第7話 変化

「佐藤、お前最近表情が少し明るくなったんじゃないか。いいことでもあったのか?」

 出社すると熊谷さんが話しかけてきた。まさかこれか? お、これか? と熊谷さんは毛むくじゃらの小指を立てて迫ってくる。いやいやそんなのいませんよと言いつつ迫りくる熊谷さんをかわすとちくしょう! 俺だって! とさらに迫ってくる熊谷さん。20も年上の人と何をしているんだと思いつつもなんやかんやこの職場を辞めずにいるのは熊谷さんのおかげかもしれないな、と感じていた。

 

「佐藤、お前来週から新商品の製造入ってもらうから。これ資料な。は? いきなりそんな仕事自信ないって? 俺が大丈夫って言ってるから大丈夫なんだよ自信持てバカヤロー」

 羽鳥さんは相変わらず口は悪かったが、何度ミスしても変わらず接してくれたり、当たり前のように綿密な資料を俺のためにまとめてくれていた。羽鳥さんにとっては見捨てる方が早いのに、俺のことなんてどうでもいいはずなのに真摯に向き合ってくれていた。

 

「弥生、ばあちゃんご飯作るくらいしかできなくてごめんねぇ。なんにも役に立てなくて」

「何言ってんだよ。ばあちゃんのご飯めちゃくちゃ旨いよ。いつも作ってくれてありがとう」

 恥ずかしいけど少し素直になって感謝の気持ちを伝えてみた。ばあちゃんは泣き出して、仏壇の父さんに「あんたの息子は立派だよ......!」と報告していた。恥ずかしい。

「じいちゃんも腰悪いのに漁師続けてくれてありがとう」

と伝えると、じいちゃんはグーサインで答えてくれた。

 

 何かが変わり始めていた。あやめちゃんとの出会いが俺の人生の歯車を動かし、ゆっくりと俺に前を向く勇気を与えてくれているように感じた。

 

 ある晩、熊谷さんがご飯に誘ってくれた。前までなら断っていた俺だったが、お言葉に甘えることにした。

 ガラララ......。

「へいらっしゃい! おっ、熊さん! 誰かと来るなんて久々じゃないか。」

「へっよせやい。いつものを2つ頼む」

 熊谷さんはここの常連のようだった。

「羽鳥が入社したての頃に連れてきてな。あいつもお前と同じで誘っても全然来てくれなくてなぁ~! なぁ佐藤、お前から見て羽鳥ってどんな先輩だ?」

「うーん......口が悪いけど面倒見がよくてすごく仕事のできる先輩、って感じですかね。」

「はっはっは! 羽鳥に聞かせてやりたいぜ!」

「や、やめてください......」

 運ばれてきたカレイの煮つけに舌鼓を打ちながら熊谷さんは話す。

「でもな、あいつも入ってきたときはひどいもんだったぜ。口だけは変わらず悪いけどな。おまけに繊細だからしょっちゅう落ち込んでた。辞めようと思ってたこともあったんじゃねえかな。でもいまああやって立派に仕事してる。後輩にも教えられるようになった。立派なもんだよ、お前ら若いやつは」

「......熊谷さんは」

「ん?」

「熊谷さんは、どうして後輩にそんなに優しくできるんですか? 感謝されないかもしれないのに。むしろ疎まれるかもしれないのに。裏切られるかもしれないのに。こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、正直最初は構わないでくれって思っていました。......すんません。生意気なこと言って」

「はっはっは! わかってたよお前が俺や羽鳥のことを鬱陶しいと思ってたのは!」

 熊谷さんは馬鹿だなあとガハガハ笑う。

「じゃ、じゃあどうして!」

「だって、今は思ってないだろ?」

「......はい。正直めちゃくちゃ感謝してます」

 俺は照れながら答え、麦茶を一気に流し込む。

「いつかそう思ってもらうのが先輩の責務だから、ってのが答えになんのかな。今でもうぜえ! って思ってたらそりゃ俺たちの失敗よ」

 熊谷さんは追加で注文したなめろうをほおばりながら答える。

「まぁお前らは息子みてえなもんだ。うぜえ! って思われても諦めてなんてやんねえからな。なんて彼女もいないのになにが息子だってな! がはは!」

「ほんとですね! 彼女もいないのに! わはは!」

「うるせえ!」

「ちょっ、仕返しに俺の魚取らないでくださいよ! どっちが子供かわかりませんよ!」

 

 帰り道、膨れたお腹でバイクを走らせながら、ハムスターのように魚を頬張る熊谷さんを思い出してクスクスと笑った。俺は彼らのように他人を信じる勇気を持てる日が来るんだろうか、そんなことを考えていた。

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