押しかけ勇者候補のハーレム計画・3

 伸夫と桂湖は、背中合わせで風呂に浸かっていた。

 大して広くもない浴槽なので、狭苦しい体育座りだ。

 とはいえ、一人ずつ体を洗うとか、抱っことかいうのはもっと問題がある。


 伸夫の苦悩をよそに、桂湖は妙にだらけていた。

 コアラの子供状態から引っ剥がされ、浴槽に沈められた直後は、落ち着かなげにもじついていたのだが。

 そのうちだんだん大人しくなって、いまは伸夫の肩に頭を預けている。

 ――さっき凹みかけた後頭部を、庇いたいのかもしれない。


「……あのさ。結局なにがしたいわけ、お前は」


 焦れったくなって、伸夫の方から口を開いた。

 桂湖は答えず、ほあー、とゆるい声を漏らす。

 なんだか普通にくつろいでいるみたいだ。

 この状況で。


「おい――」

「いーよね非モテボーイは安上がりで。なんでも言うこと聞いてくれる異世界美少女一人で満足っすか」


 また痺れを切らした途端、三倍くらいの勢いで言い返された。

 なんだか知らないが、霞をけしかけて、風呂まで入ってきて言うことか。

 カチンときた伸夫は、背中に体重をかけて言い返す。


「は? ケンカ売ってんの? マッパで」

「うちはねえ、死にたくないんだよ」


 そうしたら、すごく当たり前のことを言われた。

 当たり前で、この状況――風呂場の中ではなく、もっと広い意味――では、重い言葉だった。


 伸夫の背中に、桂湖も体重をかけてくる。

 寄りかかるように。


「うちの……眼鏡さ」

「あ、ああ」

「霞が来た日にね。……死にかけた時に割れたわけよ」


 あ、ガスマスクの時はコンタクトね。

 と、どうでもいいことを言い添えてから、桂湖は続ける。


「鉄骨がさー。ウバラーって崩れてきてさー。漫画のホームランみたいなすっごい音してさー。あっ死んだって思ったね。まー霞が助けてくれたんだけど」

「……ちなみに、俺はトラックな」

「トラック! ベッタベタだねえ」


 からからと桂湖は笑う。

 笑わなきゃやってらんねえと言わんばかりに。


「んっでさ。おんなじ立場の人間がいるってわかってさ。ひとりじゃないってわかってさー。んで、今日また死にかけて……おうち帰ったら、いてもたってもいらんなくて……」


 来ちゃった。

 言葉とともに、桂湖の指が、伸夫の指に絡み付く。


「そりゃ、親とも折り合い悪いし友達もいないし、自信もない自慢もないオッパイもないオトコがいたためしもない、リア充からは程遠い、天下御免の干物女よ。そんでも読みたい漫画も観たいアニメもやりたいゲームも……や、こりゃどうでもいいな。でも、そんでも、やっぱり……死ぬの怖いんだわ、これが」


