第99話 激闘

 白亜宮の薄暗い一室でファルコは昏い喜びを満たしていた。

 目の前にはベッドに縛り付けられたセヴィマール王子がおり、ファルコはその前で一晩中拷問道具を手入れしていたのだ。


「あぁ……もう……あれだろ、僕たちが出した無茶な命令を恨んでいるんだろ? 悪かったって……謝るから……ねえ。ねえ! 返事しろよ!」


「…………」


 もちろん拷問自体は敬愛する教皇より禁じられているためセヴィマールには怪我一つ負わせていない。これはちょっとした意趣返しであり、ファルコも程々で切り上げるつもりである。目の前で拷問の準備をされれば、どんな偉丈夫でも許しを懇願すると彼は知っていた。


(まさか、忌み子と呼ばれたこの俺が教皇猊下の下で働けるなど、そのような望外の厚遇を受けるなど……想定外だ)


 ファルコがとある子爵の庶子として産まれてより二十年、家から捨てられた後の人生の殆どは暗殺者として過ごした。異端審問部隊の隊長──はるけき昔であれば邪教徒や魔物崇拝者を殲滅する神の尖兵として畏怖の象徴であれたが、今では王族子飼いの暗殺者に過ぎない。


「無言やめろやァッ! 王族に対して何たる不礼! アンリを呼べ! 僕たちは共闘して兄弟の絆を確かめあったんだぞ! 手を出せばアンリが怒るぞオラーッ!」


うるさいなこの男……)


 先ほどファルコは教皇より呼ばれて引き抜きの誘いを受けた。詳細を話す前に誓いの聖鈴ベル・オブ・オウにて死を対価とした随順を求められたが、間髪をいれずに了承。

 驚くアンリと教皇をよそに聖鈴を鳴らしてもらい、裏切り防止や情報秘匿もろもろ合わせて六つの誓約が交わされたのだ。


(殿下は十九の誓約を交わしたと聞く……俺より多いのは羨ましいな……いや、そのような浅ましき考えは捨てねば……今日より俺は神の兵となるのだから)


 ファルコは考えを巡らせる。

 まずは所属しているドミール修道会の総長および幹部七名を抹殺しなければいけない。神の名を汚す汚物であるので生きる価値は無く、暗殺も身内であるため容易い。最も罪深き総長を殺す場所も決めている──懺悔室に呼び出して切り裂き、己の罪状を全て吐かせてから殺す腹づもりだ。

 その後は部下百名に事情を説明して一緒に離反してもらう。考えを共にする者は多いだろうし、アーンウィル襲撃戦で負った怪我を全て治すとアンリが確約したのも大きい。


 ファルコの脳裏にアンリの言葉が蘇る。


『仕える人間を選べないのは苦しいだろう』


『俺だって憎い連中がいる。何の後腐れも無いのなら皆殺しにしてやりたい。実際は出来ないんだけどな。すると困る人が多すぎるから』


『ムカつくだろ。利用した馬鹿どもが』


 そしてファルコは思い出した。

 自分がなんと答えたか。


『神の名を不当に使う者、俺たちを捨て駒扱いする者、たまに思うときがある。俺は短刀で奴らの首を切り裂けるのに、なぜ我慢しているんだろうと』


 ファルコはナイフを砥石で研ぎながら頷く。やはり自分の答えは間違っていないと。意味深な動作にセヴィマールがびくりと震えたが、それを知るものは居ない。


(襲撃戦で負け、死んで当然だった俺を見逃してもらい、更には仕えるべき主まで……殿下に恩を返したいが、俺に何が出来るだろうか)


 ナイフに獣から採った油を塗り、布で薄く伸ばしながらファルコはしみじみと思う。


「やはり俺には人殺しの才しか無い」


「げえェーッ! なんか怖いこと言ってるぅッ!」


 だから皆が出来ない悪事を請け負うとファルコは心に決めた。塩の交易を始めるのであれば王国の暗部ともぶつかり合うだろう。己はそれを支えるのだ。どんな手を使ってでも──と。


「ふ、ふふ……」


 ファルコの薄笑いが響いた。




 ◆




 白亜宮の廊下を歩いているとガブリールが丸まって寝ており、アリシアも暖を取るためだろうか抱きつきながらうつ伏せになっていた。

 毛並みをしきりに撫でながら満足そうにしている。先程まで教皇やファルコたちと密談を交わしていたので世話をガブリールに任せていたのだ。


「俺はこれから兄上と話してくるんだが、大人しく待てるか?」


 アリシアは首をフルフルと振ってから俺の背中にしがみついて来た。無言のまま首元に手を回して頭を肩に乗せる。


「面白くはないが、良いのかい」


「うん」


 廊下を進んで部屋前までたどり着いたのでノックをする。ファルコの返事を受けたので入室。なぜかベッドに縛られたセヴィマールが居たが、どうでも良いと思った。拷問の跡も無いし一安心である。


