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「そう……ラビはいま、救うために戦う戦いをしてる……だから、それまでの間、私が頑張らないと……」

「…………そうか」


 ガイエンが少しだけ沈黙したあと、なにかを決心したように言った。


「それじゃあ、行ってくるかな」

「え?」

「ようやく鳥籠から出れたんだ。いっちょ、本丸まで飛んでいくのも悪くない」

「……でも……あなたは無関係で、巻き込まれただけで……だから、このまま逃げることだって……」

「喧嘩を売られて逃げるのは拳闘士のやることじゃねえ。豪腕のガイエンともなりゃ、なおさらだ」


 それが自分の生き様で、誇りなのだという調子で彼は胸を張ってそう告げた。


「お前は傷を癒してから追いかけてきな。足手まといより、助っ人としてあのガキの手助けがしたいならな」


 そこでようやく弔花も冷静になった。後衛の自分が、負傷した状態で加勢に向かったところで、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。そんなことも考えられないほど追い詰められていた自分に気づくとともに、それを気づかせたのが、あろうことか彼だとは。まるで、なにか面白いものでも見たような気持ちになり、不意に笑みが浮かんだ。


 ガイエンは弔花から受け取った薬を追加で飲み、腕の痣が治ったことを確認すると、家の扉を開いて外に出た。

 振り向かず、袖を捲り上げて力こぶを見せつける。

 先ほどとは打って変わって静まり返った夜の森を、先発を買って出た彼が駆けていった。弔花は開かれたままの扉から、その後ろ姿を長い間追った。



  ◇



 自分の足音以外、なにも聞こえない静寂の森。

 激しい戦いなど起きてはいないようにすら思える静謐のなかに、無音の殺意が宙を縫って疾る。


 きいん、という甲高い音が鳴り響く。

 殺意はいささかのしびれを手に残したあと、役目を終えて地に落ちた。


 ナイフだ。

 銀色に渋く光るナイフが、弓矢のように暗闇のなかから射抜かれたのだ。この森に突入してから、果たしてこれで何度目か。両手の指で数えられなくなるのと共に、数えるのも止めてしまった。


「いい加減、牽制も飽きたんじゃないですか」


 少女が告げる。

 姿を見せないナイフの発射台に向かって。闇のなかから自分を付け狙う、巨躯の暗殺者に向かって。


 手にするのは同じくナイフだが、いま地に払い、使い捨てられた粗末な代物ではない。盗賊だった頃から使い続けている、手に良く馴染む愛用の暗器だ。

 こんなもの捨ててしまおうと何度も思ったが、ひとり旅に護身の武器はかかせない。であれば使い慣れた物を持つのが最適と思い、こうして肌身に忍ばせていた訳だが。


「凄いな。一応業物の武器なんだけど、刃こぼれひとつしないんだね」


 どこから、ということもなく声が湧いた。

 左右から聞こえるようでもあり、前後から聞こえるようでもあり。森全体から反響するような声だ。自分の位置を探られずに仲間と意思を疎通するために暗殺者がよく使う、れっきとした武技のひとつだ。


「いくら業物でも、使い手が悪ければなまくらと変わりありませんよ」

「へえ、言ってくれるなあ。君もずいぶん、乗ってきたみたいじゃないか」

「……ひとつ教えてください。なぜ私を執拗に狙うんですか。あなたの目的は、あの家にあるはずです」

「家? ああ……いやいや、下手なブラフは格を落とすよ。あの被験体はもうあそこにはいないだろう? いまは、ここから南に二キロほど進んだところにいる。もうすぐ商業船に着くね。目的地はアラナミかな?」

「そこまで感知できていて、なんで……」


 予想外だった。まさか相手の感知スキルが、そこまで熟達していようとは。もしかしたら特定した相手を標的にし続けるのであれば、この都市内すべてが範囲に含まれるのでは。……人の限界を大きく超えた馬鹿馬鹿しい発想だが、そう思わせるほどの威圧があった。


「君たちのリーダーはもう再起不能だ。そしてそのバディも、僕たちの陣営に降った。焦ることはないんだ。最後の最後に、美味しいところを残しておかないとね。だからその前に、もう一仕事をしなくちゃいけない」

「私を殺すことですか」

「いやいや、とんでもない」


 その声と共に、煌めくナイフの雨が降り注いだ。上からではなく、森のどこからか放たれる四方からの横打ちの雨だ。数も一本や二本ではない。いままでの牽制が遊びであったとでも言うように、無数の鋭利な刃が、幼い少女を襲った。――が、


「――ふッ」


 短く息を吐くと、その幼い少女は目にも留まらぬ動きを見せた。右手に握るたった一本の暗器によって、たちまちのうちに地に落とされる銀の雨。まさしく露払いという言葉が相応しい光景だった。


 体が軽い。頭が冴える。攻撃の筋が――いや、予測軌道に対しての最適行動さえ、難なく導き出せる。


 森のどこかでパイルが高らかに笑った。

 スポーツをしている友達の、スーパープレイを目の当たりにしたような無邪気さで。


「ははははは! すごいや、すごいや! 君には才能があるよ。戦いの才能が、殺しの才能が」

「……」

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