第102話 籠の鳥
目の前でヨワンが気絶している。
搦手を使ったが勝ちは勝ちである。怪我による呻き声を我慢しているファルコだが、斬り落とされた足が残っているので傷跡を繋いでポーションをかければ少量で治った。
セヴィマールは欠損した左腕を治してから、両目を元通りにする。なぜ治ったのか目を白黒させているので「奇跡が起こった」と伝えた。全然納得していないが、まあ良い。
目を擦りながらセヴィマールがヨワンを見つめる。
「ヨワン長兄が倒れてる……あれ、これ? 僕が首を持ち帰ればミルトゥ兄上に許されるんじゃね? むしろ派閥の最高功労者になるのでは……?」
「駄目に決まってるでしょ。ヨワン長兄は王族の中でも比較的マトモな人なんですから。それに派閥の力関係が今崩れると危険過ぎるんです」
「千載一遇なんだけどなあ」
ぶちぶち文句を言うので、じっとセヴィマールの瞳を見つめる。「奈落の底みたいな目で見ないでくれ」と言われたが、なお見つめると諦めてくれた。
ヨワンが使っていた
灰なる欠月を地面に置き、聖剣を抜き払う。光り輝いて格好がいいし、持っているだけで善人になったような心地だ。
「盟友……鼻血が出ているぞ……」
ファルコが変なことを言っているので、試しに鼻の下を拭うと、ドロリと濃厚な血が手にべっとりと付いた。鉄の匂いが鼻腔をくすぐって不快感。
「な、なぜゆえ!」
咳は出るし、頭が割れるように痛くなる。足元を見ると、灰なる欠月が微振動しながら近づいてきていた。
「痛ったいし怖いっ! 何故だっ?」
このままでは死ぬ。
言葉ではないが、何か感覚的な問いかけが頭に響く。手放すな、捨てるな、我を見ろ、浮気者といったニュアンスのおぞましい感覚だ。
灰なる欠月を腰に差し直して聖剣を捨てると、すべての症状が収まる。
結論としては単純明快。
剣が嫉妬しているのである。
試しにファルコの双剣を貸してもらうと、鼻血がまた出た。ちょっと前までオリハルコンの剣も使っていたのに、何で駄目になったのだろうか。
関係ないが、ダンジョンで鍛え上げたオリハルコンの剣が砕けたのも辛い。愛用していたのに、あれだけ鍛えるのにどれだけの運と時間が必要だと思っているのか。
ファルコに双剣を返すと、しみじみと頷かれる。
「魔剣といった感じだな。聖剣に嫉妬するとは可愛らしい所がある」
「魔剣はさておき、リリアンヌみたいな剣だなこいつは……思わず好きになりそうだ。はあ、俺は生涯、他の武器を持てないのかも……それに不味い。この剣を外で使うとヨワン長兄にいろいろバレてしまう」
忸怩たる思いはあるが聖剣は諦める。そもそも俺が持っていると今夜の襲撃事件と関連付けられ、立場が悪くなる。それにヨワンの立場が悪くなり色々なところで不和が発生するだろう。
倒れたヨワンを一瞥する。
ふと、リリアンヌの言葉を思い出した。
一族の罪過で人を判断してはいけない。
一人の人間として、きちんと見て欲しい。
そう思うとヨワンは悪い人間では無かった。少し酷薄だが、優れた才を努力で伸ばして来た人である。
この人が王となるのも悪く無いだろう。少なくとも俺がなるよりは民の暮らしは良くなるはずで、ここで殺すにはあまりにも惜しい。
「追手が来る前に五階へ行こう」
王国の宝物が砕け散った大階段前を一瞥し、目的地である五階へと進む。ここより先は近衛兵も居ない。そもそも、ここまで侵入者が来ることを想定していないのだ。
◆
王宮北棟の五階。
目的地に近寄る度に心臓の鼓動が
本来であれば母もここに住まうはずだったが、生家の家格が低いため俺と一緒に北棟の離れに追いやられていた。
母は今の俺を見て微笑んでくれるだろうか。それとも愚かな判断だと、周りを危険に巻き込んだと、叱ってくれるだろうか。
五分ほど結界を壊しながら廊下を走ると、目的地前の扉に着いた。ノックをすれど返事は無く、意を決して中に入る。
月光が窓から差し込む部屋に、椅子に座る女性が居た。薄褐色の肌に、艶のある黒の長髪。美しいが、痩せこけた頬が悲壮さを醸し出している。
確か、年の頃は二八歳だった筈。ダルムスク自治領の元姫──
「……どなた……でしょうか……」
「アンリです。ご無沙汰しておりました、シーリーン様」
「あぁ……アンリさん……大きくなられて……」
目に生気が無い。時間が惜しいので迎えに来たことを伝えるが、良い返事は貰えない。
彼女は王宮に留まると身の危険があるだろう。サレハの生存が公になると人質としての価値が高まる。いかに他国の元姫と言えど、本気になった王族の策謀の前では、細い蝋燭の火より容易く消される。
アーンウィルも政治的に危険ではあるが、まだマシだ。自分の目の届く範囲に置いておきたい。いざという時に他国に逃がすにしても王宮に居ては叶わないだろう。
「サレハは……死んだと聞かされました……もう、私も……生きる意味が無いのです。どうか私に構わずに……」
「生きてます、サレハは。俺の領地で今も過ごしています」
