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 そのとき、濃霧の向こう側から鈍い光が輝いた。それは勢いよく一直線に彼女たちへと伸びた。

 動体視力に優れたアミュすら、それを咄嗟に捉えることはできない。

 そして、とん、という小気味好い音が鳴った。


「っあぐ……!」


 弔花がうめき声を上げた。

 アミュレが目を丸くした、弔花の右腕に、深々とナイフが突き刺さっていた。霧の向こうから矢のように飛んできた正体がそれだった。


「弔花さん! すぐに回復を……!」


 言い終える前に、第二第三の刃が放り込まれた。

 愕然となった。自分が相手の気配を読めるということに過信しすぎたための危機だった。


 おそらく緒戦で微かに気配を残していたのは、こちらの感知スキルのほうが上だと判断させるための嘘だったのだ。

 いまやあの大男の気配は全くのゼロで、おまけに矢のように放たれるナイフには、そもそも気配など存在しない。


 発射点もわからなければ、その軌道を読むこともできず、さらに自分が撒いた濃霧のせいで視界は最悪に近い。

 頭のなかでぐるぐると思考が輪になって高速回転した。どこにも出口のない、迷走と呼ぶしかない異常動作だ。


 私のせいで。私があんな指示を出したから。なんとかしなくちゃ。私のせいで弔花さんが。なんとか。パイルの位置を把握する方法は。ナイフの軌道を読む術は。私のせいで。私がなんとかしなくちゃ。今は私が……。


「――今は私が、リーダーなんだから……っ!」


 普段ならまず選択しない行動を、そのとき彼女は選択した。

 すなわち、距離を詰めることによる感知スキルの補助。物理的な間隔が近ければ、相手がどんなに気配を殺そうが無理やり視認することができる。透明にでもならない限り、目視で確認すれば良いだけなのだ。

 ナイフの刺さった角度から、飛んできた方向は推測できる。そこへ素早く移動して発射点パイルを補足し、決着をつける。それがいま彼女にできる、最小限でこちらの被害を抑える方法なのだ。少なくとも、いまの彼女が導き出した結論はそうだった。


「待って、アミュレちゃん……!」


 弔花が慌てて制止の声をかけるも、そのときにはすでに彼女の姿は深い霧の向こう側に消えていた。


「おい、腕は大丈夫か」

「……うん……召喚者に痛みはないし……これで死ぬほどHPが低いわけじゃない……」

「そいつは一安心だ。……けど、くそっ! あいつがいないと魔堕ちがどこから来るかわかんねえぞ!」


 ガイエンが悲鳴を上げた。パイルを除いたとしても、敵はまだ四体いる。ナイフの脅威にさらされながら、感知スキルも持たずそれらを迎撃するのは至難の技だった。

 だがそれ以上に、弔花はそれとは違うことに懸念を抱いた。


 アミュレが、負傷者を放って敵との戦闘を選んだという事実に。


 弔花はアミュレと出会って日が浅い。彼女が僧侶としての役目に固執していることは察していたが、その理由も、固執加減も知るところではない。

 だがそれでも、この場面で回復を二の次にするようなことは、普段なら絶対にありえない。先ほどから感じていた胸騒ぎが、いやな像を結び始めた気がした。


「……ひとまず……家のなかに退避を。それで……ナイフからは身を守れる」


 室内で魔堕ち四体に囲まれる可能性もあるが、抵抗できないままナイフで串刺しにされるよりはマシだ。

 窮地だった。相手の数のほうがまだ優っている状態で、自軍が二分されてしまった。いや……そもそもが、最初から分断されていたのだ。ラビ、リズレッド、自分たちの三つに。


 脳裏に彼の姿が浮かんだ。

 どんな危機にも立ち向かい、そして何かを守るために必死に戦い、勝利してきた彼の姿を。

 思わずすがりたくなる気持ちになったが、それをすんでの所で抑えた。いまは自分がその役目を担わないといけないのだ。彼はいま、とても戦える状態ではない。少なくともいま、英雄はやってこない。そして彼女は船団都市に入る前に約束したのだ。彼への恩を果たし、守ると。ならばここが、その覚悟を発揮するところだった。


「ガイエンさん……これを……」

「あん? これは……?」


 差し出したのは鞄から取り出したひとつの小瓶だった。乳白色の陶器に収められたそれは、外見からはなにが入っているのかわからない。だが先ほど煙幕を使用した彼女だ、それに付随したアイテムであると推測したガイエンは、眉をひそめて言った。


「まさかこの部屋にも煙幕を巻くのか?」

「違う……それは、巻くものじゃない……」 


 理解が追いつかないガイエンが、渡された小瓶をいぶかしげに覗き込んだ。

 弔花はめずらしく語気を強めて言った。


「それを飲んで。時間がない」

「飲むって、これをか? 一体こりゃ何のアイテムなんだ?」

「お願い。効果が出るまでに時間がかかるの……魔堕ちが来る前に、早く」


 彼が戸惑うのも無理はなかった。そもそもが彼と彼女の面識など、今日が初めてのようなものだ。即席で作ったパーティメンバーから、効力は訊かずにこのアイテムを使ってくれと言われて、使う者はよほどの馬鹿だ。だが彼は、


「女から度胸試しされて、断る奴は男じゃねえな」


 まるで挑戦でも受けたかのように言い放つと、蓋を開けて勢いよく飲み干した。

 オズロッドも言っていた通り、彼は馬鹿だった。ただし行動に迷わないという一面が、ここにきて大きな利点となった。

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