第44話 牡鹿の双角亭

「……んだよ。うるっせえなあ」


 無精髭を生やしたクロードが応える。見苦しい髭のせいで赤髪までしょぼくれて見える。酒に酔っているせいもあるだろうが。

 それにせっかく親友が訪ねてきたのにつれない様子である。仮面を着けているので俺だと分からないのだろうか。


「俺の顔を見忘れたか?」


 クロードだけに見えるように仮面を外す。朝の鶏舎よりやかましいであろうこの酒場でなら多少の声は紛れる。会話をしていても疑われることは無い。


「ん……? ああっお前はアンリ王──っぐむうっ!」


 大声で名前を叫ばれそうになったので手で口を塞ぐ。さすがに大声は不味い。


「ああっ! その口を塞ぐやつ僕もやりたいです!」


「焦るな弟よ。次にクロードが失言をするまで待とうか」


 怒り出す前にクロードの口から手を離す。クロードは荒い呼吸を数度繰り返すと、怪訝な顔をしてこちらを見つめてくる。


 仮面をそっと戻す。俺の顔を知っている者が居るとは思えないが用心に越したことはない。


「変装までして……身元を隠しているのか。それで何の用だよ……厄介事なら他所を当たってくれ」


「厄介事。実は金と地位が欲しくて」


「あとは女がいれば悪党の欲しい物を網羅できるな」


「おおっ……裏稼業的ろくでなしな発言」


 裏稼業の人間の冗談。面白いかどうかは分からないが非常にそれっぽい。

 それに金は本当に欲しい。金さえ有れば皆の家族を探しに行けるし、領地の防衛強化の為にも使える。


「何で俺がこの街にいると思った?」


「以前にトールとシーラを助けてくれた時に仕事仲間と揉めてただろう。あんな事をしたクロードは哀れにも裏稼業での信用失墜。失意のうちに近場の街で過ごしていたのかな……と思った。やる事も無く裏稼業で溜めたお金を酒に使う日々……硬貨入れは気持ちとは裏腹にどんどん軽くなってゆく……」


「怖っ……。見てきたように言うなよ。まあほぼ合ってるけどよお」


「この街に居なかったら王国中を駆けずり回るつもりだったよ。運がいいな俺たち」


 クロードが苦虫を噛み潰したような顔をする。無益な日々を反芻するが如くにコップに注がれたエールを飲み干す。


「兄様、このお方はどなたですか?」


「よくぞ聞いた。このお方はクロード。悪党に攫われたトールたちを義憤で助けたハンマー使いだ。ぶっきらぼうだけど多分優しい人だぞ」


「勝手に言うな小僧ども。今は只の職無しだ。ご立派な身分のお前とは違うんだよ……」


 クロード意気消沈。気分も目線も下を向いている。


「こんな所で終わる男じゃないだろクロードは。俺も些か責任を感じているから会いに来たんだ。俺たちも金が要る。一緒に表稼業で金を稼ごう」


「表稼業か……昔は冒険者登録をしたっけな。第六位階冒険者、しょっぱい称号だよ」


 クロードは酒気を帯びた声で説明する。


 曰く冒険者は十の位階で区分されている。

 駆け出しは十位階から始まり依頼をこなすことで位階が上がっていく。第一位階は国に数人しか居ない英雄と呼ばれる人々。俺の兄弟のうちの数人もそこに居るとの事だ。派閥争いを有利に進めるため民衆の人気取りをしているのだろう。


 クロードは第六位階。ゴブリンを一人で安定して狩れる冒険者といった所。言う通りにしょっぱい。実力はもっと有るように思えるのだが。


「仲間が死んで冒険者は辞めた。その後は裏稼業にズルズル落ちてったな。ハハッ……もう25歳になるっていうのに何やってんだか……」


「まだ冒険者ギルドに籍はあるだろう。俺たちも登録するから一緒に頑張ろう」


 話を聞いた感じでは俺の実力は第二か第三位階、サレハは第四位階相当。悪くはない。高い位階ならば稼げる額も跳ね上がるらしい。

 どうも領地のダンジョンと世間一般では魔物の強さに差があるように感じる。あのダンジョンで鍛えれば誰でも第二位階くらいには行ける気がする程だ。


「力と金が欲しいとは思わないか……俺の手を取れば全てが叶う。クロード、お前はそれに相応しい男だ」


「きょうび悪魔でもそんな誘い文句言わねえぞ。まあ……このまま飢え死にするよりはマシかな」


「言質を取りましたよ兄様! 明日は冒険者ギルドですねー」


 サレハもどこか嬉しそう。そう男の子ならば冒険者に憧れるものだ。

 クロードと俺が前衛戦士でサレハが魔術師。あとは治癒術師がいれば完璧である。明日には誰かを探してさっそく依頼を受けるつもりである。


「俺たちは正体を隠しているがいずれバレると思う。その時はクロードに迷惑が掛かるから今の話は無理にとは言わない。だけど表と裏の道を知り尽くしているクロードの力を借りたいのも本音だ」


