Small talk/4 小話「旅の途中に出会ったものについての話」

 とある街に向けて伸びる街道の一つを、一人の少女が歩いていた。

 年の頃十代半ばの体を旅装に包み、背には旅の荷物が纏められたリュックサックを負い、肩からは絵筆などが差し込まれた別のバッグを提げている。肩提げ用ベルトには、西方で白色を意味するビアンカと言う単語が刺繍されていた。

 そこの道は、横に視線を向ければ幅広で整った川が、その向こう側には少々高さのある山が見渡せるようになっている。そこを吹き抜ける風は、今の季節からすればとても心地よく、道行く少女の銀髪を優しく撫でて行った。

「そろそろ旅人用の停留所が見えてくるし、休憩したいなぁ…」

 誰も居ない街道の上で呟き、少女は体を伸ばした。

 辺りを見回すと、休むにちょうど良い木陰を作り出している木々が、なだらかな坂にぽつぽつと点在していることが分かる。

「この木のどれか、か、または全く別の場所で一息か…。うーん、迷う」

 迷うと口にしながらも、少女は足早に坂を上って一本の木を目指す。そこを背に座れば、川と山を同時に視界に収められそうだったからだ。

「うん、ここに腰を……あれ?」

 目的の場所に立った少女は、荷物を置こうとして、あることに気が付いた。

「家がある?」

 視線を木の向こう側に向けると、そこに一軒の家が建っている。

 この周辺地域の様式だろうか、少女の見た事の無い造りをした二階建てで、生活感は見えない。

 ただ、綺麗な窓があり、周辺が整備されている様子から、何者かに管理だけはされている事が窺える。

「……」

 少女は、衣服のポケットから蒼銀に輝く指輪型の触媒(注・精方術と言う魔法のようなものを発動するために必要な道具)を取り出し、指に嵌め、頭の中で防御術のイメージを組み上げて行く。

 何者かが管理していると言う事は、その何者かがそこにいる可能性が高いと言うことで、そして、その何者かが旅人に親切な人であれば問題ないが、万が一にでも敵対的な存在だった場合には、下手をするとトラブルに巻き込まれる危険があるからだ。

 ゆっくりと小屋に近付いていく。忍び足にはならない程度の歩調で。

(うん?もしかして…誰も居ない?)

 ある程度まで近付いて、ちょうど「共同休憩所」と言う表札が見えたところで、家の内部から人の気配が全くしないことが分かった。

 少女はドアをゆっくりと開けてみる。無論、警戒は怠らない。

「ごめんくださーい」

 中を窺うも、誰も居ない。

「お邪魔しまーす」

 注意しながら中に入ってみる。罠なども無いようで、特に何事も起こらず、大窓が配された大広間へと到達することが出来た。

(本当に誰も居ないんだね…。でも、掃除も整備も行き届いてる。有難く使わせてもらおうかな)

 少女はさっそく荷物を降ろし、広間に配された大きめのソファーに腰掛けた。その目の前には、先程見えた大窓からちょうど良く外の景色が、具体的には山並みが見える。外が晴れていることもあってか、全体像を綺麗に視界に収めることが出来た。

「うーん。良い景色だなぁ。予定より早いけれど、ここも絵にしようか」

 その景色に感嘆した少女は、絵筆が覗く鞄から画材一式を取り出し、まずは画用紙に鉛筆での描画を開始した。


 それから十数分ほど経った頃。

「うん。お茶も美味しい」

 ある程度の鉛筆描画を済ませた少女は、愛用の水筒から、これまた愛用のカップに注いだ冷茶を楽しんでいた。

「線画も順調に出来上がっているし、今日は良い日だ」

 満面の笑顔を浮かべながら、大窓からの景色を改めて眺め遣る。

 美しい山の輪郭は割と険しく切り立っており、隣隣の山々と、整然と連なる形でそこに在った。

 登るのは困難を極めるだろうが、できる事ならば登山にでも乗り出したいくらいには魅力的な雰囲気を放っている。

「うん?」

 その時、少女は、その険しい山の偉容に違和感を覚え、カップを目の前の卓に置いた。

 さらに次の瞬間。玄関の外に人の接近してくる気配を感じ、少女は思わず立ち上がっていた。

 ドアが開く。

「おや?」

「あ、どうも。こんにちは」

 開いたドアの向こうから、優しげな気性をそのまま容貌に成形したような初老の男が一人、入ってきた。上質な布を用いていると思われるローブを身に着け、その背には荷物を負っている。

