第13話:夜叉小路白雪花子
「本当はもっと大がかりなトリックに挑戦したかったのだがな。今はこれが精いっぱいだ」
「……ちなみに、どうして僕の選んだカードがわかったんですか」
「もっと大規模な、テレビカメラを使ったマジックもやってみたいのだが」
「それで、どうやったんですか」
「フレームの外でトリックを仕かけるパターンだな。せっかくここは制作会社なのだから、それらしいこともやってみないともったいない」
「ねえ、ちょっと」
「邪魔をして悪かったな。作業に戻ってくれ」
「おい」
ミヤコさんは定位置の椅子に戻り、読書を再開する。持ってい本は『マジシャンになって、副業で月に百万を稼ぐ!』に変わっていた。
仕方なく、僕は会計処理を再開した。
さすがに専門的な処理は会計事務所に任せているらしいが、そこに提出するための基礎の部分は職員の誰かがやらなければならない。ミヤコさんはちゃらんぽらんだし、編集さんは勤務時間中のほとんど外出している。会ったのはこの四か月で数回しかない。
仕事熱心に聞こえるかもしれないが、ほとんどが自分の用事に費やしているというのだから笑えない。あのヒトの頭の中を一度覗いてみたいよ、まったく。
「だーれだ」
突然、目元が両手で覆われた。
ミヤコさんの声ではないし、彼女はついさっきまで僕の視界の中で本を読んでいた。
それに、僕は椅子の背もたれごと、背中を壁につけて座っていたのだ。背後に人が立つスペースはない。
この状況で当てはまるのは一人しかいない。
「子どもじみたことしないでくださいよ、編集さん」
視界が晴れやかになる。
僕の両脇の壁から、腕が生えていた。
それを両手でつかみ、背負い投げの要領で前に向かって腕を振る。するとデスク上に二十歳前後の女性が転がり出た。
「……痛いよ、シンイチくん」
グレーのショートヘアはメデューサの頭部のように乱れており、それを必死に手櫛で整えている。もともとくせっ毛なのだから大して変わっていない気がするが、本人曰く「ウェービーボブ」なのだそうだ。たれ目に加えて、おっとりというか、ねっとりとしたしゃべり方をするダウナー系の同僚である。
編集さんは、このスタジオミヤコで編集担当を務めている。
あと幽霊である。
だから痛いというのは嘘で、僕の同情心を煽ろうという魂胆なのだろうが、今の僕にはまったく無駄なことだ。
立ち上がると、黒のノースリーブのタートルネックに、ベージュのチノパンというおなじみのファッションが露わになる。服装こそまともだが、昼間のオフィスよりも夜の霊園がナチュラルに似合うヒトだ。
「今度はどこほっつき歩いてたんですか」
「ほら、世間は大型連休だから。小学校を探検していたの」
「そんなの毎日じゃないですか」
「無人の小学校は、普段とにおいが違うのさ。それに、たまにうちのこと見える子もいるみたいだし。今日はずっと楽しみにしていた目的があったんだよね」
「目的?」
「女子のリコーダー品評会」
編集さんは自慢げに胸を反らした。
うわあ、変態だ。それも小学生並みの。
「真剣にやったら丸一日かかっちゃうからね。ほら、うちは全員分きちんと感想レポート作ってるから」
だから許されると思ったら大間違いだ。
【触らない、抱きつかない、しゃぶらない】がモットーだとかつて自慢げに語っていたが、ただのムッツリスケベだ。
「それに今日は遠征だったんだよ。いくらこの体質だからって遠出すれば疲れるんだから」
冷蔵庫を開けてペットボトルのお茶と板状のチョコレートを取り出す。パソコン前の椅子に腰を下ろし、ぐびりとお茶を煽った。
幽霊なのでお腹が減ったり喉が渇いたりということはないらしいが、うちの事業所では一番の大食漢は編集さんだ。水も五大栄養素も嗜好品のたぐいになるが、単に人間としての習慣が残っているのと、気分転換として一番手っ取り早いのだそうだ。
銀紙を取り外し、チョコレートにかぶりつく。ぱきん、と小気味よい音が響く。
