パンプキン・クッキー・モンスター!

水城しほ

パンプキン・クッキー・モンスター! ①

 それは十月も半ばの週末、夜中の出来事だった。

 俺が自分の部屋で予習をしていると、机の上に放り出していたスマホがピコッと音をたてた。メッセンジャーアプリの通知音だ。

 画面を見ると、差出人は同じクラスの西ニシ柚香ユズカだった。夕飯前に俺が送った『頼むユズカ、明日こそ学校来てくれ。秋アニメについて語らせて貰えないと俺が死ぬ』というメッセへの返事。


『ひらめいたピコーン! ボイチャでよいのではありませんか会長殿? そーいやコガケンとボイチャしたことないな!?』


 コガケンは俺のフルネーム、古賀コガ健志ケンジを略した愛称。会長殿と書かれているのは、俺が中等部の生徒会長だからだ。

 俺たちが通う「桜川さくらがわ学園」の執行部は、普通の学校に比べると内部での影響力が強くて、生徒会長ともなれば学園中に一目置かれる存在なのだけど……ユズカはそんなもの、完全に無視だ。ま、やたら顔色伺うヤツよりは付き合いやすい。

 そんなユズカは、学園内で浮いている。

 中等部へ入学したばかりの頃は明るく笑っていたのに、次第に口数が少なくなっていって、二年生になると学校を休みがちになり、五月の連休明けからは滅多に姿を見せなくなった。

 いまや登校するのは定期テストだけ、しかも登下校に保護者が付き添っていて、保健室にしか顔を出さない。その原因はハッキリしていて、クラスの女子がユズカを仲間外れにしているからだった。

 イジメや嫌がらせというほどの、積極的な行動があったわけじゃない。ただ「美人なのに天然の不思議ちゃん」という烙印を押されたユズカへ話しかけるのは、クラスでは俺一人だけ……表面的には、それだけのことだ。

 俺たちが通っているのは私学だから、いつ退学勧告を出されてもおかしくない。成績順にクラス編成をする桜川で、ユズカは特進クラスにあたるA組の生徒だから、学園側の温情で自宅学習扱いになってるのだと聞いている。いつまで便宜を図ってくれるのか、正直わかったものじゃない。

 できれば一緒に、高等部へ進学したい。

 こういう生徒を追い出すような学園には、したくない。

 しかし、どうするかな。ユズカと真夜中のボイスチャット……個人的には歓迎だけど、それじゃ何にも解決しない。俺はユズカを学校に誘い出したかったんだ。

 心を鬼にして『古賀家は夜のボイチャは禁じられておるのだ、つーか顔見せろ』と返信を送った。ちなみに我が家ではボイチャ禁止など、スマホ使用時の細かなルールは定められていない。

 そのまま俺のスマホは沈黙した……かと思ったのだが、しばらく経ってからビデオ通話のコール音が鳴り始めた。もちろん発信者はユズカだ。

 コイツ、俺の話を全く聞いてない。いや、もしかすると「ボイチャじゃなくてビデオ通話はセーフ」とかいう謎の理論を展開している可能性もある。

 まぁ、ユズカだしな。コイツは空気を読めていないのか、それともあえて無視しているのか、常にイノシシ並みの突進ぶりだからな……そういうとこが浮くんだぞ、この怪獣系女子め。俺は諦めて応答ボタンを押した。

 画面の中のユズカは、薄いピンク色のパジャマを着ている。制服以外で初めて見るのがパジャマ姿……美少女のプライベートを生中継、どうしたって目のやり場に困る。平常心、と自分に言い聞かせた。


『やーやーコガケン!』

「よう、元気そうじゃん」

『まあね~、別に病気してるわけじゃないからね~』

「それならもちろん、次のテスト順位もヒトケタだよな?」


 風呂上りなのか、ユズカは長い黒髪をタオルでぽふぽふと叩きながら「まかせてくれたまえよ」と得意気に笑った。コイツは不登校ながら、定期テストでは常に学年十位以内をキープする女だ。


