第50話「アーリャ3」
カルデラの壁を超えると、青々しい森が広がっている。
カルデラ内は木々さえ点々としか生えていないが、一歩出るともはや別世界だ。
この肥沃さがカルデラ内にあれば、三ヵ国の争いなどなかったかもしれない。
いや、そんな簡単に争いなどなくならないな。
今まで見てきた。戦争がどういうものかを。
そんな簡単な話ではなかった。
木から、メアリ王女とアリス、ウィールを下ろす。
カルデラの壁を越えるために、国軍が造った防壁の足場を利用しても良いと思ったが、マジカで木を生やし、その枝に乗せた。
目立ちたくはないし、何より時間が惜しい。
多少危なくとも、時間を優先していく。
その間も、メアリ王女は相変わらず砂鉄の箱をまとって姿を見せない。
不安を隠すためだと思われるが、視界が狭くて、そっちの不安のほうが強いような気もする。
そう思って見ていたら、王女が、着地時に足がふらついたようだ。
王女を覆っていた箱がサラサラと崩れ落ちる。
一瞬、王女の姿が見えた。
「………!」
驚いた顔をして、すぐ箱を形成させた。
一瞬だったが、顔が見えた。
顔に見せられないような傷でもあるのかと思ったが、違った。
王ゆずりの整った顔をしている。
何を隠そうというのだろう。
身だしなみを正せば、幼いながらに王女の風格すら感じるというのに。
……いや、心か。
「ここから、獣族の巣を見つけ出すのは困難ですね……」
ウィールが森を眺めてそう言う。
「獣族のような大きく、比較的、大所帯の集団生活をする生物は、生活範囲も広くなり、それなりの痕跡を残すものです。併せて走り去った獣人の痕跡をたぐれば、そう難しいものではりません」
「そう言えるのはアーリャさんだからですね……」
そんな会話を交わしていると、遠くで鳥が慌ただしく飛び立ったのが見えた。
向こうで何かが起きている。
もしや、殿下の身に……!
「ここより西南の方向に何かが起きています。様子を見に行きましょう!」
進むにつれ、獣族の痕跡が目立つようになってきた。
餌を捕獲するときについたと思われる傷、獣族のフンもある。
特に、移動する際についたと思われる枝のしなり。
最近ついたものだ。
しかも、太めの枝もしなりが見えるということは、何かを抱えて移動した獣人がいたということ。
近い。
それから間もなく、何かが争い合う音が聞こえてきた。
獣人が狩りをしている音ではない。
「急ぎます……! 戦闘が起きてる!」
獣族と戦闘になれば、ただでは済まない!
「これは……」
到着すると、目の前には、第二王子の軍が獣族と戦っていた。
殿下の影を捜すが、見当たらない。
ほっと胸をなで下ろす。
3人に目配せして、とりあえず木の陰に身を隠す。
嗅覚にすぐれる獣族に、隠れるのは無意味だが、今は戦闘中だ。
今のうちに、現状を把握する。
第1王子の話を思い出す。
第2王子が殿下を救出しにいったと。
第2王子の部隊が獣族と接触したか。
どれくらいの規模かは分からないが、第2王子の判断で動かせる兵士などそう多くはない。
そんな小隊が獣族の巣に入り込もうなど、無謀としか思えないのだが……。
全国の上位クラスで編成した部隊でようやく、獣族の一集団と渡り合えるレベルだ。
戦略はあるのだろうか。
しかし、これはチャンスだ。
今回の作戦では、陽動役が必要だった。
陽動に適したメンバーはここにはいない。
その代わりを第2王子部隊がしてくれている。
これを利用しない手はない。
「アリスの出番はなくなったかもしれません。しかし、不測の事態に備えるのを忘れないでください。獣は火に弱いです。アリスが頼りです」
