ぼんじん譚

一森 奥

その1 団地暮らし

 その団地には、何もかもが揃っている。都会のど真ん中といってもいい場所にその団地はある。都会のど真ん中にあるのだから、ものの十分も歩けば百貨店やら画材屋やら楽器屋やら飲屋街やら風俗街やら外国人街やらパチンコ屋やら場外馬券場やら映画館やら、それこそ思いつく限りの商いをする店はいくらでもある。あ、本屋ももちろんある。インテリなのに本屋を忘れてしまってはいけない。


 私はその団地の5階に暮らしている。5階といえばかなりの高層に属し、団地ヒエラルキーではトップオブザトップなわけだった。わけだったというのは、最早私自身そこに価値をあまり見出せないからだ。


 朝起きて、お湯を沸かす。お湯を沸かすのはガスで昔ながらのヤカンだ。

 一昔も前ならタバコでもふかしながら、お湯が沸くのを待っていたところだが、今は21世紀。そんな全時代的なことはしないわけだ。ということでじっとスマホを見る。スマホを見るといったって、何か特別目当てがあるわけではない。どこそこで災害があっただの、殺人があっただの、いじめがどうのだの。なるほど。何がなるほどなのかは分からない。


 お湯が沸いたので、お茶を飲む。今日はパンを食べるので、アールグレイにしよう。ティーバッグだけど。アールグレイなんてオシャレな響だと思ってた頃もあったなと思うが今や普通か。

 ベルガモット。ベルガモットはいまだもってオシャレな響きではないのか。ちょっと厨二病っぽい感じもあるし。ない、ある、ない。まあ、ある気がする。


 そんなこんなでパンにジャムを塗って食べる。マーマレードジャムは香りがカブっているが、これは相性が良いというのだろうか。そういえば、このジャムはお隣のババァがくれたんだっけ。田舎の親戚からもらったとか言って。聞けばその親戚も立派な後期高齢者らしくって棺桶に半身を突っ込みながらも上半身だけで動いているような有様らしい。ありがたくいただいている。この団地は高度成長期に分譲されたもんだから、バッツリ核家族化で家族の絆ってやつがイっちまってたりして、結構、身寄りがない人が多いらしい。そのお陰でまだそれら旧世紀の遺物に比べればレガシー化が進行していない私は擬似孫もしくはペットのように猫可愛がられている。だもんで、無下にできないところはある。まぁ、元々からして日下さんちのお孫さん、としてデビューしてるので、当初から孫キャラではあったのだが。


 などと、どうでもいいことを考えているうちに朝ごはんを食べ終わってしまった。皿を洗って、洗濯機を回すと特にやることがない。仕事に行くのも億劫だ。仕事って程のことはしていないけど。金持ちなわけではないが、天涯孤独、彼女もおらず、無論子供もいない。歳は30とちょっと。親はここ10年以内に両方死んだ。唯一生き残った祖母を看取るためにここに引っ越してきたが、大して看取る間もなく祖母も死んだ。自動的にこの部屋は自分の持ち物になり、生まれ育った郊外の家を売っ払うとちょっとした小金持ちの誕生、というわけだった。

 郊外の家に住んでも良かったが知り合いも多く、いつまでも1人でオッさんが暮らしているとなんやかやありそうなので、しがらみのないココに来た。大都会の真ん中という立地も魅力的に思えた。が、住んでみると昭和ノスタルジーを通り越して不気味ささえある街だった。だが、そこが良かった。


 とにかく、じいさんばあさんのエンカウント率はクソゲーばりに高く数歩歩くと画面が切り替わる程だが、まあ忙しいわけでもないからなんとなく聞いてやる。長くなりそうな場合はぶった切るスキルもついてきた。そんなことを半年も続けていると、まぁ懐かれる懐かれる。やれ、電球を換えろ、テレビが点かねぇ、携帯の使い方が分からねぇ、バス停はどこだ、孫はいつ会いに来る、あとで銀行の人がキャッシュカードを取りに来るから一緒にいてくれ。