 絡み付いた指が、震える。

 触れ合った背中も、震えている。


 落ち着いてなんかいないのだ。

 我慢しているだけだ。

 伸夫は、初日に桂湖を見付けた。

 桂湖は、一人で六日間耐えていた。

 耐えていたが、もう限界なのだ。


 断られることを恐れて押しかけるほど。

 霞にハニートラップめいた真似をさせるほど。

 自らの――自信もない自慢もないオッパイもないオトコがいたためしもない――体を差し出すほど。

 伸夫に、縋り付いている。


「死にたくない……死にたくないよ……怖いんだよ、霞がいてもずっと怖くて、夜も眠れなくて、巻き込めないから誰にも会えないし、外にも出らんないし……もうやだぁ……」

「……お前、まさか」


 伸夫はようやく、桂湖が妹を追い返した理由を察した。

 それと、薊たちが咎めなかった理由も。


 妹を呪いに巻き込まないためだ。

 あのカフェのように。


 桂湖が、一緒にいていい『人間』は――

 ただ一人、伸夫だけなのだ。


 桂湖が、ざぶんと立ち上がった。


「ひとりにしないで……一緒にいてよ……お願い……」


 伸夫に、後ろから抱きつく。

 薄い乳房が、肩に押し付けられる。

 細い手が、胸に回される。


 好みかといえば、正直そんなに好みじゃない。

 ぶっちゃけると、さすがにもっと胸は欲しい。

 気安いのはいいが、ウザ絡みは程々にして欲しい。

 ファッションセンスは嫌いじゃないが、眼鏡は直せ。

 とまあ、文句はいくらでも出てくるのだが――


 これが、伸夫が唯一、好きにしていい『人間の女』だ。


 暴力的な衝動が膨れ上がる。


 桂湖が、決して口にすべきでない、尊厳を投げ捨てるような言葉を吐きかけるのを察する。


 とりあえず、ぶん殴るか。


 そう思い、実行に移そうとしたときだった。


 リビングから響いた声を聞き、伸夫は勢いよく立ち上がった。



◇◇◇



 一方の魔族組。

 時は、脱衣所を出たところまで遡る。


 脱衣所のドアの脇に陣取った薊は、逆側にいる霞へ声をかけた。


「やはり、ノブオたちだけでは危険ではないだろうか」

「これまで、連続で呪いが発動することはありませんでしたよ。たまには二人で話させてあげましょう」


 それで、不満を隠せないながらも、薊は抗弁を諦めた。

 代わりに、問いを投げかける。


「霞は、ノブオにケイコをめあわせたいのか?」

「この国では、娶せる前にむつみ合うのが一般的であるようですが、まあ、そうです」

「なぜだ? いや、二人を護るに都合がよいのは解るが……」


 魔族の――というか薊と霞の立場からして、伸夫の相手として最も都合がいいのは、薊でも霞でもない。

 桂湖だ。


「ええ、それはもう。連携も分担もできて確実ですし、あなたと行動できると気が楽ですし、なによりノブオにケイコの面倒を見てもらえますからね。まさに好都合です」

「おい……」

「あとは単純に、ケイコにノブオが必要だからですよ」


 本気で怒りかけた薊へ、霞はすぐに水を差した。

 こういう流れで、霞は大事なことを言う。

 それを知る薊は、疑問を素直に口にした。


「ケイコがノブオに好意を抱いているからか?」

「おや、さすがにおわかりですか」

「茶化すな。それが理由だと?」

「是とも否とも云えますね。そもそもケイコがノブオに執着するのは、半ば、ノブオ以外を愛することが許されないからです。話が合うこと、咄嗟に庇われたこと、色々理由はあるでしょうがね」

「……呪いに巻き込まぬため」

「はい」

「そうか……ノブオの妹を遠ざけようとしたのもケイコであったな」

「あれは、他の『人間の女』をノブオに近付けたくなかっただけという気もしますが。そのくせ却って意識させるようなことを言って……ノブオの側にのを確かめたかったのでしょうが、やりすぎです」

「うむ……」


 途中からの皮肉はほとんど聞き流して、薊はしばし黙考にふける。

 そして、どこか淋しげに微笑んだ。


「そうだな。危険は私たちが払えばよいが、この世界で生きていくのは彼らだ。愛する者がいれば、石にかじりついてでも生き抜く気概も湧いてこよう。それを見届けてこそ、私たちの使命が真に果たされたと云えるのかもしれぬ」


 霞は、わずかに片眉を上げた。

 言われずとも入浴の伴に向かう辺り、もしやと疑ってはいたが。

 あのやけっぱち、初心うぶには刺激が強すぎたか?


