目的地:始まりの理由(わけ)前編

 ビアンカとニクシーは、雪の中を、さふりさふりと足音を楽しみながら進んでいた。

 その土地は、ある事情から“白尽地帯”と呼ばれている。

 一年のほぼ全ての期間において、地域全体に広がる森を埋め尽くすかのように雪が積もっていることが名前の由来で、それが無策に訪れる人間の来訪を阻んでいる。当然、積雪地帯に進入するには防寒対策が必須である。

 また、その奥にある危険地帯への進入を目的とする人間は、防寒対策に加えて、魔物対策も整えなければならない。理由は言うまでもないが、土地を雪で覆った元凶によって引き起こされる、強烈な気象現象に巻き込まれる危険があるからだ。

 なお、この土地の危険地帯は、一般に流通している地域図からは抹消され、存在しないことになっているため、この土地を隔離している管理機関への事前通告なしに侵入し、万が一遭難した場合、外部からの救出は絶望的である。

 当然、ビアンカは管理局へと滞在期間等を伝達している。

 仮に滞在期間後に未帰還となっても、その生死を問わず、専門のチームによって、しっかりと帰還できることだろう。

 このような、ある種の『保障』への信頼性は高く、ここを訪れる、もの好きな旅人や修行者、或いは研究者たちが、安心して危険地帯に挑むことが出来るのには、そう言った理由もあった。

「本当、一面真っ白なのですね。ここって…」

「この地帯を生み出した魔神の力の影響だね。冷気と吹雪で、この地帯を覆ったみたいだから」

「強力な存在なのですね。この前の魔神とどちら強いのでしょうか?気になりますです」

「はは。確かに気になるけど、戦うとまずいことになりそうだね。地域の天気が、雨とか雪とか雷で、物凄く愉快なことになりそうだよ」

「そんなに強大なのですか!」

「まあね。そう言った魔神の数は余り多くないけど、大概、恐ろしい力を持っているものだから」

 そのような話をしながら、しんしんと降る雪の中を進んでいく。


 途中で野生動物と遭遇。ただ、緊張感は一切なかった。

 それもそのはずで、出会ったものが尽く、リスやウサギ、キツネと可愛らしい生き物ばかりであり、そのたびにニクシーが嬉しそうに近づいては、逃げられてしょんぼりしたり、運よく撫でることが出来てはしゃいでいたりと、ころころと動きの表情を変えてと言う流れを繰り返していたからだ。

 その様子に、ビアンカも優しい笑みを浮かべる。

「見ている分には微笑ましいけれど…」

 もちろん、たまに見かけたヒグマのような危険度の高い生物には近づかないよう、ビアンカが上手くニクシー導くことで、トラブルを避けることは忘れない。

 しかし、何故か向こうもこちらに近付く様子を見せず、ひたすらに離れていったことだけが、ビアンカには奇妙に思えた。

 そうして、特に大きな出来事は何も無く、森の奥の方へと進んでいく。


 そして、注意喚起のための立て看板が見えるところまで進み、準備も兼ねて少し休憩をとることにした。

「ふぅ…」

 精方術の応用で焚火を起こし、それで暖を取りながら温かいお茶を飲む。体温が維持されることで、多少は疲労を軽減できる。

「それなりに歩きましたけど、あとどれくらいで到着ですか?」

「ここまで来たら、もう少しだよ。そこの看板は本当に境界線だから。越えたら本格的な探索の始まりだよ」

「なんだか、緊張しますです。ワクワクもしますが」

「はは。それくらいの構えがちょうど良いよ」

 二人で温かいお茶と、お茶請けとして用意したチョコを取りながら、この後に必要となる準備も整えていく。

 術に使う触媒は当然として、それに加えて、役割ごとに使うものを別々に準備することも忘れない。

 特に防御と戦闘回避に使うものは、状況に即応できることが望ましいのでイメージを込めやすい物を選ぶ。それは同時に、攻撃術を使用するにも即応が可能であることを示しているが、しかし、一つの触媒で使用できる術は基本的に一つと言う制約があるので、複数用意する必要があるというわけだ。

