関係しているんですね」
「はい、困ったことに、FAに関しては私のような探偵ではいささか対応に困っているわけなんですよ。何分前例がないので対処使用がないといいますか……」
まあそうだろう、FAなんて歩いていて出くわすなんてことはまずない。事件にかかわるとなるとその確率ははるかに低くなるだろう。
というか、この人は一体何者なのだろう……探偵と名乗っているものの探偵ではないだろうな。真実の中に嘘を混ぜることによって、嘘を隠そうとしている。
「そうでしょうね……私もいつも困ってますから」
実際に心を読まれ続けるというのは厄介だ。並みの人間からしてみれば発狂ものだろう。他人に心の淵を読まれ続けるというのは、ところがどっこい僕は違う。僕は最初から何も隠してはいないからだ。
なんて、心の奥に隠しごとばかりしている僕が言っても現実味にかけるだろう。
本当のことをいうなら、先輩が心を読んでいる風を装わないから僕もそのことを忘れているだけだ。時々心の中に対して突っ込みを入れてくるのも彼女の優しさということがわかっているからこそやっていける。
「なるほど、それであなた方は評判がよろしいんですね。普通の人間とFAのコンビなら、普通の人も依頼しやすいというわけですか」
田中はすっきりしたような顔をしているが、現実は厳しい。
僕だって普通の人間と呼ぶには程遠いからだ。だから、どちらかといえばFA二人のコンビというべきだろう。
それを伝えると不安感を与えるだけなので、男の好きなように解釈させておいてあげよう。
「まあ、そんなところです。ともかく、依頼内容はそのストーカーとやらの退治でいいんですか?」
「いえいえ、そんな。それだったら僕にでもできないことはないですよ。ストーカー問題で大変なことは、一歩間違えれば悲惨な結果が待っているということです。しかし、今回の最大の問題点は、すでに悲惨な結果が起こった後ということでしょう」
悲惨な結果? いったいなんだろうか?
僕が拙いなりに思考を巡らせていると、後ろから悲鳴にも似た声が聞こえる。僕はその声の方を振り向いた。僕の視線の先に映ったのは先輩が口元をおさえながら、少しだけ震えているようにも見えた。
「どうしたんですか、先輩?」
「どうやら、私の心が見えたようですね。そうです、私の依頼主である山田様は今心神喪失状態……というよりも心が全くないように見受けられますね。今は何もしゃべられず、生きるための活動以外は何一つ行いません。私はまるでロボットでも見ているかのようで……こんなことをいうのもあれなんですが、不気味で仕方がないんですよ。本当に依頼してくれたのがあの人なのかと疑うほどにね」
よく見ると田中はげっそりした顔をしているように見えなくもない。しかし、僕的には彼よりも山田とやらの家族の方が心配になる。
突然家族がそんなことになれば誰だって不安だろう。
僕だって両親や妹がそんなことになってしまったら学校に通うことすら難しくなるだろう。いつも口では喧嘩していても、僕にとっては家族だ。流石にそんな状態になってしまったら僕は復讐心に駆られるかもしれない。
なんていったって、僕は復讐を行ってしまう側の人間なんだから。
それは別として、今回の依頼は確かにいつもとは全然違う。依頼してきた本人がいないというのであれば、先輩の能力を使うったところであまり効果がないということもあるが、それよりも、明らかに犯罪的な事件であることは確かので、僕たちのような一生徒がどうにかできる問題だとも思えない。
まあ、僕たちが普通の学生だったという話だが。
「大変そうですね……わかりました。その依頼引き受けましょう」
「助かります」
また昨日の二の舞というべきか、部活している生徒たちが帰宅する時間となっていた。まだ四月で暑いなんてこともないから、時間が流れていることを忘れてしまいがちだ。
探偵なんていうよくわからない仕事をしている×さんだって暇じゃないだろうし、僕だって問題を先送りにするほど愚かではない。一応我が部活動のモットーとして、『依頼はすべて受けるべし』というものがあるので、僕一人が依頼されたのであれば別だが、部活に直接依頼されたのであれば断るわけにもいかない。――それがどれだけ怪しい依頼であれだ。
そんなことをすれば、また先生から拳骨をもらうことになるだろう。
「あの……」
ちょうど僕たちが話を終えて、引き上げようとしていた時ずっと黙っていた□先輩が口を開いた。
先輩が口をはさむということは、僕の仕事に何らかの不手際があったということだ。しかし、僕は先輩に聞いた通りに仕事をこなしたはずだ。僕に失敗などありえない。
「はい、なんでしょう?」
僕がいろいろと考え込んでいるうちに、田中さんが返答する。それからは、ずっと彼女のターンだ。僕が言うべきことをいくつも吐き出す。
「私たちはただの学生なので、ストーカーをどう対処すればいいのかわかりません。それに関しては色々とご指導いただきたいのですがよいですか?」
確かにそうだ。それは僕が気を聞かせて言っておくべきことだ。