 恐らく明確な自覚はなかろう親友の心持ち、いかにして探るべきか――

 と、心配半分、不埒半分、頭を巡らし始める。


 だが、いかに物思いに耽っていようが、浴室内に注意を向けていようが、たとえセクハラを受けている最中であっても、全方位への注意を怠る魔族たちではない。


 にもかかわらず――


 その存在は、いずれの魔族にも気取られることなく、と、リビングへ侵入してのけた。


「な」「に――!」


 魔族たちは、瞬時に変装術を解いて身構える。


 対する侵入者は、微塵の警戒も表してはいなかった。

 幼女じみた、繊細な矮躯。

 身を包む、金糸遣いの潔白ホワイトローブ。

 筒型の帽子からこぼれる、あおい長髪。

 美を司る存在がピンセットでこしらえたような、精緻な美貌。

 その中で輝く、鏡の如き銀の瞳。


 薊たちが生き物としての美しさとするなら、芸術品のごとき美しさを持つ少女だった。

 その顔に、百年の恋も冷めるような、侮蔑と嫌悪の表情が浮かぶ。


「勇者候補様のお傍に、なぜ穢らわしい魔族ゴミがいる」


 心臓を射抜かれたと錯覚するような殺気。

 研ぎ澄まされた、絶大な力の気配。

 薊と霞は、同時に一つの結論に達した。


 ――勝てない。


「二人を!」

「よせ!」


 決死の覚悟を秘め、霞が侵入者へ突進する。


 明らかに、少女は人間側の使者エージェントだ。

 度重なる『死の呪い』を切り抜けた挙句の襲来。

 それ即ち、より直接的な手段――

 殺害による転生を実行せんがために違いない。


 断じてさせてはならない。

 霞の戦闘力、とりわけ膂力・速力は、薊に劣る。

 よって、二人を連れて逃げる役目は、薊が果たすべきだ。

 時間を稼ぐ。一秒でも長く。薊が二人を連れて逃げるための猶予を。


 しかし、霞の覚悟は実らない。


「なッ――!」


 風圧が部屋中を荒らし回るほどの速度で繰り出された拳は、あっさりと空を切った。

 少女の存在が、完全にこの『場』から消え去ったために。

 消えると同じく唐突に、その姿は霞の真横に現れる。


 薊にも霞にも、予兆も気配も感じさせない。

 瞬時の移動にもかかわらず、風ひとつそよがせない。

 体勢どころか、髪一本とて動いていない。

 ただの高速移動ではありえなかった。


 驚愕する霞へ、少女はふわりと掌を向けた。


「触れるな、ゴミめ」


 衝撃。


 咄嗟に展開した『障壁』が、薄紙のごとく破られる。

 片手でトラックとはいかずとも、軽自動車程度は容易く受け止める霞の肉体。

 その脇腹が、べこりと凹んだ。


「がはッ――!」


 吹き飛ばされた霞は、激突した壁にくっきりと跡を残して床に落ちる。

 その口から、大量の血液が吐き出された。


「霞ーーッ!」


 叫ぶ薊だが、霞の救護に向かうことはできない。

 この危険すぎる存在から、伸夫たちを護らねばならない。

 しかし、どうやって――?


 即断即決の薊が硬直する。

 手段がない。回答がない。準備もなく援護すらなくなった。

 倒すも逃がすも可能性は絶無。


(言葉でいとぐちを探るしか――)


 自身は殺されるとしても、伸夫たちの居所さえ隠し通せれば。

 そんな妄想に等しい試みすら、少女は許さない。


「――おま、が、ぐぅっ!?」

「口を開くな。穢れが移る」


 少女が宙を握っただけで、薊は喉首を締め上げられた。

 褐色の肢体が宙に浮く。

 恐るべき強度・速度の念動力。

 声を発するどころか、呼吸すらままならない。

 気道が潰れ、頚骨が軋みを上げる。


(動けぬ! 止められぬ! 何一つできぬというのか!? このままでは、ノブオが――)


 その直観だけは、過たず叶えられた。


「薊! なにごと――ッ!?」


 全裸で湯を滴らせる伸夫と桂湖が、リビングに出てきてしまったのだ。

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