眠れる檻のビジョン

ナリタ

第一章

第一章 1 『初めての転移』

 深い眠りにつく。深い深い。海よりも深く、暗くて目の前が見れないくらいの闇に落ちる。

 そして、沈んでいく感覚と遠のいていく意識に夢へと誘われる。




 ──激しく鼓動がする。凍てつく肌には汗が流れ落ちる。白い息を吐いて弓を大きく引く。顎まで矢を引き、的を狙う。  これを当てれば全国に行ける。全国に。全国に。全国に──


「起きろーねぼ助」


 男の声で目が覚める。それと同時に少しずつ喧騒も聞こえてくる。教室の喧騒だ。


 頭を上げるとそこにはクラスメイトの三島がいる。なんの夢を見ていたかはすでに覚えていなかった立川は大きなノビと欠伸をした。それからもう一度三島を見ると三島がカバンを背負っているのに気づいた。 


 周りを見渡すと他の生徒もカバンを持ち、教室から出て行っている。


「今日の授業全部最初から最後まで寝てたろ。ほんと寝るの好きな。ほら、もう下校時間だ。帰るぞ」


「うぇ?」


 反射的に出た変な声を聞かずに三島はピョンピョンとスキップで教室のドアまでかけて行った。相変わらず能天気な奴。そう思いながら立川は引き出しに入れていた携帯と筆箱をカバンに押し込み重い腰を上げた。 


 外はすでに暗くなっていた。日が沈み寒さは一層と強くなっていく。 

 下駄箱の靴を取り出して代わりに履いていたスリッパを下駄箱に入れる。 

 それから持参していたマフラーと手袋を着用しながら正面玄関を出た。 

 外の空気は冷たく吸うたびに鼻が痛む。 

 身体を自分で抱きしめるように擦りながら校門へと向かう。すると後ろから三島も走ってきた。


「いやー、さびぃな。去年こんなに寒かったか?」


 眠気がまだ覚めていないのか三島の話は全く頭に入ってこなかった。 

 元来、三島の話は基本どうでもいいのでしっかりとは聞いていないのだが。

 それでも三島と一緒にいるのは気が楽で好きだった。特にこんな冬の日には思い出したくない思い出もあるせいか三島の話で気を散らすのが救いとなっている。


 去年の冬。最後のチャンス。 

 アーチェリー全国大会出場を懸けた戦いに立川は敗れた。 

 あと一本矢を的に射抜いていれば勝てていたかもしれない。 


 しかし、寒さと緊張で最後の一矢は惜しくも的を擦り後方へと飛んでいったのだ。会場は歓声に包まれる。 

 それもそうだ。だって自分は優勝候補の選手に食らいつく無名選手。 

 まるでヒーローと戦う悪者のような気分だった。自分が的に矢を射る度に会場中はため息の連続。その反面、優勝候補の選手が的を射抜けば拍手と黄色い声援。 


 そして、立川は期待通りに負けた。ヒーローは悪者に勝ったのだ。全国に行けなかった悔しさと屈辱は尋常ではなかった。目の前の世界が全て真っ白になった。何も聞こえない。嫌いになった。なにもかも。アーチェリーも。冬も。その選手も。他人も。自分も。だから、弓を握れなくなった。


「じゃあな。明日の課題忘れんなよ」


 二股に別れている道で三島と別れた。離れて行く三島の背中を意味もなくずっと見ている。 

 もしかしたら三島ともっといたいのかもしれない。 

 全国を逃した時も励ましてくれたのは三島だった。何も言わずにただ背中を二回優しく叩いてくれた。三島には人を元気づける能力がある。そばにいるだけで悩み事も心配事も自然と忘れていく。