「話があるなら席を外そう」


 ファルコの言葉に頷くと、ピカピカに磨かれた拷問道具とセヴィマールが部屋に残された。取り敢えず縄を解いてベッドに座らせると礼を言われたので、水を飲ませて人心地付かせる。


「…………」


「…………」


「…………あのさ、アンリさ……」


「………………なんですか……兄上………」


「……いや、やっぱ、いいわ……」


 アリシアを椅子に座らせ、俺はセヴィマールと一緒にベッドに腰掛ける。会話は弾まないし、何を話せば良いのかも分からない。そもそも今後の処遇すら決めていないのだ。

 この男を逃せば俺が白亜宮でしていたことが白日の元に晒され、派閥連中から激烈な嫌がらせをされる。だが殺すのか──確かに宝物殿で出会った時は即殺しようとした──そうしなければ死者が出たから。


 命を天秤にかける。

 あの時はセヴィマールを殺せば多くの命が助かった。だが、今殺しても命が一つ減るだけで数の理が合わない。俺の恨み一つで奪えるほどセヴィマールの命は軽いのか。




 ◆




 時間をかけて対話を続けた。

 昔話もした。

 当然のごとく大喧嘩になった。


「死ねやァアアアアッ! 灰色野郎がァアアアアアッッ!」


 セヴィマールが握りしめた拳を振るう。さすが王族と言うべきで矢のように鋭く、俺は力を込めた左腕で受けて、右手で本気の張り手を見舞う。


 バチーンと小気味いい音がした。

 最高に気持ちいい。


「グベェッ! やりやがったなっ! 僕の美しい顔を叩いたな!」


「うるっせえんだよっ! そんなに顔が大事なら箱にでも入れておけ!」


「ガァアアアアアアアアッッ!」


「ウォオオオオオオオオッッ!」


 蹴りが来る──下段、中段、また下段、そして上段。

 まったく同じ動きを返す。足がぶつかり合う度に空気が弾ける音が響くが、お互いに遠慮は一切ない。


 セヴィマールが地を蹴って下がる。

 大技の気配。


「お前は技を応用しろって言ったな! 喰らえや〈亜空穴〉が崩し──〈亜空拳〉!」


 〈亜空穴〉が一つ開き、セヴィマールはそこに渾身の突きを繰り出す。掻き消えた拳を不審に思ってると、顎部側面に鈍い衝撃が走った。口の中でゴリゴリと音がし血の味が広がり、奥歯が折れた衝撃で頭に火花が散る。


 感心する。

 手元の〈亜空穴〉と対象近くの〈亜空穴〉──手元の一方に攻撃を加えれば射程無限の近接攻撃を繰り出せるのか。あれが拳で無くて剣であれば俺の命を奪うに十分であった。


「やりますね兄上……!」


 血を吐き出す。

 真っ白い歯が床にぶつかって音を立てた。


「上の兄たちはこんなに甘くねえぞ!」


「知ってる。それくらい」


 睨みつける。

 セヴィマールが顔を赤くして、いや半分は引っ叩いたせいで赤いのだが、何にせよ赤い顔で憤怒を顕にした。


「ああ……やっと分かったよ! なんで僕たちがアンリにこんなにムカつくのかがよぉお! お前はさあっ……! お前は、自分だけは周りとは違いますって面をしているのが、それが堪らなく……! ムカつくんだよッ!」