「これで大丈夫です?」

 ニクシーは、補助術や防御術を優先使用するので、腕輪型の触媒を複数個装備させている。

「うん、それで大丈夫だと思う」

 ビアンカは、攻撃術も使用していくので、その目的に相応しい増幅率を持つ素材の物を一つ。防御・補助目的に使用する物を複数個装備している。

二人して重装備と言えたが、これはビアンカの経験則によって導き出された最適解である。

「それじゃあ、準備は良い?」

「は、はい…です。行きましょう!」

「よし。出発!」

 準備の最終確認を終えた二人は、勇ましく、しかし早足で、奥地へと向かうのであった。


 その場所は、かつては有名な観光地であった。一帯にはスキー場を始め、多くのロッジが造られ、それらを管理する人々の住宅街も合わせて造られたために、それなりの規模の街として栄えていた。

 今は、かつての繁栄はどこへやら。異常気象に見舞われた街は地図から抹消され、その存在を語る人々もほとんどいなくなってしまった。時折、かつての惨事を思い出す者が居たり、噂で知って興味を持ったものが訪れる程度の場所へとなり果てたのである。

「これは……」

 しかし、この場所を一度でも訪れた者は、想像を絶する街の変わりように絶句し、目を見開き、或いは感銘を受けることになる。

 街は滅びたが、それは崩壊したわけではなかった。何故なら。

「街全体が…ガラスで、出来てるです?」

「そう。この現象を起こした魔神の持つ、力によってね」

「ふわぁ…」

 そこには、かつての街の景観がそのまま。全てがガラスとなって保存されていた。住宅街やロッジ、公園などなど。そこに存在する木々や花々ですら。その形のままに、ガラスと化して存在している。

 それでも十分に印象に残るものだが、印象的な部分は、実はこれだけではない。

 街に近付けばわかるようになるが、当時の状況をそのまま推測できる、魔神の力に巻き込まれてガラス化した街の住人や観光客もまた、他の物と同じように放置されていることだ。

 幸いにして、二人が到着した地点からは、それら人の彫像は雪に埋もれて見えなくなっていたが、前にビアンカが訪れた時には、それらを全て見ることが出来た。その時の衝撃は、今も鮮明に思い出せるくらいには憶えている。

「行こう。目的地はこの奥だよ」

「は、はい!」

 二人は山道を下るように歩きつつ、慎重に街へと進入した。


 特に魔物の襲撃もなく、かといって野生動物と出会うことも無く、街の状態以外に大きな変化を感じ取れない。

(ん?何だろう、この違和感…)

 しかし、ビアンカはそれらの異状のない景色に一歩ずつ踏み込むたびに違和感を膨らませつつあった。危険地帯の内部とはいえ、前に街を訪れた時にも魔神以外には襲撃を受けなかったので、魔物や野生動物との遭遇がないことが原因ではない。

「ビアンカさん?どうかしましたです?」

 思考する時の癖で足を止めてしまったビアンカに、後ろをつく形で歩いていたニクシーも足をとめ、首を傾げた。

「ああ、うん。ごめん。色々と順調だから、他に出来そうなことを考えてたよ」

 そう言って誤魔化した。

 他の言い回しもあったと思うが、今は思考の方向性を現状の把握に絞る必要もあったので、そう言う言葉になったとしか言いようがない。

 すると、その時だった。

「あれ?ビアンカさん、ちょっと待ってください、今…」

 唐突にニクシーが声を上げ、ガラス化した木や遊具が置かれている公園の方向を示した。

「うん?」

 ビアンカがそれに従って目を向けたが、そこには変わらずの風景が広がるだけだった。

「どうかしたの?」

「あ、ごめんなさい。今、人影みたいなものが、奥に向かうのが見えたのです…」

「私たち以外にも、誰かが?まあ、十分有り得る話だけど…」

 だが、それは必ずしも友好的な存在とは限らない。この場所には、管理局への通達を行わずに侵入した人間が居る可能性もある。そもそも、この場所が危険地帯であるという事を忘れてはならない。

「探すです?」

「いや、別にいいかな。でも、注意しながら進まないとね」

「はーい」

 結局のところ、違和感の原因については見当がつかなかったので、周囲への警戒を怠らないように注意しながら、街の奥、元スキー場があった場所を目指して進むことにした。


 何故スキー場を目指しているのかと言えば、理由は二つ。

 そこが魔神の力が降臨した爆心地だからと言うのが一つ。

 もう一つは、むしろこちらの方が重要なのだが、そこが、ビアンカが「Nixie」の案内で最後に辿りついた、再開の約束を交わした場所だからというものがあった。

(今、手を引いているのは、私の方か。何だかずっと昔の事に感じられるなぁ)

 感慨深げに胸中で呟く。

(ん?ああ、そうか…!)