 そういう奴がいつも隣にいるのは幸せなのかもしれないと立川は思った。


 家のドアを開け中に入ると、光が左手にある襖の間から漏れていた。そして、微かに何かを炒めている音が聞こえてくる。 

 立川は靴を脱ぎ、襖を開けると台所で母親である律子が夕飯の支度をしていた。


「母さん。ただいま」


 立川はカバンをイスに立てかけてから着けていたマフラーと手袋を外した。


「ああ。おかえり。今作り出したばっかだしもう少しかかるけどいい?」


「うん。仮眠とるつもりだったし」


 立川は立てかけたカバンを持ち上げマフラーと手袋は脇に挟みながら部屋を出た。階段を上がり、自分の部屋につくやいなや、カバンとマフラーやらをいっしょくたにして部屋の隅に放り投げてから制服を脱いだ。そして、床の上に散らばっている部屋着を着てからベッドにダイブをする。


 いつもは外で吠えている犬の声が気になり寝付けず、最近ではイヤホンをしながら寝ることもあるのだが、今日は外で犬が鳴いているのが気にすらならない。

 学校の授業で寝ていたにも関わらず、すぐに眠気が襲ってきた。


 そして、深い眠りにつく。深い深い。海よりも深く、暗くて目の前が見れないくらいの闇に落ちる。

 そして、沈んでいく感覚と遠のいていく意識に夢へと誘われる。



 ──眠りから覚めると外はすっかり明るくなっていた。 よく寝たせいか眠気は全く無くなっていた。寝起きもいつも以上に良かった。 

 ノビをしてから立川はあることに気づいた。


「あ、晩飯」


 晩ご飯を食べていなかったがお腹は減ってはいなかった。変だと思い、とりあえず自分の部屋を出て一階の部屋へと向かう。襖を開けるがそこには誰もいなかった。それとどこかに違和感を感じる。


 ──部屋にある物が足りないのだ。しかし、何が足りないのかはまだわからない。 


 そして、色々と探していくとそれが何か判明した。違和感の正体。それは『時計がない』だった。 

 壁にかけてあったはずの時計が無くなっているのだ。今が何時なのかも把握できない。 


 自分の部屋に戻って確かめようとするがそこにも時計は見当たらなかった。携帯すらも無くなっている。


「泥棒?」


 立川は呟くが違和感はそれだけではなかった。 

 いつも立川の目覚まし代りとなっている犬の鳴き声も聞こえなかった。隣の家で鳴いている犬は朝の決まった時間に鳴き出す。だが、今は一切鳴き声は聞こえない。


 さすがに不審に思った立川は玄関から外に出て、 隣の家の塀を覗き込む。犬がいるかどうか確かめるためだ。そして、やはり犬はいなかった。 


 それを確認した立川はそこからさらに違和感を覚える。 それはあまりにも外が静かだということだ。

 いつもならバイクの通る音、どこかの家で布団を叩く音、色んな音が聞こえるはずだがそれも無い。


 おかしすぎる。そう思った立川は道路に出た。 

 いつもは朝から車が行き交う大きめの道にも車一台すら無い。無い。無い。無い。無さすぎる。どれだけ歩いても車も無ければ誰かいる気配すら無い。歩みを止め少し考えた。 


 そして、立川はある結論にたどり着いた。ここは夢である結論を。夢であるのならば全て説明がつく。まさか街を挙げてのドッキリでもあるまいしと立川は思った。夢説しか無いと思い始めた立川はこれまでの違和感を忘れ、気が楽になった。 

 もしかしたら自分しかいない世界になってしまったんじゃないかというぶっ飛んだ発想も全て立川の頭からは消えていった。

 代りにある衝動に駆られる。普段できないような事をここでしたら楽しいかもしれないと。そこで立川は道に転がっていた石を持ち、見たこともない家の窓に向かって投げ込んだ。 窓は大きな音を立てて割れた。

