第3話 瑠璃色の塔と死者の街のはなし

 少女は、旅の途中で、とある辺境の森の中を歩いていた。

 周囲は鬱蒼とした緑と、それに伴う薄闇が満たしており、しかし時々に差し込んでくる隙間からの光が、不自然なまでに整えられた地面を微かに照らしてもいた。

 奥からは風が絶えず流れており、木々の葉を揺らし、涼しげで心地よい音楽を耳に運ぶ。

 その森は、時々何かの声が響き渡るという噂から、旅人の間では冥府へと繋がる道があるとか、天国へと昇る階段があるとか、或いは奥に死者の集まる国があるだとか、眉唾ものの伝承が多い場所として知られている。

 その所為か分からないが、好んでこの場所を訪れようとする旅人は居ない。

 好奇心旺盛に旅を続けていたその少女も、ある物が見られると言う情報が得られなければ訪れる予定は無かったほどだ。

 奥に進むに連れて風は緩やかになり、逆に、差し込む陽の量は増えていく。

 あと、少々距離はあるが、目の前に開けている空間が見えている。白く、輝いており、その先が光で満たされていることが分かる。

 万象を読むと称される精方術による浮遊術に頼らなかったために、ここまで結構な距離を歩いてきたが、このまま進めば、程なくそこにたどり着くことが出来るだろう。あと少しの辛抱だ。

 その先に何があったとして、それが、もしも、死者の国であれ、冥府への扉であれ、天国への階段であれ、きっと今、自分の足に感じている疲労感を消し飛ばしてくれる感動的なものが待っていることだろう。そう期待して。

 歩を進める。

 先程、光で満たされた空間を視界に収めてから数えて、大よそで十五分ほど。

 少女は、その開けた空間の先へと飛び出していた。

 正確には、地続きの出口に当たる場所に辿り着いただけなので、別に空へと舞い上がったとか、断崖絶壁からの自由落下を楽しむ人々のような、清々しい投身を決めたわけではない。

 薄闇の中から光の中へと急に出たことによって起こった生理反応の事を、そう表現しただけに過ぎない。

 その現象の名前は、一般的においては忘れられて久しいが、今も一部の識者が知識として伝えていることもある。少女も、その知識を事前に得ていたので、この急速な変化に驚くこともなく、目の前の光景に集中することが出来た。

 そこにあったのは、一段下がった地形に展開する、天を衝くような高さを持つ透明感のある瑠璃色の塔を中心として形成された、レンガ造りの家々が立ち並ぶ多数の集落だった。

 それを見た瞬間。少女は即座に鞄から画材としても使える紙の束と、使い込まれた鉛筆とを取り出し、デッサンを始めた。

 少女は、旅する探検家であり、また、ビアンカと言うペンネームで活動している風景画家でもあった。知名度はそこそこ。

 ただし、西方において「白」を意味する単語であるその名前は、少女の本名ではない。画家としての活動を始める際に、彼女がそれらしい名前として設定したものに過ぎず、誰も本名は知らなかった。

 次々に線が、模様が、紙の上に描かれ、景色の転写と脚色が進行する。

 ただの線が意味のある形を結び、模様が形に実像を与え、一つの景色が完成していく様は、モノクロの状態を除けば、あたかも魔法であるかのように感じられる。

 少女は、そのまま三十分ほど、そうして絵を描いていた。

 受けた印象をそのまま絵にすることを信条とする彼女には、その瞬間が何よりも大事だったからだ。

 そして、ある程度の形になるまで線画を仕上げた後に、椅子代わりにしていた岩から腰を上げ、少し離れた場所に見えている門に向けて歩き始める。

 周りの家々がレンガであると同じように、その門も、遠目には家屋と同じ造りに見えた。しかし、近くでそれを見ると、門を囲う部分はレンガで造られていたが、門の扉そのものは、レンガではない別の何か。それこそ金属のようなもので造られていた。

