第8話 水族館とバンホーテンとマナティー

 それから数日後の休日、俺はいつものように海にいた。

「あれ、あやめちゃん今日はまだ来てないのか」

 待っていれば来るだろうと缶コーヒーを飲みながらぼーっと海を眺めていた。

 

「寒っ」

 時計を見ると2時間ほど経っていた。ぼっち特有のぼーっとするだけで時間を潰せるスキルも考えものだな。このスキルのことを俺は、時燃やし─タイム・バーニッシュ─、そう呼んでいた。ちなみに誰にも話したことはない。ぼっちなので。

 ……今日は来ないのかな、友達と遊んでいるのだろうか。たろうくんだったら許さないぞ。

 俺は立ち上がってズボンについた砂をはらった。

「帰るか……」

「帰っちゃうの?」

 声がした足元を見ると、あやめちゃんが寂しそうに見上げていた。

「うぉっ!」

 さっきまで、いなかったよな......?

「あやめちゃん、いつからそこに......?」

 あやめちゃんは俺の質問に「おかーさんに会ってたの!」と答えになっていないような答えを返した。

「そ、そうなんだ。お母さんに会ってたんだ」

「うん! おかーさんはおえかきがすきだから、いっしょにおえかきしてた!」

 と元気よく答えるあやめちゃん。お母さん、お絵描き、の単語たちに胸がちくりと痛んだ。

 

 その日は、砂のお城を作ったりして遊んだ。ときどきあやめちゃんは海の向こうをぼーっと見つめていた。

 

 それからも何度か似たようなことがあった。ぼーっとしているとあやめちゃんが突然目の前に現れ、お母さんと会っていたと言う。近くにいるのに気づけないなんて疲れているのかな、そう思っていた。

 

 〇

 

 今日はあやめちゃんたっての希望で動物園に来ていた。この町の動物園は港町ということもあってか、海の動物が異常に多く水族館と呼んでいる近隣住民も多くいた。

 あやめちゃんはマナティーを一目見て「おっきーい! かわいいー!」とお気に召したようで、顔がくっつきそうなくらいガラスに近づきにらめっこしていた。

 

 ひとしきり動物園、もとい水族館をを回って俺たちはベンチで休んでいた。

「たのしかったー!」

 あやめちゃんはさっき見たイルカショーのイルカの鳴き声をピーピー真似ている。

 歩き回ったとはいえやはり冬の外なので冷える。自販機でホットココアを二つ買い、プルタブを開けてあやめちゃんに渡す。

「ばんほーてん、おいしいね!」

「うん、コーヒーよりこっちの方がおいしい。」

 二人並んで無言でココアをすすっていると、あやめちゃんがぽつりと呟いた。

「おとーさんにもばんほーてん、あげたいな。まなてぃーも、みせてあげたい……」

「あやめちゃんは、お父さんのこと好き?」

「うん、すきだよ」

 でも、あの父親は……。あやめちゃんは続ける。

「でもね、おとーさん、おかーさんとおわかれしてから元気ない。あやめ、おとーさんに元気になってほしいけどどうしていいかわかんないの。ばんほーてんもまなてぃーも、あやめあげられない……」

 大人たちの都合で傷つくあやめちゃんを見るのが辛かった。人生こんなもんだ、と目をふさいだ俺に光を見せてくれたのは彼女の無邪気な優しさだった。気づかせてもらった。優しい言葉がどれだけ人を救うのかということを。

 帰りには元気を取り戻し、ペンギンの歩き方を真似たりして笑っていた。でもその姿が俺に心配をかけまいと気丈にふるまっているように見え、なんだか泣きそうになった。

 こんな小さな体で大人たちに気を遣うような、そんな生き方はダメだ。俺が彼女にしてあげられることは、いったいなんだろう──。

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