「ええ、それはもちろんかまいませんが、私の心を読んだ方が早いのでは?」
田中さんの返しももっともだ。先輩の能力を詳しく知らない人からすれば、そういった疑問が生まれるのも当たり前のことだ。
しかし、それは僕が実はFAであるということ以上に秘密にしておかなければならない事実をはらんでいる。部外者にその情報を流すのは、先輩の命が危険にさらされることと同じことだ。そこのところ先輩はどうやってごまかすのだろう。
「まあそうですね。ですが、彼は違います……私のくちから説明したのでは彼にうまく伝えることは出来ないかもしれません。だからあなたから直接話を聞いておく必要があります」
自分の部活の部長ながらうまいかわし方だ。嘘ではないだけに彼女が何かを隠しているということに気がつくのは難しいものはないだろう。
これなら、自分の能力の本質である『親しくない人の心は深く読めない』ということを隠しながら、彼から自然に話を聞くことができる。
「そういうことなら……わかりました。まあ、無報酬で依頼を受けてもらえるわけですから、それぐらいのお手伝いはさせていただかないといけませんしね」
いや待て、僕たちは一言たりとも無報酬だなんて言ってないぞ。
「……ちょっと――」
僕は思わず口に出してしまいそうになった。
でも、よくよく考えれば、僕たちは部活動としてボランティアでやっているわけだ。金なんてとることは出来ないというのは当たり前のことである。
「いいえ、報酬はいただきます」
「えっ!? 先輩いったい何を!?」
先輩があまりにはっちゃけたことを言うものだから、僕は思わず大声を上げてしまった。
本当に何を言うつもりなんだ、先輩は……。
「……どういうことです?」
田中さんは呆然としている。当たり前だ。よくよく考えれば、ホームページにもきちんと記載されているが、『金品』要求は一切しないこととなっている。
もちろん、学内外関係なく、だ。
しかし、先輩にも先輩なりの考えがあるのだろう。
「先ほども申し上げた通り、私たちにはストーカー対策のような知識がありません。でも、今回のような依頼がこれから増える可能性だって十分あるはずです」
「なるほど、君たちは私の持っているノウハウがほしいというわけか……。でもそれはある意味ではお金なんかよりもはるかに大きな財産といえるものです。そう易々と教えるわけにもいかないでしょう」
僕は男の返事に若干違和感がある。それが何かはまだわからないが、ともかく違和感があって仕方がない。
「いいえ、ですので今回はストーカーに対するものだけで十分です」
先輩の申し出に、男は少しだけ訝しい顔をした。
普通に考えれば裏があると考えるのが妥当だろう。でも僕たちは普通じゃない、能力を持つということはそういうことなのだ。普通ではない人間が普通の感性を持つというのもおかしな話で、僕たちは多少なりともおかしなところがある。
とりわけ、人の心を読むことができる先輩はそういった傾向が強い。
「何と言いますか、今回の働き分としての対価はストーカーの対処法のすべてというわけです」
「すべて……ですか?」
『すべて』なんてことを言われてもぴんと来ないかもしれないが、まあそのままなのだろう。
男は少しだけ迷ったようだが、ともかく、自分では対処不可能な依頼をこなすためには僕たちの協力が不可欠であると痛感していたのだろう。すぐに返事を返した。
「わかりました……すべてというのは私が知っているすべてということでよろしいのでしょうか?」
「ええもちろん」
先輩はこういった依頼は初めてなはずなのに、いかにも場慣れしているようにも思える。男の方は……場慣れしているのだろう。多少の無茶ぶりにも物怖じせずに対応してくれている。
しかし、ノウハウを知られることにためらいなんかないのだろうか? 僕たちは無料でやる分達が悪い気がするのだが、男は、そんなノウハウなどいくらでも教えてやろうと、言う風に不敵に笑みを浮かべている。
そんなこんなで、依頼内容は何のことないFAによるストーカー被害の解消らしい。
もちろん、僕たちだけでなく、探偵の男も手伝ってくれるとのことだが、今回ばかりは相手が悪い、僕は今すぐにでもこの件から降りたい。なんて、言っても始まらないわけだし、ものすごく切れる剣を持った泥棒の仲間も、大怪盗の孫である相棒も僕にはいない。ここで降りたら、あとで戻ってくることもできないし、なにより先輩に呆れられてしまうだろう。
仕方なく、僕は事件解決のための手伝いに尽力することにした。
だけど、一つだけ不可解なことがあった。
ここに依頼者の代理のものが来たということは、僕が昨日受けたクラスメートの依頼は、一体なのかということだ。彼女は何の目的で、僕に近づいて、あんな意味不明な依頼をしてきたのかが気になって仕方がない。
なにより、二人とも依頼のことに関しては嘘をついていないという確信があるだけに、意味が分からなくて不安だ。
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