第139話 蝿、亜人、そして魔人
教区長と神官たちは降って湧いた緊急事態にうろたえている。
だが、俺たちだってそうだ。余りにも情報が足りない。
「祖父上、空隠しの大魔術について知っていることは?」
「あれは……目が本体です。範囲内で死んだ命とマナをあの赤目が全て吸い取り……“定めた一人”に凝縮したマナを、魂を与えるもの。かつて……国王陛下がダルムスク戦役において、力を得るために使われました」
「父王がこの大魔術を発動させたのか!?」
「分かりません! 発動条件や手法は秘匿されていて、何も知らぬのです!」
今この瞬間だって、空の赤目は都市を
「おいアダルブレヒトッ! 領主兵は何人出せるっ!?」
「今ですと八百人です。指揮は……誰が、摂るのでしょうか?」
「それは、お前が、やるんだよっ! 為政者が戦で尻込みしてんじゃねえっ! ここで男を見せねえようなら、俺がこの手でぶち殺してやるッ!」
「わ、分かりました! おいっ、兵舎から全員出すようにしろっ!」
教区長が伝令兵の真似事をさせるために神官の尻を蹴飛ばす。異変に気づいた市民たちは十人十色の反応。口を開けて唖然としている者、恐怖に震える者、家財道具をまとめて逃げようとする者まで居る。
《ファルコ、俺の警護はいいから部隊員全員で都市がどうなっているか調べてくれ》
《承知。しかし指揮所が必要だ。情報を集約し、司令官を守る堅固な壁がある場所。そこに盟友は逃げてくれ。それか、〈転移門〉でアーンウィルに帰るのも選択肢としてあるが》
《俺は誓約の拝月騎士だ。信徒を無視して逃げればどのみち誓約が俺を殺すさ》
《……そうだな。武運長久を祈る。指揮所が確保できたらまた指輪で伝えて欲しい》
部隊員の気配が急激に減っていく。空に飛ぶ蝿は沈黙しているが、東西南北の大門前には逃亡防止だろうか、異常な数が待ち構えている。数は万を超えるだろう、一体ずつの強さは未知数だが侮れない。
「もーーーーっっ! なんなの、このハエーーーーっっ! おい、アンリぃ! さっさと逃げようよ、来ないなら僕だけ逃げるぞぉおおおおおっっ!」
セヴィマールが胸元に大袋を抱えたまま疾駆してきた。
勢いよく走るものだから娯楽本やマジックアイテムがポロポロとこぼれている。
「てめぇえッッ! セヴィマールのクソ野郎がぁあああッッ! よくも俺の前に顔を出せたなぁああッッ!」
「ひいいいっっ! 兄上ェエッ! なぜここに居られるのですかぁっ!」
「この都市が俺の影響圏に有るから決まってんだろっ! やっぱ、てめえは裏切ってアンリの下に付いてやがったかっ!」
「違うんです! アンリに脅されて……!」
「この上、アンリまで裏切るってのか、お前みたいなのを蝙蝠野郎っていうんだよ!」
一触即発であるが、今は身内で争っている場合ではない。分かってくれたのかミルトゥは顔を真赤にして怒鳴っていたが、自身の頭をガンガンと殴り冷静さを取り戻した。
修道院の二階に潜んでいたシリウスが窓を開けて、俺の横に飛び降りてくる。今は一秒でも惜しい。指輪を持つすべての者に情報共有をするように指示を出した。
「この都市が滅んだら俺の戦略が狂うんだよ。……ったく、来い。カリハ・フロスト!」
そう言って、ミルトゥは手を前にかざして、内なるマナを、魔力を全力で開放する。
──大精霊の召喚。修道院前の通りに天を衝くような氷柱が現れ、亀裂が入る。バリンと音を立てながら氷柱が砕け散り、中から薄衣をまとった青髪の少女が顕現する。
カリハ・フロスト──氷の大精霊は気だるげなアクビをして俺たちを一瞥し、直ぐに興味を無くす。周囲の空気が凍って、空から僅かに漏れる光が乱反射しているため、神々しい雰囲気すら感じさせる。
「カリハ、空に届く階段を作れ。アッレが登れるくらいだ。分かるな?」
「……うぃ」
さらにミルトゥは大精霊をもう一体召喚する。地面のレンガを溶かすほどの猛火とともに現れた大男は──いや、黒の肌に炎の目、体にまとう白色の炎は紛れもなく精霊種だ。
肺腑を焦がしそうな熱風が修道院前まで襲ってくる。腕で防いでいると、大精霊は溢れそうな熱と火を己の体に集約させた。何をしようとしているのか分からないが、腕を戻して成り行きを見守る。
「……かいだん」
カリハが手を地面につける。
それだけで氷がグングンと空に向かって伸びていき、精巧な細工が施された氷の階段となる。放たれた矢のように一直線に、空に浮かぶ赤目に向かって伸びていく。