 触れてみる。

 日差しに曝されているにも関わらず、門は熱など無いかのように、ひんやりとして冷たく、当初の予想通りに金属に触れた時のような感触が伝わった。

 次は、そっと押してみる。

 元から少しだけ開いていたと言う事もあるのか、金属とは思えない軽やかさで押し込まれていった。

 隙間から中を見る。

 中は、最初に見たレンガ造りの家々が並び立つ光景が広がっている。人は居ない。

 少女は、周囲の安全を確認した後、精方術の防護術を簡単に施した上で中へと入った。


 そのまま、真正面にそびえる瑠璃色の塔を目指すように通りを歩いていく。

 何処にも人は居ない。ただ、風に乗って、何処かから聞いたこともないような言語で話す、何者かの声は聴こえた。

 結局そのまま、瑠璃色の塔に着くまでに誰かと出会う事はなかったが、人同士が話し合うような声や、歌うような声は聞こえ続けた。

 それは非常に奇妙で、興味を惹かれる現象ではあったが、少女は真っ直ぐに瑠璃色の塔の内部へと向かうように伸びている石畳を歩いていく。

 過去に、亡者の巣窟に足を運んだことのある彼女からすれば、事前の噂通りに、この場所が死者の国や冥府に近いのならば、そう言う事も起こり得るし、アンデッドの巣窟になっていたとしても、何ら不思議ではない。

 それを抜きにしても、少女の目的は、あくまで目の前にそびえる瑠璃色の塔を探索することであって、集落の事情を調べることではなかったのだから、足を止めこそすれ、そちらに向かう理由は無かった。

 少女はそのまま、芝も綺麗に整備された石畳を歩き、見上げてもまだ足りないほどに高い塔へと歩く。

 近くで見上げてみる。やはり高い。雲を突き抜けているのではないかと思えるほどに高い。

 もしも、この塔に屋上があるとして、そこから見える景色は、きっと目が眩み、視界が霞むほどに綺麗なのだろうなと、少女は夢想した。


 心躍らせながら、中へと入る。特に誰かが居るわけではないので、あっさりと入ることが出来た。

 そして、その一人で廻るには広過ぎる空間にあったのは、大きく吹き抜けた構造に合わせて組み上げられた空中回廊と、格子状の柵に防護され、空中回廊や塔の中心を貫くように太く伸びた、無数の歯車が組み上がることで成立している、磨き抜かれた金色の柱だった。

「わぁー……」

 少女は、思わず呟き、息を呑む。

 先程も言ったように、少女は旅の探検家である。

 勿論、歯車を用いた絡繰り構造の機械などは目にしたことがあった。しかし、このように、天を貫くように高い塔の中身として鎮座出来る様な、巨大で精緻な絡繰り構造などと言うものには、未だ巡り合ったことがなかったし、その存在も、古い話くらいでしか聞いたことがなかった。

 それが今、目の前に確かに実在している。

 未知のものとの出会いを旅の醍醐味の一つとするのならば、間違いなく、今の少女は格別の味を知ったと言えるのだろう。


 辺りを見回してみる。柱と、瑠璃色の壁以外は特にこれと言ったものは存在していない。強いて言えば、何かの文字や記号が彫られた金属板が、壁や土台に埋め込まれているくらいだった

 そのまま見回し、程なく、階段と思われる場所を見つけたので、逸る気持ちをどうにかこうにか抑えながら、足早に向かった。

 階段は、壁の湾曲に合わせて螺旋状に備え付けられており、手すりには模様が刻まれていた。意を決して足を掛け、一段一段、踏みしめる様に上る。同時に、行き先を示すように、手すりの一部が光源となって辺りを照らした。


 見ると、階段は、歯車の柱を周回するように続いているようだ。上へと昇っていく過程で、多方向から周囲を眺めることが出来るようになっている。

 歯車一つ一つがかみ合わさったことで出来た柱は、その全てが、全く違う人間によって組み立てたられたかのように、一つとして同じ景色を作ってはおらず、しかし、その全てが一つの構造体として、美しいまでに成立していた。

 少女は、その光景を心の底から楽しみつつ階段を昇っていく。

 勿論、途中途中にある空中回廊との接続部分で休憩を取りつつ、絵を描くことも忘れない。

「感動と言う感情は、徐々に思い出へと変化して劣化し、真から遠ざかっていく。新鮮な生の感動は、その時々にしか味わえず、表現出来ないってね」

 そう考えているが故に、少女は、出会った時に描くべきと考えたものは、時間が許す限り、その場で線画として書き上げるようにしていた。

 そして、描き終った後は、再び景色を眺めて楽しむ。

 一度見たものも、二度目にはまた違う印象を持つ。三度目、四度目もまた。

 回数が増えれば、今度は思い出と共に再生され、最初とは全く違う色で魅せてくれることだろう。


 塔へ進入してから、それなりの時間が経過した。

 少女は、途中にあったベンチで一服していた。流石に階段を上り続け、絵を描くと言う作業は、疲労する。

 今日の旅のお供は、ルーボスと言う名の赤味のある茶。とある褐色肌の行商人から入手した茶葉を、今朝煮出して、冷やしたうえで水筒に詰めていた。

 味はほんのりと甘く、後味が爽やかで渋味等の癖がほぼないことが特徴。そのためか、原産地周辺では、牛乳や山羊の乳に砂糖を加えて飲むのが一般的らしいが、今回は、砂糖その他の添加物は一切なし。