幼い子どもにこのような言葉をかけることに罪悪感を感じる。
しかし、事実。
この部隊でアリスは貴重な戦力だ。
私の言葉にアリスは何度も頷いてくれた。
「ウィール、メアリ王女、作戦決行です。先ほど説明した通りに実行してください」
「分かりました」
ウィールは空に手をかざす。
王女は箱ごと小さくなった。うずくまって地面に手をかざしているのだろう。
やがて王女の金級魔術により、土がうっすらと白み始める。
そこにウィールの雨が降り注ぎ、土と白が混ざり合い、灰褐色を帯びていく。
雨は私の頭上にも降り注いでいた。
顔を上げるとやや火照った顔の輪郭をなぞり落ち、肩を濡らした。
「こちらも始めます」
土に手を伏せて、全神経を集中させる。
地脈と、土と、水と、金属と、空と、木の流れを意識する。
すべてのエネルギーを一点に集中させる。
それは、すぐに芽を出した。
一筋の茎に一枚の葉がつき、それが2つに分かれ、その又から発芽点が顔を出す。
やがて茎は大きくなり、葉はいくつも生え、発芽点は大きなつぼみになる。
そのつぼみが開くころには、私の身長などとうに超え、開ききった花は私を飲み込まんとするほどだ。
花弁には毒々しい棘がついており、花柱はうねうねと動き回り、雄しべは収縮を繰り返して胞子をまき散らしている。
『マジカだから、どこでもなんでも生やせるんだと思ってました。最初見たときは先生の手から生えてましたし』
殿下。
あの植物はシイラギの木と言って、マジカを栄養として生長できる植物なんです。
木とは俗称で、菌類ですけどね。
植物には、土が合う合わないがあるのです。
木系魔術だからと言って、なんでもできるわけではありません。
マジカは自然に従います
『そうですか、マジカだとしても土が合う合わないがある……ん!? 』
どうしましたか?
『……いえ、あの、もしかしたらですが、この国の農作物の収穫量をあげる方法を思いつけたかもしれません。いや、思いつけたというか、思い出したというか』
農作物の収穫量をあげる?
そんな方法があるのですか?
『土を変えるんです』
土を変える?
変えられるのですか?
『前世の世界ではそうしていました。栄養が足りない土には栄養を与え、土の性質が違うものには、作物にあった土に作り替えていました。それをこの世界に応用させます』
なんだか、おとぎ話のような話です。
『そう思われるのもしょうがないです。でも、この世界にもあるはずなんです。そういう物質が。見つけます。食べ物がないだけで人が命を奪われるのを見たくないんです』
殿下、私は殿下のお傍にいられることを幸せに思います。
殿下はマジカを使えなくても、奇跡を起こしなさいますね。
『いやいや奇跡とか、そんなめっそうもないです。そもそも、できるかどうかわからないんですから』
いえ、殿下であれば不可能なことを、私には想像もつかないことをしてくれると、そう信じさせてくれるのです。
『おおげさだね、母さんは。あいかわらず』
ミル!?
どうして、貴方が……殿下に……。
貴方が……。どうして……。
………。
どうして……、貴方が、人族の国を守ろうとしているの?
あんなに人間を嫌っていた貴方が。
『母さんが、父さんを選んだ理由と同じだと思うよ』
大切な……
大切なものができたのね。
でも貴方は命が短い人族と違う。
この戦いで、貴方は命を失ってしまうのよ。
『命に長さなんか関係あるのかな』
あるよ。
私はもっと、貴方と過ごしたかった。
父さんとも。
『じゃあ、僕は行くよ。ごめんね、母さん。今までありがとう』
待ってミル!
それは、命をかけるほどのものなの?
命の引き換えにしても守りたかったものなの?