「現役高校生の僕より連休満喫してるじゃないですか。他にもっとやることがあるでしょうに」
「会計処理なんてやらせる気? うち、算数より難しいのは無理だから。それよりその編集さんって呼び方やめてよね。ちゃんとうちには名前があるし」
もっと自分の職務を全うしろという皮肉のつもりだったのだが、通じてなくて残念だ。
「あんなとってつけたような名前でいちいち呼んでいられませんよ」
あっという間に板チョコを嚥下し、口の周りを黒くした編集さんがふわりと浮き、僕の背後に回り込む。そして両腕を首回りに絡めてきた。
「そんな、寂しいこと言わないでよん」
背中が温かい。胸までしっかりと押しつけられている。
四か月前の僕だったら、多少はどぎまぎしているのかもしれない。だが今の僕には色仕かけも通用しないのだ。
両腕を引きはがし、編集さんと向き直る。
そして今度はこっちから首に腕を回し、顔を引き寄せる。
唇と唇が触れ合う。
編集さんの目が見開き、みるみるうちに顔が紅潮していく。
「……な、んなっ!」
慌てて離脱するも、耳までまっかっかだ。
僕は偽悪的に唇を吊り上げる。
勝った。
悔しければ、大人しく働け。僕は嫌われようと見下されようと軽蔑されようとかまわないし、幽霊のあなたでは被害を警察に訴えることもできまい。
法の抜け穴を利用したセクシャルハラスメント、万歳。
「なんだ、帰ってきていたのか、夜叉小路白雪」
マジック本に目を落としていたミヤコさんが顔だけを上げて、僕と編集さんを捉えていた。ナイトキャップの先端のぽんぽんがお辞儀をするように垂れる。
「ミヤコっち、今、今、社内でセクハラが発生したよ!」
「そうか、で?」
「この男に、しかるべき処置を!」
口角泡を飛ばしてミヤコさんに訴える。いくらダウナー系といえど、貞操観念は普通の女の子だった。
「あいにくスタジオミヤコに法務部はない。我慢しろ、夜叉小路白雪」
「だったらうちが就任するよ! シンイチくんは本日付で解雇、死刑!」
「私刑と混同するな、夜叉小路白雪」
「この男を裁く法律がないというのなら、うちが裁いてやる!」
「落ち着け、夜叉小路白雪」
「これが落ち着いていられるかっての!」
「いいか、夜叉小路白雪」
テンポ悪っ!
さっきから頻出している
もちろん偽名だ。名付けたのは本人。もとの名前はとうの昔に忘れてしまったという。
どうしてこんなに面倒なラストネームなのか、スタジオミヤコに入社した一週間後、本人に訊いてみた。
「ほら、うちって死んでるじゃん? 形がない概念上のものって、基本的に定義が不確かなんだよね。妖怪とかも、地方によって言い伝えが違ったり、姿かたちも一致してないでしょ。あれだけメジャーな河童だって、ガッパだったりガワッパだったり、中にはカワタロウとかメドチなんて呼ぶところもあるらしいよ。他にも天狗は、時代によって山に迷い込んだ子どもを家に帰してあげる良いやつだって話もあれば、火事を起こす畏怖の対象だったって説もある。結局どんなに名の知れた存在でも、場所や時代によって定義はまちまちなんだよ。
霊も似たようなもので、悪霊や怨霊をイメージする人もいれば、守護霊を信じる人もいる。つまりね、言葉っていう定義で厳密に縛りつけないと、あやふやになっちまうのさ。だから『鈴木』とか『佐藤』みたいなありふれたものだと、みんな思い浮かべるイメージが違うからまずいんだよね。唯一無二のものにしなければ、うちは現世に存在できなくなってしまうから」
そういった理由から、編集さんは自らを夜叉小路白雪と名乗った。
ちなみに下の名前は
まあ、かわいらしい。
トイレの幽霊的な事情ではないらしい。
この夜叉小路白雪花子さんと、僕と、ミヤコさん。以上の三人が、スタジオミヤコの構成メンバーだ。幽霊と人間と変なののトリオは今日も平常運転である。
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