第140話 箱庭の主

 一人の男が都市イルキールを囲う城壁に立っている。

 風でローブをはためく中、眼下の光景を心地よく眺めていた。


「絶景かなあ。人の命、末期まつごの輝きこそ、誠に尊いものよ」

 空隠しの大魔術──その本体であり触媒である“赤の結び目”と視界を同調させ、莫大な量の視覚情報を脳で受け取りつつ、男はそう言葉をこぼした。


 横に立つものは居ない。“本来の立場”を考えれば千の精鋭で囲むべき男は、単身で都市の終わりを眺めている。城壁内部から悲鳴が聞こえるのは五千を超える亜人兵が侵入しているからだ。


 只人ヒュームは肉体的に弱い。

 しかしある面では強い。


 環境に対する適応性、繁殖力の強さ、寿命の短さから来る知識の集積に対する意欲、どれも亜人や獣人、エルフには無いものだが──哀れなことに、この局面では何の役にも立たない。


「あれは……暗殺者か……」


 亜人地帯で虐殺を繰り返して魔人となったリゲル。それに挑むべく暗殺者が技能スキルを使ったのだろうか。気配しか感じ取れない透明な暗殺者は──魔人が振るった戦斧により一撃で吹き飛ばされていた。


「中々の技量。人にしておくのが惜しいくらいよ」


 リゲルの首を狙った動きは見事ではあるが、魔人には届かなかった。城壁に叩きつけられ肺腑が壊れたのだろうか、暗殺者は致死に至る血を口から吐いた。


 屋根に腹ばいになって隠れていた、部下らしき女が魔人の前に飛び降りて立ちはだかる。


「ファザーン! 隊長を連れて逃げてっ!」

 女が吠えて、腰に下げた短剣を抜く。


「シュペ公! お前でも隊長を背負えるだろうがよおっ!」

 ファザーンと呼ばれた男が短剣に何かを塗り魔人に肉薄する。


 そしてファザーンは下から魔人の首を狙って短刀を突き上げようとしたが、魔人に腕を掴まれて握りしめられる。バキリと鈍い音がしたが男はまだ挫けていない。残った左腕に短刀を持ち替えたが──魔人は面倒とばかりに男の頭に喰らいついて咀嚼した。


 何たる無情か、信頼に結ばれた麗しき仲間愛は暴力には及ばなかった。暗殺者の絶望しきった顔は哀れさを誘い、暗殺者を背負った女は何度も首のない死体を振り返りつつも逃げていく。


「雑魚ガ。おい、亜人ども、都市内をくまなく探セ。家々は決して燃やすナ」

 魔人が遠巻きに見ている亜人の群れに下知を出す。

 魔人リゲルが亜人地帯で手に入れた喰らい蟲クイーンワームの効果もまた素晴らしい。蟲に操られた亜人はこれで死をも恐れぬ従順な兵と成り果てるのだ。


 ローブの男は老人の足取りで城壁を歩む。勘違いして「お前は何者だ」と問いただしてくる領主兵が居れば黒炎で焼き尽くしてまた進む。

 只人ヒュームの死者は数千人を超えただろう。“食料”を手に入れた亜人は都市の至る所で“加工”に勤しんでいる。反面、只人ヒュームの抵抗はと言うと、それはそれで行われていた。


「やるではないか、ミルトゥめ」


 都市の中心部である貴族街に氷の城壁がそびえ立っている。要所にイルキールの弓兵が備えており、たまに亜人を射殺していた。ミルトゥの使役する大精霊が即席の要塞を作り上げたのだろう、都市民もこぞってそこに逃げ込んでいる。


「ミルトゥが勝つか、リゲルが勝つか、勝ったほうに力を与えて成り行きを見るのも一興であるな」


 男──この国の王であるアルファルドは枯れ枝のような人差し指で額をトントンと叩く。

 自国の民を殺し尽くす愚をアルファルドは理解している。狂っているわけでもない。ただただ、アルファルドは飽きてしまっているのだ。狂王と言う役割に。


「オーケンハンマー先生、クリカラ先生、あなた達が心血を注いだ新人類ですが、何一つ変わっておりませんよ。あいも変わらず利己的で、この三千年間、何の進歩もありません」