 立川はこの非日常的でこれまでにないスリリングな体験に興奮する。そして、その衝動は抑えられなくなった。

 コンビニへ行き、棚をドミノのように倒してみたり、知らない人の家を土足で探索してみたり、とりあえず色々な物を壊してみたりとやりたい放題だ。


 立川は楽しかった。ある種のストレス発散をしているだけなのかもしれない。普段できない事が許されるってこんなに楽しいんだと立川はやみつきになる。

 息を切らしながら物を叩いたり、放ったり、蹴ったりとそれは酷い惨状だった。物ではなく立川がだ。


 そして、自動販売機を鉄の棒で叩こうとした時だ。自動販売機の陰に何かがあるのを見つける。どことなく見覚えのある形に立川は動きを止めた。それを取り出すとそれが『弓』である事がわかった。


「なんでこんなとこに弓が……」


 それは黒くて美しく、しなやかでありながら持ちやすく重さもちょうど良い弓だった。


 大体なぜこんな所に弓があるのか。立川には不思議で仕方なかった。弓なんて落とすようなものじゃない。しかし、これでなにか面白い事ができるのではと考える。が、何も思い浮かばなかった。弓が嫌いになったからだろうか。立川は元にあった場所にそっと弓を戻した。


 それからしばらく道なりに沿って歩いて行くと誰かがこちらを向いて立っているのを見つける。スーツ姿の男だ。仁王立ちでジッと見つめている。この世界にも他人はいる事に立川は変な汗をかき始めた。怒っているのかスーツ男は動かずに立っているだけ。


「──あの……他の人がいるなんて知らなくて……その……迷惑だったならすみません。僕……帰ります」


 一応謝罪をし、反省の色を浮かべながら後ろへと一歩下がる。だが、スーツ男がこちらに来る気配はない。立川はその内に少しずつ一歩、また一歩と後ろへジワジワ下がっていく。

 しかし、立川が五メートルほど下がった時だ。


「あァ……サつ……やタたら……ラオちゃ」


 スーツ男は何かを話してきた。それは唐突すぎたのかスーツ男の滑舌が悪いのかで聞き取れないものだったが確かに話しかけてきた。


「はい? なんです?」


 立川は立ち止まり聞き返す。


「ムヤ……たるら……ソダぁ……ひヤきョく」


 やはり何を言っているかはわからない。ただスーツ男は間の抜けた顔で喋っているので怒ってはないと立川は断定する。

 聞こえないだけかとスーツ男に近づこうとゆっくり三歩ほど前に進む。すると、スーツ男もこちらに寄ってきた。だが、そのスーツ男がたった一歩こちらに歩いてきただけで、その歩き方は人間ではないとわかった。

 何かがやばいと察し、後ろに下がり始める。出来るだけ離れなければいけないと少しずつペースを上げていく。すると、スーツ男も同じようにペースを上げてこちらへやってきた。


 ついには立川は走り出した。スーツ男が同じペースで近づいてくる事が予想外だったからだ。

 無論、スーツ男も走り出す。それも奇妙な走り方で。手はぶらりと垂れ下げたままで脚力だけで疾走している。それもかなりの速さで。 



 ──やばい、やばい、やばい、やばい


 立川は全力疾走で逃げるがそれ以上の速さで近づいてくる。なぜ逃げているのか自分自身でもはっきりとはわからなかったが、逃げなきゃいけないと直感的に感じ取っていた。 


 そして、百メートルほど走ってから今はどのくらい距離が空いているか見るために後ろを振り向くと立川はそのスーツ男の見た目に驚愕した。

 目は右頬と顎の部分にもあり、背中からもう一本足が生えている。先ほどは遠くからしか見ておらずわからなかったが、近づいてくるにつれ人間ではないことがわかった。 


「考えろ。どうする、どうする、どうする、どうする」


 細道に逃げ込みしばらく走り続けた。振り切ることだけを考えて。そして、体感時間で五分ほど走った後に後ろを見てみるとスーツ男の姿は無かった。とりあえずはあのスーツ男を撒くことが出来たらしい。しかし、皆目見当がつかなかった。

