21

 外はすでに太陽が沈みきり、暗闇の海原を往く船団都市は闇に包まれていた。

 彼らが商売を行うのに、最も適した時間だ。


 ジャスはソファから立ち上がると、薄く笑みを浮かべながら、最後にグラスに残った赤色の酒を煽った。



  ◇



 日はすっかり暮れて、路上格闘と賭博に性を発していた男たちとは様変わり、商業船は新たな一面をあらわにしていた。


「あら可愛い顔したお兄さん、どう? 今夜はここで遊んでいかない?」


 肩まで衣服を着崩した女性が、艶やかな声を発する。

 ここは海の街だ。露出の多さだったら、昼間に見た女の人たちのほうが遥かに高い人もいた。

 けれど日の照らす下にいたあの人たちと彼女とは、住む世界が決定的に違っていた。

 まあ早い話が、夜の人というわけだ。


「……」


 そしてそういった人たちに声をかけらえるたびに、リズレッドの視線が後ろから容赦無く突き刺さってくる。

 君はこんな行事に興味があるのか、と言いたげな瞳だけど、むろん俺は一言も声を返えていないので冤罪に他ならない。


「自国から出なかった反動ですね。彼女の国は、こういった商売を厳しく禁止していたらしいですし」


 アミュレが淡々とそう言ってのけるが、こっちとしてはこの年の女の子にこんな場所を歩かせるほうが教育上宜しくないのでは気が気でない。


「アミュレはこういう場所は平気なのか?」

「シュバリアの授業で大体は知識を入れたので。なんでも人の心を把握するのに、こういったものは丁度良いらしいです」


 人間の本能すらひとつの材料として教育する……か。

 たしかに子供の頃からオープンにそういった知識を与えることで、当人がその場面に直面したときに取り乱すことはなくなるだろう。

 リズレッドとアミュレの態度の差が、それを明確に証明している。


「それにしても昼間は賭博闘技で夜は花魁の街だなんて、さすが治外都市ですね。神すら恐れぬ所業です」

「そうでもしないと気が保たないんだろうなあ。オズロッドの話を聞いてると、やっぱり海の上での生活って大変みたいだし」

「まあ、早く依頼をこなさないとリズさんの気が保たなさそうですけどね。そろそろ剣すら抜きかねない勢いです。あと弔花さんも」

「え、弔花も?」

「気づいてなかったんですか? ほら、今も」


 そう言ってアミュレが指を指した先には、別の花魁が弔花に対して、なにやら会話を持ちかけていた。


「あなた、うちで働いてみない? この道で働いて長いけど、あなたは逸材よ。すぐに店の看板になれるわ」

「……はぁ……」


 身を乗り出して新人の勧誘に励む彼女の目は、まるで宝物を見つけた盗賊か何かのように光り輝いていた。

 弔花も弔花で、持ち前の性格が災いしてはっきりと断らないものだから、状況は悪くなる一方のようだった。


「すみませーん! その子、俺の仲間なんです!」


 急いでふたりの間に割って入り、弔花のジョブチェンジを阻止する。

 チッ、というあからさまな舌打ちを花魁はすごすごと退散していった。

 あっちとしては逸材を逃して悪罵を垂れたいのかもしれないけど、こっちとしてもそのまま見過ごせば俺が殺されかねないのだ。この子の姉に。


「弔花もはっきりと断らないと、ああいう手合いはずっとついてくるぞ」

「……うん、ごめんなさい……」


 わかっているのかいないのか、彼女は曖昧に返事をして、また夜の街を眺めた。


「……ここは……人の素顔がすごく素直に出てる……ちょっと、居心地がいい……」


 ……まずい、彼女があらぬ方向でここに順応し始めている。

 よくよく考えてみれば、自分をわざと攻撃させることで他人の本心を確かめ、そこから交流をはかろうとする彼女にとって、ここはうってつけの場所だ。

 男も女も、他人を攻撃したくてうずうずしてる奴らがひしめいているんだから。

 これはとっとと魔堕ちを見つけないと、本当に鏡花に殺されてしまうかもしれない。


 そんな最悪の未来を想像していたとき、ふいに声が上がった。


「あっ、待――」


 知り切れトンボで発せられた言葉はリズレッドのものだった。

 不審に思い後ろを振り向くと、彼女はなにやら一方向を呆然と見やって手を伸ばしていた。


「どうした?」

「物取りだ、荷物を盗まれてしまった……!」


 慌てふためく彼女が、標的を見失ったことを言外に示していた。

 俺は物取りが現れたことよりも、その事実に驚いた。彼女ほどのレベル保持者を相手に、スティールを成功させる熟練者がいるなんて信じられなかった。


「リズレッドからアイテムを盗むなんて、そんな手練れがこの街に……」

「姿隠しのスキルは使用していたようだが……すまない、この街の景観に圧倒されて、油断していた」

「……」


 ……うん。なんというか、シュバリアの教育も一理あるのかもしれないな。

 エルダー神国正式騎士団副団長の名が泣くというか、だからこそというべきか、夜の街と物取りの双攻撃によってすっかり狼狽した彼女の横で、素早い影が走った。


「私が捕まえます」


 去り際に発せられた声は、紛れもなく俺たちの頼れる癒術担当、アミュレ・レーゼンフロイのものだった。

 完全に目標を見失ったリズレッドとは違い、明らかに対象を見据えた無駄のない疾走だった。

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