勇者候補たちと魔族の使者たち

 薊は、伸夫のベッドの脇で休むことを所望した。

 伸夫は断固としてそれを断り、寝室のドアから追い出した。

 同じベッドで、ということはあったとしても、隣にいられたら落ち着かなくて仕方ない。

 ただでさえ、妙にいい匂いがするのだ、薊は。


 会合の場所は、あんまり流行ってないカフェに決まった。

 なんと、相手の住所は市内だ。


 通勤通学ラッシュが収まってから、家を出る。

 ちなみに、今日はバリバリの平日、つまりサボりだ。

 パーカーにジーパンの私服で平日に出歩くのは、ちょっと気分がいい。


「めっちゃくっちゃ近いけど……勇者って、市内限定だったりしねえよな?」

「現在確認されている勇者は、皆日本人であるようだ。如何せん異国のことゆえ出身地までは判然とせぬが、元から顔見知りだったらしき者もいると聞く」


 答える薊は、今日はその姿を隠しはしていなかった。

 例の変装術で、レトロ調のチェックシャツと、Aラインスカートをまとっている。

 伸夫にはレディスファッションのセンスなどないので、コーディネートしてやったわけではない。

 薊が伸夫の家までの道中、見かけた服装であるらしい。


 なぜ透明にさせないのかといえば、今回は魔族が名刺代わりだからだ。

 とはいえ、しこたまバズらせた後では、名刺どころか広告塔を連れ歩くに等しい。

 どうにかせいと命じたところ、薊は、周囲の認識を誤魔化して、興味関心を惹きにくくする術を持ち出してきた。

 やはりNINJAなのか。

 果たして、薊も伸夫も、誰の注目を集めることもなかった。

 なお、物理的にはエロ忍者装束であり、全裸ではない。


「ふーん。なんでだろ。近場のほうが探しやすいのかね」

「それは判らぬな。だが、事実としてすぐ会えるほど近くに味方がいて、それは君が行動しなければ知り得なかった」


 そう言うと、薊は嬉しそうに笑った。

 超絶美少女の満点スマイルに心臓をやられて、伸夫は小さく舌を打つ。


「……なにをニヤついてんだよ」

「君の深慮に気付かなかった我が身を恥じているのだ。ああ謙遜はいらぬ、幸運に恵まれたのは事実だろうとも」

「恥じてるツラかよ、それが……」


 なんで自分のほうが照れなきゃならんのか。釈然としない伸夫である。

 イラついて歩調を速めても、薊は余裕でついてくる。

 まあ、トラックを素手で止める女だ。熊と豹と馬を足して三倍したくらいに思ったほうがいいだろう。

 『霞』と合わせたら六倍だ。


 そして、哀れにも野獣パラダイスにされるカフェが見えてきた。


「……いるな。霞の気配を感じる」

「向こうも?」

「気付いただろう。合流に支障はないな」


 向こうが既に到着しているのは、メッセージで確認できている。

 そこで、伸夫はピタリと足を止めた。


「一応これも訊いとくか。『霞』と戦ったら、勝てるか?」

「……戦う必要などない」


 きゅっと眉寄せた顔も美しい薊に、伸夫は重ねて問いかける。


「おっと、もうひとつ追加だな。『霞』が襲ってきたら、戦えるか?」


 薊に害意がないことは信じてもいいが、霞は別だ。

 魔族組に殺された場合、転生できるかもわからない。

 薊の話では、死因がどうあれ、転生はする可能性が高いそうだが。


 どうせ死ぬなら、薊の裸くらいは見てから死にたいものだ。


「……戦えるし、勝てる。到底無傷では済むまいが、君を護って逃げ切るまでは請け合おう」

「展開次第じゃ、向こうの勇者候補を人質に取ることも考えとけ」

「承知した。だが、その必要がないことは、尚更確信を持って言える」

「はいはい。じゃあ行くぞ」


 なにやら静かな闘気を立ち上らせるような薊を釣れて、アンティーク調のドアを開く。

 狭い店で、他に客がいないこともあるが、目当ての一行はすぐに見つかった。


 カウンターからも入り口からも一番遠い、奥のテーブル。

 その脇で、後ろに手を組んで、ピシリと立っているスーパーモデル系超絶美女。

 霞だ。

 やはり変装術によるものだろうか、地味だが上品なグレイのスーツに身を包んでいる。

 体型にフィットした仕立てのおかげで、スレンダーな長身が見事に映える。

 当然こちらに気付いていて、油断のない目を向けてくる。

 銀色のショートカットと真っ白い肌が、まるで雪の妖精だ。

 愛想のかけらもないが、それでも思わず見とれそうになる。


 ところが、それに負けないインパクトの存在が、霞のそばに座っていた。


 