「いやはや、ここで若い旅人さんと会うのは、久しぶりですなぁ」

 男はそう言いながら、背負っている荷物を下ろした。

「そうなんですか?」

 少女が尋ねる。

「ええ。ここ最近は、自動機械の運搬車両が運用されているためか、ここまで徒歩で来る旅人さんは少なくなりましてなぁ」

 そう言って、男は何処か寂しそうに笑って見せた。

「旅人さんは、徒歩がお好きで?」

「ええ。良い景色を見ながらであれば、特に」

「なるほど。であれば、この周辺の風景は如何でしたかな?」

「それはもう、大満足ですよ。特にあの、“お城をそのまま山にした”ような山脈は、芸術的な魅力を感じますし」

 少女は、大窓から見える景色に目を向け、笑った。すると。

「ほほう?旅人さんは、あの山が、お城に見えると?」

 少女の言葉に男は、何処か嬉しそうに、それでいて心底驚いたような表情を浮かべながら、少女に問いかける。

「え?ええ。私は絵を描きながら旅をしているのですが、先程、お茶休憩をしているときに思ったんです。あの山は整いすぎていて、まるで城のようだ、って」

「ふむ、なるほど…」

 男の問いかけに答えた少女の言葉を、彼は納得したように受け止めて、肯いた。

「旅人さん」

 そして、一言の前置きを挟んだ。

「何でしょうか?」

「この後。私が荷物を整理し終わった後で、少しだけお時間頂いても、宜しいですかな?」

 前置きの後、男はそう言う提案をした。

「ええ。構いません。停留所の時間には余裕がありますし」

 断る理由は無かった。

 休憩時間をより充実したものとするために、少女は提案を快く受け、男の荷物整理の間はソファーに座って待つことにしたのだった。


 そして。

「ふぅ。さて、あの山には、とある伝承がありましてな」

 荷物整理の終わった男は、少女の、向かって右側のソファーに腰を下ろして、自前のお茶を片手に話を始めていた。

「伝承、ですか?それはどのような?」

「あの山は、とある王朝の宮殿が魔法の力によって変貌したものだ、と言うものです」

「魔法で…ですか?」

「ええ。にわかには信じ難い伝承ではありますが」

 そうして始まった話は、少女の予想を上回る規模の伝承だった。


 かつて、この地域には、小さいながらも魔法技術で隆盛を誇った国があった。

 無尽蔵に等しいルナミスによって行使された魔法の力は、食料生産、領土維持、軍事力、果ては芸術品や嗜好品といった物にまで、多方面に渡ってその国を支え、繁栄をもたらし、険しい地形や多くの自然的な試練に囲まれながらも、長らく平和を謳歌した。

 しかし、その平和も永久には続かなかった。

 国の魔法師が、更なる技術の発展と領土拡大のために行ったとある実験の影響で、国中から魔法の力が減衰。加えて、同時期に突如現れた謎の存在の干渉によって、宮殿を含む領土の全てから、無尽蔵と思われていたルナミスが突然に力を失い、国中から、魔法の力が完全に消え去ってしまうと言う現象が起こった。

 その後、抵抗力を失った国に対し、謎の存在が放った未知の魔法によって、領土全域が岩や木々等に変えられてしまったと言う。

 こうして、魔法の力によって永らく隆盛を誇った国は、僅か数日で滅び去ったのだった。


 要約すれば、その様な伝承である。多くの旅の経験を持つ少女にとっても、初耳の情報ばかりだった。

「何だか、凄まじい興亡記ですね…」

「そうでしょう、そうでしょう」

 少女の素直な反応に、男が満足そうに微笑む。

「私も、最初この話を聞かされた時、事の真偽の別を考えられず、その謎の存在が怖くて仕方なかったものでしてな」

 微笑み、更にうんうんと頷いた。

「恐らく、今の世に言う魔神の一柱なのでしょうが、当時、その魔神と言うものを詳しく知らなかったこともあって、今も彷徨っているとの話もあるその謎の存在が、そのうち自分の住む場所を襲ってくるのではないかと不安になったものです。いやぁ、お恥ずかしい限り」

 そう言って男は、今度ははにかみ笑いを浮かべてみせた。

 少女は無難に「仕方ないですよ」と、気遣いの言葉を掛ける。

「魔神は強大ですからね。私も、目の前で遭遇した時には、腰を抜かしそうになりました」

 そして少女は、冗談めかしてそう返した。

「旅人さんは、アレと…魔神と直に遭遇した事があるのですか!?」

 その少女の発言に、男は当然驚き、その感情の動きは声音にも表れた。

「まあ、直接出合った事は一回だけ、それもかなり特殊な魔神でしたが、近くで見た事なら、それ以外に二、三度ほど。まあ、自分から遺跡へと足を運ぶ機会も多いので、そう考えると少ない方かと」

 少女は苦笑した。

「なるほど…。しかし、気を付けなされ。旅人さんの身に何かあれば、悲しむ人も居られるでしょうし、折角の、作り上げた作品も無駄になってしまいますからな…」

 男は、心から少女の身を案じていると思われる言葉を掛ける。

「ええ、有難う御座います。個人であれらと一戦交える事は死を意味しますから、出合いそうな時は全力で、かつ密やかに逃走するようにしていますし、そこは多分、大丈夫ですよ」

 やはり無難に言葉を返し、少女は新しいお茶を自分と男のカップに分けて注ぐ。

 男は「是非、そうしてください」と笑い、お茶の礼を言い、伝承を熱く語ったことで起こった渇きを癒すようにお茶を喉へと流し込んだ。


 二十数分後。

 休憩を終え、小屋で男に話の礼と別れの挨拶を済ませた少女は、定期便の停留所に向かうために最初の街道に戻っていた。

 そして、改めて件の山を見やった。険しくも美しい姿が、悠々と麓を流れる川の水面に投影されている。

「うん。綺麗な山だし、川との取り合わせも美しい。これはもう、一個の芸術作品と言っていいかもね」

 少女は、歩きながら景色を目で追い、満足げな表情を浮かべる。そして、先ほど描いた風景の線画について、男の話を思い出しつつ、どう仕上げたものかと思案を始める。

「ああ、そうか。そうだなぁ…。うん、これにしよう」

 何かに納得したように笑みを浮かべ、少女は向かった。

 向かうべき、何処かへと。

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