第37話「頼まれました」
「この子に、こんな才能があったなんて」
メアリの母親が独り言のように言った。
そして、ベッドの娘の作品に近寄り、手でなぞった。
「すごい……」
母親の手は、ドラゴンのうろこをなぞり、手の造形をなぞり、情熱を秘めた目を見つめた。
「すごい、すごいね、メアリ……」
母親の目には涙がにじんでいた。
メアリは事態を全然把握してない感じで、おどおどしながら母親を見ていた。
「何にもできないと思ってた。そうしたのは周りのクズ野郎だと思っていた。そして……、私だと……。だから、私が守らなくちゃって。何にもわかってなかった、私は……」
母親はそれきり、嗚咽をもらしながら薄いドラゴン像にもたれかかっていた。
メアリはそんな母親に近づき、頬に触れた。
涙をぬぐおうとしているんだ。
「ありがとう。メアリ」
母親はメアリを抱きしめた。
「何にもできなくさせていたのは私。メアリはこんなにも生きてる……」
この親子に何があったんだろうか。
分かるのは、この母親がメアリを守るために奮闘していたであろうことだ。
これ以上推察するのは野暮ってなもんか。
ただ、メアリへの深い愛を感じる。
この世界に来てから思いしらされる。
親の子を思う心を。
現世の圧倒的な貧困を目の前にしても、揺るがないその心。
前世では、愛が無いのはお金がないせいだと思ってたよ。
いや、前世の母親もあいつなりに俺を……俺たち兄弟を愛そうとしてくれてたのかな。
ただやり方がわからなかっただけで。
今はそう信じたい。
ただのついでだった妹訪問が、思ってもみない結果になった。
人と人との出会いって大事なんだな、なんて自己啓発本みたいなセリフを思い浮かんだ。
「メアリさんを僕に下さい」
思わずそう言ってた。
この妹にもっと外の世界を見せてあげたいと思った。
前世の、あの狭い家に縛られた妹のことを思い出したのもあるのかもしれない。
「いいよ。あげる」
「えっ」
「え?」
「いいんですか…?」
まだ、妹を連れていく理由すらも話していない。
「それはこちらのセリフだよ」
「どういう意味ですか」
「分かるだろ。誰とも打ち解けない、目すら合わせられない、話そうともしない。女性としての器量も、容姿へのこだわりも求めようがない。この子には、もう人並みの人生を送るのは無理だと思ってたよ。下心なしに、この子を必要としてくれるなら、これほどうれしいことはない。しかも、あの人の息子だ」
そのあの人から見放されてますけどね。
俺がマジカ使えないとか知らないんだろうな。それに
「下心がないとは言えません」
「どういう意味だい?」
「たしかに僕は妹に会いに来ましたが、メアリさんのマジカを見るまで、連れていきたいとは思いませんでした。つまり、本当にメアリさんのことを思っての発言ではないかもしれません」
母親はふふっと笑った。
なにかおかしかったろうか。
「正直だね。あの人を思い出しちゃったよ。余計、この子をアンタに任せてみたくなったよ」
「そういうものでしょうか」
「うん。そうだよ」
母親が、年相応の笑顔で笑った。
こういう笑顔ができる人だったんだな。
「行かない!」
いきなり大きな声が部屋に響いた。
「私、お母さんと一緒にいる!」
メアリだった。しゃべれたのか。
メアリのほうを見ると、母親にしがみついて首をすごい勢いで振っていた。
そりゃそうだよな。ベッドから出られもしないのに、外の世界なんて。
「この人、嫌い!」
Oh,,,何が原因かわからないが、嫌われてしまっているらしい。
「メアリ」
母親が、メアリのしがみついた手をほどき、握る。
「私じゃ、アンタをここに閉じ込めておくことしかできない。メアリ、行くんだ」
「やだやだ、お母さんと一緒にいる!」
こちらがかわいそうなくらい泣きじゃくっている。
何がこんなにメアリを追い詰めているのだろう。
いや、俺だったわ。
「あの……、まだ幼いのにそんなに強要するのはよくないのではないかと……」
「アンタと年子だよ。一つしか違わないアンタが、一人で視察に来てるんだよ。うちの子にもできる」
視察に来てるわけでも、一つしか違わないわけでもないんだよな……。
そもそも、俺にできるからって自分の子どもにもできると思うのは大間違いだと思うのだが。
この母親もだいぶクセあるな。
子どもを生み育てるというのは、これくらいの強さがないとダメなのかもしれない。
「5歳と6歳じゃだいぶ違う気がしますし、人には得手不得手もペースもありますし」
母親は俺の言葉にちょっと考えるしぐさを見せた。
「それでも、この子は、いつまでもこんな暗い場所にいちゃだめなんだよ」
「さっきはここは天国だと」
「それは私の感じ方さ。この子には未来がある。外の世界がこの子にとってどんなに残酷でも、行かなくちゃいけないんだ」
勝手な言い分だけどね、と母親は言った。
「わかりました。ただ今すぐというのはかわいそうです。しばらくここに通わせていただきます。それでメアリさんに判断してもらいましょう」
「ここに毎日通うって……? この子のために?」
「え? 大した距離でもないですし。それくらい、最低限の礼儀かと」
母親は立ち上がり、膝を地面につけて胸に手を当てた。
子どもにするには敬いすぎる礼だ。
「ありがとう……」
目に涙がたまっていた。
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