白き獣達―マシンビースト―
めそ
雪国と狼
第1話 雪土竜―ホワイトエイト―
おかしなもので、あり得ないと否定していたはずの選択肢だけが最後まで手の中からこぼれ落ちず残っていた。
軍人になるなら文官になろう。そう決めたはずが、前線を支える兵士になっていた。
生きるためだから仕方がない、だけどいざ武器を手にしたら、怖くて誰も殺せないだろう。そう諦めていたはずなのに、恐ろしく無感情のまま引き金を引いていた。
あり得ない、あり得ないと多くのことを否定し続け、未だに殺人という行為に正義を見出すことが出来ず、しかし、いつ死ぬともわからない真っ白な戦場で彼は、彼の操縦するホワイトスプリングは這いつくばっていた。
「……お前は、なんのために戦ってるんだ」
俯きがちな姿勢で操縦桿を握り、意識的な呼吸を繰り返しながら彼は呟く。
雪のように真っ白なスプリングは、その白さに似つかわしくない人狼を想起させる猫背の人型の機体だった。立ち上がれば引きずるように両肩からぶら下がる異様に大きな両腕と、イヌ科のそれを連想させる爪先立ちの両脚部。
ATLASのセオリーから大きく外れた皇国独自のデザインはあまりにも生々しく動かされ、オオカミの他にライオンやオオワシなどの動物を模して造られたそれらの機体はまとめて『皇国の殺人動物園』などと呼ばれている。
「お前は、なんのために――」
『ホワイトエイト、まもなく作戦開始時刻です』
繰り返し吐き出されていた言葉は、薄明るいコックピットの上部にひとつだけ設置されたスピーカーから再生された合成音声に妨げられた。
ホワイトエイトと呼ばれた彼は大きく息を吐き、外していたヘルメットを被り直す。
「……了解。ホワイトエイト、休止状態から待機状態へ移行する」
その言葉とともにスプリングの顔に光が走り、薄明るかったコックピットをモニターの光が照らし出す。同時に、通信機越しに重火器の音が漏れ聞こえるようになった。
『システムオールグリーン。休止状態から待機状態への移行完了しました。半径一キロ以内に敵機は存在しません』
「ホワイトエイト、周囲に敵影なし」
彼が事務的な言葉を口にすると、ヘルメットの通信機から若い男の声で指示がされる。
『ホワイトエイトは第二ポイントへ移動を開始。到着後、プランCを実行せよ』
「了解。これよりホワイトエイトは徐行速度で第二ポイントまで移動を開始する」
『第二ポイントは降雪により埋まっているため、モニターに地図を示します』
全長十五メートル近いスプリングは地面に伏せたまま北に向けて這いだした。
オオカミではなくモグラを模しているのかと茶化されるほど、ホワイトエイトのスプリングは雪の下に身を隠したままの移動を得意としていた。
その特技は今回の任務でも充分に発揮されたようで、前線が近い第二ポイントに到達しても未だ彼のスプリングは敵機に発見されていなかった。
「ホワイトエイト、第二ポイントへ到達。プランCの実行を開始する」
『健闘を祈ります、ホワイトエイト』
ホワイトエイトはスプリングの腕で雪を除けて地面を露出させてからコックピットハッチを開き、スプリングの胸部から地面に跳び降りる。
第二ポイントとされていた場所には、地下へと続く鉄の扉があった。錆びて脆くなった扉はホワイトエイトが何度か蹴っただけで壊れてしまう。
「ホワイトエイト、進路を確保。プランの進行に問題なし」
ホワイトエイトは滑るように階段を駆け下り、ヘルメットに備え付けられた暗視スコープ越しに地下施設の様子を探る。
そこは、廃工場のようだった。
電気は通っていないようで、組み立て用のマシンやエレベーターのボタンを押してもなんの反応も示さない。しかし、非常灯だけは不自然に点灯していた。
「ホワイトエイト、目標の施設に潜入したと断定。引き続き作戦行動をとる」
ホワイトエイトが手当たり次第に扉を開いていると、施錠されている扉を見つけた。カードキータイプの扉で、彼が侵入したときの安っぽい鉄製の扉とまるで違うステンレス製の分厚い扉はとても蹴破れそうにない。
ホワイトエイトヘルメット越しにカードリーダーに耳を当てる。
「カードリーダーを発見。駆動音がするため、ここが入り口と思われる」
カードリーダーを調べていたホワイトエイトはヘルメットのうなじ部分からから一本のケーブルを引き出し、力尽くで剥がしたカードリーダーのカバーに隠された挿入口に挿し込む。
「システムのクラッキングを開始」
ホワイトエイトが右手の指でヘルメットをなぞったり叩いたりすると、ほんの数秒とかからないうちにカードリーダーから電子音が漏れ出し、分厚い扉が横にスライドした。
「扉の解錠に成功。これよりホワイトエイトはプランCの最終段階に入る」