 フルフェイスのガスマスクを着けた人物が、ブンブン手を振ってくる。

 女だと言っていたが、確かに小柄だ。

 バンギャみたいなプリントTシャツと袖なしパーカーが、被り物と実にミスマッチ。

 ありていに言って変態だ。


「よし帰ろう」

「ちょ、待て待てーい! メッセ送ったっしょ! うちだようち!」


 ガスマスクにこもった、クセの強い声。

 それから、わたわたと席を立って駆け寄ってくる。

 視界が悪いせいか、足取りが危うい。

 完全に不審者である。

 霞が、それ見たことかとばかりに溜息を付いた。


「薊、取り押さえろ!」

「え? いや、彼女で間違いない――」

「知るか! いいからやれ!」


 薊はおろおろしたが、ガスマスク女は急ブレーキをかけた。

 魔族の非常識な戦闘力を知っているのだろう。連れの魔族に水を向ける。


「か、霞! あんた取り持ってよ友達なんでしょ!」

「説得する相手が違うでしょう。既に申し上げましたように、その格好は怪しすぎます」


 異世界魔族のくせに、常識めいたことを言う霞である。

 耳に心地よいハスキーボイスからの、慇懃無礼な物言いだ。

 見た目はどっこいだが、性格は薊のほうが当たりだったな、と伸夫は思う。

 魔族ガチャ敗北者のガスマスク女は、むぅーーっと唸り声を上げた。


「……取りゃいいんでしょ。はい」


 そう言って、もたもたとガスマスクを取り去った。

 中身は、まあ、普通だ。

 たぶん、同年代かちょっと上か。

 化粧っ気はないし、ボブカットの髪はガスマスクのせいでぼさぼさだが、普通に可愛い。

 薊と霞の後だと、そのくらいの感想しか出てこない伸夫である。


「もういい? 戻すよ」

「ええ……ガスマスクと茶ぁすんの?」

「うちもう飲んだし」


 そう言ってテーブルに戻っていくガスマスク女。

 ボリボリと頭をかいて、伸夫はカウンターに向かった。

 一番安いブレンドを頼んで、ガスマスク女の向かいに座る。

 マスターのおっちゃんが、なにも言ってこないのがありがたかった。

 あるいは、霞の魔術によるものだろうか。


桧山ヒヤマ伸夫ノブオ。高2」

「うちは坂上サカガミ桂湖ケイコ。今年から女子大生JD。ま、上でも下でも適当に呼んで」

「ガスマスク女」

「それ以外ね!」


 軽いジャブの応酬の後、桂湖は霞に振り向いた。


「そんじゃ、とりあえずこっち側二人だけで話させてもらおーかね?」

「だな。店の外ででも待ってろ」


 魔族組は素早く視線を交わし、代表して霞が答える。


「かしこまりました。外で待機します」

「たぶん盗み聞きとかやればできんだろーけどさ、やめてね?」

「はい。ただし、音声以外の手段でですが、内部の監視はさせていただきますよ。あなたがたの安全のためです」

「どーぞご自由に。はい、出てった出てった!」


 霞は一礼してから、スタスタと離れていく。

 薊は少々未練ありげに伸夫を見るが、丸っきり無視されてとぼとぼと霞の後を追った。


 ドアベルが鳴り、ドアが静止すると、桂湖はプルプル震え出した。

 発作かな?と一瞬思った伸夫だが、笑いの発作だったらしい。


