[4]

《向こうは撃ってきませんね。ミサイルを撃ち尽くしたんでしょうか》

 ホッジスの口調はのんびりしていた。グレンヴィルは長い付き合いから、後席員が瞬時の判断を要求されるような厳しい状況に置かれる方が落ち着くタイプだと分かっていた。

「いや」グレンヴィルは言った。「オレたちが何者か確認するつもりなんだろう。この辺は日本の領空でもないから、いきなり撃つわけにはいかないさ」

 グレンヴィルはヘッド・アップ・ディスプレイに表示されている敵のシンボルを一瞥する。敵速マッハ1。高度は27000フィートまで下げている。ほぼ真正面からやって来る。

「すれ違いざまに、フォックス・ツー。いいか?」

 グレンヴィルは赤外線追尾式ミサイルのコードネームを告げる。スロットルレバーについている兵装セレクタースイッチをSRM(短射程ミサイル)に入れた。

《OKです、少佐》

 ホッジスは安全装置を解除する。赤外線追尾式ミサイルAIM-9の弾頭についている感知部が十分に冷却されていることを確認した。

「すれ違うぞ」グレンヴィルは叫んだ。

 わずか150メートルほどの距離で敵とすれ違った。激しい振動が機体を襲う。グレンヴィルは操縦桿をわずかに引いて右のフットバーを踏み込んだ。《スーパーホーネット》は機首を鋭く上げて上昇に転じた。グレンヴィルはさらに操縦桿を右に倒し、機体をロールさせる。《スーパーホーネット》が軽々と横転してインメルマン・ターンを切る。

《《イーグル》、《イーグル》だ》

 ホッジスは興奮して怒鳴っていた。旋回の頂点でグレーの機体が見える。主翼には赤い円形のマーク。日本空軍機に違いなかった。

 2機の戦闘機は空中で擦過した後、急速に離れる。上昇旋回の頂点に達した瞬間、《スーパーホーネット》の機首に搭載されたレーダーがF-15を捉える。下方2000フィート。熱源を感知したAIM-9の感知部がオーラルトーンをパイロットに送った。グレンヴィルは躊躇わずにトリガーを絞る。

発射フォックス・ツー

《スーパーホーネット》の翼下からオレンジ色の炎が噴き出し、赤外線追尾式ミサイルがリリースされた。

 右に旋回を切っていたF-15がAIM-9から逃れるため、咄嗟に左に急旋回を切る。直後にフレアを放出する。わずかに敵機から逸れたミサイルが新たな熱源―フレアに引き寄せられて中空で炸裂した。後席からホッジスが怒鳴った。

《ミス》

 グレンヴィルはすかさず操縦桿を叩きこむ。《スーパーホーネット》を降下姿勢に入れる。レーダースコープを覗いていたホッジスが再び声を荒げた。

《ミサイル、ミサイルを撃ってきた》

 コクピットにミサイル警報が鳴る。グレンヴィルは歯を食いしばった。操縦桿を引いて方向舵ラダーを切り替える。《スーパーホーネット》がわずかに針路を変える。敵のミサイルが暗夜に機体のすぐ傍を擦過する。人工水平器の地平線がグルグル回転する。天地がコンクリートミキサーのように回る。

「どこだ、ジャップはどこだ?」

 グレンヴィルは狂ったような視線をヘッド・アップ・ディスプレイに送る。

《3時だ。3時の方向にいます、少佐》ホッジスは言った。

 レーダースクリーンに赤い光点が表示される。いつの間にか、F-15は8キロほど東を飛行している。グレンヴィルはスロットルレバーを操作してアフターバーナーを最大出力に叩き込んだ。機体が蹴飛ばされたように加速して一気に距離を詰める。身体がシートに押し付けられる。レンジ・ゲート・マーカーを移動させてF-15に照準を合わせる。

 7キロ、6キロ、5キロ、4キロ―

 グレンヴィルは距離計を見つめる。F-15との距離が詰まるほどにヘッド・アップ・ディスプレイの右上に表示される数値が減少する。ヘルメットにオーラルトーンが響いた。グレンヴィルは操縦桿についたトリガーを押した。

発射フォックス・ツー

 ミサイルが敵機の熱源に向かって飛翔する。F-15が派手な右旋回を切る。段々と高度を下げて海に追い詰められている。

《墜ちていきます》ホッジスは言った。《撃墜したんですよ。もうたくさんだ。少佐、帰りましょう》

「まだだ。《スモーキー》、ヤツはまだ墜ちてない」

 グレンヴィルは操縦桿を倒す。機首を真下に向けて《スーパーホーネット》が垂直降下に入る。不意にF-15がバレルロールを打ち、フレアを発射する。フレアにAIM-9が引き寄せられる。2発目のミサイルも敵機からわずかに逸れて中空に炸裂する。ホッジスは低い声で言った。

《ミス》

「あのくそ《イーグル》を海に墜としてやる」

《止してください、少佐》

 ホッジスは胸の裡に急速に暗雲が広がるのを感じた。《スーパーホーネット》に残された兵器は「アムラーム」が1発と700発の20ミリ機関砲弾だけだ。今はどちらも接近しすぎている。「アムラーム」は使えない。機関砲ガンで撃ち落とすには、もっと近寄らなければダメだ。

 グレンヴィルは驚いて声を荒げた。

「あの野郎、突っ込んでくるぞ!」

 レーダースクリーンから顔を上げたホッジスは眼を見開いた。いつの間にかF-15が急上昇に転じている。F-15が眼の前の風防を覆いつくすように広がってくる。

 グレンヴィルは兵装セレクタースイッチを機関砲に切り替えて操縦桿のトリガーを切る。20ミリ砲弾が毎分6000発の勢いで吐き出される。曳光弾がオレンジ色の帯を作って闇を切り裂いた。機関砲弾をかいくぐったF-15が距離を詰めてくる。

 グレンヴィルはフットバーを蹴って操縦桿を倒した。機速が鈍る。瞬時に機体が不自然な姿勢になったことに気づいた。《スーパーホーネット》がその場でふらりとよろける。アヒル同然の無防備な状態をF-15に晒していた。

「クソッタレめ!」

 グレンヴィルは断末魔のつもりで罵り声を上げた。敵がこの機を逃すはずはない。敵の翼下に見える短射程ミサイルが今にもこちらに飛び込んできそうだった。後席からホッジスが怒鳴った。

《少佐!司令から連絡です!》

 コクピットにデータ・リンクの警報が響いた。グレンヴィルは計器パネル中央のディスプレイを一瞥する。心臓が喉から飛び出しそうだった。データ・リンクが作動し始める。

「特別緊急通信―

 発信者―太平洋艦隊司令

 受信者―マーク・グレンヴィル少佐

 発信者通信コード 8001001

 受信者通信コード 8234378

 貴機、目標の撃墜に成功。帰還せよ。グッドラック。以上」

 刹那の轟音とともにF-15が擦過して飛び去る。《スーパーホーネット》の機体が揺さぶられる。激しい振動で一気に高度を失いそうになる。グレンヴィルは慌てて操縦桿を引いた。敵は撃ってこなかった。ミサイルが故障でもしたのだろうか。全身が汗でぐっしょり濡れている。ようやくグレンヴィルは重い口を開いた。

「《スモーキー》、帰るぞ」

 ホッジスは何やらブツブツ言った。グレンヴィルは胸の裡で罵り声を上げた。

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