「ふー…」

 一口だけ飲み、体から力を抜く。心地のいい疲労感で満たされており、ともすれば眠ってしまいそうだった。

 その時だ。

「?」

 歯車の動く音とは別に、集落の中でもたびたび聞こえていた人々の声が、何処からか流れてきたのだ。

 少女は耳を澄ませる。

「……」

 一瞬だけ、気のせいかもと疑ったが、確かに、誰かの声が聞こえた。

 それは会話のようであり、歌のようでもあった。しかし、依然として言語の種類が判然としない。

 最初に、壁や土台に埋め込まれていた金属板を念入りに調べていれば、言語の推定も大よその範囲で行えたのかも知れないが、進入したばかりの時の少女は、逸る気持ちを抑えるのがやっとで、そこまで気が回っていなかった。

「ふぅ…」

 そんな今更の話を持ち出しても仕方がないと、少女は首を振り、もう一回茶を口に運んだあと、水筒をしまって立ち上がる。そして、今度は声を追うように階段を上り始めた。


 そして、しばらく階段を上った頃。

 聞こえ続けていた声が、歯車の柱に接している空中回廊の向こう側から聞こえて来る事に気が付く。

 柱の向こう側が見える位置まで階段を上ってから見ると、狭いが、柵に囲まれた休憩用と思しき空間が設けられており、多数のベンチとテーブル席が備えてあるのが分かった。中央には金属板の嵌め込まれた土台もあり、声も、その土台辺りから聞こえてきているように感じた。

 何やら奇妙な感覚を抱いた少女は、一度階段を上ることをやめ、その場所へと向かうことにした。


 休憩所と思しき空間に足を踏み入れる。

 その時点では特に何もなかったので、早速中央の土台に近付いてみることにした。声も、どうやらそこから出ているようだった。

 そして、埋め込まれている金属板に目を通す。

「えっと…。これは?」

 そこには、二行程度と短いものの、見慣れない字体の文字が彫り込まれている。

「んー……あっ、これは」

 指で文字を撫ぜていくと、幾つか見覚えのある文字を見つけることが出来た。早速鞄からメモ帳を取り出して、見出しに「ヘーリニック語逆引き仮辞典」と共通語で書かれたページを広げた。

 そのうえで、例文や単語から、文章の内容を分析していく。


 数分後。

「えっと。『この歌と声を…円盤として刻み……空と共に暮らす…我が子たちに捧ぐ。悠久の時を経ても……思い出せ……我らは今も共に在る』?」

 そのような言葉が彫り込まれていることが分かった。

 意味はよく分からなかったものの、それらの言葉が、ここを登ってきた何者か、或いは、この塔を利用していた何者かに対して語り掛けているのではないかという印象を、少女は得た。

 少女は、メモ帳を閉じて鞄にしまうと、さて、改めて辺りの探索のために歩き始めようとした。

その時だった。


 突如、中央の歯車の柱が、格子状の柵の展開と共に変形を始め、今までとは別の歯車同士で噛み合わせが組み上げられていく。

 それはどうやら、塔の内部全体で起こっている現象らしく、遥か下や上の方からも、動く音が聴こえて来ていた。

 突然のことに、少女は一瞬動揺してその場に伏せたが、徐々に音が収まり始め、現象が沈静化した後に力を入れ直して立ち上がる。

 周囲を見ると、展開した歯車達は、歩道や階段、空中回廊を避ける絶妙な配置で組み上がっており、仮にこれらが動き出しても、歩行や移動に問題が起こらないように配慮されているようだった。

 安心した少女は、周囲の様子を確認して胸を撫でおろす。

 そして、改めて移動しようとした時。今度は展開した歯車達が回転を始めた。

 再び足を止め、これは、今すぐの移動は無理そうだと諦めた少女は、近くにあるテーブル席に着いて様子を見ることにした。ついでに、水筒とコップ、クッキーを出して並べた。


 歯車が動き始めて十数秒後。

 塔の壁の一部が、ゆっくりと横へスライドして開き始め、外の様子を直接見られるようになっていく。同時に手すりの光源が消えていき、外の光が差し込んできた。

 少女が居る場所からは、目の前が大きく開けたことによって、塔の周辺に広がる集落と森、そして空を同時に見ることが出来た。

 そして、壁の展開が終わり、現象が落ち着き始めた時に、それは起こった。

(これは…曲?)

