十六、ブイヨンづくり

 八才のとき、私が初めて父さんに食べてもらった料理は、お店でも人気のあった父さん特製の出汁巻き玉子だった。

 父さんの作るだし巻き玉子の出汁はカツオだけから取った一番出汁だ。鰹節削り器で削った鰹節を、沸騰して火を止めたお湯に入れて沈んだら濾す。濾して少し冷ました出汁を溶いた卵に入れて調味料を入れて混ぜる。そして玉子焼き器で焼くだけだ。

 父さんは私の作った出汁巻き玉子を食べてとても驚いたのか、目をまん丸くしていた。


『どれどれ。……信じられない。完璧に味も食感も再現してるじゃないか。教えたこともないのに、凄いな、梅!』

『いつも父さんが作るの見てたから』

『そうかそうか。これならいつでも梅に店を譲れるな』


 そう笑って褒めてくれた父さんに、私は照れくささで頬が熱くなるのを感じた。

 私は父さんの作る料理の味を覚えている。昔から一度記憶した味は忘れない。調理の仕方は父さんが作るのを見てたから、食材さえ揃っていれば忠実に再現できる。他には何の特技もない私だけど、これだけは自信があるんだ。


  §


 看板の材料とコンソメの材料を籠に詰めて家路を辿る。そして家に帰りついて荷物を下ろして、ようやく一息ついた。


「ただいま。ああ、重かったぁ……。思ったよりも荷物が増えちゃったよ」

「おかえり~、ウメ」


 肉屋から貰った廃棄部分の部位が予想外に多かったことと、酒屋のお姉さんから紙袋四個分の衣服を貰ったことで、かなり荷物が多くなってしまった。嬉しい誤算ではあるけど。


「これでやっと制服を脱げるよ……」

「ウメのセイフク可愛いよ~?」

「この世界ではローブを上から着ないと目立っちゃうから。お姉さん、エプロンも入れてくれたかな……」


 持ってかえった衣服の入った紙袋を漁って目当てのエプロンを探す。それと今すぐに着られる何か……。


「あったー!」


 紙袋の中に白いエプロンがあった。広げてみたら胸当てと控えめなフリルが付いた白いエプロンだ。私の好みにぴったりで可愛い。

 エプロンを見つけたあとにもう一つ手頃な服を見つけた。黒のワンピースだ。広げて体に当ててみる。長袖で胸の下に切り替えがあって、腰の所からフワッと膝下までのスカートが広がっている。


「可愛い……」

「ウメ似合う~」

「ほんと?」

「うん、ほんと~」


 ムーさんの言葉が嬉しくて思わずにんまりと笑ってしまった。早速着てみよう。

 寝室へ行って鏡の前でワンピースを着てみる。サイズは少し大きいくらいだけど、すぐに成長するから大丈夫だろう……多分。

 黒のワンピースの上に白のエプロンを着けてみた。


「なんか黒のワンピースと白のエプロンを合わせるとなんとなくメイドっぽいな」


 パンとお菓子のお店だし、別にこれでも悪くないかと思い直した。

 調理場へ行って食材を整理したあとにようやくコンソメ作りに取りかかることにした。素材は日本のように全てをそろえられたわけじゃないから、『梅流なんちゃってコンソメ』だ。まずはブイヨン作りに取りかかることにする。

 魔法の畑に行ってブイヨンの材料であるポロネギを収穫した。セロリも欲しいけど、残念ながら今は旬じゃないので諦めるしかない。


「でも昔の人は旬の野菜でその季節だけのコンソメを作ってたと思うんだよね、うん」


 昔は冷蔵庫やハウス栽培がなかったから、季節外れの野菜はなかっただろう。だからきっと季節が変わればコンソメの味も変わったんじゃないだろうか。あくまで想像だけど。


「今日使う野菜は、玉ねぎ、ポロネギ、人参。使うハーブは冷蔵庫から出したパセリ、タイム、ローリエ、白胡椒。そしてメインの肉と骨」


 肉と骨と言っても、そのまま焼いて食べられそうな柔らかい肉はついていない。牛の腱とその周りに残っている赤身の肉、同じように赤身肉が僅かに残っている牛の骨、そして骨がほとんどの鶏ガラ。ちなみにモモ肉はシチューに入れる用に買ったものなのでコンソメに使うつもりはない。

 まずは牛の骨から綺麗に赤身肉を削り取っていく。削り取った肉はコンソメ用に取っておく。

 そしてトンカチで骨を適当な大きさにたたっ切って大きめの鍋に入れていく。非力な私にはこの作業が結構大変だ。


「牛の骨と鶏ガラだけ使おう」


 それでもかなりの量があるのでいいお出汁が取れるんじゃないかと思う。

 血と汚れを綺麗に洗い流した肉と骨を入れ終わった鍋に水を張って強めの火で煮立てる。


「うっわ、凄いアクだ。これ、肉より骨が多いからゼラチンだらけになりそう」


 次々に浮いてくるアクをある程度掬ってから準備していた野菜をダイナミックに丸ごと投入する。玉ねぎの茶色い皮くらいは剥くけど、あとは綺麗に洗ってそのまま入れる。

 火を弱めて煮込む。コトコト、コトコト……。その間に野菜のアクも掬う。あとはときどき味と香りを見てゆっくり焦らずに。


「さて、看板づくり、始めるよ」


 ブイヨンを煮込んでいる間に看板づくりの続きに取りかかった。文字を書いてニスを塗るだけだけど。臭くなりそうだったので看板の材料を屋外へ持っていく。


「パンと、お菓子の、すきま家、と……。うん、これでいいか」


 鮮やかな赤茶色の板に黄色の絵の具で文字を書く。なかなかいい感じにできたと思う。掻き終わった上からニスを塗っていく。二度塗りしたほうがいいって、中学のときに授業で習った。

 看板を庭で陰干ししたあと、調理場へ戻る。


「……うん、まだまだかかりそう、ブイヨン」


 ブイヨンの味を見るけれどまだ味も香りも不十分だ。まだまだ時間がかかりそうだ。

 私はダイニングの椅子に座ってムーさんに話しかけた。


「ねえ、ムーさん。私がいた日本では、私がこっちに来たあとどうなったのかな? 私の死体が階段の下に残ったりしたのかな」


 ムーさんは私の話を聞いてこてんと首を傾げて不思議そうな表情を浮かべながら答えた。


「ううん、ウメは元々の姿でこっちに来たんでしょ~?」

「うん、生前のまま」

「アハハ。ウメは死んでないから~。そのまま消えちゃったと思うよ~」

「え……。じゃあ海翔の目の前で消えちゃったってこと? 行方不明になったってことか……行方不明……」


 行方不明と呟いて私の頭の中に浮かんだのは、私に優しく微笑む父の顔だった。父さんの遺体は半年経っても見つかっていない。もしかして、もしかすると……


「父さんも異世界に来てたりしないかな……」

「お父さんもイクエフメエなの~?」

「うん」

「可能性はあるけど~」

「もしそうだったらいいな。ねえ、ムーさん。確かめる方法ってない?」

「そうだね~、う~ん。『分からないことは魔女に聞け』」

「え?」

「この国で昔から言われてるコトワザだよ~」

「魔女って、この家の前の住人じゃなくて?」

「カノジョじゃないよ~……多分だけど~」


 分からないことは魔女に聞け、か。魔女を探し出せば父さんがこの世界にいるかどうかを教えてもらえるかもしれない。魔女についてもっと情報が欲しい。そしてもしこの世界に父さんが来ているなら……


「父さんに会いたいな……」


 私は父さんの優しい顔を思い出して喉の奥が苦しくなった。

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