 逃げるには? あいつを倒す? あいつは一体なんなんだ? どうやって? 何を使う? 鉄の棒で殴れば死ぬか? 思考を巡らせるが策は出ない。 


 ──だが、一つだけ頭の片隅にはある考えがあった。

 あの自動販売機の陰にあった弓を使って射抜く事だ。それはそれで皮肉な事だ。 

 嫌いになった弓を使って自分を守るなんて──


 しかし、思いつく手はそれしかなかった。立川はそう思いながら様子を伺いつつ、あの自動販売機へ向かう。

 ここからだと二百メートル先にある。細道を抜け、道路を全力で走ればスーツ男に見つかる可能性もある。だが、ルートはそこしかない。 


 立川は腹を括り、細道を進む。道路に差し掛かった時に左右を確認したが、スーツ男のいる気配はなかった。立川は道路に飛び出して自動販売機まで全力で走る。恐怖で足がもつれて上手く走る事ができなかったが、それでも我武者羅に走り続けた。 


 あと少し……あと少し……あと少し……


 心の中で叫びながら弓まで一直線に駆け抜ける。そして、ついに自動販売機に辿り着き弓を手に入れた。 


「よし」


 思わず心の声が漏れる。が、その喜びも束の間。重要な事に気付いた。

 矢がない。あるのは弓だけで矢はどこにも見当たらない。 自動販売機の下やその辺りを這いずり回るように探したがなかった。これじゃ鉄の棒で殴った方がまだ希望はあった。 


 すると、背後から声が聞こえてきた。


「シぃは……りゥエごン」


 訳の分からない言葉。ヤツだ。あのバケモノが真後ろにいる。振り返りたいがなぜか振り返れなかった。恐怖で竦み、身体が言うことを聞かなかった。 

 そして、次の瞬間。急にバランスを崩し、前に倒れてしまった。 

 顔面を思いっきり地面にぶつけ、鼻からは生暖かい血が出てくる。何が起こったかうつ伏せのまま確認しようと首を後ろに向けた。 

 流れ出る大量の血液。転がっている左脚。遅れてくる激痛。感じた事もない痛みが立川を襲った。 

 この痛みは夢ではない事を証明している。どう考えても現実のものだ。 


 ──死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ


 スーツ男の方を見ると、両手の人差し指の爪が異常に伸び始めているのがわかった。おそらくそれで脚を切断されたのだろう。 

 痛すぎる。痛みと恐怖で失禁してしまう。必死に倒れた状態で這いながら前進するがスーツ男は楽しむようにケタケタと笑うような音を出し始めた。


 ──嫌だ。こんな死に方嫌だ。 


 スーツ男はケタケタ笑い続ける。 


 ──痛い。痛すぎる。


 スーツ男は近づいてくる。


 ──誰か……助けて……


 その時だ。スーツ男の笑うような音が急に鳴り止んだ。 立川は一度前進を止め、スーツ男の方を見上げる。 

 何も変わりはない。

 ──いや、スーツ男の顔に少しずつ平行の赤い糸のようなものが現れ始めた。そして、それを切り目にスーツ男の顔はスパッと真っ二つになった。そのまま膝から崩れ落ち血を吹き出しながら、ヒクヒクと痙攣しだす。

 かつて顔だった肉片が地面に鈍い音を出しながら落ちた。 


 そして、スーツ男が倒れた時、その後ろにいる人物の存在に立川は気づいた。


 そこには少女が立っている。

 身に纏った制服、肩まで伸ばした艶のある髪の毛、まだ幼い顔立ちに凛とした表情、片手には刀を握っている。

 そして、痛みを忘れて少女のあまりにも美しく日に照らされている様を見つめていた。


「君……どこかで……」


 ここまで口にした時、急に視界が歪み始めた。酷い船酔いのような感覚で少女の顔もろくに見れない状態になり、大きくなってくる耳鳴りが止むと共に立川 響矢は目を覚ました。

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