「ぷっ……ひゃひゃひゃひゃひゃ! いやーーーー、あんたやるねえ! まさかいきなりバズらせるやつがいるとは思わなかったわ!」

「こっちもガスマスクで来るヤツがいるとは思ってなかったけどな」

「もーいいじゃんそれはさ! ねえねえ、あれってやっぱ釣り?」

10%じゅっぱーくらいは。遊びついでに釣れたら儲けもんってとこだ」

「くくくっ、見事に釣られちゃったわー。ま、うちも網張ってたんだけど」


 ガスマスクで表情は見えないが、悪ガキじみた笑みを浮かべているのは容易に想像がつく。

 どうなることかと思ったが、伸夫にとっては、いかにも『勇者』な相手より、よっぽど話しやすかった。

 それにどうやら、考え方も近いらしい。


「信用するのか?」

「とりあえず。しなきゃ始まんないし? んで、どーなのよ。あんたの考えはさ」

「転生か」

「そ。うちはさあ、別に死んでも構わないっちゃ構わないんだよね。転生チートにはめっちゃ興味あるし?」

「それ、薊に言ってやったわ」

「うちも! ただまあ、問答無用でぶっ殺すとこから入ってくる連中は、ちょっとねえ?」

「お近付きにゃなりたくねえわな。フツー死んでからだろ、スカウトはよ」


 薊が聞いたらひっくり返りそうなことをぶっちゃける伸夫である。

 チート転生はしたい。めっちゃしたい。

 だが、転生先の世界は、同等のチート持ち多数と、呪殺だか誘拐だかの主犯がいて、しかもバリバリの世界大戦中。

 正直、ロクな展開にならんという気がしてならない。


「だよねー。だからうちとしては、とりあえず死なない方向で、あいつら利用しておもしろおかしくやっていきたいわけよ」

「いいんじゃねえの? そういう方向なら協力できると思うぜ。けど――」

「魔族側が同じこと考えないとは限らないって?」


 伸夫と桂湖は、同時にうなずいた。

 異世界の『人間』は、どう考えてもヤバい。

 対して、薊や霞はしごくまともに見える。

 かといって、魔族がまともとは限らないし、がまともということはまずありえまい。


 伸夫にとって用があるのは、なんでも言う事聞いてくれる巨乳の美少女だけなのだ。


「それな。やっぱ連中に盗まれない連絡手段は欲しい」

「つってもねー、あいつら実際なにがどこまでできんだかわっかんないのよねー」

「さすがにネットは素通しじゃねえか?」

「だと思いたいよね。薊ってそのへんの反応どうだった?」

「全然わかってなかっ……あー、軽く説明しちまった」

「ま、一般常識レベルならあいつらもすぐ調べられるっしょ。インテリっぽいし」

「性格は犬っぽいけどな」

「ぽいぽい! さっき出てくときかぁいかったー♥ いーなーそっちのはチョロそーで。こっちのはめっちゃ性格キツいんだけど!」


 勇者候補たちの情報共有は、脱線しながらも続いていく。



◇◇◇



 一方、追い出された魔族組はというと。


「聴きますか?」


 薊が出てくるや否や、腕組みして壁に寄りかかった霞が言う。


「やめておけ。恐らく、私たちをどこまで信用すべきか、とかそんな話だろう。意思統一してくれるに越したことはないし、この程度のことで彼らを欺く必要はない。例え露見しないとしてもだ」