扉の向こう側は変わらず暗闇ではあったが、しかし扉越しからは聞こえなかった低く唸るような駆動音をホワイトエイトの耳は捉えていた。
ホワイトエイトが音のする方へ向かうと、別の入り口から侵入していた青いパイロットスーツの男がヘルメットを外した状態で立っていた。
「こちらホワイトエイト。別働隊との合流に成功」
「ブルートゥエルブだ。誤差プラス二・六秒で合流」
言い終えると同時にブルートゥエルブは手元のレバーを引く。
ガゴン! と大きな音と共に、暗闇と同化していた黒い機体の顔に光が走り、ゆっくりと頭を垂れながらコックピットハッチを開く。
「ホワイトエイト、未確認機を確認。特徴が一致することから、目標と断定。鹵獲を開始する」
「ブルートゥエルブ、以下同文だ」
ヘルメットを被り直したブルートゥエルブと共にホワイトエイトは二十メートルを超える黒い機体のコックピットに乗り込む。機体のコックピットは事前情報通り複座式で、ホワイトエイトは後部座席に腰を下ろした。
「ハッチ閉じるぞ」
「了解。ハッチ閉鎖後、システムの書き換えを行う」
「了解」
ホワイトエイトはヘルメットから先程とは別の形状をしたケーブルを引き出し、座席の裏に隠された挿入口に挿し込む。
「システムのコピー後、白紙化、次いで書き換えを開始。書き換え完了までおよそ六百秒」
「結構掛かるな」
「ヘルメットのコンピューターが優秀だったらもっと早い」
「俺に替われってか」
「そうだ」
「生憎、システム書き換えソフトはインストールされてない」
ブルートゥエルブはげらげらと豪快に笑い、ヘルメットを外して脇に置く。それを視界にとらえながら、ホワイトエイトはヘルメットをなぞるように両手の指を滑らせていた。
「なんだお前、自動化しないのか?」
「千二百秒追加で待たされたいか」
「はははっ、ホワイト部隊のコンピューターですることじゃねえな」
ブルートゥエルブは頭の後ろで両手を組み、リラックスした姿勢で座席の背もたれを後ろに倒す。
「ホワイト部隊のコンピューターは雪原地帯での強襲用だ。今回のような鹵獲作戦向きではない」
「じゃあなんでここにいるんだよ」
「他にやれる人間がいなかった」
「ん?」
ブルートゥエルブは首を回し、目線をホワイトエイトに向ける。
「知らないか? 雪土竜のホワイトエイト」
「……あー! お前のことだったのか! へー!」
ブルートゥエルブは体を起こし、ヘルメットの遮光グラス越しにホワイトエイトの顔をまじまじと覗き込む。無精髭を生やした三十代男性の間抜け面が突然近付いて来たことにホワイトエイトは思わず顔をしかめる。
「もっとモグラみたいな野郎だと思ってた」
「残念だったな」
「いや、話しやすい奴で良かったよ」
「…………」
ホワイトエイトは体ごと顔をブルートゥエルブから背ける。それをブルートゥエルブはおかしそうに笑い、また手を頭の後ろで組んで座席に寝転がった。
「……お前、なんで戦ってるんだ?」
システムが書き替わるまで予定では残り数十秒のところで、眠ったように黙り込んでいたブルートゥエルブがそんなことを口にした。
「国のためだ」
「皇帝陛下のためって答えると思ってたぜ」
「……皇帝陛下を守ることは国や軍の指揮に関わる。それも含めて、国のためだ」
「なるほどな」
ブルートゥエルブはつまらなさそうに二、三度頷き、突然体を起こしヘルメットを被る。
「あと何秒だ」
「五秒ほど」
「早すぎだ」
その言葉とは裏腹に、ヘルメットに隠されたブルートゥエルブの顔は楽しそうに笑っていた。
「こちらホワイトエイト、鹵獲機のシステム書き換えに成功。これより鹵獲機をゼロセブンと改め、プランをCからDへシフト。ブルートゥエルブと共に戦線から一時離脱する」
『ブルーサーティーン、テン、イレブンはゼロセブンの戦線離脱を援護せよ』
『ブルー部隊、各機了解』
「ゼロセブン了解」
通信の直後、地下施設の天井が轟音と共に崩れ、土砂や積雪、降雪に混ざって二機の青いATLASが流れ落ちてきた。
二機のうち鳥人のようなATLASが右目を点滅させると、それに合わせてゼロセブンのコックピット内部に付けられたスピーカーから音声が流れ出す。
『こちらブルーテン、イレブン。今空けた穴から地上へ出るぞ』
「ゼロセブン、了解した。これよりプランDの実行を開始する」
ブルートゥエルブが光信号で返すと、ブルー部隊のATLASは落ちてきた穴から地上へ出ていく。ゼロセブンもそれを追って整備用の機材を押し倒しながら穴の下に立ち、白い光の粒子を噴き散らしながら地上へ向けて飛び立った。
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