「うるっせえッ! お前らと一緒にされてたまるか!」


 拳闘の構えを互いに取る。


「エイスは、あいつもお前のせいで狂ったんだッ! これ見よがしに愛されてるって、俺は可哀想なんだって! 独りよがりに見せつけるからなァアッ!」


「──っうぅううう! エイスの事を、誰も! 生きていた時は、誰も見ていなかっただろ! 死んでから言うんじゃねえッ!」


 ブチリと何かが切れた。

 相手は片腕。身体能力は俺のほうが上である。下段蹴りをフェイントにして、拳の大振りを入れようとした。


 ──だが、俺もセヴィマールも気がつくと地面に叩きつけられていた。


 顔を上げるとムッとしたアリシアがいた。俺とセヴィマールの右腕を信じられない力で捻じり上げている。


「これ以上のケンカはだめ」


 これは熟練の技ではない。

 圧倒的な身体能力での力技だ。


「危ないから、悪いことをするなら記憶をちょっと消すね」


 額に小さな手を当てられる。

 同じようにされているセヴィマールが赤い顔を真っ青にして謝っている。記憶を消すとは如何なることか。


「やっべ! おいアンリ! 謝れ! アリシアは記憶を操作できるんだ! これ以上、絶対に怒らせるなよ!」


「そんな事、そんな事が、出来るわけが無い」


「出来るんだってぇえ! だから暗殺者代わりに連れてきたんだもん!」


 手を離してもらえば、地面の冷たい感触により激情が冷えてくる。そもそも子供の前で激高するのも恥ずかしいし、何をしているのか俺は。


「すみません兄上。一度、もう一度、話し合いましょう」


「まあ、いいけどさあ」


 地べたに座って顎部を抑えて痛みを和らげる。蹴り合いをした足も今さら痛くなってきたし、後で治癒魔術を掛けてもらう必要がある


「もう、ケンカしない?」


「うん、しない、しない。俺たち仲良し」


 セヴィマールと肩を組んで仲良しであることを証明する。互いの頬が引きつっている気がするが、恐らく気のせいだろう。




 ◆




 再度、話し合う。

 今度は喧嘩にならなかった。

 だが顎が痛い。冷静になると倍痛い。

 アリシアの事も気になる。

 だけど今は話す余裕が無い。


「あー、アンリさ。要約すると……どういう事?」


「兄上の欠損した腕ですけど治せます。あと敵対するのも面倒なので誓いの聖鈴ベル・オブ・オウで不可侵条約を結びましょう。この場で互いに知り得たことを黙る誓約も交わします」


「いやいや欠損を治せる〈グランドヒール大治癒〉は人外の領域だし無理だろ。不可侵条約とかはまあ、僕に損は無いけどさ。囚われの身だし」


「俺のお願いを一つ聞いてくれたら、治せます」


 渋い顔をされる。

 アリシアがいつの間にか膝に座っている。動いたら駄目だという意思表示か。それに髪からリリアンヌと同じ匂いがする。香水だろうか、香油だろうか。いや、それはどうでもいい。


「お願いって何さ?」


「俺と一緒に王宮に忍び込んで、盗賊の真似事をして欲しい」


「実家に忍び込む馬鹿がどこの世にいるんだよ!」


「ここに二人いますけど」


 渋い顔がもっと渋くなった。

 王宮に一つ──とても大切なものを残してきた。手遅れになる前に取り戻したい。愚かで危険な試みだが、これを成せないなら、俺という人間は何の価値も無い。


「危なすぎる……状況次第では極刑もあり得る。王国への背信行為だ……」


「お願いします兄上」


「えぇー嫌だなあー。面倒くさいし、危ないし」


「お願いします! 空間転移の力が必要なんです!」


 本当はダンジョン由来のスクロールを使って単身忍び込むつもりだった。だがセヴィマールが居れば成功確率は跳ね上がる。


「ふーん、じゃあ僕の靴を舐めろよ。そしたら付いていくよ」


 足をズイと出された。

 冷静になってみれば個人感情など今はどうでもいいし、そんな条件でいいのならお安い御用である。アリシアを下ろし、膝を立ててから地面に這いつくばり、靴を舐めるために頭を屈める。

 舌が靴先に触れようとした瞬間、しゅっと靴が引かれた。靴舐め失敗──なんで邪魔をするのか。


「いやさあ……王族がさあ! そんな真似するなよ! 本気にするとは思わなかったよ。うわっ……もう……だからさあ」


「兄上がしろって言ったくせに」


「いや、普通はしないからさあ」


 セヴィマールがストレートの金髪を掻きむしり、呻き声を上げたり頭を上げたり下げたりして悩んでいる。少し待つと、嫌々そうに口を開いた。


「絶対に左腕を治すんなら王宮に付いていくよ。変装して〈転移門〉を駆使すればまあ行けるでしょ。んで、何を盗むの? 遺物アーティファクトはヤバいぞ、国賊なんてもんじゃないよ」


「それは内緒でお願いします」


 拝月騎士団が動き出す前に、王国が本腰を入れる前に大切なものを盗みに行く。

 あと、アリシアが皆に喋るとマズイので砂糖菓子を与えて口止めをした。

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