ガラス島
三島五郎
第1話
立っているのがやっとの突風をかき分けて、その超高層マンションに向かった。
「東京メトロ有楽町線の豊洲駅から徒歩5分」。新聞の折り込みチラシは、そううたってある。
だが実際には、逆風の圧力を含めて15分かかった。よくあることだが、徒労感が募る。
50階ほど細長くそびえ立つマンションを「タワーマンション」と呼ぶ。
外からは毎日のように見かけるが、さして関心もなかったので中に入ったことは一度もなかった。
ところが豊洲駅の乗降客数が目に見えて膨れ上がっていくのを見て、にわかに興味が湧いてきた。
折しも、居住者のいるタワーマンションの内部を見学できるという新聞チラシが目にとまったこともあり、
早速見物に出かけたのである。
東京駅に面した豊洲周辺は河川や運河が入り組んでいて、小さな「島」がひしめき合っている。
大きな緑地はほとんどなく、申し訳程度の街路樹が頼りなく点在しているだけだ。
タワーマンションが雨後の竹の子のごとく乱立する様はニューヨークさながらだが、あちらは緑豊かである。
朝は黄金色に、日中は空色に、夕暮れ前は燃えるような橙色に光輝くタワーマンションの群れ。
夜は夜で部屋の照明がまばらに灯り、都心の夜景を見事に演出している。
それもそのはず、外環に柱や壁らしきものは見て取れない。ほとんどがガラスの塊なのである。
見学するタワーマンションの玄関をくぐってようやく突風から解放されると、
右側にカウンターがあって、制服姿の女性が二人立っている。
彼女らは「コンシェルジェ」と呼ぶそうだ。宅配物の受け渡しや各種案内を主な業務とし、
ホテルのロビーにいるコンシェルジェを模したのだろう。
通常のマンションなら「管理人」といったところか。
コンシェルジェを通り過ぎると、三階分はある高い吹き抜けをエスカレータで上る。
すると広大なロビーが視界に飛び込んできた。
いかにも高価そうなソファーが贅沢に配置されている。平日の夕方だったせいだろう、
子連れの主婦たちがお喋りに興じている。
ロビーの端には、行き先階層ごとに分かれたエレベーターホールが並んでいる。
ざっと十台以上が稼働しているようだ。目的の47階に送り届けてくれたエレベータは、
音も加速感もなかったが、さすがに降りるときにかすかな耳鳴りを感じた。
このタワーマンションはおよそ800戸を収容しており、
一つの階には20戸ほどの家がビルの周りを取り囲む格好で並んでいる。
それらの内がに同じ格好で「内廊下」が取り囲んでいて、エレベータホールへと繋がる。
内廊下のさらに内側はビル全体の内側を上下に貫く巨大な吹き抜けになっている。
この内廊下が異様に狭い。大人二人すれ違うのがやっとの幅だから、
曲がり角や玄関先で他人とぶつかる可能性もあるように感じた。
ホテルの通路をさらに狭くしたと想像してもらえば分かり易いだろう。
その危険性ばかりが最後まで気にかかった。
いよいよ見学する部屋に入る。まず目に飛び込んできたのは、リビングの巨大なガラスだ。
床面から天井、部屋の左から右、すべてが一枚のガラスである。
表には同じようなタワーマンションが点在し、その先は東京湾を臨む。
窓というよりガラスの壁といったほうが正確だろう。
その壁に近寄って足元を見降ろすと、めまいがする。もちろん窓は開かない。
ほかの部屋には小さなバルコニーがあるが、当然のように禁煙だと説明された。
間取りや眺望は申し分ないし、一見して快適な暮らしを送るにふさわしい設計だが、
全体を通して息が詰まる感覚は終始拭えなかった。
かくして、ガラス島を体感できたことは有意義だったが、
駅から溢れ出る群衆がタワーマンションに吸い込まれていく様を思い浮かべると、
なぜか背筋が少し寒くなる。
ガラス島 三島五郎 @tomastokyo
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