第 弐拾伍 輪【あなたの言葉を借りるなら】

 先頭から由空、世話役、かなり遅れて吉皐きちこう達は、くだんの〝栗平くりだいらの間〟へと向かっていた。


「早っ、ま、待ってくださいよ〜由空様ぁ。おい世話役めっ! 下手な嘘を付いてこんなところまで来させて前代未聞だぞ〜」


 陰気な嫌味と文句の混在は、何度も何度も反響を繰り返すと同時に前者二人の両耳を通り抜ける。


 日頃から煙たがっていた不快な声も、今の由空には通じず反応もない。


 疑念を抱かれながらも冷静な口調で世話役が優しくさとす。


「失礼ですが吉皐様。この場において大事なのは早さではありません。目的地に辿り着けるかが肝なのです。それから、ここでの呼吸は廃人になってしまう可能性があります」


 現在、由空達の向う場所は先程の〝桃花ももはなの間〝とは環境が大きく異なる。 


 大樹が現存しないため目的地までの通路は、視界全てが大量のこけほこりで覆われている。


 加えて過去の遺物である形容し難い瘴気しょうきは、一度呼吸をすれば身体への負荷は図りしれない。


 歩みを進めれば何とも言えない感触が足の裏を伝う連鎖的不快感も襲う。


 常人ならば発狂してしまうほどの空間がおよそ二十分弱は続き、正常な神経を絶え間なく擦り減らしていた。


「由空様。大変申し訳ありません……これ以上先は訓練の受けていない私には荷が重すぎます」


 順調に進んでいたと思われていたが、通路の三分の一ほどで世話役が脱落。


 更に時が進み半ばほどに差し掛かると、あんなに五月蝿かった後方きちこうからの声も静かすぎるほど止んでいた。


 後ろを振り返らずに進み続けた結果、光明差す出口付近にて見覚えのある人物を発見した。


 疑問を頭上に掲げながら小一時間振りの深呼吸をしてから声を形にする。


「あら、どうしてこんなところに貴女がいらっしゃるのかしら。現在は呉服屋の店主である身でしょ……ねぇ、靜恵しずゑさん?」


 由空の眼前には涼しい表情で壁に寄り掛かる靜恵がいた。


 自身でさえ長時間は苦痛を強いるのにも関わらず、さも当たり前かのように平然としている。


「こほんっ。ちょっと気になっただけですよ。所有者以外は抜刀が許されない花輪刀を抜き、在ろうことか華技まで使用した桜香って子の……本当の価値を知りたくて知りたくて来ちゃいました」


 率直な問いに茶目っ気たっぷりと少しの間を開けて返答。


 ここが本題と言わんばかりに栗平の間へと足を踏み入れる。


 暗闇の中から覗く由空には靜恵の姿が光の中へ消えたように見えた。


「花の都には数百年前の闘いの〝歴史〟が〝血肉〟が〝怨念〟が地中深く眠っています。それを抑制し浄化させるのが始まりの華技により生まれた三大樹の役目。だけど今は桃源樹とうげんじゅしかありません。だからこうして悪い気が顔を出しているんです」


「十二分に承知していますが答えはそこではないですよね。私が呼ばれた意味とあの子に何を期待しているのかを知りたいわ」


「気になるなら、知りたいなら、答えを求めるなら、その足でその意志で踏み出せばいいんじゃないかしら? それこそ気の済むまでね」


 そう言って表情見えぬところで微笑む。


 どこからともなく反響する優しい声に生唾なまつばを呑み込む由空は恐る恐る右手を伸ばした。


 陽の光に包まれたような心地よさと不思議な温かさが全身を駆け巡る。


 そこへ、まるで吸い込まれるように一枚の花弁がてのひらへ。


「どうしてかしら。何物も咲くことは叶わぬ筈なのに……?」


「由空さんの凝り固まった小さな概念を軽々しく壊せる光景が目の前にあるの。それを拝まないなんて烏滸おこがましいにも程があるわよ?」


「いえ、私は結構けっこ――」


 抵抗する間もなく強い力で手を捕まれ中へと引き込まれる。


 朧気おぼろげな思考で眼にしたものは絵にも描けない景色だった。


 しばらくして重装備を携えて遅れてやってきたのは吉皐。


「うおぉぉぉやっと辿り着きましたぞぉぉ! いやはやなんとも長い旅路であった!!」


 一度戻ったのか何人なんぴとも接触しないように甲冑を纏い、瘴気を吸わないための布を幾重にも重ねての登場だ。


 見えを張って大柄な男用を持ってきたせいか視界が狭くおまけに暑苦しい。  


「由空様から大分離れてしまいましたがそれでもきっちりと、おっとっと……。仕事を成し遂げるのが私の良いところ!!」


 大汗をかき千鳥足のように左右へ揺れながら歩いていると、棒立ちになっている由空へと接触した。


 完全に平衡感覚へいこうかんかくを失った吉皐はそのまま地面へと衝突。


 かなり格好悪い体勢のまま鎧兜は離散した。


 「痛たたたっ……ってあれ、痛くないぞ? 変だ。おまけに柔らかくて弾む気がするなぁ」


 全身を強く打ち付けたが不思議と痛くないことに気が付く。


 よくよく見渡せば荒れ地の筈の地面には、辺り一面を覆い尽くすほどの花弁が降り積もっているではないか。


「やややっ、こんな所に桃の花が……ん? よく見たら先端が割れているような」


 両手で掬い取り匂いを嗅いだが違う花の物だと分かるや否や舞うように投げ飛ばした。


 気を取り直して肌着のまま由空へと向き直り叫ぶ。


「それよりもどうしたんですか! こんなところで立ち止まったりしてえぇぇっ!!?」


 あまりの事態に驚愕して大の字で仰向けになってしまい、またもや受け止める花弁の絨毯。


 視線の遥か先、更に上へと続くのは今まで見たことのない巨樹だった。


 「ここでの私語はつつしみなさい。神聖な場所である前に……いま私達はその


 まるで自然の一部のようにささやく由空の声が静かに耳へと届く。


 だが、黙っていろと言われてもそうはいかないのが人としての性。


 興奮と驚きのあまり兎の如く飛び跳ねてからの絶叫。


 「こっこれって流石に他のには劣ってはいますが、甘く見積もっても樹齢二百数年はありますよ!? 一体全体誰がこんなことを!! 」


(現役の四季折々が残す数多の逸話でさえ、こんな出鱈目なのは聞いたことがない。それこそ三大樹を始め、花の都を一から創り上げた〝桃奏ももか〟様以外は……)


 幻想的な光景を前にすると人の心は清流の如く穏やかな時を過ごす。


 同時にかけがえのない宝物を得るのかもしれない。


 それは形に残る物か記憶に残るものか――


 儚く散りつつも己が芯を貫き人々を魅力し続ける〝桜の樹〟には知る由もなかった。




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