第171話 大剣闘祭
ある剣闘士が欠けたブロードソードを振り上げ、下ろした。
すると別の剣闘士の血肉が舞う。
呼応するようにして響くのは民の歓喜の声。
殺人を人の業だと、拝月の生臭僧侶のように宣うつもりは無いが、見ていて心が高揚することはない。
それは目の前の光景のせいというより、貴賓席の中でも一番上等な椅子に座る父王のせいだろう。
「おお、見ろアンリ。首が飛んだぞ」
「見事な腕前です。さぞや名のある剣士なのでしょう」
ヨワンは王の右、アンリは王の左。
従者のように王の側に仕える。心以外は、そうであらねばならぬ。
ヨワンが目線を剣闘士から外せば、一万の民が体を乗り出して剣闘に熱中しているのが見える。少し離れた前の席ではゴルヨウ執政官を始めとした王国の重鎮たちが居揃っていて、催し物に感嘆の声を漏らしていた。
そして、ヨワンの後ろには二体のミスリルゴーレムが控えている。
その豪腕で父王の脳を果実のごとくに握り潰させてやりたいが、ここで殺せば王位簒奪。正当に王位を継ぎ、他国と停戦交渉に入るためには、まだ殺せない。
このゴーレムを置くために多大な労力を要した。
事前にでっち上げの王暗殺未遂を起こさせ、
ありもしない暗殺計画の証拠を見つけさせ、
殺すべき王の安全性を担保すべく奔走した。
しかし、そもそもゴーレムの力だけで殺せるのか?
三千年を生きた化け物を殺す手段として、力不足かもしれない。
古代人そのものである王は、ほぼ神と同義である。
いや──本当に神だ。拝月教の主神と同一視される古代人──父王はその一番弟子なのだ。聖典を読み返せば、どこぞにこの男の偉業が載っているのだろう。
「さて、古来より剣闘士にはすべきことがある。戦いの前に、観覧して頂く高貴な方々に一礼し、その名と風貌を覚えてもらうのだ。運が良ければ暇を持て余した貴婦人に一晩の寵愛を賜れるだろう」
「ですが我々は王族。むしろ貴婦人が一礼すべきでしょうな」
「ははははッ! 言うではないか、アンリ……余はお前のことが好きになってきたぞ。王宮では得られない教えを学んできたのだろうな」
「フォレスティエの教えも、草原の民の教えも、どちらもが俺の心に根付いております」
「余の教えはどうなのだ?」
「……俺は父親似なのだと、やっと気づけました。そう言った意味では父王に感謝しております。俺はこの後の〝余興〟で貴方を驚かせてみましょう」
父王が枯れ枝のような指でアンリの髪を乱暴に撫でる。
アンリは父王に背を向け、戦う場を見据える。
すると〝マリー〟と〝アリシア〟の二人が長大な黒剣を捧げ持ってきた。
「お前が勝てばこの二人をやろう」
「偽物を? あの人は、もう居ないのですよ」
灰色髪の美しい女性〝マリー〟が悲しそうな顔を見せ、無邪気な少女〝アリシア〟が頬を膨らませ「お兄様の意地悪」と兄を睨め上げた。
「この二人を作るのにどれだけの労力をかけたと思っているのだ。余は本当にアンリが喜ぶと思って……十年かけて、似た女を集め、心を作り、家族として生活させてきた」
反吐が出る思いを、ヨワンは堪えた。
この分だと〝アロウ〟も用意しているのだろう。
「お前は疑似家族を作っていたではないか。これと何の違いがあろうか」
「……本当はそこに収まりたかったのではないか? アルファルド?」
「何を言う。アンリ……お主は余を正気でないと思っているな。露悪的な狂人を演じていると思っているな。それは間違いだ。余はいつも正直であるし、アンリという人間に好感を覚えている。王位を継いでどんな男になるのか、もう少し見届けてみたいと……本気で考えているのだぞ」
「…………」
「支えてくれる人が居ないと、王の職務は果たせん。お前にポッカリと空いた穴を埋めるには、彼女らが必要なのだ」
