9

 彼女の長い黒髪が、どこか寂しげに潮風に揺れた。

 この世界をゲームから現実へと変えてくれた彼女の恩人。もう言葉を交わすことはできない、彼方の彼。

 俺はいまさらながら彼女を連れ出すことの重大性を感じ、遅れて心の中で誓った。弔花を必ず、この大地へ再び帰すと。


 今回は、いままで陸で繋がっていた場所を巡っていた旅とは訳が違う。

 この世界にはまだ世界地図というものは存在しないけれど、地点と地点のおおよその位置関係なら知ることができる。


 聖地を世界の中心と捉えるなら、この大陸は西に位置している。

 その間には、はるかな海原を超える必要がある。


 世界中から黒歴史とされている古の聖地への渡航を唯一可能にしているあの都市でさえ、帰り道は保証してはくれない。

 あくまでも一方通行の旅だった。ヴェスティアンに辿り着けたとしても、そこからどうやって帰還するかは現地で考える必要がある。


 ……本当に危険な旅に同行させてしまったと思う。

 無限の命を持つ俺や弔花ならまだしも、リズレッドやアミュレを、果たしてこの旅に同行させても良かったのだろうかという疑問は、いまでも胸の奥で囁き続けている。

 けれどそれは三人でよく話し合って決めたことだし、二人の意思は固かった。

 白剣の謎に迫りたいリズレッドと、白爺の一件で神との対話を決断したアミュレ。

 同行というよりも、それぞれの目的地が偶然重なっただけという方が近かった。

 だから、


「みんな、必ずまたここに帰ってこよう。心に決着をつけて、堂々と」


 みんなへ振り返りながら言った。

 後ろ背に立っていたみんなへ顔を向けると、見えるのは一面の海だった。

 そこが次に俺が踏み出すべき道だった。


 眼前に仲間と海原を、背には懐かしの始まりの街を。


「どうかお元気で。あなたはあなたらしく、この世界を自由に旅してください」

「今度こちらで会ったときが、あなたの命日ですわよ」


 ふたりの別れの声が聞こえた。

 これは、相当レベルを上げておかないと次に鏡花と会った時が本当にラビ・ホワイトの最後になりかねないな。

 苦笑しながら後ろ背に手を降った。それが合図だったかのように船が動き出し、港が遠ざかる。


「……お姉ちゃん、少し変わったの。前はフィリオに興味を示さなかった。多分昔のあの人なら、かまわずに聖地に同行してたと思う」

「ああ。一緒にいてなんとなく伝わったよ。以前のふたりとは違うって」

「フィリオも……いまは前にも増して剣の修行に励んでる。いつかお姉ちゃんを超えて、そのときプロポーズするんだって……内緒で教えてくれた。あと、ラビもいつか倒してみせるって」

「……なんでそこで俺が?」

「男の意地……ってやつかも……」


 弔花がおぼろげに見える海上の大船団を見ながら、少しだけ笑みを浮かべて言った。

 男の意地と俺が、どういう関係があるのかはわからないけど、それでも、


「良かったな」


 心からその思いが湧き、告げた。

 古代図書館は、正直思い出したくないことも多かった。白爺との別れや、レオナスとの……。

 けれど鏡花とフィリオの関係が進展したのなら、少しはその苦労が報われたというものだ。


 妙な誇らしさを感じながら海風を受けていると、ふいに弔花が屈み込んだ。

 何かを見つけたのかと思い横を振り向くと、それがどうやらそういった趣旨ではないことがわかった。

 両膝をつき、捧げ待つ信徒のように祈りのポーズをとりながら、俺へ向き合っていたのだ。


「……ラビ・ホワイト、あなたは……私たち姉妹の恩人。……だからこの旅は、全力であなたをサポートする……どんなことでも言って……どんなことでもするから……」


 それが彼女なりの最大限の礼の形だった。

 誰かに傷つけられることで、相手の内なる本質を見抜こうとする彼女らしい、自分の身を捧げての奉仕だ。


「じゃあ、俺たちがいつか毒に倒れることがあったら、力を貸してくれ」

「……? それは、どういう?」

「リズレッドが言ってたんだ。古代図書館で受けた弔花の毒薬が、いままでの毒で一番効いたってさ。格上相手にも威力を発揮する毒を作れるなら、その逆……解毒薬だって作れるだろ? 本当は俺が教わって自分で作れればいいんだけど、どうもスキルツリーがそっち方向に伸びる感じがしなくってさ」

「……うん、わかった。どんな毒に冒されても、必ず助ける。……他にも私にできることがあったら、なんでも……」

「いや、それだけで十分だ」

「え?」

「驚くことじゃないだろ。命の危険がある毒から守ってるくれる。その約束をしてくれただけで、お返しとしては十分だ」

「それは……」


 何かを言いかけて、弔花は言いすくんだ。

 彼女にとってみれば、自分に対する要求がないというのは、コミュニケーションの手段を失ったようなものなんだろう。

 一方通行の需要だけで成り立つ関係が、弔花の望むものなのだとしたら、俺にそれを訂正する資格はない。けれど、俺が彼女とどう接するかは俺自身で決めるべきことだった。


「俺は弔花のことをもっと良く知りたいし、知ってほしい。何が好きとか嫌いとか、お気に入りの場所とか、そういうことを。せっかく仲間になれて、長旅なんだ。貸しとか借りとかじゃなくてさ、そういう関係になれたら嬉しいんだけど、どうだ?」

「……」


 別に彼女の生き方を否定するつもりはなかった。

 ただこっちの生き方も、同じように尊重して欲しかった。

 自分で言っといて、ずいぶん都合の良いことを言ってる気がして、妙にむず痒くなって頭を掻いた。


「……私は……自分のことを話すの……苦手なの。……でも、それでも良いなら……それがラビの望みなら……頑張る」


 そう言って、照れたように薄く笑った。

 ここにきてようやく見れた、彼女の心からの笑顔のような気がした。

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