第71話 異端審問部隊
アーンウィルから二千歩の距離。
ドミール修道会に属する異端審問部隊。かつては聖なる勤めを果たしていた彼らだが、今は王国の走狗に堕ちている。その隊長であるファルコは積み重なる問題に頭を悩ませている。
百名の部下とともに草原に隠れ伏した姿勢。漆黒の法衣に身を包みフードを深く被っている。隊員も同様だ。
(ふざけるな、完全な隠密行動だと言うのにあの男は……)
ファルコの前方で下手くそな擬態をするはドゥーガン、万の兵を束ねる将軍であるが、今は重装鎧姿で地面に腹ばいになっている。異端審問部隊出撃の報を聞き、勝手に付いてきた為だ。
「隊長、【魔物使役】持ち三名が待機完了です。いつでも作戦行動が取れます。数を揃えるのに二ヶ月も掛かってしまいましたね」
「ああご苦労、あの男が居なければもっと良かったのだがな」
使役された五十体のオーガ、八体のロック鳥、六体のワイバーン、そして百名の精鋭からなる部隊は寡兵なれど、戦い方によっては二千の軍勢にも匹敵する戦力と言えるだろう。だが与えられた指令は複雑怪奇。ファルコを悩ませるもう一つの頭痛の種だ。
(第一王妃派閥はアンリ殿下の領地殲滅、第二王妃派閥はシリウスの捕縛、父王に至っては『アンリの力を試せ』だと! 我らを捨て駒とでも思っておられるのか!)
第一王妃派閥はエイスがシリウスの村に行った無断侵略を隠蔽しようとし、逆に第二王妃派閥はそれを政争の種にしようと証拠であるシリウスを欲している。一貫性の無い指令、まさに王国の現状を表している。
「おーいファルコ! 凄いなあの防壁、お前も見てみろよ!」
「ふざけるなドゥーガン、これはお前たち軍人がするような野放図な作戦ではない。本来なら夜半に近づくべきであってな!」
「良いではないか! この距離で気付けるものなら、それはもう人では無いよ!」
「……大声も出すな」
「陰気なことを言うなよ。この距離で聞こえるわけが無いだろう」
目を細めるファルコ。見えるは堅牢な防壁と数門のバリスタ。
(この短期間であれほどの建築、まさかアンリ殿下はオルウェ王国かダルムスク自治領と手を組んでいるのか。異常なまでの発展だ。やはり後ろ盾を頼りに王位を奪い取ろうとしているのか?)
考えても考えてもファルコは理解できない。不安げにしている隊員の一人がファルコに問いかけてくる。
「隊長、『白銀』のシリウスが居るという報告は本当でしょうか? あの気位の高い男が人間に仕えるとは思えません」
「分からん。ゴルヨウ侍従長の推測では、アンリ殿下は精神操作のスキルを所持している可能性があるとあったな。眉唾ではあるが捨て置けん。まさかシリウスに主と認められている訳が無かろうよ。殿下は只の凡夫だと聞いておる」
ファルコは部下と一緒に頭を悩ませる。二人に尻を向けていたドゥーガンだったが、クルリと体を回してファルコに近寄り耳打ちする。
「ファルコ、もしかするとシリウスはその精神操作の影響下にあるかも。俺が救ってやりたいんだ」
「知らん。捕らえて引き渡す。シリウスは拷問されて情報を絞り尽くされるだろう。哀れな男よ」
「だから救って恩を売り、ほとぼりが冷めてから俺の副官にするのだ! その為に俺は仕事を放り出してここに来たと言うのに……帰ったらどれだけゴルヨウに叱られると思っているんだ!」
「知らぬ、存ぜぬ、何も聞こえぬ! 死ね! この猪将軍が!」
意見は平行線のまま噛み合わない。
百名と少しは夜半までこの調子であった。
◆
小声ではあるがよく響く声でファルコが演説を開始する。起伏のある地形なのでアーンウィルからは見えていない。
「聞け兄弟たちよ。我らは神に仕える一兵卒。全てを捨てた拝月の兵である。我らはこれから戦い、そして死ぬ。たとえ今日でなくとも我らは人知れず死に絶える。だがそれは神への奉仕である」
隊員が無言で頷く。瞳は熱意、いや妄信的な信仰心に満たされている。
「生に憩う所は無い。各々の使命を果たせ」
言い終わるや隊員たちは持ち場へ移動する。短刀に毒を塗る者、ドワーフ製の爆雷筒を確かめる者、魔物を使役する者、指示がなくとも適切に動いている。
(ああ……彼らが神に奉仕できる日が来るのだろうか……こんな、下らない派閥闘争で我らは命を散らしていくのか)
ファルコは歯を噛み締めて自身の武具を確かめる。それを見つめるはドゥーガン。近づいてきて声を掛ける。
「俺も征くぞファルコ、すべきことがある」
「……勝手にしろ、我らはあの防壁内を焼き、住民を殺戮し尽くし、そしてシリウスを無傷でさらう」
「貴様らは教皇に仕えているのでは無かったか。意に沿わぬ指令なのだろう?」
「今の王国では信仰は金にならぬ、部下を養うためには金が必要である。これ以上無駄口を叩いて俺をイラつかせるな」
ファルコはアーンウィルの防壁を見据え、そして下知を下す。
「侵略せよ! 使命を果たせ!」
眼光鋭く防壁へ向かう男たち。
先陣を切るはオーガ、城門を叩き壊す破城槌の代わりである。腕の一振りで人をボロ布のように吹き飛ばす魔物。使役されれば戦場では恐ろしき存在と化す。
オーガが濁声の咆哮を上げる。歩みは駆け足となり、城門に近づくに連れ早くなっていく。衝撃力の塊。戦場を駆ける悪夢である。
防壁の上で何かがキラリと光る。
魔術の輝き、それはファルコを驚愕させた。
(魔術師か! だが走るオーガに当たる訳がない!)