アンリは黒剣を乱暴に取り、未だ父王の方を向こうとはしない。
ヨワンも聖剣を片手に行くべき場所に向かうため、歩を進める。
「お前……本当は、祖父上に抱いて貰いたかったのではないのか? 用意した偽物も、本当は自分のために使いたかったのだろう? だけど勇気がなかったから、出来なかった……そんな所だろう」
アンリの言葉に、父王が大口を開けた。
図星に激高すると思いきや、下唇を噛むに留まる。
(こうして見ると……)
本当に老けていると、ヨワンは感じた。ベッドの上から動けなくなった母と同じような死の匂いがどこからか漂ってくるようだ。
日の当たらない通路に入り、石造りの建物内を歩く。
しばし無言で歩く二人は何度も通路を曲がってから、それぞれが別の入口から戦いの場に入る。
(アンリを殺せるか、私の手で。弟を……)
足裏に感じていた石の感触が、砂に変わる。
王子を認めたらしく民の歓声が響く。
大雨のように煩く、溶鉄よりも熱い。
(王子が臓物を撒き散らし、絶命する様を見たいのだろうか)
重税により民の怨嗟は積もり積もっている。
これは罪人の処刑より、異端者の火炙りよりも、楽しい催しだ。
「余自らがルールを説明しよう。愛しき子の晴れ舞台であるがゆえに」
魔術で増幅した父王の声が響く。
「まず競技場に七体の魔物を放つ。王子は協力しあい、生き延びるために、力をお前たちに示すだろう」
もしヨワンとアンリが殺し合えばどうなるだろうか。
達人同士の立ち会いは一瞬で終わることも多い。
そうすると武に疎い民草は興ざめしてしまう。
それを防ぐために、迫力ある血塗れの舞台を用意させるのだ。
「そして──最後は両王子の聖剣と黒剣がぶつかり合う。最後に立っていたものをアルファルドとし、余は冠を譲り渡そう」
父王の宣言に、猿叫のような歓声が上がった。
誰も彼も新しい王を求めている。真実も知らずに。
「だが、そんなルールはどうでもいいッ!」
父王が叫んだ。
ヨワンは父王を見上げ、その正気を目線で問うた。
「二人共、余の……預かり知らぬところで変わり、育ち、思わず抱いて欲しくなるほどよい男になった! 余は嬉しいのだ!」
体に魔力を充溢させ、椅子を蹴立てるように立ち上がった。
王の乱心を止めようとするものは誰も居ない。そんな気骨ある男は既に死に絶えた。
「三千年前、人類は未だ心が育っておらなかった! 奪うもの、殺すもの、騙すもの、そんな悪しきものは、どれだけ摘んでも生えてくるのだ!」
父王が飛ぶ。
その姿はまさに──バカ丸出しであった。
魔術も使わずに、子供のように、空を背景にして、飛んでいた。
「どうか、余をも仲間に入れてくれまいか! どうか、余の願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい!」
着地に失敗し、何度も転げ回った父王が、立ち上がりそう言った。
「乱心されましたか! 民の目があるのですよ!」
「余は間違っておらぬ! 倫理観は人の時代と神の時代ではまるで違う。余は余の人生全てのレッテル貼りを凝縮し、この答えを出した! お前のルールを余に押し付け、心の成長を阻もうとするでない!」
「クソ親父がッ! この場で自害し、王冠を渡せッ‼」
「なんて親不孝者だッ! 倫理観を正してやるぞッ‼」
父王は懐から宝玉を取り出し、高らかに掲げた。
「心の正気を問う遺物だッ! 問いかけの遺物だッ!」
それはヨワンも預かり知らぬ未知の遺物だった。
聖剣を抜き払い、父王に相対するが、放たれる聖なる光に思わず目を灼かれそうになった。
「誰の倫理観がより強いか、戦い合わせて天に問おうではないかッ!」
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