第1章:消失
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2月16日。北海道。当別分屯基地。
国籍不明の未確認飛行物体がレーダー・スクリーンに
登坂詩織・二等空尉は思わず眉に皺を寄せる。
《まただわ》
〈UN〉はアンノウンを示す記号だった。航空自衛隊北部航空方面隊第45警戒群当別レーダーサイトが防空識別圏に侵入した
登坂は再びディスプレイに眼を戻した。オホーツク海上に出現したアンノウンは最初、知床半島の上空を飛んでいる空中早期警戒機E-2Cが捉えていた。所属は三沢基地の第601飛行隊だろう。登坂は以前にE-2Cを見たことがあるが、特徴的な機体が強く印象に残っている。細長い胴体の上に直径7・3メートルの円板型レーダーを搭載している。高度1万メートルで巡航しながら、同機を中心とする半径370キロ以内の目標を捉えることが出来る。
〈UN〉の表示自体は特に珍しいものではない。
レーダーサイトは防空指揮所(DC)と直結し、日本の領空内を飛行する航空機に関する情報をリアルタイムで受け取っている。防空指揮所の情報は航空総隊司令部にも送られ、同司令部ではレーダーが捉えた機影とコンピュータに入っているフライトプランの照合が行われる。その結果が一致した場合はディスプレイから〈UN〉の表示が消え、代わりに識別番号が表示される。
だが、いつまで経ってもアンノウンのまま防空識別圏に接近すれば、レーダーサイトから防空指揮所に連絡が飛ぶ。今度は防空指揮所から各航空方面隊を通じて、緊急発進に備えて基地で待機している戦闘機に要撃指令が下る。これがホット・スクランブルである。
航空自衛隊では現在、北海道千歳、青森県三沢、茨城県百里、石川県小松、福岡県築城、宮崎県新田原、沖縄県那覇の七基地が警戒待機任務についている。どの基地でも緊急発進を告げるベルが鳴れば、
札幌市から北東に約20キロの位置にあるこの基地には、三次元レーダーJ/FPS-3改が設置されている。J/FPS-3改は海面ぎりぎりを飛翔してくるアンノウンを200キロ先で捉えることができる。もしアンノウンが速度500ノットで飛行中の戦闘機であれば、15分で飛び抜けられる距離だ。さらにその戦闘機が空対地ミサイルを使うつもりなら、10分足らずで射程圏内に入る。戦争になればまっ先に狙われるのはレーダーサイトである。
《戦闘機?まさか?》
登坂は天井を見上げた。冷暖房用、電気配管用、通信や電子機器を結ぶ配線用などさまざまな太さの管が縦横に走っている。運用室がある建物は地表に建てられた鉄筋コンクリート製だった。民間で建てられるビルよりは頑丈に造られているものの、爆弾の直撃に耐えられるはずはない。防備には不安を感じる。さすがに運用室はきれいにしてあるが、建物の築年数は古い。この部屋以外の場所はしみ出した雨水の垂れた跡が黒く壁に残っていた。
薄暗いレーダーサイトの運用室にサイレンが鳴り始める。
「千歳にスクランブルをかけます」
西條健夫・三等空曹がマイクに手を伸ばした。
航空自衛隊の戦闘機がアンノウンを捕捉するのは、領空の外側になる。従って領空の境界線上に近づいた時に出動命令を下ったのでは遅すぎるため、領空の外側に通称『スクランブル・ライン』と呼ばれる一線が設定されている。アンノウンがその一線を超えるとただちに要撃戦闘機が離陸する。
航空自衛隊は年間で400回程度の緊急発進を行っている。日本上空に頻繁に飛来してくるアンノウンはロシアや中国の空軍機が多い。いま出現したアンノウンはオホーツク海の洋上を北海道上空に向けてゆっくりと南下している。登坂の脳裏に真っ先に思い浮かぶ単語があった。
〈トウキョウ・エクスプレス〉。
〈トウキョウ・エクスプレス〉とはウラジオストック近郊の空軍基地を飛び立ったロシア空軍の偵察機が南下し、日本の領空付近を飛行することを指す。特に大型連休や総選挙などの行事がある時や、今夜のように極度の悪天候時に飛来することが多い。空自をはじめとする日本の防空体制が国内情勢や天候によってどの程度左右されるか推し量るためである。
《今夜は何が飛来してきたの?》
登坂はディスプレイの光点をじっと見つめる。アンノウンの速度は525ノット。今の進路のまま真っすぐに飛んでくるならば、45分ほどで北海道上空に達してしまう。ロシア空軍や中国空軍でも、日本の領空付近を飛ぶ航空機は主に偵察機や輸送機が多かった。
《戦闘機?まさか?》
登坂はディスプレイから顔を上げて運用室を見渡した。部屋は暗い。グリーンの燐光を放つディスプレイが見やすいように、昼夜の別なく照明が落とされているためだ。階段状に傾斜が付けられた床に要撃管制コンソールが並んでいた。
天井のエアコンから冷気が出ているが、部屋の中にびっしりと並んだ電子機器が発する熱で汗ばむほどの熱気が立ち込めていた。ずらりと並んだコンソールの前に数十人のオペレーターがついている。識別した航空機を示すアルファベット、高度や速度などが映し出されるディスプレイを確認しながら、口許のマイクから指示を出している。
登坂の隣席で西條が告げる。
「千歳、上がりました!」
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