第77話 父子

 ハーフェンで一番の高級宿を一室借りる。王族が安宿に泊まると怪しまれるためだ。本当に無駄な金ではあるが堪える。一泊する金で芋がどれだけ買えるかと思うと歯ぎしりしてしまいそう。けど我慢する。


 荷馬用の馬小屋はとても大きくガブリールも楽に入れた。宿の主人は躊躇いつつガブリールを眺めていたが、高い金を払う客は無下に扱えないのか最終的には黙認。


 宿を出て裏路地に入る。しばらく歩くと目的地付近に着いた。遊ぶ少年が居たので銅貨を何枚か握らせてお願いする。この先の路地裏にいるオジサンに合言葉を伝えて紙を貰ってきてほしい、お金は返ってきてから追加で渡すと。


 少年は笑顔で了承し、俺が合言葉を伝えると駆け足で路地を曲がっていった。少し待つと子供が返ってくる。手の中には紙の束がある。


「これでいい、お兄さん?」


「ああ、ありがとう。お駄賃をあげよう」


 銅貨を追加で二枚貰った子供は喜び勇んで大通りに繋がる道を走っていく。買い食いでもするのだろうか。


 目的は達したので宿屋に戻る。


 ホコリを落としてから部屋に入り、水差しを傾けてコップに水を注ぐ。念の為、解毒のポーションを横において喉を潤す。どうやら即効性のある毒は入っていないようだ。遅効性であれば徐々に気分が悪くなるだろうから、何時でもポーションが飲めるように準備しておく。


 紙の束を検める。かつて灰の剣士としてハーフェンにいた頃、情報屋に頼んでいた調査の結果だ。書かれているのはオルウェ王国──トールとシーラの生まれ故郷の地図。今なお略奪を続けるキルロイ傭兵団の勢力図や情勢が書き込まれている。


「エルフが劣勢か」


 ベッドに腰を下ろす。


 最後に綴られている文字を見て落胆する。そこにはトールとシーラの父母は見つからずとあった。だがエルフの一部はキルロイ傭兵団の奴隷になったとも書かれている。もしかすると捕らわれている可能性がある。


 同様にサレハの母親についての目ぼしい情報も無し。だが内部からの聞き取りによると生きているらしい。今はそれだけで充分。派閥連中もダルムスク自治領出身の彼女を簡単に殺せはしないだろう。属国とは言え他国の姫なのだ。


 トールとシーラ、それにサレハ。彼らが親と一緒に暮らせる日が来ればと思う。俺はもう無理だがあの三人はまだ希望がある。陰謀や殺し合いとは無縁の世界に早く逃してやりたい。


 やる事もないのでベッドに寝転んで天井を見つめる。これ以上、街中を出歩くのは得策とは言えない。



 ──ふと違和を感じ、体を起こして部屋の中心を見つめる。



「何、だ。あれは……?」



 ──部屋の真ん中に亀裂が出来る。漆黒の亀裂は人が通れるくらいの楕円まで大きさを広げる。バチバチと音を立てるソレは、さながら異界への扉のように見えた。



「空間転移っ! セヴィマール兄上か!」


 剣を引っ掴んで亀裂の前に立つ。接触してきたのか暗殺しに来たのか、経緯は不明だが備える必要がある。オリハルコンの剣を抜いて中段に構え、何時でも切りかかれる体勢をとった。


 マナの動きを感じ取ったガブリールが窓枠を突き破って部屋内に入ってくる。グルルと唸り周囲を威嚇。牙をむき出しにして俺を守ろうとしている。


 亀裂から出てくる二人の男。一人は陰になって見えづらい。だが前に立つ男は分かる。父王の特徴をよく受け継いだ金髪男は第七王子のセヴィマール。こちらを一瞥するが興味を無くしたとばかりに目をそらした。


「父王よ、目的地に着きました」


「おお、そうかそうか。大儀であったぞ我が息子よ」


「勿体なきお言葉。私は隅にて控えております」


 さらに亀裂から近衛兵が二人出てくる。黒の鎧に身の丈はあろうかという大剣、ドゥーガン将軍には劣るが達人の領域に立つ男たちだろう。


 父王が歩み寄ってくる。詰め物とキルティングがされた純白の上着。金糸と銀糸が入ったあの服一着でどれだけの贅を尽くしているのか。


「その獣二匹から父王を守るように」


「はっ!」


 セヴィマールに命令された近衛兵が機敏に動く。目的がわからない。俺を殺しにきたのであれば暗殺者を送り込むだけで良い。父王が自ら来る理由がない。


「息災であったかアンリよ」


「…………」


「まずは余に向けた剣を降ろすが良い。親子の語らいには無粋というものよ」


 近衛兵が大剣の鞘を掴む。威嚇だろう。負けるとは思わないが、ここには父王とセヴィマールが居る。不承不承ではあるが剣を鞘に収める。


 父王は口角を僅かに歪める。ゆったりとした足取りで部屋に備え付けられている椅子に座り、俺に目線で促す。座れということだろう。


「親子というものは素晴らしいなアンリ。ほら、話し合わずとも通じた。ああ、会うのは数カ月ぶりとなるな。父も会えて嬉しく思うぞ」


「……俺もそう思います」


「重ねて問うが息災であったか?」


「安息に過ごしております」


 何が親子だ。ボースハイトの穢らわしい血など欲しくなかった。誰が頼んだというのだ。この男が居なければ母上はどこか遠くで幸せに暮らせたというのに。


 息を吐く父王。指にはめられた指輪──『王の指冠リング・オブ・オルメガ』を大切そうに撫でる。あれは遺物アーティファクトだと聞いている。効果のほどは知らないが油断はできない。