 そのまましばらく進み、街も半分を過ぎようとしていた時に、ビアンカは先ほどの違和感の原因に気が付いた。

(聞こえてこないからだ。あの遠くで鳴っていた風のような音が全然…。何で気が付かなかったんだろう?)

 前に、この場を訪れた際には「Nixie」によって引き起こされた「風の壁」現象によって止んでいた風の遠鳴りが、今回は最初から無かった。

 思わず足が止まる。

「ビアンカさん?今度はどうしたのです?」

「……何だか、嫌な予感がするよ。前に来た時と少し状況が違う」

「そうなのです?」

「単なる偶然や思い過ごしなら、良いんだけどね。さあ、もう少しで目的地だ。頑張って行こう」

「は、はい!」

 そうして、いつでも防御術を展開できるよう触媒に術力を通してから、再び歩き始めた。


 住宅街、ロッジ群、スキー場の管理棟と越えていき、その先にあるスキー場跡へと向かう。

 そこに見えてきた景色は、かつてと同じように、程よい冷気が緩く渦を巻く、蒼白い結晶の花が咲き乱れる平原だった。

 また、その場所を囲むように広がっている森も、相変わらずその全ての木々がガラスに置き換わっており、透明感による輝きを放っていた。

「………」

 だが、案の定と言うべきか。そこには、やはり有るべきものが無く、前には無かったものが有った。

 かつて、平原の中央には祭壇のようなものがあり、蒼い光球と、それを包む蒼い光の渦が、そこから空に向けてゆっくりと昇って行く様子が見えていた。しかし、今そこには祭壇こそあるものの、光球も、光の渦も無かった。

 その代わり、中央には一人の童女が封じられている氷の塊が浮遊していた。

「これは、どういう…」

「あの子は…私?どうして…?」

「あっ!?ニクシー!」

 衝動に従うように、弾かれるように走り出したニクシーの背中を追い、ビアンカも走る。

 ガラス質の広がる平原をほぼ全力で疾走するという狂気の沙汰だが、そんなことには構っていられなかった。

 ニクシーが祭壇に駆け上り、氷の塊に密着するように取りついた。その様子は、自分の体を、すぐにでも目の前の「自分」にくっ付けようとでもするようだった。

 ビアンカもその場所に駆け寄ろうとしたが。

「ニクシー…ぐ…ぁっ!?」

 ある程度近付いた段階で体に痺れるような痛みが走り、そのまま弾き飛ばされてしまった。

「う…あぁ!?」

 そのまま弾き飛ばされてしまうとガラス質の平原に転倒。想像するのもおぞましい結果が待っていることは確実だ。

「こ!のっ!てやぁ!」

 ビアンカは触媒の術力をイメージの骨子と共に解放。

 ギリギリで、体の周囲を覆うように透明な障壁を展開する。 そこから一度地面にバウンドするように体勢を変え、その後、さらに体勢を整えて反動を逃がすように着地した。次の瞬間には、障壁によって歪んでいた景色が元に戻っていく。

「ニクシー!」

 呼びかける。大声で呼びかける。何度も、何度も。しかし、声が届いていないようにニクシーは食い入るように氷の中の「自分」を見つめていた。

 そこから、もう一度ニクシーの元へと向かおうと立ち上がった瞬間。持っていた鞄から蒼白い光が噴き出るように迸った。

「うわっ!?な、なに、この光!?」

 それは物理的な影響力でも持っていると言わんばかりに、周囲のガラス質にひびを入れ、、なおも広がろうとしている。

「いったい何が…」

 その時。

「それは、ニクシーの回帰に伴う「セプターの再起動」だよ」

「え?」

 背後から、いやに落ち着いた声が聞こえた。振り返る。

「やあ。すまないね。他の対処に手間取って遅れてしまった…」

 そこには、灰色の髪に銀灰色の瞳を持つ若い女性が立ち、苦笑と共にそのような言葉を上げた。

「あ、貴方は?」

「私かい?」

 ビアンカの問いかけに、その“灰”色の人物が口を開き。

「私は“灰”または“グリージョア”と名乗っている。ニクシーから聞いていると思うけども」

 そう答えた。

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