「嫌……嘘、嘘です! そうやって……! 私を、騙すんですか! 国を滅ぼして私から故郷を奪っただけでなくて! 息子まで……奪ったくせに!」
シーリーンの肩を掴む。
涙が双眸からこぼれ落ち、薄い唇がわなわなと震えている。食事をろくに摂っていないのだろうか、ダルムスクの美姫と謳われた彼女の肩は、異常なまでに細い。
「サレハ……うぅ……サレハ……」
「俺を、ボースハイトの男を信じられない気持ちはわかります。俺たちは貴方から国と誇りを、家族を奪いました。気持ちが晴れるのなら、俺を一生恨んで下さい」
「恨んで……息子が、帰ってくるのですか……? 何も、信じられません……」
沈黙が訪れる。悲しげなすすり泣く声だけが響く空間。後ろに居たセヴィマールが口を開く。
「あー、あのー、シーリーンさん。アンリが言っていることですけど本当ですよ。サレハはエイスの馬鹿が攫ったんですけど、色々有ってアンリが保護したらしいんです。信頼できる諜報畑より報告がありましてね」
「…………」
「えーと、僕はどうでも良いんですよ、全部。エイスは敵派閥でしたしヘマをすれば僕たちは助かるわけで……まあ、信じるも信じないもシーリーンさん次第でしょ。あと、ベソベソ泣かれると時間的余裕が無くなって、僕らもしんどい訳なんですがねぇ」
シーリーンが涙を拭い、俯いた。
椅子の前で屈んで語りかける。
「サレハから聞きました。幼い頃、雷が鳴っている日は母のベッドに潜り込んだと。故郷がどんな所か、寝物語を聞かせてくれた事も。お願いします……サレハが待っているんです」
「……っ! えぇ、あの子が幼い頃は、とても幸せでした。まだ……私を……待ってくれているんですね」
サレハはあまり我儘を言わない。俺が頼りないから、本気で甘えるのを躊躇してしまうのだろう。子供が子供らしく振る舞えず、無理に大人ぶろうとするのは──見ていて辛い。
まだサレハには母親が必要だ。シーリーンに今までの冒険譚を聞かせ、どんな風に息子が過ごしていたかを伝える。その後も根気よく説得すると彼女も前向きになってくれた。
「ごめんなさいアンリさん。酷いことを言ってしまいました。貴方がサレハを攫ったわけでは無いですのに」
「何を言っているんですか。俺は王宮の外れ王子と呼ばれて、ありとあらゆる誹謗中傷を受けた男。これくらいで暴言なんて言っていたら甘いですよ」
「ふふ……アンリさんはお強くなられました。セヴィマールさんもありがとうございます。あんなに仲の悪かったお二人が、こうして協力しているのは夢のようですね」
シーリーンが切なげに微笑むが、涙の跡が痛ましい。セヴィマールも頬をポリポリと掻いて所在なさげにしている。
「けど……怖い、怖いです。あの子とはもう、何年も逢っていません……今更、母親面をしても、あの子は喜んでくれるでしょうか」
絞り出すような儚い声。
ファルコが早く終わらせるように急かすが、目線でもう少し待つように伝える。彼女を無理に連れ出したのでは意味がない。
「シーリーン様の人生です。どんな決断をしても、それが心からの願いであれば祝福します。けれど……もし……大切な親を失った子供が居て、もう一度家族として過ごせるなら、どんな手段でも取るものじゃないでしょうか」
「アンリさん……すみません。貴方に聞くには辛い──」
「あぁ……違いますよ。サレハと貴方の人生の話です。簡単に考えましょうよ。逢いたいですか、それとも逢いたくないですか?」
「あ、逢いたいに決まってます! アンリさん、ついて行っても良いですか!」
答えは決まった。
廊下から時間がないことを知らせるように怒号が聞こえる。複数の足音と甲冑が鳴らす金属音。もう時間の猶予は一切ない。
「よし兄上っ! 〈転移門〉を迅速かつ完璧に出して下さい! 行き先はオルザグ山脈の中腹です!」
「白亜宮じゃなくて良いのか?」
「急に山頂まで行くと山酔いしますからね。体を慣らしつつ白亜宮に行く感じでお願いします」
「はえー、意外と考えてる。そこは行ったことあるから門を出せるよ。ん……ここでアンリを騒乱の首謀者として近衛兵に差し出せば、僕の立場ってよくなるのかな……?」
「いえ、駄目です。この場において俺と兄上は一蓮托生。具体的に言うと一緒に死んでもらいます。そんなに簡単には逃しませんよ……?」
しぶしぶとセヴィマールが手をかざして漆黒の門を開く。
待っている間に窓ガラスを蹴破って「ここから逃げましたよ」感を作ってる横で、ファルコが羊皮紙を置いている。覗き見れば「我らを滅ぼしたボースハイト一族に呪いあれ、我は恨み持つ邪悪なる使者──」から始まる数十行にも渡る恨みつらみが書かれていた。
「なあファルコ。やたら長い文章だけど、もしかしてコレ……前々から私的に用意していたのを流用してない?」
「な、何のことだ! 俺は知らん!」
近衛兵だろうか、足音が近づいてくる。ファルコが急かしてくるので門に入り、十六年間住んだ王宮ともこれで二度目の別れと相成った。
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