Small Talk/6 小話「とある英雄の話」
ある春の日の、明るい日差しに花の香り漂う頃。
ビアンカは仕事の打ち合わせを兼ねて、依頼人である行商人と一緒に宿屋最寄りの喫茶店に来ていた。二人は対面する形でテーブルにつき、ビアンカがコーヒーを、依頼人が紅茶を、それぞれ注文して味わっている。
「この店は良いね。特に雰囲気が良い。これなら話も捗りそうだ」
「気に入って頂けたようで何よりです。この街に来た時には、必ずここに立ち寄るんですよ」
「なるほど。確かにここならば何度も立ち寄りたくなるね。紅茶も美味い」
互いに何回か他愛無い会話を数度挿み、飲み物を楽しみ、そして注文したお茶菓子がテーブルに出揃った頃。
「さてと、そろそろ仕事の話をしないといけない。すまないね、どうにも君と話すのが楽しくてね」
満を持しての仕事の打ち合わせと相成った。
「光栄です。では早速ですけど、今回は人物画と風景画の取り合わせということでしたが?」
ビアンカは微笑を浮かべながら、メモを取る用意をする。情報の記録もだが、同時に作画時のイメージをこの時点から考えるためでもある。
「ああ、そうだね。君には、ある英雄の人物画と故郷の景色を書いてもらいたいんだ。そのための話を今回はしようと思っているよ」
「なるほど、分かりました。私がどれほどそれを再現できるかは保証しかねますが、それでもよろしいのですね?」
「その点は心配していない。君の絵は何度も拝見させてもらったからね。だからこそ君に依頼したい。改めて。引き受けてもらえるだろうか?」
ビアンカの言葉に依頼人が頭を下げる。ビアンカはやはり微笑のままで頷く。
「もちろんです。丹精込めて臨ませて頂きます」
「それは良かった。では、大分お待たせしてしまったことだし、話を始めるとしよう。よろしいかな?」
「ええ、いつでも」
「では…。これは二十年ほど前に、私の故郷に実際に居た、ある一人の英雄の話なのだが…」
そう言うと、依頼人はゆっくりと息を吐くと、何かを懐かしむかのように軽く天井を見上げながら口を開いた。
その英雄は余人と同じように育ち、町の牛飼いの子供として動物たちと戯れ、教会で学を得、友を作った。名をグリンと言う。つまりその英雄グリンは、生まれながらにして特別だったと言うわけではない。ただ、幼い時から人や動植物に優しく、人一倍働き、人々から好かれていた少年だったことだけは確かだった。
そして少年期のグリンが十七を迎えたころ。儀式を終え、一人前の男性として町で正式に働き始めたグリン少年に思わぬ不幸が訪れる。懇意にしていたはずの近隣の町を治める領主が、グリンの住む町の長に無法な取引を持ち掛け、それを口実に戦争を仕掛けてきたのだ。
軍による侵攻はすぐに開始され、町は窮地に立たされた、かに見えた。
確かに隣町の兵団は強力な装備を持ち、動きは迅速ではあったが、しかし、彼の町の自警団は侵略の撃退に成功する。その陰には、グリンの一家と親交のあった、とある隊商の支援があった。
町の長はこれに深く感謝し、隊商に素早く自警団への助力を頼み、交渉の末に支援を取り付けたグリンに対し表彰を行った。
数年後。グリンは成人し、幼馴染の女性エメラダと婚姻して夫婦になったころ。本業の傍ら自警団にも参加し始めた彼に再び不幸が襲い掛かる。かつて彼の機転によって撃退された隣町の領主が再び侵攻を開始してきたのだ。
しかし、彼の町も前回の経験を生かして兵団及び自警団を組織していたので、本格的な戦闘にもつれ込む前に撃退に成功し、事なきを得た。
その数日後。この再侵攻に彼の町の長が怒りを覚え、合議の満場一致で反攻を決定。兵団と自警団を統率して隣の町へと向かうことにした。
しかし、情報を集めるために潜入した隣の町は、前回、前々回の侵攻に批判的であり、領主に対して抗議行動を行っている最中だった。これを聞いたグリンたち潜入部隊は、グリンの発案した作戦で状況を利用することを提案。交渉の末、ほぼ無血開城に近い形で隣町のほぼ全ての住民を味方に引き込むことに成功する。
これが功を奏したのか、隣町への反抗作戦はあっさりと大成功を収め、そのまま領主の追放まで漕ぎつけてしまうのだった。
「ふぅむ。何という成功譚。理想的な流れですね。そしてその理想的な流れには常にグリンさんが関わっている、と」
「ああ、そうだね。まあ彼が英雄になれたのは、単純に運が良かったのと、その運が巡ってきた時に、それを見逃さずに掴むことが出来る力があったことによるところが大きいのだろうね」
