恋する乙女と燻る恋2

「………………っ!」

ベットの上をゴロゴロゴロゴロのたうちながら悶絶が止まりません。

きっと誰かがこの状況を目にしたら仮病どころか奇病に罹ったのではと病院へ担ぎ込まれてしまうでしょう。

全てはあの小説が、『愛に生きる』が悪いんです!

歳の離れたヒロインへ燃え滾らんばかりの恋慕を募らせた青年が主人公の恋愛劇。

歳の差を理由に結婚を反対する周囲を退けて駆け落ちし、最後は結ばれると言うストーリーは十代向けと言うよりもう少し大人な方が楽しむのを前提に書かれているのは明白でした。

だからこそ描写の一つ一つが生々しい事この上なく、特に主人公が愛を囁きながらヒロインの唇を奪うシーンなんて目が離せないくらい情熱的で……。

(あんなの……あんなの!)

気がついたら小父様と自分を登場人物に置き換えた妄想が脳内で繰り広げられながら読み切っていました。

耳元で小父様に甘美に囁かれて悶える私。

やがて愛しい人の吐息が近づいてきて唇を塞がれる情景が意図しなくても繰り広げられてしまって……。

「ああっもう!」

ガバッと起き上がりビュンと本を壁に向かって投げつけてようやく悶絶も収まってきました。

どうしてあんな刺激の強い本があるのか考えてみたら、以前古本屋で纏め売りしていたのを買い込んだのを思い出しました。

よりにもよってこのタイミングであんな本を引き当てるなんて、我ながら妙なところで引きが強いのに呆れてしまいます。

だけど小父様との口付けを生々しく想像出来てしまうのも仕方ないのかもしれません。

右手の人差し指と中指でそっと唇に触れながら過去に思いを馳せてしまう。

「………………」

初めて小父様に出会ったあの日、私の命を繋ぐために口付けを交わしているせいなのでしょう。

あれは包力を注ぐ手段であって、小父様が私への恋慕を抱いていた訳ではないとは分かっています。

以前昔語りとして話を振ってみたらバツが悪そうに咳払いで誤魔化されてしまいました。

小父様にとって私の初めての口付けを奪ってしまった事に申し訳ない気持ちがあるのは明白です。

「私は嬉しかったんだけどな……」

後付けの恋心ですが好きな人に初めてを捧げられたのは誰であっても幸せに違いない、だからこそ思い出す度に胸の高鳴りは目覚めてしまって……。

「……んっ」

気がついたら二本の指を相手に見立てて口付けの真似事をしていました。

「……んっ……んっ……」

愛しい人を思い浮かべて啄ばむ様に繰り返す不慣れな口付け。

「……んんっ……んっ」

忘れなくちゃいけないのに……。

そうと決めたばかりなのに……。

それでも理性に逆らう本能が愛しい人を求める行いを止めてくれない……。

「……んっ……おじ……さま……」

甘過ぎる夢想に心も体も溶け切りそうになったその時、トントンと扉がノックされたのを皮切りに現実へと引き戻されました。

「……っ!」

熱で沸いていた思考が一瞬で鎮火して平静を取り戻しました。

「アイリス様起きてますか?」

ドア越しに聞こえてきたのはエリオットさんの声です。

時計を見ると丁度お昼に差し掛かる時間でした。

そういえば果物か何か持ってくると言ってましたね、失念していました。

エリオットさんに限って有り得ない話ですが、もしノックを忘れられていたら腹を裂く以外取り返しようのない恥を晒してしまうところでした。

(危なかったぁ……)

