22

「待て、アミュレ――!」


 けれど今日ついたばかりの街で、単独行動は危険すぎる。

 昼間ならまだしも夜のここは、趣を変えた荒っぽさを持つ奴らが多く潜んでいる。

 だけどフードをかぶった白い影は、制止をかけるよりも早くその場を離脱してしまっていた。


「くっ……弔花、リズレッドを頼む!」


 機能不全に陥ったリズレッドを弔花に預けて、急いでアミュレの足跡を追った。

 と言っても、盗賊としての才を故郷で認められていた彼女の姿はもうどこにもなかった。

 戦闘時の単純な速度ならおそらく俺のほうが上だけど、こういった索敵や反射神経を要される場面では、彼女のほうがまだまだ一枚上手ということか。


 駆け出したはいいけど、どうやって追跡しようかと考えていたとき、最初の分かれ道が現れた。

 右と左に綺麗に別れたそこを、果たしてアミュレはどちらに曲がったのか。


 その答えは、他ならない本人が示してくれていた。


「あれは……」


 左の曲がり角に、目新しい靴でこすったあとが残されていたのだ。

 大きさから見て子供の痕跡で、それが『白い影』が残してくれた俺たちへのメッセージであることに疑いはなかった。


「全く……本当に、世話になりっぱなしだな」


 古代図書館からこのかた、エース級の働きを見せる彼女に素直に感服しながら、俺は暗い路地裏を、痕跡を頼りに走り続けた。



  ◇



「くそっ、どうなってやがる!」


 暗い裏路地を疾走しながら、男が毒づいた。

 簡単な仕事のはずだった。すっかり商業船の雰囲気に呑まれた客の目を盗み、何でもいいから荷物を奪うことなんて。


 彼はここで生まれて、ここ以外を知らない盗人の端くれだった。

 だからこそ自分が盗みに及んだ当人の力量を瞬時に推し量ることができず、結果、それが功を成した。

 普通ならば萎縮して腕が鈍るところを、いつも通りの手際の良さで、健闘士相手にスリを行うのと同じ要領で実行できた。

 もし自分が今しがたスティールを行った相手のレベルが50を超えていたと事前に察知していれば、たちまち彼の足はすくみ上がっていただろう。


 ともあれ、彼は偶然の重なりによって仕事を成功させたのだ。

 先ほど、浅黒い肌の大男――この街の住人なら誰でも知っている、気狂いの集団クラッカーカンパニーのひとりから依頼された仕事を。


 何でもいいから盗み、とある場所に相手を誘導しろ。


 それがあの男からの指示だった。

 要するに盗品自体が目的ではなく、誘導こそが仕事だった。


「追ってくるのは、あの女だけでいいっつーのに」


 再度後ろを振り向くと、そこには対象に定めた相手ではなく、全く眼中にもなかった子供のヒーラーが自分へと迫る姿が見えた。

 しかも、


「あのー、そろそろ止まってくれませんか? あまり遠くまでいかれると合流が面倒なので」


 その子供は、特に何事でもないようにそう告げたのだ。息も切らさず、まるで通常の歩行時に語りかけるような調子だった。

 男はすでに全力で足を動かしていた。彼とて盗賊として天啓を受け、それを生業に生きている。走力も身のこなしも、そこらの人間よりも上だという自負があった。

 だがいま彼が直面している事実は、その自信を真っ向から打ち砕くものだった。

 ひ弱なヒーラーで、しかも子供相手に、こんなことが。


「油断したぜ……大人はダミーで、本当のリーダーはあいつかよ!」


 彼がそう判断したのも無理はないことだった。

 彼女はそれを否定するだろうが、盗賊として資質が圧倒的に違いすぎるのだ。

 だが……


「……誰がリーダーですって?」


 その言葉を、幼い少女は許さなかった。

 ケチな盗っ人は、その声が発せられた瞬間に、まるで氷結にでもかかったかのように身を震わせた。


「ひっ……!」


 およそ大人が子供の発するものではない悲鳴が漏れた。

 それが彼女――アミュレが、物心つく前より徹底的に教え込まれた、雪深き死術を操る国の、洗脳とも言えるだろう教育の成果であることなど、男には知る由もない。

 ただ漠然と――命が終わるのだという直感が湧いた。


「あのパーティのリーダーは……私のリーダーは、ただおひとりだけです。あまり適当なことは言わないでください」


 そう言って彼女は男の手から盗まれたリズレッドの品を奪い返した。

 先ほど彼が行ったスティールなどとは熟練度が遥かに違う、達人とも言うべき速さで。


「へ……あれ……?」


 自分が盗み返されたことなど気づきもしない男が、素っ頓狂な声を上げて首をきょろきょろと振った。

 ようやく自分が何をされたのか気づいた彼は、何もされなかったことに戸惑った。


 殺されるかと思った。


 冗談ではなく、そう直感したのだ。

 あの一瞬、なぜか少女の逆鱗に触れたらしい一言のあと、放たれた威圧はそれに等しいものだった。

 僧侶といえども護身用のナイフくらいは持っているだろう。

 それを使えば、あの体さばきなら自分の首を搔き切ることくらい造作もないはずだ。その意思も、あの瞬間には確かにあった。


「はい、ちゃんと返してもらいました。あと盗賊として生計を立てないなら、もう少し真面目に修練したほうがいいですよ、おじさん」


 数メートル先でアイテムの確認をしたアミュレが、後輩にアドバイスでもするように告げた。

 そこに先ほどまでの殺気はなく、子供が大人をからかうような調子で語る、年相応の少女がいるだけだった。

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