ゲームの世界に転生したけど自由気ままな人生、歩めるでしょうか?

仇満タイト

序曲 幼年期編

プロローグ 始まりの歌

「や──、や、やめろ! 止まれ、止まれ、止まれ!」


 真っ暗な部屋の中、制止の言葉を連呼しながら涙を流す一人の少年がいた。


 少年の視界一杯に広がるのは、仮想の世界『アメイジング・ソード・クエスト』──通称『アーク』。


 そして本来ならば自由自在に動くはずの体は、彼の意志を完全に無視し、右手に持った白い剣を無情にも相手に向かって振るう。


「やめろ、やめろ! なんで勝手に動くんだよ! なんで……、どうして!?」


 黒い筐体の中で少年はなおも懇願する。


 自分の体は言うことをきかず、声すらも彼女には届かない。


 そうこうするうちに、少年の体だったものは左手に持った──右の白剣とは対極的な──黒い剣の切っ先を彼女に突き付けた。


 そして、体力値もほぼ無いに等しい傷だらけの彼女に向かって、言い放った。



『この雑魚が』と──



 相手のこのゲームにかけた思い、努力、その他の全てを踏みにじるその言葉。


 彼が言ったわけではない。彼がやったわけではない。それでもその言葉は相手の心を、深く深く抉っていく。


 彼の体だったものは、なおもその汚らわしい罵詈雑言を浴びせかけるのをやめようとはしない。聞こえてくるのは、『無能』、『雑魚』、『屑』などと、相手を罵るためだけにあるような言葉。


 そうして、もう終わりだ、とでも言うかのように彼の体は剣を振り上げていた。


「──や、やめ」


 彼女は真っ二つに切られていた。

 赤い粒子を撒き散らして。

 彼の顔に絶望の影を漂わせる表情を植え付けて。


 ──『battle end イオン win』──


 勝利を告げるシステムコールが耳に響き、勝負の終わりを告げる。彼の体も自由が利くようになった。


「あ──あ……あぁ」


 すぐに、ゲームからログアウト。黒い筐体からも出ると、一目散に外に向かって駆け出す。行き先なんてわからない。

 脇目も降らず、周りの迷惑も気に掛けず、彼は目に涙を浮かべながら、走って、走って──走った。裸足のままの足の皮が剥けて、血が出ようとも。


 そして、辿り着いたのは──


「ここは……」


 彼の思い出の場所であり、今では最悪の場所であるとも言える。そこは何の変哲もない、ただの歩道橋だった。

 しかし、そのときの彼には打って付けの場所だった。


「はは、ちょうどいいな……神様なんてものが、もし本当にいるとしたら……こういうところで奇跡なんて起こすなよ。まるで……、まるで、死ねって言っているようなものじゃないか!」


 言っているような、ではなく、確実に死ね、と、そう言っている。


 何故だろうか、死ぬなんてことは微塵も思っていなかったはずなのに、今では『死』以外を考えられない。


 手摺りに足を掛け、ギリギリのところで止まる。下に落ちれば『死』という結末が彼を迎えてくれるだろう。


 遠くからは、聞き覚えのある、それでいて、どこか懐かしい声が聞こえてくる。


 だが、今は。今だけは、会いたくなかった。止めてくれるのならありがたいが、それでもきっと、彼は彼女のいない場所で死ぬだろう。



「さよなら。また、ゲームしような──」



 彼は落ちた。彼女をこの世界に残して、落ちた。もう二度と叶わない願いを口にして。


 彼は死を、今は死だけを望む。誰もが予想しうる結末を迎える寸前でも、彼の感情はゆっくりと染まっていく。


 喜び──そう、喜び。死ねる喜び。もうすぐ終わるという喜び。


 けれども、恐怖が、後悔が、悲しみが、彼を蝕んでいく。



 ──生きたい。生きて、今一度謝りたい。それができたら、どれだけ幸せだろうか。

 死を望んだのは自分であるはずなのに、既にそのことを後悔している。


 彼の人生は端的に言えば、生き地獄だろうか。彼の目の前にはいつも侮蔑を含んだ眼差し。隣には嫉妬の眼差し。

 だが、それでよかった。『彼ら』にとって、彼は邪魔でしかないのだ。


 そんな彼の心の唯一とも言える支えはゲームだった。ゲームであれば彼を害する者はいない。ゲームであれば誹謗されることも中傷されることもない。なかったのだ。

 だが、そのせいで大切な人を悲しませてしまうのだから、意味がない。



 生まれ変わりたい、と思った。もう一度、最初から。彼はそう願った。


 やり直したい、と思った。もう一度、人生を。彼はそう望んだ。


「生きたかったな……自由気儘に──」


 彼は自分が選んだ結末を否定した。

 けれども、既に決した運命である。既に結末はそれしか用意されてはいない。



 体が地面に叩きつけられ、一瞬の抵抗はあったものの、すぐに全身の骨が嫌な音を立てた。

 彼の視界はコンクリートに広がる自分の血で染まった。



 ──生きている……?



 違う。もし、神が本当にいるなら、そう言うだろう。


 遠くからバイク特有のエンジン音と若い男の叫び声とが聞こえてきて、それらに加えて、綺麗な声も聞こえていて──






 バキッという嫌な音を最後に、彼の視界は闇に包まれた。

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