 ル・カインが処分しようとした管理個体6831番か、その後にオーケンハンマーとクリカラが“アルファ”と名付けた男か、もしくはル家の分家であるルド家の当主となったルド・アルファか、それとも初代王アルファルド。どれもこれも此処に居るアルファルドで有ることには違いない。


 三千年の時はアルファルドを大いに飽きさせた。時には善良な男として、時には暗愚な王として、気が変われば革命の戦士として振る舞うこともあったが、どの役割も大きな違いはない。


「おおっ! あれは死神アロウでないかっ!」


 氷の城壁前でアロウが亜人三体を一振りで薙ぎ殺している。思い返せばあの男の人生も傑作であった。ターウという男を玉座に祭り上げた手腕は素晴らしかったが、まさか王の中身が入れ替わっているとは気づいていないだろう。

 アルファルドは思い返す。娘のマリーを自分に差し出したあの男の瞳を、ターウを思う忠心を。ベッドの上で破瓜の血を流して泣くマリーを。


「真実を明かせば、あの男は怒るのだろうか、泣くのだろうか?」


 それもまた面白い。心の動きは振れ幅なのだ。振り子のように絶望と歓喜の間を行くからこそだ。暗がりに咲く花が美しいように。

 マリーが孕んだ子共々、狂王に首を締められて死ぬ姿はまさにそれだ。マリーは死に際にアロウへの呪詛を漏らしてしまったが、その後は自分の心の弱さに涙していた。


 十万の死を経験したミルトゥは何を思うのだろう。もしかすると王としての心が芽生えるかも知れない。そんな男の人生を奪い、伴侶をベッドの上で組みし抱くのも喜びなのである。


「城壁の中に城壁か。やはり第三王子は成功作であるかな」


 氷の城壁が完成して都市民の群れが濁流のように流れ込む。だが籠城戦となれば食糧問題が出る。恐慌した人間が共食いを始めるもの時間の問題だろう。


「ん……? あの男は……」

 アルファルドは居るはずのない男を感知する。


 そこにはアンリがいた。第一王子ヨワンがいた。さらには第七王子セヴィマールまでもがだ。居るはずのない盤上の駒たちが一同に介し、何やら言い争っている。


 アルファルドはアンリを思うと複雑な感情が芽生える。ハルラハラの霊薬の恩恵を受けていないあの男は死ぬはずだった。だがこうして生きていて、古代遺跡でも掘り当てたのだろうか多くの万能巨兵ウティリス・ゴーレムを従えているのだ。


 ──アンリは失敗作だ。


 誰からも顧みられない、僅かな母の愛にすがる迷い子に過ぎない。だが弱いからこそ恐ろしい。弱い駒の動きはえてして見逃しやすいのだ。

 アルファルドは数百年ぶりに背中に冷や汗をかく。じっとりとした不快感に舌打ちを漏らすが、直ぐに思い直す。どう足掻いても自分を殺す手段は無い。殺そうとすれば、死ぬのはアンリなのだ。この三千年間、誰一人として本当の意味でルド・アルファもアルファルドも殺したことはなかった。


「策は破れたり、駒遊びとは難しいものだ」


 転移門に都市民が殺到している。ヨワンが居ることから恐らく王都に逃がしている。これで空隠しの大魔術の効果は半減された。後は魔人リゲルがどれだけ殺せるか、ヨワンもしくはミルトゥ、それともアンリがどれだけ救えるかの勝負となる。


「面白い。面白いぞアンリ。やはりお主は狂っておる」


 三千年の間、アルファルドは人を観察してきた。

 自分を愛していない男が人の為に働くことはない。

 アンリとはそういった男だ。何の価値もない屑だ。

 それとも空っぽだから──中身を埋めようとしているのか。

 まるで雨に凍える子犬のように哀れではないか。


「次はアンリにしようか……」


 あの男の人生が欲しい。人生を変えるに至った存在を踏みつけにして、それから若く瑞々しい人生を謳歌するのも良いだろうとアルファルドは強く思った。

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