やはりどこか懐かしむような口調でそう言ったあとに、依頼人の話は続く。
二つの町は再び友好関係を取り戻し、全ては丸く収まった。グリンも町に揚々と帰り、夫婦水入らずの平穏な暮らしへと戻った。しかし、彼の不幸はこれで終わったわけではなかった。
「まだ何かあったんですね。何とも波瀾万丈な人生です」
「うむ、そうだね。うんざり、したろうね」
依頼人はため息をついた。
「はい?」
「いや、何でもないよ。続けようか」
この二度の、ほぼ無血での大勝利は、偶然の重なった結果による奇跡に近いものだったが、何を勘違いしたのか今度はグリンの町の長と議会が、追放した隣町の元領主が治めているもう一つの町への侵攻を決定。口実は後顧の憂いを断つために領主を明確に断罪する必要があるためとした。
「何となくそう言う予感はしていましたが、そう言うことなんですね」
「うむ。愚かな話だね」
互いに苦笑を浮かべる。
これを聞いたグリンは、無用な被害を避けるために、商売を二重の意味での隠れ蓑とした状態で件の町へと急行し、かねてより親交のあった町の商工会へと情報を伝達、今回の件に直接は無関係な住民の避難を速やかに行えるよう準備することを進言した。
その一週間後。計画通りに後顧の憂いを断つという復讐にかこつけた侵攻は開始され、案の定、元領主を逃がさないためと称して町の出入り口を始めとした街道を封鎖したうえでの攻撃を行い始めた。
ただ、町の住民は商工会の事前準備によって用意された避難路を使って、或いは攻撃にさらされないために用意された避難所を活用して、戦闘に巻き込まれることはほぼ無かった。
「凄いですね。機転が利くということ以上に、人脈の広さが」
「彼の一家は牛飼いであると同時に、牛に関わる食品も扱っていたからね。干し肉や乳製品は故郷の特産品だよ」
その話を語る時だけ、依頼人は微笑した。
話は続く。
その後、商業に専念するという理由から自警団を離れたグリンは、妻を連れたまま行商の旅に出て、故郷の町に戻ることはなかった。
「…以上が、私の故郷に実際にいた英雄、グリンの話の全てだけれど、どうかな?」
話を終えた依頼人は、再び紳士的な微笑を浮かべ、視線をきっちりとビアンカへと戻した。
ビアンカも微笑を浮かべ、頷く。
「ええ。凡そのイメージは掴めましたから、あとは依頼人さんが描き方の希望を仰ってくだされば取り掛かれます」
「希望…ふむ。では、仮の話として。妻を連れたグリンがその後どうなったか。二十年後の今の姿を描いて頂くということでは、どうだろうか? 紙は、持ち運びのしやすい大きくないもので。風景についてはお任せするよ」
「…なるほど。分かりました。では一週間後に、先ほどの宿にお越しください。お渡しできると思いますので」
「分かった。では、お願いするよ」
こうして打ち合わせ兼お茶会は終了し、二人は喫茶店を後にした。
その後、二人は最初とは別の宿の近くに来ていた。
「すまないね。ついて来てもらって」
「いえいえ。大事なお客様ですし。それに個人的に気になることもありましたから」
「そうかい?なら、良いが…」
すると、その宿の出入り口で、依頼人と同年代の女性一人と、その子どもと思われる二人の男女が出迎えに来ていた。
「お帰りなさい、あなた。その方が、例の?」
陽だまりのような微笑みをたたえた女性は、その特徴的なその子ども達と同じように、ビアンカを興味深そうに見ている。
「ああ、そうだよ。ビアンカさんだ。うちの子たちと近い年齢だが、もう一人前の絵描きとして立派に活躍している人だよ」
「初めまして、ビアンカさん。ほら、貴方達もしっかりと挨拶なさい」
「こ、こんにちは…」
息子の方は少しはにかみながら。
「こんにちは!」
娘の方は快活さそのままの笑顔で挨拶する。
「はは、こんにちは。奥様も、初めまして。旦那様からのご依頼、しっかりと果させていただきます」
ビアンカも笑顔で一礼し、意思を伝えた。
「主人の思い出を、宜しくお願いします」
「ええ。必ずご依頼の通りに再現いたします」
その後、いくつか他愛無い会話を挟んだあと、ビアンカはその場を後にした。
そして自分の宿に戻ったビアンカは、さっそくデッサンに取り掛かっていた。
「うん。まあ、基本はこれでいいかな。間違ってはいないだろうし」
新しい白紙には、先ほどの家族によく似た一家が、和やかに団らんする様子が描かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます