第 参拾弐 輪【風に吹かれて臆病者は前を向く】

 最初の合格から四半刻が経過した頃――


 追い詰められた猿火は他の器官を最大限に活用することで、現時点の情報を的確に得ていた。


 余裕綽々の様子で仁王立ちになりながら微動だにしない。


「ふむ、猿砂の奴め今期も未蕾が居るから油断は禁物だと言っておったのに……なっはっはっ愉快愉快!!」


 大きな掌を顔に当てながら仲間の敗北さえも笑い飛ばす。


 それは、九人に睨まれた中での態度とは到底思えなかった。


(しかし、いくら片足のみとはいえ……俺が担当してからこの〝鬼ごっこ〟を突破した者は過去に三名……その者達を除いても歴代最速に迫るかも知れんな)


 相対するは誰も彼も見知った顔同士ではなく、今日この時この場の即席の仲でしかない。


 しかし、目的は等しく考えることは皆同みなおなじだった。


 無理難題だと思われた猿砂班の合格により、自分等にも可能性があると知っての行動だ。


 能力で劣るなら数で圧倒し安全な勝利を手にする。

 これに尽きこれが現状の最善策であった。


 だがしかし、美味しい展開を目の前にしても尚、先に行くのを躊躇うのはこれまた人としての性。


「ちんたらしてないで早く誰か先にいけよ」


「え、え、合図はないの? 行くの?

 行かないの?」


「はぁはぁ……もし最初に触れちまえば俺の評価もうなぎ登りだぜ!」


 慣れぬ土地と押し寄せる疲労で激しく息が上がっていた。


 それでも、止まることも逃げることも今日を境に許されない。


「 おらおら、覚悟を決めてここに来たんだろう早く行動を移さないかっ!! 他人の顔色ばかり伺うな。自ら率先せねば勝利を掴むことは出来んぞ!」


 辺りを震撼させるほど力任せに吠える猿火。

 その声は皮膚を貫くが如き鋭さで臓器を揺し選択の余地を与えない。


 目と鼻の先で鬼気迫る場面の中、一人だけ参加せずに草陰へ隠れている者がいる。


 初めは一番手に付いていた筈の楓美だった。


(いくら現役の花の守り人だからと言っても多勢に無勢は変わりません。それに、この試験はうちや桜香様にとってあまりにも簡単過ぎますです)


 釈然としない彼女がそう思うのも無理はない。


 花の都外出身の二人にしてみれば、自然との付き合い方は出生から現在まで身に沁みている。


 この場にいる誰よりも速く長く走れる自信がありながらも、一度疑えば思考は大きく乱されていく。


(でも、これはただの鬼ごっこじゃないはず。多分ですが個人の経験値、或いは特性か何かを推し量っている?)


 真に迫ると思われた物でさえ、それでも拭えない小さな違和感の正体。


 そして、まるでこの状況を意図していたかのような猿火の振る舞い。


(うちの予想が正しいなら、次の行動は恐らくですが……)


 固唾を呑み見守る楓美の予測通りに事が運ぶ。


 九人が猿火を中心に少しづつ距離を詰めて行くのが見て取れる。


(ちょっとでも伸ばせば本当に手が届きそうな感覚への誘導。遊びとはいえ一応試験ですから、大胆に隙を作っちゃいますよね。ほら……獲物が掛かった)


「もう我慢出来ねぇ、囲めばどうにかなるさ」


「布切れに触れて合格何て赤子でも簡単よ」


「この人数が居れば負ける気しないね」


「昼飯はどうでもいいがあの顔が気にいらねぇな」


 数の利は人を狂わせ誰もが己の実力や心の余裕だと錯覚させる。


 逆に狩られる覚悟など微塵も出来ていない筈なのに。


 呼吸をも忘れる緊迫でさえ予想を超え始めた。


「う、嘘ですよね?」    


「一、ニ、三、四……七、八。次は片足を直角に曲げ身体は天を向き……」


 翠色の瞳を見開きながら、あまりにも理解出来ない光景に驚きが隠せなかった。

  

 試験中、ましてや次の未来を担う者達の目の前で、有ろう事か日課である体操をし始めののだ。


 まるでさきほど迄の取り合いでは物足りないと言わんばかりの愚行。


 ゆっくりと肺から全身に行き渡るように呼吸を整調。


 指先から足先に至る全ての部位を念入りに動かす。


 有利に立つ九人ですら互いに顔を見合わせ戸惑いを隠せない様子。


(えっこの状況でするか普通!?)


(なんだよ迂闊に手が出しづらくなりやがった)


(周りの人も動いてないし様子見してもいいよね?)


 人は歩む事を止め疑問を優先させる時――もう既に結果と言う事実は背後に迫っている。


 息をも殺して聴覚を研ぎ澄ます楓美は、確かに違和感を捉えてた。


(何でしょうか。これってまさか……あの猿火ひとは自らを犠牲にした言わば餌に過ぎない? 本命は何処か別に!?)


 猿火の策略に辿り着いた楓美は、茂みから身体を前のめりにして叫ぶ。


「み、皆さん 今直ぐそこから逃げてっ!!」


 予想される事態のせいか恐怖心で頭を抑えて屈む。


 嫌な光景を見まいと瞼が自然に閉じられる瞬間――


 中心にいた猿火が一瞬だけ笑みを浮かべた気がした。


 次にやってくるのは地面へ強烈に叩きつけられたであろう鈍音だった。


「ぐっ」


「ぎゃ」


「ゔぁ」


 正に一瞬の出来事としか言いようがなく、地へと伏す姿に哀れみさえ覚える。


「お前等に有利な条件を与えてはいた。しかし、敵を前にして例え言葉が通じたとて、それが信用に値するとは限らない。饒舌な奴ほど死ぬ気で疑え。各自その痛みを持って覚えておくようになっ!!」


(やっぱり、見えていたのは本物ではなく鮮明な残像。あれ程となると繊細で高等な技術が必要……あ、あんなの勝てる気がしませんですぅ)


 当然生きているだろうが倒れた人と自身を重ねる想像で吐き気を催していた。


 それでも涙目になりながら顔を少しだけ覗かせると、最初から居場所が割れていたのか眼が合ってしまう。


「お〜、一人少ないと思えば流石に〝芽吹〟に選ばれるだけはあるな。洞察力が他とは違っ……」


「い、いえっ、うちは……!」


 通常なら判断の優秀さに褒め称えられる場面だが、猿火は思い止まり冷静に楓美の反応を受け止めた。


「いやそうではないようだな。その震え。その怯え。その表情を鑑みるに、只々臆病者で自信の無さが功を奏しただけか?」


「お、臆病者でも弱虫でも空を見上げるのは誰だって平等……貴方に勝つことだってありえます……です!」


「がっはっはっはっ、大層なことを言うじゃないか!! そうかそうか、お前も傍観しているだけで退屈していたろう? どうだ、自身の今の立ち位置を知りたくはないか!?」


「の……臨むところです。うちだって花の守り人になるために遥々一人で来ました。こ、ここで動かないと兄妹達に笑われるです!!」


 刻一刻と鬼ごっこの制限時間が迫る中。

 一瞬で数の利を逆転されてしまい楓美は一人で班を背負い立ち向かう。









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