「そうですか。ではそのように」

「全く……そうやって相手を試すのは悪い癖だぞ」


 霞の凍える鉄面皮がほどけ、薊も懐かしそうに笑みを浮かべる。

 そのまま、二人はそっと抱擁を交わした。

 馴染んだやり取りが、異世界での緊張を急速に溶かしていく。

 なにしろ、二度と会えないかと覚悟した親友との再会なのだ。


「無事で良かった、『霞』。私も孤立無援では心細かったところだ」

「私こそ、再会できてなによりです、『薊』。ずっと一人で召使いをするのかと思っていました」


 皮肉げに肩をすくめる霞に、薊は首をかしげた。

 薊の見た写真では、それほど屈辱的な扱いには見えなかったが。


「召使い……なのか? 立派な装束だったではないか」

、ですよ。主な仕事は煮炊きと掃除です」


 それを言うなら、薊がした仕事はコスプレモデルと風呂の世話だ。

 正直、すぐにでも抱かれることになると覚悟した。

 薊の頬が、ほんのりと染まる。


「お互い苦労しているようだな」

「ええ……」

「ともあれ……こちらにはいつ着いたのだ? 私はまさに昨日だったのだが」

「私は六日前に。他の勇者候補と使者についてケイコに話したところ、彼女が『パソコン』なる不思議な道具で情報を集めていて、あなたの……その」


 あ、察し。である。


「いや、いい、解った。そこは触れないでもらえると助かる」

「ええまあ、結果、こうして連絡が取れたわけですね。……さすが『勇者候補』だとは思いましたが」

「そう言うな。彼らから見れば異常な力を持ち、氏素性も知れぬ者に対する扱いとしては、破格の気安さではないか?」

「それは認めましょう。生まれながらの殺戮者、異常性癖者、神の操り人形でなかったことは、確かに幸いでした」


 つまるところ、それが魔族における『勇者』への認識である。

 勇者が現れるまで、未だ『魔族』としてまとまっていなかった多くの種族は、その数において人間を圧倒していた。

 それが、不愉快な隣人、見も知らぬ他人とまで手を結び、なお劣勢を強いられるほどに追い詰められたのだ。

 勇者に故郷を滅ぼされた者、家族血族を殺された――あるいはそれ以上の蹂躙を受けた者は、魔族の大半に上るといって差し支えない。


 それから、魔族たちは速やかな情報共有に移った。

 確認できた事実、警戒を要する危険、護衛において取りうる手段、それから桂湖の怪しい被り物についても。


「ほほう……ノブオにも持ってもらうべきか?」

「いえ、詳細は省きますが、あれはほぼ気休めでして……なにより悪目立ちします。ノブオは受け入れないでしょう」

「むう、そうか……それと、やはり『遠話法』は通じぬか?」

「駄目ですね。現に辿り着いているあなたとも通じなかったということは、おそらくこちらでは遠話法自体が使えないのでしょう」

「恐ろしく魔力が希薄な上、向こうとは性質も違うようだからな。『狼煙』ならば使えるであろうが……」

「こんな街中で上げていいものやら。こちらの法や習わしについてケイコに尋ねてはみたのですが、どうにも要領を得ないのです。……それどころではなさそうでして」


 霞の言葉に、薊は重々しく頷いた。

 突然、理不尽に殺されかかるというのは、そういうことだ。

 普通は。


「ノブオにも尋ねてみよう。彼らの身辺を無用に騒がすことは避けねばならぬ」

「ええ……しかし、彼は非常に冷静に見えますね」

「……そうだな。あまりに突然で、受け止めきれていない節もあるが」

「それだけでしょうか?」

「霞。なにが言いたい?」

「ケイコは、『死ぬのは構わない』と言っていました。


 押し黙った薊を、霞はじっと見詰めた。

 親友の向こうに、宛てがわれた『勇者候補』の本質を見透かそうとするように。


 しかし突然、魔族たちは同時に店のほうを振り向いた。

 『透視』の魔術で、二人の『勇者候補』が言い争うのが見えたのだ。


「戻るぞ」

「はい」


 任務の都合上も、私情としても、ケンカ別れに終わっては困るのだ。

 もっとも、すぐに揃ってがっくり肩を落とすことになるのだが。



◇◇◇



 ドン!とテーブルを叩いて立ち上がった伸夫が、怒りの声を上げる。


「バカじゃねえの!? どう考えても九涼くりょう一択だろ!」


 バン!と床を蹴りつけて立ち上がった桂湖が、負けじと怒鳴り返す。