『ちゃんと、お兄ちゃんに勉強見てもらってるよ。成績落ちたら、いよいよ辞めなきゃいけなくなっちゃうもん』

「そうだな……辞めんなよ、ユズカ。来年も同じクラスになろうぜ」


 まかせなさい、とユズカは再び得意気な顔を見せ、思いっきり胸を反らした。無防備にも程がある。


「おいユズカ、ノーブラでそんなカッコすんな」

『うひゃっ、コガケンのえっち!』

「見たくて見たんじゃねー! 見せるなっつってんだよ!」


 ユズカは胸の前で腕を組みながら、ラッキースケベですなぁうへへ、と品のない声で笑った。これは俺、完全に男だと思われてないやつだな。いいけど。


「それより俺に、秋アニメを語らせろ! 今期ガチで豊作すぎて死ぬわ!」

『その前にっ、まほペン最終回の感想もまだ聞いてなかった気がする!』

「それは原作新刊の話もしたいから後だ!」


 中学二年生の秋、自室でパジャマ姿の女子と、真夜中のビデオ通話。なんか青春してるな……内容がアニメの感想ってのは、ちょっと色気が無さすぎだけども。

 俺たちの初めてのビデオ通話は、明け方までノンストップだった。


 翌朝の通学路、俺は必死で眠気をこらえていた。今頃ユズカはぐうぐう寝てるんだと思うと、アノヤロー、と思わないでもない。

 眠気を振り払えない自分にイライラしながら駅の階段を上り、改札前で鞄に突っ込んだ定期券を探していると、誰かに背中をバシンと勢いよく叩かれた。


「おはよーコガケン、駅で会うの珍しいね」


 振り返ると、ショートボブの髪に紺ブレザーの、飽きるほど見慣れている姿があった。江川エガワ央子ヒロコは一緒に「お受験」を乗り切った幼馴染で、俺と同じ桜川学園に通ってる。クラスは残念ながら別だ。

 ヒロのいるG組は、幼稚園からずっとエスカレーター式に進学してきた生徒の、その中でもとりわけやる気のない連中の巣だ。中受組でG組とかマジでありえない。どうやらヒロは受験が終わった途端、脳が勉強を拒否してるらしい。


「結構ギリギリの時間だけど、今朝は執行部室に寄らなくていいの?」

「寄らなきゃいけない規則があるわけじゃないから」

「ふーん、まぁたまにはノンビリもいいかも」


 ヒロが先に改札を抜けて行き、ようやく定期券を発掘した俺が後を追う。ヒロは当たり前のように待っていてくれた。次の電車が出るのは二分後、いつも乗る電車より一時間遅い。


「昨日、あんまり寝てないんだよ」

「また明け方までネトゲしてたの? 何だっけ、スターストーリーズだっけ」

「スタストは最近ログインしてないな、勉強ついてくだけでギリギリだしさ」

「嘘ばっか、テスト順位ずっとヒトケタのくせに」

「それを維持するのに必死ってことだよ」


 軽口を叩きながらホームを歩き、乗客を待ち構えている電車へ乗り込む。地方の私鉄の下り線とはいえ、通学時間帯はそこそこ乗客が多い。俺たちは運転室の後ろに立った。

 そういえばさ、とヒロがスマホを弄りだす。またソシャゲの話か、そんなんばっかり遊んでるから成績上がらないんだぞ……と言い掛けた俺に突き出されたそれは、市内にあるレジャー施設「福海シーパラダイス」のオフィシャルサイトだった。トップページに華々しく「シーパラでコスプレを楽しもう☆今年もハロウィンナイト開催!」と書かれている。

 ハロウィンナイトというのは、シーパラで十月最後の週末に行われるイベントのことだ。ハロウィン仕様に飾り付けられた遊園地エリアに、ローカルの芸能人がいっぱい出てくる特設ステージが設けられ、家族連れからカップルまで、思い思いのコスプレをした地域住民がわらわらと集まってくる。規模の大きな秋祭りだ。


「あー、今年もそんな季節か」

「そうそう、そんな季節なんですよ」


 ヒロがニヤリと笑う。嫌な予感しかしない。逃げるなら今だぞ、と俺の中の危機管理センサーが叫んでいる。


「いやぁ残念、俺その日、生徒会の仕事があるんだよなぁ!」

「何の予定も入れないことは、壬生ミブ先輩にお願い済みだぴょん。快く引き受けてくれたぴょーん」

「マジかあの野郎」


 先代の生徒会長に根回し済みとか、ヒロにしては賢い。むしろミブさんから何かを入れ知恵されたのかもしれない。俺たちが幼馴染だってだけで、執行部員が揃いも揃ってアホな感じに盛り上がってたしな……俺たちは全然まったくサッパリ、そういう色気のある感じじゃないんだけども。

 ヒロは俺の肩をベシベシと叩きながら、行こうよ行こうよ、と何度も繰り返した。


「その日のステージ、宮路ミヤジシグマが司会らしいんだよね!」


 美形に弱いヒロが頬を赤らめながら、ローカルタレントの名を口にした。それ目当てなら俺なんか誘ってないで、クラスの女子でも誘えばいいんじゃないのか。シグマファンなんかゴロゴロいるだろうに。


「行くのは構わないけどさ、何で俺なの?」

「ハロウィンナイト、夕方から夜にかけてでしょ? お父さんが心配しちゃってさ、コガケンが一緒なら行ってもいいって」

「つまり親対策か、納得」

「そうそう、でなきゃ誘わないよ」


 ヒロの両親の顔が脳裏に浮かんだ。家族ぐるみの付き合いというのも、こういう時は厄介なもんだ。いわば第二の両親みたいなもので、むげに断ることもできない。

 笑顔のヒロが、それでさぁ、と俺のブレザーの袖を引っ張った。


「場所取りしたいし、早めに行きたい」

「それなら開園ダッシュだな。入場料はお前が出せよ」

「お食事からおやつ、お土産に至るまで、ぜーんぶ奢らせて頂きます!」

「……ヒロ、そんなに金持ってんのか?」

「お父さんのお金に決まってんじゃん? もう十月なのに、お年玉なんか残ってないよ?」


 ヒロは平然と、おじさんが頭を抱えそうなことを言った。

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