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それは絶好の好機。
奴はいま、完全に無防備な状態だった。わざと隙を作っているという様子ではない。ただ単純に、目の前の光景に心が呑まれていた。
だけど……動けなかった。
卑怯とか正々堂々とか、そういう考えからではない。気づけば俺自身も、呑み込まれていた。十二体のレベル30を、一瞬で屠る騎士の姿に。
「あ……?」
ジャスが心から理解できないというように声を発した。疑念や余憤からではない、全く知らない未知のものを目の当たりにしたという声だった。
「我が同胞を侮辱した罪……その命をもって償え」
騎士が動いた。己の故郷の友を侮辱した怨敵へ、断罪の一刀が振るわれる。
「……ッ、舐めるな」
だがジャスも、そこで思考を停止し続けるような男ではなかった。
瞬時に戦闘体制を取ると、そのままするりと白剣をくぐり抜け、彼女の右肩へナイフを走らせた。
まさしく蛇のような動きだった。パイルが影から影への瞬間移動を得意とするなら、彼の戦闘方法は流水。瞬時の移動こそしないものの、絶対に捕まえられることのない滑らかで予測のできない動きだった。
「『暗殺者』を長くやっていれば、お前みたいな奴とはたびたび出くわす。作戦なんてものが通じない、バケモノだ」
「……」
「世間知らずのエルフはこれが怖い。前に捕らえたエルフも、想定よりずいぶんと苦戦させられた」
「……」
「だがそれでも、俺の物にした。俺には神がついてる。お前たちが禁忌として封印する魔堕ちも、俺には関係ない。この世にあるものは全て神が造ったもので、それを封印することが神への侮辱だと知っているからだ」
「……それが、魔堕ちを作る理由か」
「そうだ。俺はお前たちよりも熱心な信者だ。信じるものには、必ず
腰からさらにナイフを取り出し、両手に凶器を携えながら、彼は笑った。
神の国と称した祖国を持つリズレッドに対して、自分こそが使徒だと高らかに宣言した。
お前の同族は、正当な判断にもとづいて異形へと変わったのだと。
俺はこのとき、ジャスの底知れない恐怖を知った。
奴のたがは完全に外れていた。自分の行いの全てを正当化するため、神を持ち上げているだけにすぎない。それがはっきりとわかった。
そしてそれをわかっていないのが、他でもない彼自身なのだということも。
ジャスは人間だ。魔物のような人外のフィジカルもなければ、魔堕ちのように異形へと姿を変えているわけでもない。
だが、だからこそ、俺の目には彼が最も遠い異種族のように見えた。同じ姿をして、同じ言葉を喋っているというのに、まるでなにもかもが噛み合わない。
「そうだよジャス、僕たちには神様がついてるんだ! こんな奴らに負ける理由はないよ!」
パイルが高らかに声を張り上げた。
そうだ、ここにもひとりいた。ジャスを崇める、狂信者のひとりが。
常軌を逸した人間は、ときに異様な求心力を発揮することがある。
だがその羨望の声は、リズレッドの一太刀によって遮られた。
白炎を纏った白剣が、まさしく閃光のように夜の闇を切り裂く。
ジャスが慌てて回避行動を取ろうとしたが、すでに遅かった。
「ぐァ……!?」
蛇のような予測不能の動きも、全てを焼き尽くさんとする業火の前では、ただの道化師の踊りに過ぎず、
「どうした、暗殺者。 殺しがお前の生業だろう。 これでは立場が逆だぞ」
リズレッドが冷淡に告げた。ジャスが懐から所持していたポーションを取り出し、一気に飲み干す。まるで度数の強い酒を呑み、苦痛を紛らわせるかのように。
「こんなはずはない……こんなはずは……。貴重な魔堕ちを十五体も使ったんだ。それで、こんな結果になるはずがない」
「無様だな人間。少し計算が狂うだけで、こうも崩れ落ちるとは。……パイル、お前はただ見てるだけか? 主人の危機だぞ」
ひとりもふたりも、同じようなものだ。
彼女は淡々とそう告げた。あからさまな挑発だったが、パイルは鼻息を荒くしてそれに乗った。
巨体が影へ潜り、夜の闇に紛れたかと思うと、すぐさまリズレッドの真横で衝突が起こった。
パイルの奇襲攻撃を、彼女がなんなく防いでいた。攻撃地点があらかじめわかっているかのような無駄のなさだった。
勇者。
その言葉が、脳裏によぎった。
どんな才能も努力も、平等に地に伏せさせる選ばれし者の称号。
ジャスもパイルも、決して弱いわけではない。レベルは並みの冒険者よりははるかに高く、さらに格上と戦うための策を練る頭もある。
けれど勇者の前では、さながら負けイベントを担当する盗賊AとBだった。
古代図書館の儀式を逃したとはいえ、その力は絶大だった。
事実、加勢に入ったパイルは為す術もなく防戦一方となっていた。
「あッ……ぐ……!」
「こんなものか? こんなもので、お前たちは私の仲間を……」
「畜生、殺してやる……! もう手加減なんてしねえ……! ずたずたに切り刻んで、魔物の餌にしてやる」
口では威勢を放つが、もはや敗北は確定していた。
炎熱を帯びた刀剣を幾たびも浴び、彼の体はすでに満身創痍だった。小山のような巨体でなければ、すでに事切れていたであろう負傷具合だった。
――それを見て、俺はなぜか、心がせき立てられるのを感じた。
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