第30話 思い出話と継承されたもの

 少し、私の失敗談を紹介しよう。

 旅人にとって、旅における失敗は日常茶飯事であり、大体において、それは特筆すべきものとは言えないが、今回に限って話すことについては、まさに大失敗とでもいうべきものだった。

「何だか壮大な始まりですね、ビアンカさん」

 私がそう話し始めると、私に対し、これまでの旅の中で、何か危険度の高かった話はないかとねだった友人のヴィオラが、楽しげに微笑を浮かべた。

 もちろん語り口の仰々しさは演出の意味も強いが、しかし、これから話をすることについて言えば、そう大袈裟な演出とも言えなかった。

「それじゃあ、本格的に始めようか。あれは…」


 あれは、一年ほど前に、依頼でとある遺跡を訪れた時の話だ。

 その遺跡は、魔法文明時代の中期に作られたと思しき祭壇と、それを納めた神々しい神殿。そしてその周りを囲むように広がる美しい街と城壁の跡で構成されている、歴史遺産とでも表現するべきものだった。

 ただし、観光地のような景観に反して、未だ魔物が一定数うろつき、放置された自動人形が時たま道を巡回している場所でもあった。お世辞にも観光資源として使えるものではなく、武者修行の武芸者や、物好きな旅人や、宝を求める冒険者が訪れる様な、まごうことなき危険地帯である。

 さて、私は、その場所の調査と、可能ならば風景を絵に描いてきてほしいという、とんでもない依頼を遂行するべく、他の冒険者と連携して遺跡を進んでいた。魔物を避け、自動人形をやり過ごし、進むべき通りを、路地を、逐一変えながら。

 そうして私たちは、街の中心部、つまり神殿の付近へとたどり着いた。


「そこまでは順調だったと言うことですね?それにしても、危険なことをなさっていますね。命がいくつあっても足りないですわ…」

「まあ、それが私の仕事の一つだからね。そう言うこともあるさ。さてと、確かにここまでは、と言うよりも、神殿の調査までは順調だったんだ」

「うん?」


 調査は比較的順調に進行した。祭壇に祀られている神格について。どのような供物が捧げられていたのかについて。神殿そのものの構造や建築様式について。などなど。

 魔物の襲撃も、自動人形との遭遇もなく、危険度の高さのわりに、このまま脱出まで何事もなく終わるものと、私を含めてその場に居る全員が確信していた。しかし、現実はそう甘くはなかった。

 調査を終えて、慎重に神殿を後にした私たちの目の前に、旅人たちに“大鎧”や”シラーハ”と呼ばれている魔神が降臨したのだ。


「ええ!?魔神“大鎧”が目の前に現れたのですか?」

「あー、うん。本当にびっくりしたよ。今になって思えば、人の手が入っていないそれなりの規模の遺跡なんだから、魔神が居てもおかしくないって分かりそうなものなんだけどね。まあいいか。ともかく、私たちは魔神と遭遇した。しかも目と鼻の先の距離で…」


 絶体絶命と言えた。この“大鎧”と呼ばれる魔神は、魔神の中では定住地を持たず、能力も下位に位置すると言われているものの、通常、無策で魔神と敵対することは死を意味する。 

 それがどのような位階であれ、魔神とは決して戦わないと言うのが旅人の常識であり、万が一遭遇した場合には、全力をもって逃走を図るべきとされていた。当然、私たちも即座に逃走に…移れなかった。


「突然の遭遇で思考が固まっていたんだね。一瞬どうしたらいいか分からなかったよ」

「それで、どうしたのですか?」

「もちろん、体が動くようになってからは、即座に逃げたよ」


 ただ、回復したは良いものの、逃げ方が不味かった。

 余りにも唐突な遭遇だったため、全員がバラバラの方向に逃げてしまったのだ。私もまた、他の冒険者とは違う方向に全力で逃げてしまった。だが、それが功を奏したのか、魔神の脅威から逃れることには成功したようだった。

 しかし、それで終わったわけではなかった。

 落ち着きを取り戻した私は、事前に決めていた、緊急時の合流地点を目指して通路を進んでいたのだが、何回目かの曲がり角を進んだその先で、不運にも戦闘態勢を整えた魔神“大鎧”と鉢合わせしてしまったのだ。


「いや本当、血の気が引いたよ…。退路がなかったし、生きた心地がしなかったなぁ」

「お察ししますわ。そ、それで、その後どうやって?」

「うん。まあ、可能な限り精方術で抵抗はしたよ。気休めくらいにしかならなかったけどね」


 戦おうにも術は効かず、逃げようにも退路はない。それでも抵抗した。悪足掻きと理解していたが。

 そして私は完全に追い詰められ、もはや死を待つしかないと諦めかけた、その時だった。

 私の鞄の中から青く淡い光と冷気が噴き出し、青い吹雪の渦として魔神“大鎧”に向けて吹き荒れたのだ。


「え?それって…まさか」

「ええ。前に話した魔神“白塗”の起こしていた現象そっくりだったよ」

「そ、それで、どうなったのですか?魔神“大鎧”は?」

「落ち着いて。うん、続けよう」


 光と吹雪が収まった後、そこには凍り付いて動きを止めた魔神“大鎧”と、同じく凍り付いた石壁や石畳が、呆気にとられている私と共に残されていた。

 しかし、直ぐに事態が好転したことを察した私は、混乱する頭と急速な気温低下で震える体を抱えて、その場を後にしたのだった。


「こうして私は、何とか無事に他の冒険者たちと合流。帰還を果した、と言うわけね。めでたし、めでたし」

「……何と言いいますか、色々な意味で驚きの連続でした。まあともかく。ビアンカが無事で良かったですわ」

「そうだね。本当、その通りだね」

「それにしても、先ほどの話に出てきた青い吹雪は……」

「うん。まあ、その後に調べてみたら、あの魔神“白塗”の童女からもらった、銀の指輪から起こった現象だったよ。入れ物が開いていたし、雪が付着していたからね。まず間違いない」

 そう言って、私は鞄から入れ物と、件の指輪を取り出した。指輪は今もなお、透き通った水面のような輝きを見せている。

「考えにくいことですけれど、魔神“白塗”の力が、友人である貴方を守ろうとしたのかもしれませんわね。魔物には、分からない部分、不可解な部分も数多いですから」

「そう、なのかな?」

 ヴィオラが微笑む。私もまた、微笑みを返した。

 真相がどうであれ、起こったことは事実であり、それが全てだった。そう言うことにしておいた方が幸せなのかも知れなかった。

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