31

 俺とアミュレの怒涛の問いかけに、当の本人は全く動じた様子もなく、きょとんとした様子で応えた。


「……? 気にならない……?」


 ……そうだ。そうだった。

 この血濡れの姉妹の片割れである弔花もまた、姉の鏡花に勝るとも劣らぬ人間だった。

 姉の存在感が強すぎて忘れがちだが、彼女は彼女で、一筋縄ではいかないんだ。


「もう二度と、あんな思いはしたくない」


 翠髪の少女が、泣きそうな顔をしながら告げた。

 かたかたと震え、おおよそ、その年の女の子がするような顔つきではない、真の恐怖に怯えた顔だった。


「……うん……わかった……」


 弔花が首を縦に降ると、屈んでいた体勢から立ち上がり、俺へと振り向いて言った。


「私も……この子を助けるのに賛成……この子からは……傷つけられた本物の心がある……」


 そう言うと彼女は、震える少女の頭に手を乗せると、優しく撫でながら諭した。


「もう……大丈夫。ラビはあなたのこと……絶対助けてくれる……」

「ラビ……それが、あの人の名前?」

「うん……あなた……名前は……?」

「……わからない。忘れちゃった。昔のことがなにも思い出せない。ただ怖くて逃げて、見つからないように隠れてただけ……」


 逃亡してからの生活の過酷さは、少女の至る所についた生傷から簡単に想像がついた。

 ジャスやパイルから逃げ続けることが、どれだけ大変なことなのかは、もう十分にわかっている。

 そしてそれが、お尋ね者ならなおさらのことだ。


「……やはり、君がクエストターゲットの翠髪の魔堕ちか」

「リズレッド、いまさらそれを言っても仕方ないさ。もうとっくの間に、俺たちはあいつらと敵対しちゃったんだから」

「……」

「リズさん、私も魔堕ちは討伐すべきだと思います。けどこの子は、魔堕ちであると共に人間でもあります。私はふたつを天秤にかけたとき、僧侶としての役目を全うする秤を優先したいです」


 アミュレがおずおずと告げた。

 これで状況は三対一となった。魔堕ちの少女を助けたいという三人の視線が、残らずひとりの騎士に注がれる。

 それを受けた当人は、神妙な顔つきで全員の目を順に見たあと、


「……はあ、どうなっても知らないぞ」


 全ての不服を吐き出すように溜め息をついたあと、諦観するように告げた。


「ひとまずオズロッドのところに戻って、作戦の練り直しだ。どうなるかはわからないけど、それはいつものことだろ」


 冗談めかして言うと、リズレッドは肩をすくめながら剣を鞘に納めた。

 直面した危機は去り、当面の問題をどう解決するかが課題として残ったけど、いまはただ、この疲れた体を癒したかった。

 考えてもみれば、みんな朝から動きっぱなしだ。シューノの港から船に乗り込んで船団都市へと乗り込んで、初日からこんなごたごたに巻き込まれる羽目になるとは思わなかった。


 でも、目の前の少女を保護できたことに、俺はそれ以上の喜びを感じていた。

 リズレッドに彼女を殺めさせなかったという理由もあるけど、それ以上に心の底の暗いところから、あの日の光景が湧き上がり続けて止まなかった。レオナスを殺した、あの日のことが。


 償いというわけではないけど、殺さずに済む命なら、俺の手が届く範囲でなら助けたい。

 そう自分自身が考えていることを、改めて認識できた。


「君もおいで。大丈夫、ここよりも暖かくて、食べ物だってあるところだ。そうだ、そこで名前も考えよう。忘れちゃったなら、また付け直せばいいんだ」

「……行っていいの?」

「ああ、もちろん。なんでそんなこと訊くんだ?」

「みんな、私を見たら逃げる。どうしてかはわからないけど、みんな私と目が合うと、怖がって走っていっちゃう」

「ここには君を怖がる人なんていないさ。オズロッドはどうだかわからないけど……でも、必ず説得してみせる」

「……ありがとう」


 そう言うと、少女は頭を下げて、精一杯の礼を示した。

 こんな小さな子が、心からの謝辞で頭を下げる。そんな状況に追い込んだクラッカーカンパニーの連中に、俺はいまさらながら燃え上がるような怒りを感じた。


 船団都市の裏稼業の元締め。人身売買はおろか、望まない人間を強制的に魔堕ちへと変えて、自分たちの手駒として使う。

 人様の領域で揉め事は起こしたくはないけど、今回ばかりは、そうもいかなさそうだ。

 みんなもそれを予感しているのか、帰り支度をする各々の目は、真剣さと不安を織り交ぜたような光を帯びていた。

 

「じゃ、帰ろうか」


 大きく伸びをしながら、その空気を払拭するように大げさに言ってのける。

 少女の手を取り、夜の街を歩いてオズロッドの待つギルドへと向かった。


 道中握り続けた翠髪の少女の手はとても小さくて、そして暖かかった。

 ただの子供と変わらない手だった。


 自分の決断は決して間違っていなかったと確信付けるには、それで十分だった。


 ほどなくしてアラナミに帰ってきた俺たちは、扉をくぐって中へと入った。

 客はまばらで、赤瞳をかくすため被せたフードさえ気をつけていれば、彼女の正体がばれる心配は特になさそうだ。


 カウンターで呑んだくれていたオズロッドを見つけると、彼は出発前から増えた新たなメンバーに怪訝な目を向けた。

 びく、と少女の手が反応した。


 どうやって切り出したものかと思ったけど、言葉を重ねればそれだけ不信感を募らせる結果になりそうだった。

 特にオズロッドは、単刀直入に物を言われるのが好きなタイプだと思った。

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