内心で深く息を吐きながら安堵します。

「アイリス様、具合はいかがですか?」

いけない、エリオットさんを待たせたままでした。

「どうぞお入り下さい」

入室を促すとカチャリとノブが回り扉が開いて、お皿と果物が盛られたバスケットを載せたをワゴンを押してエリオットさんが入ってきます。

普段は小父様にお菓子をお出しする為に私が使っているワゴンですから、こうして自分の部屋に運ばれてくるのは新鮮に感じます。

「お昼になりましたのでいくつか喉の通りが良さそうな物を選んできました、具合はいかがですか、食べられそうですかな?」

バスケットを見てみると林檎に桃や苺にオレンジと色取り取りの果実が積まれている。

王都で暮らす恩恵の一つに各地方から年を通して新鮮な食材が集まってくるのが挙げられます。

お陰で季節を問わずこれだけの果物を味わえる。

ついでに言えばお菓子作りの材料にも事欠きませんから、腕を存分に振るえるのも嬉しい限りです。

「ありがとうございます、でしたら林檎を頂けませんか、酸味のある物が食べたいんです」

「かしこまりました、では早速……と言いたいのですが……」

エリオットさんはチラリと横目で開いてるドアを見やると、ふふっと笑い。

「お客様が見えていますから、せっかくですのでお昼をご一緒されてはどうです?」

「お客様ですか?」

エリオットさん目線を追いかけてドアを見やると見知った鳶色の髪が覗いて、現れたのはクラスの副委員長でした。

「ユリウス……どうしてここに?」

「やぁアイリス、どうしてとは心外だな、大切な友人のお見舞いに決まってるじゃないか」

「お見舞いって……学校は?」

「それがね、教官からアイリスが体調不良で欠席だと知らされた瞬間に腹痛に襲われてね、仕方なく学校を早退して街に戻るとあら不思議、痛みが消えて目の前にはお土産に御誂え向きの果物屋があったから、これは神様がお見舞いに行きなさいと僕に降した天啓だと悟ったのさ、それでここに参上した次第だよ」

「天啓って……」

呆れると言うか、ユリウスらしいと言うべきか……。

委員長として苦言を呈する場面なのでしょうが、わざわざ顔を見せてくれたのは素直に嬉しいものですから、クスッと笑んでしまったのも仕方ありません。

「ユリウス様が仰る通りこちらの果物はお土産でございます、丁度買い出しに行こうとしていましたから天啓に感謝しなくてはなりませんね」

エリオットさんも会話に乗ってくれましたからユリウスが咎めらる事は無さそうです。

私のリクエスト通りに林檎を剥こうとエリオットさんはナイフを手にしましたが。

「よろしければ僕がやりますよ、こう見えて手先は器用な方ですから」

ユリウスが名乗り出てナイフを受け取るべく右手を差し出しました。

(こう見えてって……性格からして器用そうにしか見えないけど)

自重のつもりでしょうが普段の貴方から見ると控えめには映りませんよ?

「かしこまりました、ではお手数をおかけしますがお願い致します、私は執務室にて休憩を頂きますのでご入用でしたら気兼ね無くお声掛け下さい」

ナイフを手渡したエリオットさんは私達にお辞儀をしてから退室していきました。

二人きりの方が会話も弾むと気を回してくれたみたいです。

「気遣い上手な執事さんだね」

右手でナイフをクルクル回して遊んでから、左手で林檎を取ったユリウスは皮を剥いていきます。

ナイフは皮に当てがい動かさず、林檎の方を回していく剥き方は慣れているとしか思えません。

しかも半分は残した皮に切れ込みを入れてウサギを作る手の混み方を見せるなんて、尚のこと不器用には見えませんよ?

八羽の林檎ウサギが並んだお皿にフォークを並べてユリウスは差し出してくれました。

「ほら、お前たち可愛く並んだんだからお姫様にご挨拶だ、こんにちは〜」

お皿を揺らしてあたかもウサギが動いてるみたいに演出までして、手の込んだことです。

「そうね、こんにちはウサギさん」

フォークを手に真ん中の一羽を吊り上げて口に運びます。

シャリッとした食感に続いて溢れ出す酸味ある果汁が体に沁みて……。

「美味しい……」

思わず感想も声に出てしまいました。

「あぁなんと言うことだ、可愛いウサギを丸かじりするなんて、アイリスがそんなに残酷な人間だとは思わなかったよ!」

戯けながらユリウスも一羽を手掴みで頬張るとシャリシャリ音を立てながら味わっていきます。

「しょうがないでしょ、美味しそうに剥いたユリウスがいけないんです」

二人で摘んでいくとあっという間にウサギ達は居なくなってしまいました。

確かに可愛かったですからもう少し愛でから食べれば良かったかもですね。

「次はどれにする? 桃は熟れてるから食べ頃だろうし、食べ易さなら苺も良いね、疲れを取りたいならオレンジが効くらしいけど?」

「そんなに急かさないで下さい、時間も有るんですからゆっくりしましょう?」

「……それもそうだね」

勉強机から椅子を運んできたユリウスはそれに掛けると二つ目の林檎を剥き始めました、今度は時間を使って丁寧にむいてるみたいですが、結局自分の好みで選んでるじゃないの。