ヒュンと鋭い音が鳴る。戦争の開始を告げる嚆矢、
マナの矢がオーガに突き刺さる。矢は胴体を貫通し、臓物を撒き散らしながら後方のオーガに刺さり、さらに爆発して他のオーガを巻き込んだ。
只の一撃、只の一撃で五体のオーガが肉塊と化した。戦場に噴煙が立ち込め視界が奪われる。
「ふっ、ざけるアアアッッ! 何だあれはアアアッッ!」
ファルコは目の前の光景が信じられずに叫ぶ。長く裏社会を暗躍した彼でもあの様な兵器、魔術、スキルを知らない。知るわけがないだろう。三千年前の技術はそれ程までに現代と隔絶していた。
「オーガどもを散開させろ!」
ファルコの指示を聞いた【魔物使役】持ちがオーガを散開させる。ロック鳥を低空飛行させ、さらにワイバーンを直接防壁上に向かわせる。矢を撃った正体不明の敵を殺すためだ。
ドゥーガン、ファルコ、百名の隊員もバラバラに防壁に近づく。だがマナの矢は止まること無く放たれ、オーガはその数を減らしていく。焦るファルコとは裏腹にドゥーガンは顎を触りながら思案する。
「なぜ人を狙わん。オーガの巨躯、やはり的が大きいからか、いやあの精度であれば人も狙えるはず」
「言ってる場合かドゥーガン! 早く壁に取り付いてあの意味不明な攻撃を止めさせろ!」
一人の隊員が防壁に向かって爆雷筒を投げようとする。だが火がつくより前に矢が放たれ隊員の腕が弾け飛ぶ。他の隊員が駆け寄り治癒ポーションを掛けるが傷の断面から血が止まるのみ。失った腕先は戻りはしない。
矢を放ったのは防壁に立つ男。
白銀の髪、威風堂々とした立ち姿、構える大弓は法外な腕力を必要とするであろう。その男を見たドゥーガンが叫ぶ。
「シリウスかッ!?」
「如何にも、我が名はシリウスッ! 退け
「主……アンリ殿下か、お前は騙されている! 正気を取り戻せシリウスッ!」
ほうとシリウスは息を吐く。主の正体がアンリだと気づいた、ならばこの敵は王国の内情を深く知る者たち。軍人か、諜報部隊か、そのどちらかだろうとシリウスは目星を付ける。
「戯言で我が忠義を試すか匹夫よ! 戦場で妄言を繰る臆病者よ、武器を捨てて今直ぐ投降せよ!」
会話の裏でロック鳥がマナの矢に貫かれる。血を撒き散らしながら落下し、地面を大きく抉った。だがファルコはまだ諦めていない。ワイバーンが居るからだ。
(行けワイバーン! 間隙を逃すな!)
上空から急降下するワイバーン。だが発動した
傷ついたワイバーンたちが荒い呼吸を上げる。隊員は火矢を射掛けるが透明な結界に阻まれるのみ。結界が上空にしか無いと気づいた隊員が防壁上を直接狙う。だが槍を持った獣人戦士たちがことごとく防いだ。
「何だこれは……我らが神意を違えた罰なのでしょうか」
ある隊員が心挫けそうになる。目の前で繰り広げられる一方的な蹂躙。それは歴戦の隊員ですら見たことがないものだ。
「まだ終わっていない! アンリ殿下の首を取れ! それさえ出来れば申し訳が立つ!」
ファルコが隊員を奮い立たせる。そうすれば第一、第二王妃派閥も溜飲を下げるだろう。父王の指令は『アンリの力を試せ』であるから、力なくて死んだとしても問題はない。そうファルコは考えた。
ファルコの瞳に一人の影が映る。防壁に立つ姿、灰色髪の男が。男はファルコを見据えて叫ぶ。
「やはり俺が目当てか! そこを動くな!」
「だあぁあああああっつッ! 止めて下さい主ぃいッ!」
髪をかき乱すシリウスを振り払い、男が防壁を飛び降りる。無謀な跳躍に続くは百体のゴーレムと巨大な狼。堀を飛び越して地面に降り立つ衝撃、轟音が戦場に響き渡った。
「俺の名はアンリ・フォン・ボースハイト・ラルトゲン! 防壁を登る雑兵共よ、俺を見ろ! 目当ての首がここにあるぞ!」
ゴーレムの暴力的なまでの質量に隊員たちが気圧される。ファルコは我が目を疑ったが直ぐに気を取り直す。
(ゴーレムだと!? だがゴーレムが自律的に動けるわけがない。統率のない力馬鹿など恐れるに足らず、必ず殿下の首を取ってくれる)
「アンリ殿下、恨みはありませんがここで死んでもらいます」
防壁を登ろうとしていた隊員たちがファルコの元へ戻る。臣下に守られたアンリ、相対する百名の異端審問部隊。
戦闘は最終局面に移った。
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