[10]

〈政府専用機〉

 操縦室から出た銘苅は眼の前に、日村の青ざめた顔があった。警務隊の空曹が背後から9ミリ機関拳銃を突き付けていた。銘苅は訝しい表情を浮かべる。

「これはいったい何だ?」

「見て分からないのか?」空曹は言った。「《キキモラ》のメッセージを伝えに来た」

 銘苅は客室を一瞥した。乗員待機席に座っていたはずの銘苅の副官と池谷、日村や2名の予備パイロットは1か所に集められている。彼らも警務隊の女性隊員が構える9ミリ機関拳銃で狙われていた。銘苅は空曹に尋ねる。

「今どきハイジャックとはな。それで、君たちは誰だ?」

「俺の眼の前に立ってるジェームズ・ボンド擬きなら知ってるはずだぜ」

 銘苅は日村に顎をしゃくった。日村は震えた声で話し出した。

「私の後ろにいるのは、安土啓介・一尉です。第201飛行隊に・まる・いちの整備小隊に所属していました」

 銘苅はうなづいた。

「親族の葬儀に出ると言ったきり、行方不明になってた隊員か」

「女性はスナックのホステスです。名前は五十嵐茉優」

「ホステス?一般人でこんな真似を?」

 安土はせせら笑った。

「そんな訳あるか。《キキモラ》が育て上げた立派な戦士なんだよ」

 客室にカチリと音が鳴った。五十嵐は9ミリ機関拳銃の安全装置を外した。

「要求は何だ?」

 銘苅は安土に尋ねる。

「まずは、民間機を解放してもらおうか。あれはもう用済みなんでね」

 銘苅は通信コンソールに操作した。千歳基地を通じて航空幕僚監部に至急電として民間機を解放するように告げた。航空幕僚監部は防衛省に通報し、防衛省から日本政府を通じてジェット・スカイライン航空に連絡される。こちらから国際緊急周波数ガード・チャンネルで簡単に解放を告げても、民間機の機長が信じるとは思えなかったからだ。

 ヘッドセットをコンソールに置いた銘苅はゆらりと立ち上がる。安土は眼だけ動かして銘苅を見た。銘苅は低い声で訊ねた。

「本気で撃つつもりじゃないだろうな?」

「この場にいるのは、曲がりなりにも本職の軍人たちですからね。こんなちっぽけな銃で脅せるとは思っちゃいません」

 安土はうなづいた。

「いざとなれば、窓に向かって撃ちますよ。それが俺の脅しです」

 銘苅の口許が綻んだ。やがて大声で笑い出した。

「これは傑作だ。我々はいざとなれば、《シェル》を積んだまま、政府専用機を海に突っ込ませようと考えてたんだからな。君の脅しは効果があるとは思えない」

 安土は眉ひとつ動かさなかった。落ち着いた声で切り返しながら首を傾げる。

「そうでしょうかね?《シェル》はまともな状態じゃないんですよ。ウィルスを保護してる弾殻は耐久性が怪しいようでしてね。ウクライナで核弾頭を収めてた頃から、放射能漏れが指摘されてたんです。海に落ちた時の衝撃やら水圧で、いつウィルスをばらまいても不思議じゃない。日本海は永遠に死の海になるでしょうな」

 銘苅は安土を睨む。薄笑いを浮かべた安土は日村を客室に追いやり、銘苅に九ミリ機関拳銃を見せつけた。

「操縦室に行きましょうや。今度は貴官が人質ですよ」

 銘苅は平然と見つめ返している。その表情に微塵も取り乱したところがない。

《ずいぶん神経が太いんだな》安土は胸の裡に呟いた。《あまりの事態に放心してるのか?》

「まさか政府専用機こいつで編隊飛行するとは思いませんでしたね」

 ジェット・スカイライン954便は正面やや下方に占位して飛行を続けている。越野は窓から民間機を見ながら言った。

「そうだな」南郷はうなづいた。

 民間機の下方から接近した政府専用機は真後ろにつく前に高度を下げていた。ジェット機のエンジン後流に翻弄され、オホーツク海に叩き落とされかねない。南郷も越野も以前は戦闘機パイロットだったため、編隊飛行は経験したことがある。だが、ボーイングを至近距離で2機並べて飛行するとなれば話は別だった。

 操縦室のドアが開いた。南郷は上半身をひねって背後を見た。銘苅が背中を押されながら入ってきた。続いて入ってきたのは、安土だった。右手に9ミリ機関拳銃を持っている。越野も振り返った。

 南野は喉をごくりと鳴らした。コクピットの空気がぴんと張りつめる。

「君たちに指揮官の交代を告げる」安土は素っ気ない口調で言った。「当該作戦の指揮官だった銘苅・空将は解任された。以後は俺が引き継ぐ。また、今後はいっさい日本語を使用しないように。君たちもパイロットなら、英語には慣れているだろう」

 安土は不敵な笑みを浮かべる。白い歯をむき出しにして見せた。

分かりましたイエッサー」南郷は言った。

 安土はうなづいた。

結構グッド、まもなく民間機はこの空域から離脱する。その件に関しては、銘苅・空将がすでに連絡済みだ」

 南郷と越野は政府専用機の通信やジェット・スカイライン航空の社内通信カンパニー・ラジオをモニタしており、経緯はすでに把握していた。安土は続ける。

「それ以降は日本とロシアの防空ライン上を西に向かって飛んでもらう。最終目的地や途中の針路はこれだ」

 安土は胸ポケットから取り出した紙片を銘苅に手渡した。銘苅は折り畳まれた紙片を広げて一瞥した後、紙片を南郷に渡した。紙片に数字の羅列が記されている。最終目的地を示す座標を確認した南郷は安土を睨んだ。

「北朝鮮に向かえ、というのか?」

 安土はうなづいた。

「その場所こそ、《キキモラ》が我々に約束した地なのだ」

 刹那、ジェット・スカイライン954便が右翼を上げてバンクを取った。

 南郷は前方に眼をやった。ジェット・スカイライン機が持ち上げた右翼エンジンの後流が政府専用機の機首を叩いた。政府専用機の機体がぐらりと揺れる。その場で前によろめいた銘苅はオーバーヘッドパネルに手をついた。安土はせせら笑った。

「大型機の編隊飛行には慣れてないようだな」

 銘苅は無表情だった。背筋を伸ばしながら背後を振り返って安土を一瞥する。よろめいた際に銘苅は計器盤のスイッチを一つ入れていた。安土に気づいた様子は無い。

 この時、政府専用機の胴体下部にあるアンテナから航空自衛隊が独自に使用している信号波ビーコンを送信するシステムが稼働していた。

 銘苅の逆襲が始まった。

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