「今日の欠席だけど、仮病だよね?」

手を休めずに唐突な質問です。

「……どうしてそう思いますか?」

「アイリスが健康優良児なのは勿論だけど、体の不調くらいなら周りの反対を押し切ってでも鍛錬を休まない事は君を長年見ていて有り得ないからね、それにアルテミシアとの一件から昨日の今日だし、今のアイリスの様子を見てれば仮病だって見抜けるさ」

……まったくこの友人は人の感情の機微に敏感ですね、推測に穴が無いのも考えものですよ?

だけどユリウスに心境を見透かされても別段嫌な気持ちが湧かないのは、この友人が私を責めるのを目的に現れたのではなく、本当に心配して来てくれたのが分かるから……。

「慣れない事はしないに限りますね」

私も素直に心を曝け出せるのです。

隠すのを諦めて本音を吐き出してしまいましょう、もちろん小父様への恋心については秘密厳守ですけど。

「アルテミシアに敗れただけじゃないんです、昨夜は小父様にも手解きを受けて模擬戦を行ったのですがボロボに打ち負かされました」

「アルテミシアはともかく団長に勝てないのは今に始まった事じゃないだろ?」

「昨夜の鍛錬は普段の物とは意味合いが違うんですよ、なんと言うか……そう、私の覚悟を乗せての鍛錬だったと言うべきでしょうか、小父様に届けたい思いが届かなくて悔しくて、結果として私は小父様にと言うより自分自信に敗北してしまったんです、それで気持ちの整理がつかなくて、お恥ずかしい事に仮病に頼ってしまって……」

「ふぅん」

「ユリウスの方から核心に迫って来たわりには淡白な反応ですね、少しくらい慰めてくれても良いんじゃないですか?」

「だってさ、アイリスの気持ちが団長に届かなかったのもそれが理由で学校を休んだのも分かったけど、結局これからアイリスがどうしたいのかは聞いてないから、生返事くらいしか出てこないよ」

……私がどうしたいか。

「諦めるの? それとももう一度届くかどうかトライしてみるの? 物事を負けっぱなしで終わらせるアイリスって僕は想像出来ないんだけど、君はどうするわけ?」

「……諦めますよ」

少しだけ答えに間が空いたのは諦めまいともがく未練が邪魔したから。

「勝てない戦いに敢えて身を置くのは勇気ではなくて只の無謀です、目標を失ったのならまた新しく探し出せば良い、それに騎士を目指すのは諦めていません、剣の道はこれからも歩んでいける」

嘘はついていません、騎士を志すのは誰に言われるでもなく私が望み目指した道であり、歩みを止める気はありません。

だけど本当なら恋についてはお利口な勇気ではなくて愚かな無謀を選択したい。

ですがそれで小父様(いとしいひと)が悲しむのなら、身を引かざるを得ません。

ああ、どうにかして燻り続ける未練を断ち切りたい、そんな方法など教えを請うにも調べようにもどうすればいいのか皆目見当もつかない。

「焦らなくていいんじゃないかな?」

剥き終わった二つ目の林檎をまら八当分にしてからお皿に盛り付けてから、ユリウスはそれを差し出してきました。

一つを摘んで咀嚼すると知らず知らずの内に渇いていた喉を潤してくれます。

「長い時間を掛けて募った気持ちを昨日今日で捨て去るなんて常人には無理難題さ、僕らは子供なんだし時間なんてこれから幾らでも有る、それこそ時間の流れに身を任せるって解決策も有って良いと思うけど」