「行け、アッレ・フレイム。あの目玉をぶち抜いてこい!」
炎の大精霊が氷の階段を全力で登る。一歩ごとに地面を轟かしながら腕を振って駆けている。氷の階段は熱に耐えながらさらに空に向かって構築されていき、高さはすでに都市を囲う城壁をゆうに越えていた。
そして、大精霊が階段の先から跳躍する。その腕に莫大な熱量を集め、腕を振り抜き、空すら穿ちそうな火炎の奔流を飛ばしたのだ。
だが──届かない。
空を覆う蝿が火炎の奔流に向かって殺到する。一番槍の蝿が猛火により蒸発するが、勢いは一切衰えない。一匹が死ねば後続の百が、百が死ねばさらに千が、万が火炎をその体で食い止める。
大爆発が起きる。
行き場のなくなった猛火のせいか、それとも蝿が体内のマナを反応させたのか、大精霊の一撃は膨大な蝿の献身により防がれた。
さらに最悪なことに蝿は赤目の周辺から湧き出してくる。際限は無く、また空は万を超す蝿で覆われてしまう。
炎の大精霊は大通りの方へ自由落下していった。だが、あれくらいでは死にはしないだろう。
《盟友! 地面に突入口が開いていて、そこから亜人が湧き出てきている! 今分かるだけでも三箇所、市民を襲っているぞっ!》
《……次から、次へと! 対応できるか!?》
《亜人は一つの穴でも千を超える! 部隊員だけでは対応できん!》
国境線を超えて、都市や村々を通り過ぎて亜人が入ってこられるわけがない。
《敵の頭目は分かるかっ!?》
《待て……あれは! 後で報告する!》
ファルコの念話が途切れる。そこまで余裕がないというのか。
◆
ファルコは都市内の屋根と屋根の間を飛ぶようにして移動している。
有翼の亜人が空から矢を撃ってくるので、ジグザグに走って避け、振り向きざまに投げたナイフにより仕留めた。これで七人目。誰も彼も、操られたように正気を失っている。
気味の悪いことに死んだ亜人からは、蛆虫が一匹、口から這い出してくるのだ。
(魔術か呪いか、何かで支配されている! だが数千の軍勢を支配するなど……これは、
眼下では路地を走る市民が、追いついたトカゲ頭の亜人の槍に貫かれている。家々の扉は押し破られているが──中で何が行われているかなど問うまでも無い。
蝿は襲ってこない。あれは空の赤目を守るため、それと都市の門から逃げ出そうとする人を喰らうための存在だ。先程、違う方角からやってきたシュペヒトが「北門から逃げ出した人が蝿に食われました!」と報告してきた。
「槍陣を組めっ! 亜人の群れを止めろっ!」
通りで陣を組んだ領主兵が大声を出す。
指揮系統が確立できていない混乱状態でも動くものは居る。二十ほどの槍を懸命に構えた兵たちは──たった三体の亜人の突撃により一瞬で瓦解し、鋭い牙や爪で惨殺された。
ファルコの胸中を強い不快感が襲う。
だが今助けに入っても多くを助けるには至らない。
ファルコは己の本領と役割を理解している。
それでは無いと。戦う場所が違うと。
悲鳴を背に駆ける。屋根を登ってくる鱗が生えた亜人を蹴り落とし、時には教皇から下賜された短剣で貫く。ファルコはそうやって懸命に進み、西の大門前までたどり着いた。
「門が……攻城兵器か……馬鹿な……」
ファルコは腕をだらんと伸ばして立ち尽くす。
西の守りの要、木製の大門が今まさに開かれんとしている。定期的に破壊音と衝撃が門に走り、その度に門が少しずつ壊れていく。残酷なことに門を守る領主兵は一人も居ない。
攻城兵器かとファルコは思ったが、数秒後にその疑念は驚愕に変わる。大門がドカンと開け放たれ、木片を撒き散らしながら入ってきたのは破城槌でも使役されたオーガでも無い。
「あれは……巨人かっ!」
城が歩いているような威容──筋骨隆々の巨人は黒の長柄戦斧で門を打ち砕いたのだ。門の後ろ、外には巨大な魔法陣が見えるが、転移を可能とする魔法陣など聞いたこともない。アーンウィルのダンジョン以外では。
「遠からんものは音に聞ケっ! 我が名は魔人リゲル、報復の戦士であルッ!」
巨人の大音声が通りを貫き通し、遠くで畏怖する領主兵が見える。そして巨人は戦斧を横薙ぎに振るった。
それだけで二階建の家が粉微塵に粉砕されて、遠くに見える領主兵は戦意を失ってしまう。ファルコは都市の未来を思い、暗澹たる気分に包まれた。
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