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 誰を捕えるための魔法なのか、もはや判断がつかなかった。

 檻のなかに入ったら最後、誰かが死ぬまで鍵の開かない毒の籠だ。そしてそのなかで、助かろうと足掻くものから先に死んでいく。勝敗を分けるのは、単純にHPの過多だけ。それを覆そうと彼女なりに調合を繰り返した薬も、万全とは言い難かった。いつしか軽傷だったガイエンすらも、手の甲まで浅黒い痣が浮かび始めている。死ぬとすれば自分が最初だから、あなたが死ぬことはないと気遣う弔花の言葉に、自分の腹の中を明かされたような気持ちになり、彼はぐっと拳を握った。自分よりも一回り以上、歳の離れた子供に気遣われたことに、鼻息を荒くして応えた。


「そんなこと気にしてんじゃねえ! 豪腕のガイエン様にとっちゃ、こんなもん日常生活と変わりねえってんだ!」

「息を荒立てないで」

「わあってら!」


 もはやどうにでもなれという心持ちで、ガイエンは床にどかっと座り込んだ。あぐらをかき、徹底的な持久戦も辞さない構えだ。

 だが彼の覚悟とは裏腹に、魔堕ちの一体がひときわ大きく痙攣したかと思うと、そのまま弛緩して動かなくなった。

 毒籠のなかでも神の愛は有効で、命の潰えた魔堕ちが、光の粒子に姿を変えて天へと送還された。


「神の反逆者も、死ねば神様のとこに還るんだな」


 その様子を傍観していたガイエンが、ぽつりと呟いた。

 弔花は減り続けるHPから気をそらすため、それに応えた。


「あなたたちにとって……神様ってなに……」

「なんだよ、急に」

「私たちの世界は……こことは違って、誰も神様の声を聞いたこともないし、見たこともないの……だから、あなたたちがどういう感情を抱いているのか、いまいちわからない……」

「どうって言われてもな……。俺もそんな深く考えたことねえよ。ただ魔法も武技も、そしてアイテムもぜーんぶ大昔に神様が造ったもんで、いまでも管理してるんだろ。だから逆らうとかそんな考えなんて出てこねえよ。いて当たり前の存在だ」


 水が上から下へ落ちるのも、炎が周囲に熱を振りまくのも、全ての物理法則がシステムとして神に管理されている。それをこの世界の住人は、長い歴史の中で自然と理解してきたのだろう。本質的なものに反旗をひるがえす者などそうはいない。弔花の世界に名を刻むどんな犯罪者も独裁者も、物理法則そのものにナイフを突き立てる者などいないように。


 改めて、灰色の聖地へ赴く事の重大さが理解できた。

 システムそのものに対話を臨むなど、普通の人間ならまず考えない。

 異界の住人である彼であり、ラビだからこそ決断できたことだった。


 そんな思考を巡らせていると、ついに魔堕ちの最後の一体が光となって消えた。

 賭けは弔花の勝ちだった。彼女の作り上げた中和薬が、僅かな差でシステムに打ち勝ったのだ。もっとも、その中和薬でさえシステムの一部ではあるが。


「……っ」


 攻撃対象が全滅したことにより、毒の籠が解除された。

 途端、弔花がその場にへたり込むように腰を下ろした。HPの残量はすでに毛ほどしか残っておらず、久しぶりのイエローウィンドウすら拝むこととなった。だがひとまず窮地を脱したことに、大きく息を吐いて安堵した。


「お前、意外と度胸あるんだな」


 称賛と、そして少しばかり畏怖の込められた声が届いた。


「私は……命が尽きることはないから……それよりも、こんな作戦に付き合わせて……ごめんなさい」

「気にすんなよ。見ろ、こっちは腕が青あざだらけになるだけで済んだ。お前みたいに全身毒まみれって訳じゃねえ。中和薬を追加で飲んで、ゆっくり休んでろよ」

「ううん……まだ……やることがあるから」

「やることって……まさか、あのガキンチョの加勢に行くつもりかよ」

「むしろそっちが本番……魔堕ちは……私たちを分断させるための……囮にすぎない……」

「たとえそうだとしても、そりゃ無茶だぜ。いまの状態で追いかけたって、役に立ちゃしねえよ」

「……」

「ったく、ラビの野郎はこんな大事なときになにやってんだ。自分の仲間たちがピンチだってのに」

「彼もいま……戦ってる」

「あん?」

「戦う理由を……前に進む方法を見つけるための、戦い」

「そんなもん、仲間の危機を救うためってだけで十分だろう」


 弔花は眉をひそめた。言い放った彼に対してではない。それを念頭に置いて念入りにラビの心を折った、オクトーに対してだ。

 いままでのラビは、まさしくそのために戦っていた。リズレッドやアミュレ、そして誰かを守るために戦っていたのだ。

 だが、そのせいで全てを失った。理由はわからないが、少なくとも当人はそう思わされている。


 戦う理由そのものが、戦えない理由につなぎ合わされたのだ。

 そして英雄は歩みを止めた。聖地へ辿り着く前に、魔物ではなく人の業によって。

 魔堕ちを量産し、魔王打倒を試みるオクトーは確かに一見理に叶っているようにも思える。だが、その犠牲となる命の数が膨大すぎた。

 誰もいなくなった世界で魔王を倒したところで、一体どうなるというのだろう。


 彼は違う。

 心のなかで確信めいた言葉が浮かんだ。

 彼はどんなに遠回りであろうと、自分自身が傷つこうと、誰も置いていかずに前へと進むのだ。そうであろうとするのだ。むろん、それがただの理想であることはわかっている。その夢のような志によって、彼がいま苦しんでいるのだから。けれど、その夢を諦めない者こそが英雄ザ・ワンなのだ。

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