そう出来るなら嬉しい限りですね。

今は辛い現実に目を瞑って鍛錬と勉学、それに友人達との楽しいひと時に甘えられればどんなに楽な事か。

ですが私が気持ちを整理するのに猶予は残されていません。

小父様とアルテミシアの婚姻は以前から内密に挙がっていた話ならば、小父様が承諾したこの期をシルフール家が逃す筈がない、恐らく近々正式な契りが交わされるでしょう。

そうなった時、私の中に未練が欠片でも残っていたらきっと剣の道すらも投げ捨ててしまう、自分の弱さに心が浸りきってもう二度と立ち上がれない予感がある。

まったくユリウスは物事に折り合いを付けるのが本当に上手ですね。

彼の人の機微に聡く、物事を器用にこなせる人柄は私には持ち合わせない才能です。

ユリウスが手助けしてくれるのは私にとって欠かせない支え。

頼りに出来る友人を持てたのは素晴らしい幸運で……。

(あれっ……)

ユリウスという友人について改めて思い返してみて、もしかしたらと浮かんだ可能性がありました。

(だとしたら、小父様への未練を断ち切れるかも……)

あまりに都合が良い自分の思考に戸惑いながらも解決の糸口になるならと思い至った可能性。

これは賭けてみてもいいかもしれない。

「アイリス、どうかしたの?」

押し黙って思案する私を心配したユリウスの顔が眼前に迫っていました。

「……っ!」

鼻と鼻がぶつかりそうな至近距離、こんな近くに迫られるまで気が付かないなんて無防備に程がある。

だけどそれはこの友人に大きく心を許している証拠で、自分の間合いを侵されるのに不快ではない。

考えてみれば小父様やエリオットさんみたいに歳が離れた男性以外でたった一人の殻を破って話せるのがユリウスです。

もしかしたら彼なら……。

「……ユリウス……」

自分の思惑に戸惑いながら、眼前で視線を絡め合う彼の名を呼ぶ。

「どうしたの、顔が赤くなってる……もしかして本当に熱があるのかな?」

どうしたも何もこれだけ異性に距離を縮められて戸惑わない女性はいないですよ!

もっとも私の場合は理由が違うのですが、それでもわざと煽られているとしか思えません!

「そっそんな意地悪しないで下さい、これは熱じゃなくて……」

「だとしたら何がアイリスを熱くしているのか教えてくれないかな、僕は鈍感だから教えてくれないと分からないんだ」

ああもう、絶対わざとだ!

これ以上遊ばれるのも癪ですし、こうなったら新しく芽生えたこの考えをさっさと使ってしまうべきかもしれません。

善は急げ、どうせ後戻りは出来ないのですから。

「あの……ユリウス、実は……」

「アイリス様、お邪魔してもよろしいでしょうか?」

「……!」

ドア越しに聞こえてきたのはエリオットさんの声です。

「ああ、さっきからノックされてたけどアイリスが気にしてないみたいだから無視してたんだ」

「だったら早く教えて下さい! 変な誤解をされたらどうするんですか!」

思考が慌て過ぎていたせいでノックに気がつかなかったのは私の落度かもしれません、だけど変な意地悪をされるのは困ります!

外に聞こえないように小声でやりとりを済ませてからドア越しに返事を待つエリオットさんに応えます。

「はい大丈夫です、お入り下さい!」

慌てたせいで声が強くなってしまったのは許して下さい!

音を立てずにドアを開いて入室してきたエリオットさんは恭しく腰を折ると要件を述べました。

「失礼します、お話中恐縮ですがまたアイリス様にお客様がいらしております」

「またお客様ですか?」

一日に二人も来るなんて、珍しい事ですね。

「それじゃあ僕はお暇するよ、お大事にねアイリス」

「お待ち下さいユリウス様、実は先方様よりユリウス様もご一緒にと承っております」

先程までのやり取りは無かったかの様に涼しい顔で立ち上がったユリウスでしたが、思いがけないエリオットさんの言葉で廊下へ向けていた脚が止まりました。

「僕もですか?」

「はい、アイリス様も部屋着のままで構わないのでユリウス様とご一緒に話があると、当然ユリウス様に関しましてはお断りになられても構わないと思いますが、如何なさいますか?」

私とユリウスは目でコンタクトを取ると互いに了承し頷き合いました。

「分かりました、それで先方はどなたなのですか?」

一番に知りたいのはそれです、私とユリウスの二人に要件がある人物に思い当たる節がないのですから。

「それが……」

何故客人の名前を言い淀むのか、それはエリオットさんが口にした名前で十分理解出来ました。

「アルテミシア ・ノーラ・シルフール様がいらしております」

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