「ノブはホンッット脳みそおっぱいだよね! 三蕾みらいちゃんのよさみがわかんないとか信じらんない!」


 ガスマスクのせいで桂湖の表情は見えないが、大げさな仕草と声色から、苛立ちのほどは明らかだった。

 対する伸夫は、真っ赤な顔に青筋まで立てて、どこからどう見てもブチ切れである。


「ロリに勃たねえわ! おっぱいデカい方がいいに決まってんだろ! さすが胸が板の女は言うことがちげえな!」

「言ったな!? うちの胸はいま関係ねーだろ!」


 ぎゃあすかぎゃあすか。


 風のように店内へ舞い戻った魔族組は、曰く言い難い表情で視線を交わした。


「霞……あれは、何の話だ……?」

「わかりません。わかりませんが……間違いなく、くだらない話です」

「つまり、なんだ。仲良くなったということでいいのだろうか」

「いいんじゃないですか?」


 美貌の魔族は、揃って肩を落とした。

 霞は、どこか満足げに口元を釣り上げてもいたが。


「……まあ、ようで、結構なことです。放っておきましょう」

「いいのか? こちらに気付かない程、熱くなっているようだが」

「悪いことにはなりませんよ。止めに入ったところで、要らぬとばっちりを受けるだけです」

「まあ、君がそう言うなら……」


 そう言い交わし、改めて店を出ようとした瞬間である。

 薊と霞は、一瞬硬直すると――

 それぞれの護衛対象へ向けて、全力で走り出した。


 口角泡を飛ばして罵り合っていた伸夫も、すん、と鼻を鳴らして動きを止める。

 ガスマスクを被った桂湖は、まだその『異臭』に気付いていない。


「ちょっと、なにすっとぼけてんのさ!」

「待て、なんか臭う――」

「動かないでケイコッ!」

「ノブオ、『呪い』だッ!」


 マスターがトイレに立っているカウンター奥で、盛大なが起こっていた。

 それに気付いた伸夫は、カウンター奥へ視線を飛ばすが、既にガスは店内に充満している。

 桂湖はもちろん、鼻炎とも花粉症とも無縁の伸夫も、獣を超える嗅覚を誇る魔族たちにも気付かれることなく。

 まるで、かのように。


 伸夫は、とっさに桂湖の胸ぐらを掴んで引き倒す。

 その途中で、薊が二人まとめて抱え込み、さらに霞がテーブルを蹴飛ばして立ちはだかった。

 盾になるように打ち上げられたテーブルの向こうで、発生していた漏電が、プロパンガスに火を点ける。


 爆発。


 霞はテーブルを起点に『障壁』の魔術を発動するが、可燃ガスが充満している以上、飛来物しか防げない。

 薊は自身の肉体を起点に『障壁』を形成、伸夫たちをすっぽりと包み込む。

 爆豪と灼熱が、伸夫たちのすぐそばを駆け抜けていく。

 押し当てられるおっぱいを楽しむ余裕などかけらもない。


 爆発が過ぎ去った。

 伸夫は、ゆっくりと瞼を開ける。

 いきなりガスマスクが視界へ飛び込んできて、さすがにうんざりした。

 薊は四つん這いのまま、油断なく周囲を見渡している。

 テーブルや調度は見事に破壊しつくされ、窓ガラスも外側へ弾け飛んでいる。

 他に客がいれば――助からなかっただろう。


「ノブオは息を潜め、布で口元を押さえてくれ。ケイコは足元に注意を。脱出する」

「私は店主を」

「承知した。ノブオ、ケイコの手を引いてくれ」

「……わかった」


 霞が店の奥へ消え、薊が滑らかに立ち上がる。

 伸夫は、桂湖の手を掴んで引き起こす。

 その手は小さく、細く、そして震えていた。


 口を覆いながら、薊に押され、桂湖を抱えるようにして店を出る。

 窓ガラスが飛び散り、黒煙が漏れ出して、ひどいありさまだ。

 伸夫は、いがらっぽい唾を吐き、ついでに言葉も吐き捨てた。


「トラックの運ちゃんもこの店も、災難なこったな。クソが」


 伸夫の腕の中で、桂湖はまだ細かく震えている。

 そこへ、霞が素早く脱出してきた。


「店主は無事でした。後の対応は彼に任せましょう」

「致し方あるまいな。ノブオ、どうする」

「……帰るぞ。それでいいか?」


 問われた桂湖は、無言でこくりと頷いた。


 『勇者候補』による初の会合は、こうして解散となった。


 ただし、二度目の会合は、その日のうちに、一方的に、行われるのだが。

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