 自分より遥か上の方から、意味のあるリズムを伴った静かな旋律が聞こえ、しかも、それに合わせて歯車達の回転が少しずつ緩やかになっていく。

 少女は目を閉じ、静かに耳を傾ける。

 その旋律は、塔全体を通じて響き渡っており、しかし耳障りにはならず。実に滑らかに耳に入り、そして体の奥へと沁み込んで行く、透明感のある不思議な音だった。

 それは、聴けば聴くほど、ふわりと浮かび上がっていくような感覚さえ呼び起こし、その場で眠ってしまいそうになる程に心地良いものだった。ただ、曲を聴きたい欲求がある以上は眠るわけにいかないので、お茶を飲んだり、クッキーを食べたりして、抗った。


 そして気が付く。

 最初に聞こえていた声達が、その旋律に合わせてヘーリニック語による歌を歌い始めたことに。

 曲に合わせて、声達が歌を歌い、塔全体へと染み渡らせ、そして。


 最後には、塔だけではなく、集落全体から音が、歌が聞こえ始めた。

 それは子守歌のようで、母親が、まどろむ子どもをそっと撫でるように、優しい歌だった。


 少女は、テーブルの上を片付け、立ち上がる。

 その場で、歌に耳を傾けるのも悪くはない。しかし、冷静になって考えてみると、ここに至るまでにそれ相応の時間を使っているので、早い内に移動を開始しないと仮拠点に戻る前に夜になりかねない。

 それの何が問題なのか。旅人にとってはよくあることではないのか。

 確かによくあることなのだが、不幸にも今は宿泊しているのだ。夜になると、道中の安全が不安になることもそうだが、それ以上に、下手をすると宿の食事にあり付けない、大きなお風呂に入れない等の、少女にとってはまこと切実な事態を招くことになる。

 加えて、一番下の階にあった金属板や模様など、見逃している物もしっかりと確認しておきたい欲求のある状況では、どうしても時間が足りるとは思えなかった。

「うーん…。また明日かなぁ。これは…」

 名残惜しいながらも、固い意思で席を立ち、歌の流れる中で階段を降り始めたのだった。


 足早に降りたことで、上りの半分の時間で一番下まで降り切った少女は、歯車の柱前にある土台に埋め込まれている金属板を見に向かう。もちろん、メモ帳を片手に持って。

「さて…、と」

 その金属板にも、三行ほどの長さのヘーリニック語が彫られていた。

 早速メモ帳を開き、解読に掛かる少女。

「ふむふむ…」

 今度は、すぐに解読に成功する。

「……『かの空から、この大地へと降りる者達。そして、この大地から空へと昇る者達に、歌を捧げる。時を刻め、日を見つめ、昇る者も降りる者も、大地に今ある者達も、等しく共に在らんことを』……か」

 そのような意味の文章が彫られていた。

「ああ、そうか。ここは。この集落は…。あ、そうだ!」

 その文章を見た彼女は、何かを思いついたような表情を浮かべ、その場ですぐに紙と鉛筆を取り出して、線画を描き始めた。

 その間も、歌は響き続ける。


 それから大体三十分強過ぎた頃。少女は塔から出て、集落の門の所に居た。

 流石に歌はもう終わり、塔も元の姿に戻ってはいたが、集落からの声は聞こえなくなっていた。

 少女は、門を押し開けた後、塔を振り返る。

 そこには、変わらぬ姿で佇む、瑠璃色の塔。

(死者の集まる国、冥府へと繋がる道、天国へと繋がる階段か。この噂、あながち間違っていなかったかも知れないね)

 心の中でそう呟き、ふっと笑うと、少女は集落を出て、森へ続く道へと帰っていった。


 後には、誰も居ない、静かな集落と、それを見下ろす瑠璃色の塔だけが残った。

 そして少女が森へと完全に姿を消したあと、出入り口の門がゆっくりと、閉まっていくのだった。

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