『母さん。分かったんだ。僕はずっと自分が何者か探していたけど、ずっと生きる意味を探してきたけど、大切なことはもっと他にある。そんなことがようやく分かったんだよ』
ミル……、私は、私は、分からないの。
どうしていいかわからなくて。
じっとしていたら、胸をかきむしるような衝動が襲ってきて。
私は人の世界に入り込んだ。
貴方たちが愛した世界に。
そこで私はずっと、貴方たちがいない世界をさまよっている。
見つけられずにいるの。
あげく、貴方によく似た人に面影を重ね合わせて、心の隙間を埋めている……。
ミル、私はどうしたらいいの。
貴方が見つけたことが、少しも見えない。
『母さんはだいじょうぶ。すでに見つけているよ』
「アーリャさん、こいつはいったいなんですか?」
ウィールの言葉でハッとなる。
「アラウラネと名付けられた、眠りと幻想を誘う植物です」
アラウラネの
ウィールとメアリ、アリスともに、しっかりとマスクをつけている。
早く私もつけねば。
アラウラネは、ある地域にしか生息しない特殊な植物だ。
この植物を生やそうと試みたがどこでも芽吹くことはなかった。
もう諦めていたのに、殿下はその糸口をお示しなさった。
『そういえば紫陽花という花があったんですが、これが土の性質で花の色が変わるんです。酸性だと青く、アルカリ性だと赤くなります……って、酸性とかアルカリ性と言ってもわかりませんよね。綺麗なピンク色の紫陽花が、なぜか雨がふるたびに色が青く変わっていくんです。学校は嫌いだったけど、それを眺めるのは好きだったなぁ』
やがて、戦闘の音はやんだ。
アラウラネの瘴気は半径数十メートルにも及ぶ。
生活圏すべては難しいが、この戦闘で集まった多くの獣人を無力化することができた。
今ごろ良い夢を見ていることだろう。
第2王子には感謝したい。
これで、だいぶ獣族を眠らせることに成功した。
なぜ、あれほど嫌悪していた殿下を救うという決断をされたのか。
昔の第3王子であった実の弟が亡くなり、空位になったところに殿下が拝受した。
殿下にまるで罪はないが、殿下相手に激しい感情を抱えてしまうことは理解できる。
それが一転、国に反してまでの殿下の救出活動。
法を外れ、自分の進退……、命すらをも危険にさらし、殿下の救出を優先した。
まったく第2王子の心を推し量ることができない。
その方法自体は決して誉められたものではないが、結果的には殿下救出作戦の重要な部分を担ってもらった。
そして、これからも。
「第二王子をチームに加えます」
一番不安要素だった、獣族との近接戦闘。
この重要なピースが、埋まった。
「え? 第二王子を、ですか? 大丈夫なんですか?」
ウィールが驚いているが、第二王子をツタでこちらに引き寄せる。
第二王子は、首も手足も弛緩させ、深い眠りについている。
用意していた気付け薬を飲ませる。
「ウィール、水を」
「は、はい」
「ぐはっ」
第二王子は大きくむせて、目を覚ました。
「お前は! アーリャ!」
目覚めが良い。
戦闘態勢をとろうとしている力が伝わってくるが、ツタで束縛している。
「オオッ」
第二王子が声を発して力を込める。
驚いた。
このツタを数本でも引きちぎるとは。
「王子、落ち着いてください。あなたの目的と我々の目的は同じなはずです」
「同じ?」
「はい。共に第三王子を奪還しましょう」
第二王子はあたりを見渡しだした。
「そうか。また、俺は負けたのだな」
「まだ勝敗はついていません。勝利にはあなたが必要なのです」
王子はじっと私を見つめた。
「俺は何をしたらいい?」
よし。
「行きましょう。時間がありません。走りながら伝えます」
「待て」
王子が制する。
「俺の兵は、すべて獣族にやられてしまったか?」
「いえ。私のマジカで寝ているだけのものもいます」
「陽魔術師がいる。そいつを起こす時間だけ俺にくれ」
私の知っている第二王子と違っている。
殿下は、人を変える力がある。
「分かりました。私の気付け薬を使ってください」
陽魔術師は無事だった。
サポート役だから、十分に距離をとれていたのが良かった。
「用は済んだ。行くぞ」
「急ぐんじゃないのか?」
第二王子が聞いてくる。
やはり速い。
「彼らは貴重な戦力です。置いていくわけにはいきません。1人抱えていってもらえませんか?」
「ふん……」
ウィールをかついだ。
進んで行くと、辺りに動物やモンスターが無防備に転がっていた。
鳥や虫ですらも。
獣族なども例外ではないだろう。
これは私のマジカではあるが、殿下の協力なしには完成しえなかった。
殿下は、間接的に兄とその部隊を救ったことになる。
そして、人の心もお救いなさる。
ウィール、そして第二王子。
これからこの国も救って行くのでしょう。
殿下。
これが貴方の力です。
殿下にマジカはなくとも、人々を導く力をお持ちになっている。
「待っていてください。私が必ず助けます」
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