 そんなこんなで便利屋稼業のようなことをやっている。訳ではないが、結果として食材が勝手に集まってくる。自分の身内じゃないから、誰もうるさく働けとも言ってこないのは私としても過ごしやすかった。


 と、一通り初期設定を伝え終わったところが、短編にするつもりなので、大した意味があるのかという問題もあるが、続けよう。

 あまり一日中家にいても不健康だと思い、週に何日かはなりたい自分になりたいわけでもないが、そういうイーツをやってみたりしている。あれだな、私は自分の自転車を使っている訳だが、レンタルチャリでやっている奴らは採算が取れるのかと心配になったりもするけれど、私は元気です。ほとんど何のバックグラウンドも分からない見知らぬ人が自分の住所を知るという、その事実についてみんなはどう思っているのか考察したくなる日もあるが、みんな大して気にしていないようなので割愛する。

 ということで、それが私の仕事っちゃ仕事だが、自転車が徐々にアップグレードされ、若干太ももがカッチリしてくる以外は特に影響をもたらさないのであった。


 1人でいて寂しくないの、なんてことを高校や大学の友人に会うとたまに言われるわけだが、30を過ぎるとそんなでもなくなってきた気がする。そりゃ、秋風が吹いてきた時なんかは、気付いたら日が落ちるのもだいぶ早くなってきたな、今夜は鍋でも食べようかな、咳をしても独りだな、とか思わないでもないけれど、私は元気です。



 ということで、何がということでいう問題はあるけれど、今日も特に何も食べる予定はないけれどイーツをしに行くことにした。

 特段、何が起こる訳でもなく、無難にイーツをした。大都会のど真ん中なので、仕事が簡単に効率的に見つかるという、ヌルゲー設定なのも最高だ。

 一仕事終えて帰ってきて、団地の広場に腰掛ける。この時間はRPGとは逆にゾンビー共とのエンカウント率が極端に下がるので、ゆっくりと過ごせる。沈みゆく夕陽の残照で団地の壁がオレンジに染まる。こんな団地でも、まだ生産年齢に達していない人類がいくらかは活動しているようで、ちょこまかと動き回っている。ノスタルジーなのかホラーなのか、本当に分からなくなる一時だ。

 晩御飯を作る音と匂い、仕事から帰ってくるオッさんオバさん、色々な生活がまだここに残っている。その雰囲気が好きだ。

 しばらくゆっくりしてからチャリをしまいに行く。団地の1階にあるクリーニング屋はまだ開いていて従業員がアイロンをかけていた。受付のおばちゃんは昼間は船を漕いでいることが多いが、この時間はテキパキと働いていた。すぐそばにあるスナックからは爺さまのヘロヘロした歌声が漏れ出づる漏れ出ずしだった。


 エレベーターで5階に上がり、自分の部屋の前に来るとカボチャの煮物が鍋ごと置いてあった。この鍋は2つ隣の川野さんとこの鍋だ。川野の婆様は東北出身なので、ちょっと味付けが濃いのが難点だが、全体的には悪くない。ありがたく回収することにする。

 シャワーを浴びて、少し厚手のスウェットを着ると少し窓を開けた。初秋の風はまだ暖かさを少し残していた。

 アジの干物を焼き始めると、きゅうりをぶっ叩いてから乱切りにしてラー油をかけた。米の残りを解凍しつつ、干物の焼け具合をチェックする。カボチャとラー油きゅうりをつまみにビールを飲む。流しの上の灯りだけが部屋を照らす。


 そう言えば、親父は酒を飲み終わるまでは米を食べなかったなとふいに思い出す。私は腹を充しながらでないとすぐに酔いが回るので、米と酒が同時に来ても何の違和感もないが、あれは未だによく分からない。ただし、異論は認める。


 自分の咀嚼音と遠くのクラクションだけが聞こえる。大都会の真ん中の筈なのに、ここは静かだ。

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