「ふーん。まあ人生いろいろあるわな。まあここまで聞いたからには付き合うぜ。金も欲しいしな」


「ありがとう。俺たちは討伐依頼なら大体こなせると思う。あとはダンジョン攻略も得意だぞ」


「こっちでもダンジョンに潜ってることがバレたらまた怒られちゃいますよ」


 サレハの助言。

 怒られることを思うと胸がキュッとする。あれは魔物より怖い。特にシーラは普段まったく怒らないので、怒ったときがより一層怖い。


 カウンターの後ろの卓席がにわかに騒がしくなる。


 冒険者らしき男たちが騒いでいる。

 報酬依頼の取り分で揉めているらしく喧嘩寸前である。筋骨隆々な男が卓を力強く叩くと銀貨が衝撃で浮いた。

 チャリンと音を立てて落ちるやまた怒鳴りあう。背中を預けあう仲間同士でも金が絡めばああなるものか。


「俺の取り分が二割ってふざけんてのか! てめえッッ!!」


 男、コップを勢いよく投擲。

 向かいの仲間は華麗に避ける。


 そして飛んできたコップは勢いよく当たって中身をぶちまけた。

 クロードの頭部に。


「ぶへえっ!!」


 エールまみれになったクロードが怒気に顔を歪めて殺意を高めてゆく。

 男たちはクロードの姿を見て、憂さ晴らしとばかりにこちらに近づいてくる。


「悪かったなあアンちゃん。けどおめえが悪いんだぜ。さっきから辛気くせえ顔して飲んでるからよお」


 ゲラゲラと笑う男たち。悪趣味である。確かに辛気臭い顔をしていたがそこまで言う必要はない。


「死にてえみてえだな……オラァッ!」


 クロードの拳が唸りを上げるやいなや男は弾かれたように吹き飛んだ。卓を巻き込んで彼らの夕食を撒き散らしながら地面に倒れ落ちる。

 クロードもクロードで短気である。まさかいきなり鉄拳制裁とは。


「てめえ……ッ!!」


 男の仲間と思しき連中が近寄ってくる。数は二人で腰に剣を下げている。


 参加すべきか。前にもこんな風に悩んだ覚えがある。そう確かトールたちが乗っていた幌馬車の前でこんな風に考えていたような。


「死ねやオラアァンッ!!」


 男たちが拳を振り上げて駆け寄ってくる。

 考える時間も無いため参加決定。


「せいっ!」


 駆け寄る男の一人の胸ぐらを掴んで放り投げる。動きはダンジョンで戦った魔物と比べると遅い。むしろ遅すぎる。相手を仕留めたいならば殺意を感じさせるよりも速く動かなければ。


「ぐべえッッ!!」


 背中から地面に落ちた男は呻きを上げる。獣のような。


「そこの冒険者。エールがクロード様に掛かった。謝罪すべきだろ」


 もう一人の男に呼びかける。いきなり様付けされたクロードがこちらを驚いた目で見ているが無視。これは必要な事だ。

 それに男がクロードに謝らないのには本当に腹が立つ。人様をエールまみれにしたら謝るべきだろう。


「はあっ!? 何だあこの仮面小僧があ。気狂いみたいな格好しやがって」


 気狂いとは酷い。せめて異常者くらいで留めてほしかった。ふと横を見るとサレハが杖を握りしめて魔法を詠唱しそうになっていたので止める。


「余裕振りやがってッ……!」


 男のこめかみがひくつく。

 仲間二人がやられて面子が傷ついたことも苛立ちを助長させているのだろう。


「てめえら……」


 激高した男が腰の剣を抜こうと手を掛ける。


「きゃあッ!」


 女店員の悲鳴が店内に響くが、それとは反対に観衆たちは喜びだす。酒のツマミに喧嘩を見るくらいの余裕が彼らにはある。店主も見て見ぬ振りだ。


 母上、世間は恐ろしい所でございます。今さら王宮に戻りたいとも思いませんが。


「死ねえぇっ!!」


 男が剣を引き抜こうとする。刃の端が鞘からチラリと見えた瞬間、俺も合わせて腰の剣を抜く。



 息を吸う。精神を集中する。



 ──息を吐きながら剣を全力で三度振るう。瞬間、オリハルコンショートソードの輝きが三つ宙に舞い鋭い音を立てる。俺が剣を鞘に戻したとき、男の剣は四つに切り分けられていた。すぐにカラリと音を立てて剣だったものが地面に落ちる。男は剣の柄のみを握り呆然としている。



「な、ななな……誰だよお前っ! ありえねえっ!!」


「俺はクロード様の忠実なる下僕。呼び名は無い!」


 指を突きつけて決め台詞を一つ。結構気分が良いしサレハも拍手してくれている。

 剣の技量は未だ未熟だが止まった標的を切るくらいなら簡単である。現に男の剣は見るも無残な姿となっている。


 男たち三人は這う体で店から逃げ出していく。

 直ぐに周りの客たちが俺たちを取り囲んで騒ぎ始める。


「クロードお前なんだよこの子供!? こんな強い子分が居たのか!?」

「その剣の輝き……まさかミスリル……いやオリハルコンか!?」

「それよりあの剣技。俺には二回剣が振るわれたように見えたが」

「馬鹿っ! 三回だろうが。ちゃんと見ろ」


 大騒ぎである。

 いきなり喧嘩になったのは予想外だったがクロードの名前を売るための前準備としては上々だ。俺たちは下僕として有名になれれば目的は達成できる。


「全てはクロード様の御心のまま。我々はクロード様の救世に付き従う者。憩いの場で剣を抜いた不届き者を罰したのみ」


「「「おお……」」」


 俺の言葉に周りの客がホウと息を吐く。俺も剣を抜いたことは雰囲気により不問となっているのが面白い。


 皆は疑い半分、期待半分でクロードを見つめている。


「何言ってんのお前……どうすんだよコレ……?」


「御心のままに……」



 これから冒険者として名を上げるが、称賛を受けるべきはクロードであると思う。


 あの時、トールとシーラを自らの意志で助けたクロードは俺とは違う人間に見えた。俺は自らの意志で誰かを助けたことがほとんど無い。


 ガブリールは寂しさを紛らわすために助け、トールとシーラは成り行きで、シリウスの村も元々はエイスに対する同族嫌悪から始まった。


 しかしクロードは危険を顧みず、自らの地位まで危険にさらして他者を助けた。俺とは違う。


 ああいった人間の方が報われるべきである。

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