「して、エイスを殺した感想を聞かせてもらおうか。ああいや、直接殺したのは別の獣人であったか。まあどちらでも変わりはない。命を見捨てたのだ、殺したのと違いは無い。どうだ兄弟殺しの味は? 苦かったか、それとも甘かったか?」


「何のことか分かりません」


「ははは、しらを切るか。それも良い。それとも──アンリにとっては取るに足らぬ事だったかな?」


「確かに俺もエイス兄上も、取るに足らぬ男でした。だからあの人は死んだのでしょう」


 部屋の端でセヴィマールが愉快そうに口元を歪める。別派閥の兄弟が死ぬことが嬉しいのだろう。


「ああ……捨て去ったと思った盤上の駒が、いやアンリ、生きてここまで成長するとは夢にも思わなかった。余の心は歓喜に打ち震えておるよ」


「それがどうしたと言うのです。大人しく王位でも譲りたくなりましたか」


「ドゥーガン将軍をみすみす見逃した。刺客を一人も殺さず開放した。アンリよ、些か甘いと言わざるを得ないな。もし貴様が敵対者を一人残らず鏖殺し、余の首すら狙う気概があったのなら、王位を譲っても良かったのだぞ」


「俺は他の兄弟とは違います。俺は違うやり方で正しさを証明したい」


 机の上に置いた手に、父王の指が重ねられる。シワの入った枯れ枝のような指。色あせた金髪、だが眼光だけが力強い。見るだけで全てを見透かされているような錯覚を覚える。


「二千万の民を統べる王の考えでは無いな。失望させてくれるな。愛の中で生まれ、憎しみの内に育ったアンリなら、もう少し面白い答えを聞かせてくれると思ったのだがな」


「……父王よ。望む答えを述べれぬ不明を詫びます。だが一つだけ、一つだけ問わせて下さい」


 俺の言葉に目ざとくセヴィマールが反応する。王に口を挟む無礼を詫びるようにギャーギャーと喚いているがよく聞こえない。まるで豚の鳴き声のようだ。父王は何度か頷いてから片手を上げる。するとセヴィマールは押し黙った。


「良い。一つだけと言ったな。申してみせよ」


「父王が即位してから、この大陸に争いは絶えません。王国は充分大きくなりました。今後は内政に励み、民草の心を慰撫しようとは思わないのですか」


「最悪の問だな。アンリ、貴様は民草を素晴らしい物だと勘違いしている。愛すべき無辜の民なぞ居ない。ああ、貴様には領民を、いや領地を与えておったな」


「今はアーンウィルと名乗っています」


「確か人口は百か二百といった所だったか。貴様は全ての民の顔を見て、交友を深めているのだろう。だからそんな甘いことが言える。自分は必要な存在で、皆と一丸になって難事に当たっていると勘違いしている」


 父王はガリガリと爪で机を削る。


「貴様に一つ教訓を教えてやろう」



 ──父王は片手を近衛兵に向ける。すると王の指冠リング・オブ・オルメガが鈍く光った。そして次の刹那、黒炎が二人の近衛兵を包んだ。生き物のようにうねる炎は黒鉄の鎧、その関節部から内部に忍び込む。血が沸騰する音、肉が焼け焦げる臭気、近衛兵は悪意に満ちた業火に焼き尽くされ、そして死んだ。



「──ッ! 何をしたか分かっているのかッ!」


「人を殺せばマナを奪える。力はいや増す。アンリよ、民草と一丸となる必要はない。こうして殺して殺して、殺し尽くして力を奪えば良いのだ。余らは王国で最も強い個となれば良い」


 父王は席を立ち、まだ続ける。

 残火によって灼かれた鎧が熱に耐えきれずに割れ、遺灰がサラサラと零れた。


「力に怯え反旗を翻す者も出よう。だがそれが何だというのだ。それすら余は! 歴代のアルファルドは贄としてきた!」


「それが罪だと言うのです! ボースハイトの一族は血に塗れ過ぎている!」


「アンリよ、この世界は我ら王族の箱庭なのだ。貴様の兄たちはよく理解している。貴様も思うがままに力を奮う喜びを感じてみろ」


 セヴィマールが手をかざして空間転移の門を開く。


「今日はここまでとしよう。憎しみで歪んだ貴様ならいつか分かる日が来る。どう足掻いても貴様も余の血族なのだ。それはアンリ、自分が一番分かっておろう」


 近衛兵の遺灰を踏みしめて父王は歩む。

 殺せない。ここで父王を殺しても戦乱が起こるのみ。誰も喜ばない。誰も幸せになれない。


「いつか親子で分かり合い、語らう日が来ることを楽しみにしているぞ」


 父王とセヴィマールはせせら笑いながら虚空に消えていった。

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